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第十五話 勇者と勇者
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ふと目を開けると、エリシアの顔があったた。黒い瞳が揺れ、じっとこちらの顔を見つめている。
夢と現実の境界が混ざりあい、一瞬、自分がどこにいるのかも分からなくなる。横たわっている寝台の匂いは、夢の中で感じたセルシオの診療所の匂いと酷似しており、それが余計に頭を混乱させた。
「リュース……大丈夫?」
大人になったエリシアが、不安げな眼差しで問うてくる。その一言で、記憶が巻き戻る。
翔んできた槍。警護長との小競り合い。魔王への特訓。
意識した途端、脇腹がずきりと痛んだ――気がした。布団の中でそっと手を触れると、分厚く包帯が巻かれているのが分かった。
「ドクターが言うにはね。びっくりしちゃうくらいの回復力だから、安心しなさいって」
わざとおどけた調子で言うエリシアに、「そうか」とだけ返事をする。わざと素っ気なくした、というつもりもなく、ただ思考が今一つはっきりしなかった。薄く霧がかった景色を見ているような――そんな心地だ。
「……おまえが、ずっといたのか?」
「ん……ごはん食べてきなさいって、ドクターに言われたから、さっきまでは食堂にいたよ。その間に……アーティエさんが、来てたみたいだけど」
そう、僅かに眉を寄せながらエリシアが言う。
「アーティエが……」
頭を振り、身体を起こすと、さすがに慌てた声でエリシアが止めに入った。
「ちょっと。いくらなんでも、まだ起きるには早いよ」
それを手で制し、「腹減ったんだよ」と微かに笑ってみせる。実際、頭がしっかりしないのは、急速に失われた血液とカロリーが補給しきれていないからのような気がした。
「どれくらい寝てた?」
「まだ……一日しか、立ってないけど。でも、出歩くならドクターに訊かないと」
心配性なエリシアの代わりにリュースがドクターへ視線を向けると、部屋の奥で別の作業をしていた彼――あるいは彼女は、軽く肩を竦めて特に止めようとはしなかった。「びっくりしちゃうくらいの回復力」というのは、比喩でもなんでもないのだろう。
包帯の上から服を着ると、動く際に若干の痛みとひきつる感覚こそあるが、昨日負ったはずの怪我からすれば、確かに随分と順調すぎる回復ぶりだ。
「警護長、アレフさんが落ち込んでるの見て、一緒になって落ち込んでたよ」
廊下を歩きながら、うかがうようにエリシアが話題を振ってくる。丸一日寝たきりだったリュースは伸びをしながら、「ふぅん」と気のない返事をした。
「リュースは……怒ってないの?」
「なんで怒んだよ。あれくらい真剣にやらねぇと、訓練にならねぇじゃねぇか」
「報酬をもらってる以上はな」と、胸元の石を指で弾く。それを聞くエリシアの目が、戸惑いに揺れた。
「……あのね。もし、特訓が終わったらさ」
彼女の言葉は、しかし途中で掻き消された。
「教官っ!」
その呼び声に、一瞬自分のことだとは気づかず無視しかけるが、数歩進んだところでふと思い出して振り返る。
「なんだ」
それは、人型の魔物だった。ただし背中には巨大な翼が生えており、光の加減で七色に煌めいている。服は纏っておらず、代わりに羽と同じく美しい体毛が全身を覆い、脚はいわゆる鳥脚だ。それが、窓の外で羽ばたきながらこちらを見ていた。
人間であれば整っていると言えるその顔に、疲労と焦りを滲ませている。魔物は窓をくぐるとリュースの前に降り立った。
「どうした」
「それが……今朝から数名の有志で、森へ訓練に出かけていたのですが」
昨日のリュースと警護長の戦いを見て、闘争心を煽られたのだろう。元々、リュースが来る前から、森は彼らの領分だ。怪我を負っている教官の断りなく森へくり出すことに、躊躇いがあるはずもなかった。
「それで、なにか問題があったのか」
「はい……実は」
森と村の中間地点で、いつものように訓練相手となる冒険者を待っていた彼らは、変わった一行を見つけたという。旅装ではあるのだが、あまり旅慣れた様子でもない男を、軽装の女が負っていた。また、先頭を歩く者は瘴気にあてられた素振りもなく、涼しい顔で歩いている。
腕試しにちょっかいを出そうとしたのが、間違いだった。先頭を歩いていた者は魔物たちの気配を感じるや否や、腰にはいていた剣を抜きざまに切りつけてきた。その動作は全く隙がなく、慌てた魔物の一人がこうして慌てて、リュースに知らせにきたとのことだった。
「ったく……余計なことしやがって」
耳を掻きながら、リュースが唸る。
「騎士団じゃねぇのか?」
「いえ……わたしも騎士団は見たことがありますが、格好は普通の旅人といった体で……」
「ふん」とリュースは腕を組んだ。せっかく仕込んだ魔物たちがやられては、訓練の甲斐がない。警護長あたりは「効果のない訓練に報酬を支払うべきではない」など、また面倒なことを言い出すかもしれない。
「……おまえ、翔ぶと速いのか」
「は、はい。歩きよりは」
なら、とリュースは思考を巡らせる。剣は手元にないため、おそらく部屋だろう。森へ向かう手段は決めた。それにしても、謎の一行の狙いとは――。
「エリシア、アーティエを呼んで来い」
「えっ。アーティエさん?」
エリシアが思いきり嫌そうな顔をするが、それは無視し「早く」と促す。しぶしぶ歩きだすエリシアを見送りもせず、続けて魔物に告げる。
「俺は、武器を持ってくる。それまでここで待機してろ」
「はい……あの、でも。教官自ら……?」
小さくなっていく語尾とその視線が、「動けるのか」と言外に訊いてくる。リュースはにやりと笑みだけを返し、自室へと駆け出した。
※※※
「ギッ!」
悲鳴をあげて、獣型の魔物が跳び退く。その一瞬後を銀色の刃が追いかけたことを思えば、実にぎりぎりのタイミングがだった。
しかし、尋常でない剣劇は空間をも切り裂き、鎌鼬を起こした――避けたはずの獣の前肢に、深々とした傷が刻み込まれる。
「まずいな……」
共にペアを組む魔物が、低く唸る。蜥蜴にも似たその身体からは多量の血が流れており、動けそうになかった。
獣の脚力をもつペアでさえ、避けきることのできない剣撃。このままでは、おそらくあと数秒後には、二匹とも命がなくなるだろう。
非情な剣を振るっているのは、旅装姿の人間だった。長い銀髪は高く結い上げられ、藍色の上衣と灰色のズボンには黒々とした血が、べっとりと染みを作っている。その後ろには、別の人間が二人、控えていた。やや青い顔をした女が一人と、更に顔色の悪い男が一人。どちらも上等な服を着ており、森には場違いだった。
銀髪が、剣の切っ先を僅かに下げる。鋭い呼気さえ聞こえてきそうな、今こそ一歩踏み出す――その瞬間。
銀髪は目を見開くと、前に出かけていた体重を後ろにずらした。一瞬の均衡――僅かに動きが止まった隙に、リュースは茂みから思いきり踏み出した。
剣を振るうが、それよりは銀髪が後ずさるのが速い。魔物と銀髪の間に立ったリュースは、ふぅと息を吐き、剣を構え直した。
「なんだ貴様」
「なんだはこっちの台詞だ――王室派遣のお飾り勇者様が、こんな泥臭いところでなにやってんだ」
相手の胸についている記章を示し、リュースは薄く笑った。剣が角の生えた獣を貫くデザインは、一般にはどうか知らないが、冒険者たちの中では有名なものだ。王室派遣の勇者が長い歴史をもつ優れた存在であり――現在は権威化していることも含めて。
「今は〈剣聖〉とかいうお偉いさんが任命されてるって聞いてたが……女とまでは知らなかった」
銀髪――ノアは視線を厳しくすると、細身の剣を突き出した。リュースの、喉元をめがけて。
「ぐ……ッ」
慌てて首を逸らし、つい今自分がいた場所を突き刺している切っ先を確認する。ぞわりとした悪寒が、背筋を走った。
「女だてらに――ってか? そんな男の服着てるだけあるな」
「女と侮り容赦するか」
髪の色と同じく冷淡な温度の目で、ノアがリュースを射るように見据える。剣は既に構え直していた。
脇腹の傷が冷えた心地を味わいながら、リュースは「いんや」と笑った。やはり、剣を構えながら。
「悪いが、男と女で扱いを変えられるほどの親切心は、持ち合わせてないんでね」
互いに相手の呼吸を見る――が、リュースはその間にも、背筋がどんどん冷えていく感覚を味わい続けていた。貴族らしく、細面の繊細な作りをした相手の顔は、実に涼しい表情をしている。リュースなど、まるで気にも止めないような。
(〈剣聖〉、ね)
噂には聞いたことがあったが、まさかこうして対峙する日が来るとは思わなかった。リュースの剣技や格闘術は、元々腕の立つ冒険者であった育ての父から教わったものだ。それを昇華し、自己流に練り直した部分も勿論ある。特に魔物との戦いに特化し、練ってきた戦闘術は人間相手でも充分効果のあるものであったが。
しかし、目の前の相手とでは、格が違う。それが、構えているだけで怖いほどに伝わってくる。
リュースが引きつけている間に、手負いの魔物たちは避難していた。そちらを見ようともせず、リュースを見据えたまま、ノアが口を開く。
「貴様は人間ではないのか? 何故、魔物を庇う」
「一応、この国に認定された勇者だけどよ。生憎……別口のクライアントと雇用契約した身なんで、ねッ」
言葉を言い切らないうちに、大剣を横に薙いだ。ノアはまるで予期していたかのように、無駄なく、むしろゆったりとして見える動作でそれを避ける。形の良い眉を跳ね上げ、「魔物に魂を売ったか」と唾棄した。
「金で魂を売り買いできたら、苦労ねぇな」
「違うと言うなら、そこを通してもらおう。我らは急いでいる」
会話の間も、剣は休むことなく繰り出される。上方から薙いだと思えば、その剣先が跳ね上がり顎を狙う。それは突きへと変わりリュースの無防備な喉を狙い、避けるリュースの薄皮を裂いた。そのまま、リュースの首を追いかけて真横に薙がれる。舞いのごとく、細い剣を自在に操るその動きに、リュースはただ受けるので精一杯だ。
「あの、ぼんぼん……随分辛そうだなおい」
ノアの向こうにいる二人へ視線を走らせる余裕はなかったが、伝わるだろうと口だけ動かす。案の定、ノアの冷ややかな表情に感情が一筋差し込んだ。
「あのお方のためにも、我らは進まねばならん。こんなところで足止めをくらっている余裕はない」
「普通の人間に、この森は毒みてぇなもんだからな。それを、よくあんた、こんだけ平気な面してるな。――本当に人間か?」
途端、リュースの剣が弾き飛ばされた。
(まじかよ)
剣の幅だけでも、男の腕二本分ほどもある大剣が、宙を舞って後方に落ちる。それだけでも異常なことであるのに、それを成した相手の得物は細剣だ。全く、意味が分からない。
「貴様は、まるであの剣のようだな」
鋭い剣先を突きつけながら、ノアが言う。笑いもせず、ただ淡々と。
「大仰な割りに刃は潰れ、所詮なまくら。剣としての役割を果たさぬ剣など無価値。ただの鉄屑だ。
貴様も、金で身と誇りを売り、勇者であるにもかかわらず役割を果たさぬ」
じりっと、二人の距離が詰まる。あと一歩も踏み出せば、ノアの剣がリュースを突き刺す。それは数秒後かもしれないし、一瞬後かもしれない。どちらにせよ、刺される身には大差ない。
ノアの視線は、構えた剣よりも鋭く、リュースを射た。
「勇者としても、人間としても本義を違えている貴様に、いったいどれほどの価値がある?」
「……さぁ」
空の手を、リュースはぎゅっと握り締めた。笑みを浮かべれば、頬が引きつる。ひんやりと突きつけられた美しい剣先から、無理矢理視線を逸らし、ノアを見て下手くそな笑みを深くする。
「まぁ、なまくらはなまくらだろうよ。でもなぁ――なまくらにだって、それなりに使い道ってのはあるんだよ……ッ」
突き出したのは、空の両手。突き飛ばすかのような動作で、思いきり前方へ伸ばした。あらん限りの力を込めて。或いは、救いを求めて伸ばされた手のように、見えるかもしれなかったが。
なにもないはずの手から放たれたのは、衝撃波だった。いや、そうとしか表現のしようがない、風の塊だった。それは目の前のノアを思いきり弾き飛ばした。
「ぐ……ッ!?」
近くの木に、めり込むようにぶつかったノアは、呻き声を上げた。剣を手放さなかったのは執念か。
その隙に、リュースは跳ぶように後退り、落ちた自分の剣をつかんだ。ノアを見れば、頭を振りながら身をゆっくりと起こし、リュースを睨んできた。
「貴様……今のは魔力……ッ」
凪いだ目をしていたノアに、動揺の波が初めて走る。
「どういうことだ……貴様、人間ではなかったのかッ?」
「俺だって、人間相手にこれを使うのは、ずっと遠慮してきたんだ。でも、相手があんたじゃな」
ノアの視線が鋭さを増すが、それは無視する。半分笑うようにして、リュースは続けた。
「わりぃが、この森の中じゃ手加減もできねぇみたいだ。思ったより勢いづいちまったな。……ちょいと気をそらせるだけで、良かったんだがな?」
「なに……?」
リュースの言葉と視線に、ノアがはっと上空を見上げる。木々の隙間から、見えるだろうか――翔ぶ魔物に拐われる、仲間の姿が。
「っ殿下! シオンッ」
「俺たちは魔王城にいる。呑気に歩きながら、せいぜい頭を冷やしてくることだな――〈剣聖〉の勇者?」
「貴様……ッ」
剣を握りしめ、まるで冷静さを欠いた動きで、ノアが駆けてくる。だがその刃がリュースに届く前に、リュースの背後から雲のような霧が、唐突に生まれた。
「な……!」
濃密な霧に、リュースもまた視界を閉ざされたが、自分の行くべき方向は理解していた。
「連れの安全は保証してやる。あとは……あんた次第だ」
戸惑うノアがいるだろう場所へ言葉を投げると、リュースは背を向け歩き出した。
夢と現実の境界が混ざりあい、一瞬、自分がどこにいるのかも分からなくなる。横たわっている寝台の匂いは、夢の中で感じたセルシオの診療所の匂いと酷似しており、それが余計に頭を混乱させた。
「リュース……大丈夫?」
大人になったエリシアが、不安げな眼差しで問うてくる。その一言で、記憶が巻き戻る。
翔んできた槍。警護長との小競り合い。魔王への特訓。
意識した途端、脇腹がずきりと痛んだ――気がした。布団の中でそっと手を触れると、分厚く包帯が巻かれているのが分かった。
「ドクターが言うにはね。びっくりしちゃうくらいの回復力だから、安心しなさいって」
わざとおどけた調子で言うエリシアに、「そうか」とだけ返事をする。わざと素っ気なくした、というつもりもなく、ただ思考が今一つはっきりしなかった。薄く霧がかった景色を見ているような――そんな心地だ。
「……おまえが、ずっといたのか?」
「ん……ごはん食べてきなさいって、ドクターに言われたから、さっきまでは食堂にいたよ。その間に……アーティエさんが、来てたみたいだけど」
そう、僅かに眉を寄せながらエリシアが言う。
「アーティエが……」
頭を振り、身体を起こすと、さすがに慌てた声でエリシアが止めに入った。
「ちょっと。いくらなんでも、まだ起きるには早いよ」
それを手で制し、「腹減ったんだよ」と微かに笑ってみせる。実際、頭がしっかりしないのは、急速に失われた血液とカロリーが補給しきれていないからのような気がした。
「どれくらい寝てた?」
「まだ……一日しか、立ってないけど。でも、出歩くならドクターに訊かないと」
心配性なエリシアの代わりにリュースがドクターへ視線を向けると、部屋の奥で別の作業をしていた彼――あるいは彼女は、軽く肩を竦めて特に止めようとはしなかった。「びっくりしちゃうくらいの回復力」というのは、比喩でもなんでもないのだろう。
包帯の上から服を着ると、動く際に若干の痛みとひきつる感覚こそあるが、昨日負ったはずの怪我からすれば、確かに随分と順調すぎる回復ぶりだ。
「警護長、アレフさんが落ち込んでるの見て、一緒になって落ち込んでたよ」
廊下を歩きながら、うかがうようにエリシアが話題を振ってくる。丸一日寝たきりだったリュースは伸びをしながら、「ふぅん」と気のない返事をした。
「リュースは……怒ってないの?」
「なんで怒んだよ。あれくらい真剣にやらねぇと、訓練にならねぇじゃねぇか」
「報酬をもらってる以上はな」と、胸元の石を指で弾く。それを聞くエリシアの目が、戸惑いに揺れた。
「……あのね。もし、特訓が終わったらさ」
彼女の言葉は、しかし途中で掻き消された。
「教官っ!」
その呼び声に、一瞬自分のことだとは気づかず無視しかけるが、数歩進んだところでふと思い出して振り返る。
「なんだ」
それは、人型の魔物だった。ただし背中には巨大な翼が生えており、光の加減で七色に煌めいている。服は纏っておらず、代わりに羽と同じく美しい体毛が全身を覆い、脚はいわゆる鳥脚だ。それが、窓の外で羽ばたきながらこちらを見ていた。
人間であれば整っていると言えるその顔に、疲労と焦りを滲ませている。魔物は窓をくぐるとリュースの前に降り立った。
「どうした」
「それが……今朝から数名の有志で、森へ訓練に出かけていたのですが」
昨日のリュースと警護長の戦いを見て、闘争心を煽られたのだろう。元々、リュースが来る前から、森は彼らの領分だ。怪我を負っている教官の断りなく森へくり出すことに、躊躇いがあるはずもなかった。
「それで、なにか問題があったのか」
「はい……実は」
森と村の中間地点で、いつものように訓練相手となる冒険者を待っていた彼らは、変わった一行を見つけたという。旅装ではあるのだが、あまり旅慣れた様子でもない男を、軽装の女が負っていた。また、先頭を歩く者は瘴気にあてられた素振りもなく、涼しい顔で歩いている。
腕試しにちょっかいを出そうとしたのが、間違いだった。先頭を歩いていた者は魔物たちの気配を感じるや否や、腰にはいていた剣を抜きざまに切りつけてきた。その動作は全く隙がなく、慌てた魔物の一人がこうして慌てて、リュースに知らせにきたとのことだった。
「ったく……余計なことしやがって」
耳を掻きながら、リュースが唸る。
「騎士団じゃねぇのか?」
「いえ……わたしも騎士団は見たことがありますが、格好は普通の旅人といった体で……」
「ふん」とリュースは腕を組んだ。せっかく仕込んだ魔物たちがやられては、訓練の甲斐がない。警護長あたりは「効果のない訓練に報酬を支払うべきではない」など、また面倒なことを言い出すかもしれない。
「……おまえ、翔ぶと速いのか」
「は、はい。歩きよりは」
なら、とリュースは思考を巡らせる。剣は手元にないため、おそらく部屋だろう。森へ向かう手段は決めた。それにしても、謎の一行の狙いとは――。
「エリシア、アーティエを呼んで来い」
「えっ。アーティエさん?」
エリシアが思いきり嫌そうな顔をするが、それは無視し「早く」と促す。しぶしぶ歩きだすエリシアを見送りもせず、続けて魔物に告げる。
「俺は、武器を持ってくる。それまでここで待機してろ」
「はい……あの、でも。教官自ら……?」
小さくなっていく語尾とその視線が、「動けるのか」と言外に訊いてくる。リュースはにやりと笑みだけを返し、自室へと駆け出した。
※※※
「ギッ!」
悲鳴をあげて、獣型の魔物が跳び退く。その一瞬後を銀色の刃が追いかけたことを思えば、実にぎりぎりのタイミングがだった。
しかし、尋常でない剣劇は空間をも切り裂き、鎌鼬を起こした――避けたはずの獣の前肢に、深々とした傷が刻み込まれる。
「まずいな……」
共にペアを組む魔物が、低く唸る。蜥蜴にも似たその身体からは多量の血が流れており、動けそうになかった。
獣の脚力をもつペアでさえ、避けきることのできない剣撃。このままでは、おそらくあと数秒後には、二匹とも命がなくなるだろう。
非情な剣を振るっているのは、旅装姿の人間だった。長い銀髪は高く結い上げられ、藍色の上衣と灰色のズボンには黒々とした血が、べっとりと染みを作っている。その後ろには、別の人間が二人、控えていた。やや青い顔をした女が一人と、更に顔色の悪い男が一人。どちらも上等な服を着ており、森には場違いだった。
銀髪が、剣の切っ先を僅かに下げる。鋭い呼気さえ聞こえてきそうな、今こそ一歩踏み出す――その瞬間。
銀髪は目を見開くと、前に出かけていた体重を後ろにずらした。一瞬の均衡――僅かに動きが止まった隙に、リュースは茂みから思いきり踏み出した。
剣を振るうが、それよりは銀髪が後ずさるのが速い。魔物と銀髪の間に立ったリュースは、ふぅと息を吐き、剣を構え直した。
「なんだ貴様」
「なんだはこっちの台詞だ――王室派遣のお飾り勇者様が、こんな泥臭いところでなにやってんだ」
相手の胸についている記章を示し、リュースは薄く笑った。剣が角の生えた獣を貫くデザインは、一般にはどうか知らないが、冒険者たちの中では有名なものだ。王室派遣の勇者が長い歴史をもつ優れた存在であり――現在は権威化していることも含めて。
「今は〈剣聖〉とかいうお偉いさんが任命されてるって聞いてたが……女とまでは知らなかった」
銀髪――ノアは視線を厳しくすると、細身の剣を突き出した。リュースの、喉元をめがけて。
「ぐ……ッ」
慌てて首を逸らし、つい今自分がいた場所を突き刺している切っ先を確認する。ぞわりとした悪寒が、背筋を走った。
「女だてらに――ってか? そんな男の服着てるだけあるな」
「女と侮り容赦するか」
髪の色と同じく冷淡な温度の目で、ノアがリュースを射るように見据える。剣は既に構え直していた。
脇腹の傷が冷えた心地を味わいながら、リュースは「いんや」と笑った。やはり、剣を構えながら。
「悪いが、男と女で扱いを変えられるほどの親切心は、持ち合わせてないんでね」
互いに相手の呼吸を見る――が、リュースはその間にも、背筋がどんどん冷えていく感覚を味わい続けていた。貴族らしく、細面の繊細な作りをした相手の顔は、実に涼しい表情をしている。リュースなど、まるで気にも止めないような。
(〈剣聖〉、ね)
噂には聞いたことがあったが、まさかこうして対峙する日が来るとは思わなかった。リュースの剣技や格闘術は、元々腕の立つ冒険者であった育ての父から教わったものだ。それを昇華し、自己流に練り直した部分も勿論ある。特に魔物との戦いに特化し、練ってきた戦闘術は人間相手でも充分効果のあるものであったが。
しかし、目の前の相手とでは、格が違う。それが、構えているだけで怖いほどに伝わってくる。
リュースが引きつけている間に、手負いの魔物たちは避難していた。そちらを見ようともせず、リュースを見据えたまま、ノアが口を開く。
「貴様は人間ではないのか? 何故、魔物を庇う」
「一応、この国に認定された勇者だけどよ。生憎……別口のクライアントと雇用契約した身なんで、ねッ」
言葉を言い切らないうちに、大剣を横に薙いだ。ノアはまるで予期していたかのように、無駄なく、むしろゆったりとして見える動作でそれを避ける。形の良い眉を跳ね上げ、「魔物に魂を売ったか」と唾棄した。
「金で魂を売り買いできたら、苦労ねぇな」
「違うと言うなら、そこを通してもらおう。我らは急いでいる」
会話の間も、剣は休むことなく繰り出される。上方から薙いだと思えば、その剣先が跳ね上がり顎を狙う。それは突きへと変わりリュースの無防備な喉を狙い、避けるリュースの薄皮を裂いた。そのまま、リュースの首を追いかけて真横に薙がれる。舞いのごとく、細い剣を自在に操るその動きに、リュースはただ受けるので精一杯だ。
「あの、ぼんぼん……随分辛そうだなおい」
ノアの向こうにいる二人へ視線を走らせる余裕はなかったが、伝わるだろうと口だけ動かす。案の定、ノアの冷ややかな表情に感情が一筋差し込んだ。
「あのお方のためにも、我らは進まねばならん。こんなところで足止めをくらっている余裕はない」
「普通の人間に、この森は毒みてぇなもんだからな。それを、よくあんた、こんだけ平気な面してるな。――本当に人間か?」
途端、リュースの剣が弾き飛ばされた。
(まじかよ)
剣の幅だけでも、男の腕二本分ほどもある大剣が、宙を舞って後方に落ちる。それだけでも異常なことであるのに、それを成した相手の得物は細剣だ。全く、意味が分からない。
「貴様は、まるであの剣のようだな」
鋭い剣先を突きつけながら、ノアが言う。笑いもせず、ただ淡々と。
「大仰な割りに刃は潰れ、所詮なまくら。剣としての役割を果たさぬ剣など無価値。ただの鉄屑だ。
貴様も、金で身と誇りを売り、勇者であるにもかかわらず役割を果たさぬ」
じりっと、二人の距離が詰まる。あと一歩も踏み出せば、ノアの剣がリュースを突き刺す。それは数秒後かもしれないし、一瞬後かもしれない。どちらにせよ、刺される身には大差ない。
ノアの視線は、構えた剣よりも鋭く、リュースを射た。
「勇者としても、人間としても本義を違えている貴様に、いったいどれほどの価値がある?」
「……さぁ」
空の手を、リュースはぎゅっと握り締めた。笑みを浮かべれば、頬が引きつる。ひんやりと突きつけられた美しい剣先から、無理矢理視線を逸らし、ノアを見て下手くそな笑みを深くする。
「まぁ、なまくらはなまくらだろうよ。でもなぁ――なまくらにだって、それなりに使い道ってのはあるんだよ……ッ」
突き出したのは、空の両手。突き飛ばすかのような動作で、思いきり前方へ伸ばした。あらん限りの力を込めて。或いは、救いを求めて伸ばされた手のように、見えるかもしれなかったが。
なにもないはずの手から放たれたのは、衝撃波だった。いや、そうとしか表現のしようがない、風の塊だった。それは目の前のノアを思いきり弾き飛ばした。
「ぐ……ッ!?」
近くの木に、めり込むようにぶつかったノアは、呻き声を上げた。剣を手放さなかったのは執念か。
その隙に、リュースは跳ぶように後退り、落ちた自分の剣をつかんだ。ノアを見れば、頭を振りながら身をゆっくりと起こし、リュースを睨んできた。
「貴様……今のは魔力……ッ」
凪いだ目をしていたノアに、動揺の波が初めて走る。
「どういうことだ……貴様、人間ではなかったのかッ?」
「俺だって、人間相手にこれを使うのは、ずっと遠慮してきたんだ。でも、相手があんたじゃな」
ノアの視線が鋭さを増すが、それは無視する。半分笑うようにして、リュースは続けた。
「わりぃが、この森の中じゃ手加減もできねぇみたいだ。思ったより勢いづいちまったな。……ちょいと気をそらせるだけで、良かったんだがな?」
「なに……?」
リュースの言葉と視線に、ノアがはっと上空を見上げる。木々の隙間から、見えるだろうか――翔ぶ魔物に拐われる、仲間の姿が。
「っ殿下! シオンッ」
「俺たちは魔王城にいる。呑気に歩きながら、せいぜい頭を冷やしてくることだな――〈剣聖〉の勇者?」
「貴様……ッ」
剣を握りしめ、まるで冷静さを欠いた動きで、ノアが駆けてくる。だがその刃がリュースに届く前に、リュースの背後から雲のような霧が、唐突に生まれた。
「な……!」
濃密な霧に、リュースもまた視界を閉ざされたが、自分の行くべき方向は理解していた。
「連れの安全は保証してやる。あとは……あんた次第だ」
戸惑うノアがいるだろう場所へ言葉を投げると、リュースは背を向け歩き出した。
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しかし、かつての母国が各国に向けて宣戦布告したことにより、少しずつ世界の平和が脅かされていく。
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【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました
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悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
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