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第6話 祭り前夜の焦燥①
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ようやく祖父が退院し、こちょうの真上にあるアパートの家へと戻ってきた。それは実に喜ばしいのだが、祖父と二人で過ごすには六畳一間では狭かった。
日中は、ずっと歩いていなかったせいで筋力の衰えた祖父のサポートのためにも、こちょうの開店時間よりも早くアパートへと向かう。そして仕事を終わらせ、祖父と夕食を一緒に食べたら社宅であるマンションに戻る生活となっていた。
休職ももうすぐ終わってしまう。その前に、またこの社宅の一室に慣れておくというのも悪くはないかもしれない、と前向きに考えるようにしていた。それでも、まだ胃が痛いことに変わりはなかったが。
「あ、今川さん! 久しぶり」
こちょうから帰ってきて、駅前で鉢合わせした佐久間くんに思わず顔が引きつりそうになる。しかし、復帰したら毎日顔を合わせるかもしれない相手に、いちいち反応しているわけにもいかない。
「久しぶり」
「前に会った時はまだ寒かったよな。どう? おじいちゃん、元気になった?」
他愛ない世間話を覚えていてくれたことに驚いた。こういうところが、営業として重宝されるのだろうと納得してしまう。
和泉さんも、カナエさんだけでなく、こちょうに来るお客さんをよく覚えている。もしかすると、和泉さんも案外、営業に向いているのだろうか。
「うん。最近やっと退院して、まだお店には出られないんだけど元気だよ」
「そっかぁ。今川の休職が明ける頃にはお店にも出られるようになってると安心だな」
「……うん」
佐久間くんは何も間違ったことは言っていない。ただ少し、もうすぐこちょうで働けなくなることが寂しく思えてしまった。
最初はただの逃げのように始めた店長代理だったけれど、いつの間に寂しいなんて思えるようになったのだろう。
こちょうの買い出しから戻ってくる頃には日が傾き、たちばな商店街のオレンジ色に染まる道に長い影が伸びる。暗くなってきても、うだるような暑さは残っていて肌は汗ばんでいた。
ふと視線を上に向ければ、街灯に連なるように赤い提灯が飾られている。表には『たちばな夏祭り』と書かれ、その裏には商店街を賑わす店名が記されていた。装飾の途中なのか明かりが灯されている姿はまだ見たことがない。
「あ、あった」
提灯の群れの中に『たい焼き屋 こちょう』の文字を見つける。以前、商店街の会長さんに祭りの話を聞き、開催費としていくらかカンパしたことを思い出した。
お店がこうして商店街の一部になっていると実感できるのは、少し嬉しい。
「結貴さーん!」
元気な声が聞こえてきて、次の瞬間には突然横から飛んできた真昼くんが目の前で急ブレーキをかける。疾風のように現れた彼に、目をぱちくりと瞬かせた。
「結貴さんも買い出し帰り?」
同じくらいの身長の彼は、くりくりっと丸い瞳で真正面から私の顔を覗きこんでくる。色素の薄い瞳を夕日が照らして、瞳はオレンジの果実のような瑞々しさで輝いていた。
そんな純粋潔白な顔をしている彼が住宅街の路地から飛び出してきたことにわずかな不安が過って、ぼそぼそと小声で尋ねる。
「まさか、また警察に追われてるわけじゃないよね?」
「あははっ! 違うよ、今日はただの買い出し帰り。祭りの季節になってくるとついウキウキしちゃってさ。時間が惜しくてショートカット、みたいな?」
辺りを伺う私に真昼くんは笑って返す。
「時間も惜しい、って何かするの?」
「そう! 今年は友達が野外ステージで出し物やるから手伝ってんの!」
真昼くんは何やら道具が入っているらしいパンパンの袋を掲げてみせる。袋からはみ出した木材やらよく分からないものたちに、曖昧に頷き返した。
「たちばな夏祭りって演芸舞台とかあるんだ。結構、本格的だね」
「この辺学校も多いでしょ? 音楽とか演劇とか、近頃だとダンスとか学生の発表の場みたいなのも兼ねてるんだよね」
「へぇ~!」
商店街の祭り、と聞いてもう少しこじんまりとしたものを想像していた。だが、もしかすると、とんでもない稼ぎ時かもしれない。
若い子もたくさん来るなら、その子たちの興味を引くようなポップ作りも一つの手だ。もしくは祭り限定のメニューを作ってみてはどうだろう。来てくれた子たちの間で話題になれば、祭りの後もリピーターになる可能性もある。そしたら……
と、未来の話を考えかけて我に返る。次の冬を迎える頃には、私の休職期間は終わっているのだ。そうすれば、この代理店長という任も解かれる。
「結貴さん、よかったら友達の練習見に来ない?」
「え?」
「もうだいぶ形になってるんだけどさ、本番前に一般の人の意見も聞きたいって話があって。一時間もあれば大学行って、観て、商店街に戻ってこれると思うんだけど!」
時計を確認すると、和泉さんに伝えた帰宅時間まで少し余裕がありそうだった。多少遅れても、たい焼き屋にとって今は繁忙期ではないのでおそらく大丈夫だと思うが……
「大した意見は言えないかもしれないけど、それでもいいなら……」
「よし、決定! 早速、しゅっぱ~つ!」
日中は、ずっと歩いていなかったせいで筋力の衰えた祖父のサポートのためにも、こちょうの開店時間よりも早くアパートへと向かう。そして仕事を終わらせ、祖父と夕食を一緒に食べたら社宅であるマンションに戻る生活となっていた。
休職ももうすぐ終わってしまう。その前に、またこの社宅の一室に慣れておくというのも悪くはないかもしれない、と前向きに考えるようにしていた。それでも、まだ胃が痛いことに変わりはなかったが。
「あ、今川さん! 久しぶり」
こちょうから帰ってきて、駅前で鉢合わせした佐久間くんに思わず顔が引きつりそうになる。しかし、復帰したら毎日顔を合わせるかもしれない相手に、いちいち反応しているわけにもいかない。
「久しぶり」
「前に会った時はまだ寒かったよな。どう? おじいちゃん、元気になった?」
他愛ない世間話を覚えていてくれたことに驚いた。こういうところが、営業として重宝されるのだろうと納得してしまう。
和泉さんも、カナエさんだけでなく、こちょうに来るお客さんをよく覚えている。もしかすると、和泉さんも案外、営業に向いているのだろうか。
「うん。最近やっと退院して、まだお店には出られないんだけど元気だよ」
「そっかぁ。今川の休職が明ける頃にはお店にも出られるようになってると安心だな」
「……うん」
佐久間くんは何も間違ったことは言っていない。ただ少し、もうすぐこちょうで働けなくなることが寂しく思えてしまった。
最初はただの逃げのように始めた店長代理だったけれど、いつの間に寂しいなんて思えるようになったのだろう。
こちょうの買い出しから戻ってくる頃には日が傾き、たちばな商店街のオレンジ色に染まる道に長い影が伸びる。暗くなってきても、うだるような暑さは残っていて肌は汗ばんでいた。
ふと視線を上に向ければ、街灯に連なるように赤い提灯が飾られている。表には『たちばな夏祭り』と書かれ、その裏には商店街を賑わす店名が記されていた。装飾の途中なのか明かりが灯されている姿はまだ見たことがない。
「あ、あった」
提灯の群れの中に『たい焼き屋 こちょう』の文字を見つける。以前、商店街の会長さんに祭りの話を聞き、開催費としていくらかカンパしたことを思い出した。
お店がこうして商店街の一部になっていると実感できるのは、少し嬉しい。
「結貴さーん!」
元気な声が聞こえてきて、次の瞬間には突然横から飛んできた真昼くんが目の前で急ブレーキをかける。疾風のように現れた彼に、目をぱちくりと瞬かせた。
「結貴さんも買い出し帰り?」
同じくらいの身長の彼は、くりくりっと丸い瞳で真正面から私の顔を覗きこんでくる。色素の薄い瞳を夕日が照らして、瞳はオレンジの果実のような瑞々しさで輝いていた。
そんな純粋潔白な顔をしている彼が住宅街の路地から飛び出してきたことにわずかな不安が過って、ぼそぼそと小声で尋ねる。
「まさか、また警察に追われてるわけじゃないよね?」
「あははっ! 違うよ、今日はただの買い出し帰り。祭りの季節になってくるとついウキウキしちゃってさ。時間が惜しくてショートカット、みたいな?」
辺りを伺う私に真昼くんは笑って返す。
「時間も惜しい、って何かするの?」
「そう! 今年は友達が野外ステージで出し物やるから手伝ってんの!」
真昼くんは何やら道具が入っているらしいパンパンの袋を掲げてみせる。袋からはみ出した木材やらよく分からないものたちに、曖昧に頷き返した。
「たちばな夏祭りって演芸舞台とかあるんだ。結構、本格的だね」
「この辺学校も多いでしょ? 音楽とか演劇とか、近頃だとダンスとか学生の発表の場みたいなのも兼ねてるんだよね」
「へぇ~!」
商店街の祭り、と聞いてもう少しこじんまりとしたものを想像していた。だが、もしかすると、とんでもない稼ぎ時かもしれない。
若い子もたくさん来るなら、その子たちの興味を引くようなポップ作りも一つの手だ。もしくは祭り限定のメニューを作ってみてはどうだろう。来てくれた子たちの間で話題になれば、祭りの後もリピーターになる可能性もある。そしたら……
と、未来の話を考えかけて我に返る。次の冬を迎える頃には、私の休職期間は終わっているのだ。そうすれば、この代理店長という任も解かれる。
「結貴さん、よかったら友達の練習見に来ない?」
「え?」
「もうだいぶ形になってるんだけどさ、本番前に一般の人の意見も聞きたいって話があって。一時間もあれば大学行って、観て、商店街に戻ってこれると思うんだけど!」
時計を確認すると、和泉さんに伝えた帰宅時間まで少し余裕がありそうだった。多少遅れても、たい焼き屋にとって今は繁忙期ではないのでおそらく大丈夫だと思うが……
「大した意見は言えないかもしれないけど、それでもいいなら……」
「よし、決定! 早速、しゅっぱ~つ!」
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