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第九話 だから「魔王」ってなんだ
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ソーディア王国王都から、国の東端にある間際の村までは、馬車でおよそ四日だ。クッションが敷き詰められた乗車席で、ノアは今後の行程に思いを馳せた。
窓の外は、ゆっくりと景色が流れていく。王都は平原にあるため、広い草海原が遥かまで見える。先程、ようやく都を出たところだ。道もまだ、綺麗に舗装されている。
(お忍び……とは、言ってもな)
視線を、向かいに座るエネトとシオンに向け直す。城では華美な装いの彼らも、常に比べれば簡素な装いになっている。
エネトはベージュのズボンと長袖の白いシャツに、薄手のカーキ色のベスト、その上には少し厚手の茶色い上着を羽織っていた。
一方シオンは、長い黒髪を頭の高いところで、一つの団子にしている。少しゆったりとした袖のシャツはやはり白で、黒いベストを着ていた。胸元がきつく、それが腰の細さを強調している。皮のスカートは脛まであり、左右には動きやすいよう、深めのスリットが入っていて、ときおり隙間から、健康的な太ももがのぞいていた。
かく言うノアは、ほとんどエネトと似た服装だ。違うのは色くらいなものである。貴人の一般的な旅装であるから、仕方ないと言えば仕方がない。
この馬車に乗っているのは、ノアとエネト、シオ、そして馭者である。
あえて、王家の紋章が入らない馬車を選んだ。今回の旅は、あくまでエネト個人による、非公式の旅であるためだ。
だが。
馬車が走る街道。その端には、旅人や商人たちがひれ伏していた。その様子が、窓からもよく見えた。
確かに、王家の紋章こそないが、それでもかなり立派な設えの馬車である。一般市民が使う乗り合い馬車とは、まるで違う。
そしてなにより、馬車の後ろには、更に五台の馬車が連なっていた。全て、エネトの私物と、エネトが連れてきた使用人のためのものである。出かけにこれらを見たときには、さすがにノアもなにか言うべきかと迷った。だが、当然のように「荷が多いと邪魔だと思ってな。かなり減らしたのだが、これだとかえって足りないか?」などと先に訊かれてしまい、もはや「充分です」としか言えなかった。
この行列では、誰から見ても「やたら偉い身分一行のお出かけ」だろう。平伏する民たちを見て、ノアはそれ以上考えるのを止めにした。
「どうした。もう馬車酔いか?」
なんとなくこちらの気配を察したのだろう、エネトが笑いながら訊いてくる。意外にも、馬車旅には慣れた様子だ。だがよく考えれば、当然のことだ。第一王子であるエネトは、父親である国王の名代として派遣されることが多い。特に最近は、国内だけでなく、隣国や同盟国への公式訪問も増えているという。それに随伴するシオンも然りだ。
少し気を取り直し、ノアは軽く首を振った。
「いえ。それより、殿下。今後の道程ですが」
「必要ない」
懐から地図を取り出そうとするノアに、エネトがそっけなく言う。なにを言うのか、とノアは思わず固まった。
「面倒なことは、おまえや馭者に任せるさ。どうせ魔物が増えるのは、瘴気の森に近くなってからだろう?」
「魔物が増えるのは、そうですが」
道中の危険は、むしろそれ以外の割合の方が高い。これだけ立派な馬車一行だと、山賊に狙われやすい。野生動物という危険もある。また、食事の問題もある。ここから間際の村に着くまでの間、いくら多目に食料を持ってきていたとしても、無計画に消費するのはいただけない。なにせ、エネトが連れてきた使用人の分まで、考えなければならないのだ。
「せめて、食料の分配だけでも」
「食料なんぞ持ってきていないぞ。ボクたちは」
「は……?」
考えもしていなかった答えに、ノアは我ながらおかしな音の声をあげた。そんなノアを見て、エネトが笑みを浮かべながら「やれやれ」と首を振った。ここから見えるわけもないが、後ろを走る馬車があるはずの方に、視線だけを向ける。
「一台はボクの身支度、もう一台は使用人たち、更にもう一台には使用人たちの荷物が入っている。残りの二台は空だが、中身は寝室用に設えた特製馬車だ。食料など入る隙間はない」
「そんな」
長距離の旅に出るにあたり、本来まず必要になってくるのは食料だ。それを、あれだけ余計なものを持ってきておいて、食料を省くとは。いったい、なにを考えているのか。
「殿下は、旅先の物を食べたいのだそうで」
ノアの内心に答えてくれたのは、シオンだった。どうしようもないものを見る目で、自分の主をねめつけている。当のエネトには、全く届いていないようだが。
「現地のもの、ですか」
「そうだ。領内に国庫の金を落としてやるのも、王室の務めだからな」
「それはよく分かんないですけど、ご当地グルメに心引かれるものは、確かにあるんですよねー」
味方だと思っていたシオンまで、エネトに傾いた発言をしていることに、ノアはひっそりショックを受けた。二対一では、こちらの意見を押し通すわけにいかない。そもそも、王子であるエネトに、一介の貴族が本気で歯向かうなど、許されるわけもない。
窓の外には、旅立ちにおあつらえむきな青空と、平伏する人々の姿が、どこまでも続いていた。
※※※
「うわぁ、すっごい!」
目を輝かせながら、エリシアが歓声をあげる。両手の指を組み、そわそわと落ち着かずに、食堂内を見回した。
「気に入っていただけましたか?」
エリシアの分かりやすいまでの喜びが嬉しいようで、訊ねるアレフィオスもまた、つられて笑顔を浮かべていた。
五十人は収容できるであろう広い部屋には、四角いテーブルと円いテーブルとが、それぞれ数台ずつ並んでいる。
そのうち、繊細なレースで飾りつけられた四角いテーブルには、料理の盛られた大皿が、所せましに置かれていた。そこに、城内に住む魔物たちが、それぞれ盆と小皿を持って並んでいる。
「パンもスープもお肉もデザートも……! どれも何種類も置かれてて、すっごい贅沢! あーもぅすごく良い匂いっ。どれ食べるか迷っちゃうなぁ」
嬉しい悲鳴をあげながら、エリシアはさっそく魔物たちの列へと突撃していった。気後れする様子は、微塵も感じられない。リュースらも、それに続いた。
「よく分かんねぇけど、普通、城の食事ってのは、こういう感じとは違うんじゃねぇのか? 前に、依頼を受けて行った領主の城では、一人一人に料理が運ばれてきたぞ。領主は身内だけで、別室で食べてたしな」
分厚いステーキをトングで取りながら、リュースが隣にいるアレフィオスに訊ねる。アレフィオスは慣れた手つきで、こぼさないよう、赤いスープをすくっていた。
「昔はそうだったんですけど。やっぱり、ごはんは皆でわいわい食べたいなと思いまして。そうなると、皆好きなものも違いますし。無理言ってお願いして、変えてもらったんです」
ふぅん、とリュースは改めて、テーブル上の料理を見回した。確かに、美味であることが容易に想像できる料理が並ぶ反面、別のテーブルには、食べ物なのか疑わしいものが載っている皿もある。
ふと、三皿隣にあるポトフが、リュースの視界に入った。柔らかに煮込まれた小さな丸キャベツと芋の隙間から、肉の腸詰めが顔をのぞかせている。鼻先を漂う、野菜の甘い香りが、リュースの食指を動かす。
だが――同時に思い浮かぶ。これをよそって持っていった際の、それ見たことかというような、エリシアの反応が。想像上のエリシアに苛立ったリュースは、代わりに、その隣に置いてある、ミートソースのかかったパスタをよそった。
料理をとりおわった者は順次、円いテーブル席に座っていく。盆に料理を一通り載せ終わったアレフィオスは、一つだけ席が空いているテーブルに呼ばれて行った。聞こえてくる話によると、どうやら、日によって座る席を変えているようだ。
リュースはまだ誰も座っていないテーブルを選び、盆を置いて腰かけた。すると、すぐにエリシアがやってきて、「おなかへったー」と、当然のように隣に座った。
「おまえ、病み上がりのくせに、随分食欲あんだな」
エリシアの盆には、丸パンが三つに、赤い豆のスープ、芋のサラダ、魚のフライにステーキ、具だくさんのキッシュ、白い瓜と小さな無数の赤い実が載っている。
エリシアは胸を張り、「だからよ」とのたまった。その顔色は、休眠と薬のおかげか、だいぶ普段のものに近い。
「身体がすごく消耗してるから、栄養たくさんとりなさいって、お医者さんに言われたし! それによく考えたら、お昼食べそこなったしね。お腹ぺっこぺこー」
確かに、エリシアは早々に気を失ってしまったため、リュースたちと一緒に、昼食をとらなかった。とは言っても、歩きながら携帯食をかじっただけではあったが。
「まぁそこまで小うるさく戻ったなら、あの医者もヤブじゃねぇってことか」
感心するリュースに、しかしエリシアは不満の声をあげた。大きな目を鋭くし、じとりと睨みやってくる。
「ちょっと。小うるさいってなによ、小うるさいって」
「あぁ間違えたな。小うるさいじゃなくてクソうるせぇだな。もういっぺん、森ん中に戻って、ちょうど良いくらいに音量下げてこい」
「あぁっ! 病み上がりのお姉様に向かってなんてこと――」
「素直じゃないね、リュースも」
そう言って、リュースらの前に皿を置いたのはアーティエだ。皿には、森で本人が好物だと言っていたように、瓜と赤い実が山程によそられている。と言うより、それしかない。
「偏食にも程があるだろおまえ……」
「僕にはこれで充分なんだよ」
飄々と受け流し、銀色のフォークを果実に刺す。ぷつりと小さな音と共に、じわりと汁が溢れ出てきた。
それを見てエリシアも食欲をそそられたのか、「いただきます」とパンに手をつける。まだ焼き立てのパンはいかにも柔らかそうで、半分に割られるとリュースの元にまで、香ばしい小麦の香りが漂ってきた。
瓜と実を指して、同じものをとったアーティエに、エリシアが訊ねる。
「ねぇ、これって果物だよね? なんだか分かる?」
「こっちは、南方で収穫される甘瓜だね。普通の瓜と違って、名前の通り甘味と香りが強いんだ」
「へぇ。南のものなんだ。こっちも?」
「この実は、割りと北でも見られるよ。レッドベリーって言うんだけど、黒っぽいと甘味が強くなる。エリシアさんが持ってきたのは、ちょっと酸味が強そうだね」
「えー……赤くて綺麗な方が美味しいかと思ったのに」
リュースもまた、ナイフとフォークを取り、ステーキ肉を一口大に切った。なんの肉かまでは分からないが、表面の程よい焦げ目と、内側のほんのり桃色の焼け具合、そしてスパイスの香りに、食欲を刺激される。口の中に放れば、思ったよりも柔らかく、だが弾力もあり、噛む程に肉汁と旨味が口内にこぼれた。
「それは竜の肉だよ」
正面から囁かれ、思わず吹き出しかける。
「な……ッ」
「冗談だよ。あんな人間以上に知的な種族を、魔物だって食べる程ゲテモノじゃないよ。たぶん、猪かそれの亜種じゃないかな」
くすくすと笑うアーティエを、リュースはじろりと睨みつけ、改めて自分の皿を見た。見慣れた料理を選んだつもりだったが、この場所を考えれば、どれも怪しく見えてくる。
「それにしても、アレフさんて大人気なのね」
パンをスープに浸しながら、エリシアがしみじみとした口調で呟く。視線の先にいるのは、もちろんアレフィオスだ。自分の料理にはほとんど手をつけず、話しかけてくる大勢の魔物たちに、逐一うんうんと頷いている。その表情は、リュースらといたときよりもずっと柔らかく、自然な笑顔であった。
「人気……っつーか、なぁ」
そう言えば、エリシアは気を失っていたため、魔物たちによる円陣と万歳を見ていないのであったと、リュースは今更ながら思い出した。
そんなリュースとエリシアの様子を見ながら、アーティエが「そういうものなんじゃないかな」と、気楽な調子で言った。フォークを刺し、次に口へ運ぶ甘瓜を準備などしながら。
「そういうもんって……なにがだ」
「だから、魔王が魔物に人気があるってこと。――そもそも、魔王ってなにかな」
大きめに切られた、甘い香りのする瓜を一口で頬張るアーティエに、リュースは軽く眉を寄せた。
「なにって……そりゃ、魔物の王だろ」
「なら」
口の中にはまだ瓜が入っているはずだが、それを全く感じさせない口の動きと声で、アーティエが続ける。フォークを、まるで杖かなにかのように振りながら。
「その王っていうのは、人間の王と、果たして同じかな?」
「――」
一瞬、なにを言われているのか理解ができなかった。頭の中で、問われた文を繰り返す。
「それって、魔物にとっての王と、人間にとっての王は、立場というか……定義が違うってこと?」
エリシアが首を傾げるのに、アーティエが「話が早い」と嬉しそうに頷く。
「太古の話。混沌の主は、神と魔物を四柱ずつ作った。彼らは眷族を産み、そしてやがて、それぞれの種族の代表となる。それが、主要四神と、東西南北の魔王」
「つまり……他の魔物を産んだのは、魔王たちだってことか」
「えーっ? それって……アレフさんは、魔物たちにとって、お母さんってこと……!?」
かなり衝撃を受けたようで、エリシアが頓狂な声で叫ぶ。幸い、周囲もうるさく大して目立ちはしなかったが、内容を考えると心臓に悪い。
(でもそういや、あいつペットの魔物どもに、「パパだよ」とかぬかしてたな……)
そんなどうでも良いことを思い出してしまうくらい、少し頭が混乱していた。もしそれが文字通りの意味だとしたら、別の魔王が母親役なのかもしれない。随分と子だくさんなものだ、などと、どうにも思考回路が狂った感想しか浮かばなかった。
「どちらかというと、もっと高尚な存在だと、僕は思うけどね」
笑いながら、アーティエが言う。声に、少し呆れのようなものを混ぜながら。
「産むっていうのは、つまりは創造主だってことさ。人間にとっての、神に近い」
なるほど。つまり、あの盲目なまでの、魔王への忠義は、信仰心に近いというわけか。狂信者、というものかもしれない。
「ついでに言えば、人間や動植物は神だけじゃなく、魔王たちも手を貸して造ったことになっている。魔物たちによる被害とその性質から、いつの間にか人間からは、嫌われる対象になってしまったけどね」
そこまで聞き、リュースはハッとした。なにを馬鹿なことを、と首を振り、スープを一口飲む。
ただの昔話だ。神話だ。よくよく考えれば、あのへたれ魔王が、そんな太古からこれまで生き続けているとは、とうてい思えなかった。
「さすがは吟遊詩人ね。物知り」
エリシアが拍手をすると、アーティエはまるで一曲披露したかのように、大仰なお辞儀をしてみせた。
リュースはもう一口スープをすすった。自然と、視線がアレフィオスを探す。
「神話かぁ。あたし、あの話が好きだったな。世界を計ることができる天秤を持つ人の話」
「あぁ、〈調停者〉だね。どうして?」
「天秤の、片方のお皿に載せた物と同じ重さだけ、好きなものを出せるんだって。だから、あたし自分と同じくらいの重さのパイが食べたいなって、小さい頃思ってて……」
他愛もない会話を背後に、アレフィオスと目が合う。その金色の目が、まるでなにもかも見透かしているような、そんな妄想を抱き、リュースは固まった。
そんなリュースに、アレフィオスは変わらず遠慮がちな、情けない笑みを浮かべ、また魔物たちとの会話に戻っていった。
窓の外は、ゆっくりと景色が流れていく。王都は平原にあるため、広い草海原が遥かまで見える。先程、ようやく都を出たところだ。道もまだ、綺麗に舗装されている。
(お忍び……とは、言ってもな)
視線を、向かいに座るエネトとシオンに向け直す。城では華美な装いの彼らも、常に比べれば簡素な装いになっている。
エネトはベージュのズボンと長袖の白いシャツに、薄手のカーキ色のベスト、その上には少し厚手の茶色い上着を羽織っていた。
一方シオンは、長い黒髪を頭の高いところで、一つの団子にしている。少しゆったりとした袖のシャツはやはり白で、黒いベストを着ていた。胸元がきつく、それが腰の細さを強調している。皮のスカートは脛まであり、左右には動きやすいよう、深めのスリットが入っていて、ときおり隙間から、健康的な太ももがのぞいていた。
かく言うノアは、ほとんどエネトと似た服装だ。違うのは色くらいなものである。貴人の一般的な旅装であるから、仕方ないと言えば仕方がない。
この馬車に乗っているのは、ノアとエネト、シオ、そして馭者である。
あえて、王家の紋章が入らない馬車を選んだ。今回の旅は、あくまでエネト個人による、非公式の旅であるためだ。
だが。
馬車が走る街道。その端には、旅人や商人たちがひれ伏していた。その様子が、窓からもよく見えた。
確かに、王家の紋章こそないが、それでもかなり立派な設えの馬車である。一般市民が使う乗り合い馬車とは、まるで違う。
そしてなにより、馬車の後ろには、更に五台の馬車が連なっていた。全て、エネトの私物と、エネトが連れてきた使用人のためのものである。出かけにこれらを見たときには、さすがにノアもなにか言うべきかと迷った。だが、当然のように「荷が多いと邪魔だと思ってな。かなり減らしたのだが、これだとかえって足りないか?」などと先に訊かれてしまい、もはや「充分です」としか言えなかった。
この行列では、誰から見ても「やたら偉い身分一行のお出かけ」だろう。平伏する民たちを見て、ノアはそれ以上考えるのを止めにした。
「どうした。もう馬車酔いか?」
なんとなくこちらの気配を察したのだろう、エネトが笑いながら訊いてくる。意外にも、馬車旅には慣れた様子だ。だがよく考えれば、当然のことだ。第一王子であるエネトは、父親である国王の名代として派遣されることが多い。特に最近は、国内だけでなく、隣国や同盟国への公式訪問も増えているという。それに随伴するシオンも然りだ。
少し気を取り直し、ノアは軽く首を振った。
「いえ。それより、殿下。今後の道程ですが」
「必要ない」
懐から地図を取り出そうとするノアに、エネトがそっけなく言う。なにを言うのか、とノアは思わず固まった。
「面倒なことは、おまえや馭者に任せるさ。どうせ魔物が増えるのは、瘴気の森に近くなってからだろう?」
「魔物が増えるのは、そうですが」
道中の危険は、むしろそれ以外の割合の方が高い。これだけ立派な馬車一行だと、山賊に狙われやすい。野生動物という危険もある。また、食事の問題もある。ここから間際の村に着くまでの間、いくら多目に食料を持ってきていたとしても、無計画に消費するのはいただけない。なにせ、エネトが連れてきた使用人の分まで、考えなければならないのだ。
「せめて、食料の分配だけでも」
「食料なんぞ持ってきていないぞ。ボクたちは」
「は……?」
考えもしていなかった答えに、ノアは我ながらおかしな音の声をあげた。そんなノアを見て、エネトが笑みを浮かべながら「やれやれ」と首を振った。ここから見えるわけもないが、後ろを走る馬車があるはずの方に、視線だけを向ける。
「一台はボクの身支度、もう一台は使用人たち、更にもう一台には使用人たちの荷物が入っている。残りの二台は空だが、中身は寝室用に設えた特製馬車だ。食料など入る隙間はない」
「そんな」
長距離の旅に出るにあたり、本来まず必要になってくるのは食料だ。それを、あれだけ余計なものを持ってきておいて、食料を省くとは。いったい、なにを考えているのか。
「殿下は、旅先の物を食べたいのだそうで」
ノアの内心に答えてくれたのは、シオンだった。どうしようもないものを見る目で、自分の主をねめつけている。当のエネトには、全く届いていないようだが。
「現地のもの、ですか」
「そうだ。領内に国庫の金を落としてやるのも、王室の務めだからな」
「それはよく分かんないですけど、ご当地グルメに心引かれるものは、確かにあるんですよねー」
味方だと思っていたシオンまで、エネトに傾いた発言をしていることに、ノアはひっそりショックを受けた。二対一では、こちらの意見を押し通すわけにいかない。そもそも、王子であるエネトに、一介の貴族が本気で歯向かうなど、許されるわけもない。
窓の外には、旅立ちにおあつらえむきな青空と、平伏する人々の姿が、どこまでも続いていた。
※※※
「うわぁ、すっごい!」
目を輝かせながら、エリシアが歓声をあげる。両手の指を組み、そわそわと落ち着かずに、食堂内を見回した。
「気に入っていただけましたか?」
エリシアの分かりやすいまでの喜びが嬉しいようで、訊ねるアレフィオスもまた、つられて笑顔を浮かべていた。
五十人は収容できるであろう広い部屋には、四角いテーブルと円いテーブルとが、それぞれ数台ずつ並んでいる。
そのうち、繊細なレースで飾りつけられた四角いテーブルには、料理の盛られた大皿が、所せましに置かれていた。そこに、城内に住む魔物たちが、それぞれ盆と小皿を持って並んでいる。
「パンもスープもお肉もデザートも……! どれも何種類も置かれてて、すっごい贅沢! あーもぅすごく良い匂いっ。どれ食べるか迷っちゃうなぁ」
嬉しい悲鳴をあげながら、エリシアはさっそく魔物たちの列へと突撃していった。気後れする様子は、微塵も感じられない。リュースらも、それに続いた。
「よく分かんねぇけど、普通、城の食事ってのは、こういう感じとは違うんじゃねぇのか? 前に、依頼を受けて行った領主の城では、一人一人に料理が運ばれてきたぞ。領主は身内だけで、別室で食べてたしな」
分厚いステーキをトングで取りながら、リュースが隣にいるアレフィオスに訊ねる。アレフィオスは慣れた手つきで、こぼさないよう、赤いスープをすくっていた。
「昔はそうだったんですけど。やっぱり、ごはんは皆でわいわい食べたいなと思いまして。そうなると、皆好きなものも違いますし。無理言ってお願いして、変えてもらったんです」
ふぅん、とリュースは改めて、テーブル上の料理を見回した。確かに、美味であることが容易に想像できる料理が並ぶ反面、別のテーブルには、食べ物なのか疑わしいものが載っている皿もある。
ふと、三皿隣にあるポトフが、リュースの視界に入った。柔らかに煮込まれた小さな丸キャベツと芋の隙間から、肉の腸詰めが顔をのぞかせている。鼻先を漂う、野菜の甘い香りが、リュースの食指を動かす。
だが――同時に思い浮かぶ。これをよそって持っていった際の、それ見たことかというような、エリシアの反応が。想像上のエリシアに苛立ったリュースは、代わりに、その隣に置いてある、ミートソースのかかったパスタをよそった。
料理をとりおわった者は順次、円いテーブル席に座っていく。盆に料理を一通り載せ終わったアレフィオスは、一つだけ席が空いているテーブルに呼ばれて行った。聞こえてくる話によると、どうやら、日によって座る席を変えているようだ。
リュースはまだ誰も座っていないテーブルを選び、盆を置いて腰かけた。すると、すぐにエリシアがやってきて、「おなかへったー」と、当然のように隣に座った。
「おまえ、病み上がりのくせに、随分食欲あんだな」
エリシアの盆には、丸パンが三つに、赤い豆のスープ、芋のサラダ、魚のフライにステーキ、具だくさんのキッシュ、白い瓜と小さな無数の赤い実が載っている。
エリシアは胸を張り、「だからよ」とのたまった。その顔色は、休眠と薬のおかげか、だいぶ普段のものに近い。
「身体がすごく消耗してるから、栄養たくさんとりなさいって、お医者さんに言われたし! それによく考えたら、お昼食べそこなったしね。お腹ぺっこぺこー」
確かに、エリシアは早々に気を失ってしまったため、リュースたちと一緒に、昼食をとらなかった。とは言っても、歩きながら携帯食をかじっただけではあったが。
「まぁそこまで小うるさく戻ったなら、あの医者もヤブじゃねぇってことか」
感心するリュースに、しかしエリシアは不満の声をあげた。大きな目を鋭くし、じとりと睨みやってくる。
「ちょっと。小うるさいってなによ、小うるさいって」
「あぁ間違えたな。小うるさいじゃなくてクソうるせぇだな。もういっぺん、森ん中に戻って、ちょうど良いくらいに音量下げてこい」
「あぁっ! 病み上がりのお姉様に向かってなんてこと――」
「素直じゃないね、リュースも」
そう言って、リュースらの前に皿を置いたのはアーティエだ。皿には、森で本人が好物だと言っていたように、瓜と赤い実が山程によそられている。と言うより、それしかない。
「偏食にも程があるだろおまえ……」
「僕にはこれで充分なんだよ」
飄々と受け流し、銀色のフォークを果実に刺す。ぷつりと小さな音と共に、じわりと汁が溢れ出てきた。
それを見てエリシアも食欲をそそられたのか、「いただきます」とパンに手をつける。まだ焼き立てのパンはいかにも柔らかそうで、半分に割られるとリュースの元にまで、香ばしい小麦の香りが漂ってきた。
瓜と実を指して、同じものをとったアーティエに、エリシアが訊ねる。
「ねぇ、これって果物だよね? なんだか分かる?」
「こっちは、南方で収穫される甘瓜だね。普通の瓜と違って、名前の通り甘味と香りが強いんだ」
「へぇ。南のものなんだ。こっちも?」
「この実は、割りと北でも見られるよ。レッドベリーって言うんだけど、黒っぽいと甘味が強くなる。エリシアさんが持ってきたのは、ちょっと酸味が強そうだね」
「えー……赤くて綺麗な方が美味しいかと思ったのに」
リュースもまた、ナイフとフォークを取り、ステーキ肉を一口大に切った。なんの肉かまでは分からないが、表面の程よい焦げ目と、内側のほんのり桃色の焼け具合、そしてスパイスの香りに、食欲を刺激される。口の中に放れば、思ったよりも柔らかく、だが弾力もあり、噛む程に肉汁と旨味が口内にこぼれた。
「それは竜の肉だよ」
正面から囁かれ、思わず吹き出しかける。
「な……ッ」
「冗談だよ。あんな人間以上に知的な種族を、魔物だって食べる程ゲテモノじゃないよ。たぶん、猪かそれの亜種じゃないかな」
くすくすと笑うアーティエを、リュースはじろりと睨みつけ、改めて自分の皿を見た。見慣れた料理を選んだつもりだったが、この場所を考えれば、どれも怪しく見えてくる。
「それにしても、アレフさんて大人気なのね」
パンをスープに浸しながら、エリシアがしみじみとした口調で呟く。視線の先にいるのは、もちろんアレフィオスだ。自分の料理にはほとんど手をつけず、話しかけてくる大勢の魔物たちに、逐一うんうんと頷いている。その表情は、リュースらといたときよりもずっと柔らかく、自然な笑顔であった。
「人気……っつーか、なぁ」
そう言えば、エリシアは気を失っていたため、魔物たちによる円陣と万歳を見ていないのであったと、リュースは今更ながら思い出した。
そんなリュースとエリシアの様子を見ながら、アーティエが「そういうものなんじゃないかな」と、気楽な調子で言った。フォークを刺し、次に口へ運ぶ甘瓜を準備などしながら。
「そういうもんって……なにがだ」
「だから、魔王が魔物に人気があるってこと。――そもそも、魔王ってなにかな」
大きめに切られた、甘い香りのする瓜を一口で頬張るアーティエに、リュースは軽く眉を寄せた。
「なにって……そりゃ、魔物の王だろ」
「なら」
口の中にはまだ瓜が入っているはずだが、それを全く感じさせない口の動きと声で、アーティエが続ける。フォークを、まるで杖かなにかのように振りながら。
「その王っていうのは、人間の王と、果たして同じかな?」
「――」
一瞬、なにを言われているのか理解ができなかった。頭の中で、問われた文を繰り返す。
「それって、魔物にとっての王と、人間にとっての王は、立場というか……定義が違うってこと?」
エリシアが首を傾げるのに、アーティエが「話が早い」と嬉しそうに頷く。
「太古の話。混沌の主は、神と魔物を四柱ずつ作った。彼らは眷族を産み、そしてやがて、それぞれの種族の代表となる。それが、主要四神と、東西南北の魔王」
「つまり……他の魔物を産んだのは、魔王たちだってことか」
「えーっ? それって……アレフさんは、魔物たちにとって、お母さんってこと……!?」
かなり衝撃を受けたようで、エリシアが頓狂な声で叫ぶ。幸い、周囲もうるさく大して目立ちはしなかったが、内容を考えると心臓に悪い。
(でもそういや、あいつペットの魔物どもに、「パパだよ」とかぬかしてたな……)
そんなどうでも良いことを思い出してしまうくらい、少し頭が混乱していた。もしそれが文字通りの意味だとしたら、別の魔王が母親役なのかもしれない。随分と子だくさんなものだ、などと、どうにも思考回路が狂った感想しか浮かばなかった。
「どちらかというと、もっと高尚な存在だと、僕は思うけどね」
笑いながら、アーティエが言う。声に、少し呆れのようなものを混ぜながら。
「産むっていうのは、つまりは創造主だってことさ。人間にとっての、神に近い」
なるほど。つまり、あの盲目なまでの、魔王への忠義は、信仰心に近いというわけか。狂信者、というものかもしれない。
「ついでに言えば、人間や動植物は神だけじゃなく、魔王たちも手を貸して造ったことになっている。魔物たちによる被害とその性質から、いつの間にか人間からは、嫌われる対象になってしまったけどね」
そこまで聞き、リュースはハッとした。なにを馬鹿なことを、と首を振り、スープを一口飲む。
ただの昔話だ。神話だ。よくよく考えれば、あのへたれ魔王が、そんな太古からこれまで生き続けているとは、とうてい思えなかった。
「さすがは吟遊詩人ね。物知り」
エリシアが拍手をすると、アーティエはまるで一曲披露したかのように、大仰なお辞儀をしてみせた。
リュースはもう一口スープをすすった。自然と、視線がアレフィオスを探す。
「神話かぁ。あたし、あの話が好きだったな。世界を計ることができる天秤を持つ人の話」
「あぁ、〈調停者〉だね。どうして?」
「天秤の、片方のお皿に載せた物と同じ重さだけ、好きなものを出せるんだって。だから、あたし自分と同じくらいの重さのパイが食べたいなって、小さい頃思ってて……」
他愛もない会話を背後に、アレフィオスと目が合う。その金色の目が、まるでなにもかも見透かしているような、そんな妄想を抱き、リュースは固まった。
そんなリュースに、アレフィオスは変わらず遠慮がちな、情けない笑みを浮かべ、また魔物たちとの会話に戻っていった。
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セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
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小説家になろう、カクヨムさま他サイトでも投稿しています。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
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