原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第3章

幕9 影を追った先で

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× × ×






―――――庭へ出ていたその女性は、闇の中でも、会場に配置された魔術の明かりを受けて輝く金髪を揺らし、いっとき、時ならぬ沈黙に満ちた会場を振り返る。
そんな仕草一つとっても、上品で優雅な女性だ。

面立ち、立ち姿、すべてが完璧な美を形成していた。ただし。


印象が、強すぎる、と言えるかもしれない。


どういうことかと言えば、他者を圧倒する―――――向かい合う者を打ち負かし、優位に立とうとするような、威圧的な美だ。
大抵のものは、彼女の前で、委縮してしまうだろう。

会場から離れすぎるのを警戒する態度で、彼女は足を止める。

何かを諦めるように、短く息を吐いた。
そのまま、会場の方へ踵を返そうと、して。





「お戻りですかな、レミントン公爵夫人」





彼女の細い背に、体温の低そうな声がかけられる。
熱も、感情もいっさい見られない、冷酷とすら言えるその声には、彼女には覚えがあった。

柳眉が顰められる。
示した感情は、不快だ。

ただし、ぽったりとした唇に浮かんだのは、微笑だった。誰かに勝利したような。

彼女は、何もかも計算していたかのような態度で、悠然と振り返った。



「お久しぶりね。ゼルキアン卿」


…そこには。
昔と変わらない、いいや、以前よりも威厳を増した偉丈夫が堂々と立っていた。



威圧的な長身。

冷酷とすら思えるほど整った顔立ち。
今は暗がりの中に立っていてよく見えないが、輝くような銀髪と、妙なる青紫の色彩の瞳を持ち合わせた、王国の守護者…だった騎士。



記憶にあるより、幾分か年をとってはいるが、それはお互い様だろう。

彼女の名は、カミラ・レミントン。以前の名は、カミラ・シハルヴァ。
シハルヴァ王国、その最後の王の妹である。御年、43歳。

しかし、彼女を見て、実年齢を言い当てることは誰にとっても不可能に違いない。

頑張って多く見積もっても、カミラはせいぜい30歳にしか見えなかった。
普通に、彼女は二十代半ばだろうと答える者が多いはずだ。

シハルヴァの王女であった彼女は20年ほど前、アルドラ帝国から外交に訪れたレミントン公爵から、熱烈に惚れこまれた。
闘牛の勢いで求婚した末、レミントン公爵は、王女を手に入れた。

実のところ、それは王国にとっても帝国にとっても、あまり好ましい結婚ではなかったようだ。

だが、なにはともあれ、二人の仲は良好で、レミントン公爵が王国と帝国の仲を取り持ったため、最終的には好意的に受け入れられた。



別の可能性として、何かが違っていれば、オズヴァルトとカミラが結婚することになっていただろう。
なにせ、年齢的が近い。

しかも、王家と貴族とはいえ、幼友達だ。



実際、幼い頃は、親同士が彼ら二人を婚約者と定めていた。

ただ双方とも、距離が近すぎた上、性格も合わなかった。
それを見ていた親が早々に諦めたか、オズヴァルトが公爵になる前に、婚約は消滅してしまったのだ。





先ほど会場で、宴の退屈さに飽き飽きしていたカミラは、窓辺近くにいた。
顔なじみの婦人たちの会話を適当に聞き流し、庭を見ていた。

照明の輝き、宝石の反射、上等の衣―――――そういった周囲の眩さが、今日はやたらと目に痛かったからだ。

夫が用事を済ませた後は、適当な言い訳をして退出しようと考えていた矢先。



空からすぅっと何か影が舞い降りた―――――ように見えた。



…気のせいかもしれない。
なにせ、皇宮の周辺には魔術師たちによって結界が張られている。
もしそれが破られたなら、今頃大騒ぎになっているはずだ。しかし。

直後、カミラの鼻先を、目が覚めるような冷気が掠めた。

カミラは目を瞠る。
同時に、口元に浮かんだのは、笑み。

待ち焦がれたものがようやく訪れた、そんな清々しい心地で。

すぐさま、カミラは行動した。
この機会は決して逃してはならない。
休憩室へ行くふりをして、カミラは庭へ出た。その影を追って。

…あの男は完璧だ。

なのに彼特有の冷気をカミラに感じさせたのは、わざとに違いない。であれば。
カミラは呼ばれたのだ。あの男に。

自ら出向くのは業腹だった。
ただ、それ以上に、カミラは待つことに疲れていたのだ。

機会が来たというなら、遠慮はしない、こちらから出向いて首根っこを引っ掴まえて、色々問い質したいことがある。
果たして―――――現れたのは。


想像通りの男。






満足に、カミラは目を細め、優しげな微笑と声で、告げる。

「よくも堂々とわたくしの前に顔を出せたものですね、負け犬のくせに」

初っ端から、痛烈な皮肉がオズヴァルトの鼻先で弾けた。
刹那、怒り出すどころか、彼は。

安心した様子で、小さく息を吐く。妙なものを見る目つきで見上げたかつての王女に、オズヴァルトは言った。



「レミントン公爵夫人こそ、よく生き残っておられますね。レミントン公爵の愛が強いのか、それとも夫人が上手に媚びたのか」



何かと思えば、彼女を上回る皮肉である。しかも、冷酷な声で。

とたん、カミラの笑みが深まり、妖艶さを増す。癇に障ったようだ。




二人の仲は悪くはないが、良くもない。なにせ、性格が合わないのだ。かろうじで嫌い合ってはいない、という程度の関係だった。




ただ、幼い頃から知っているので、他より気安く言葉を交わせるといったところか。

今のようなきわどい台詞のやり取りをしたところで、互い相手なら傷つくことも怒り出すこともない。単なる軽口で終わってしまう。

際どい台詞、ではあるものの、相手が最も傷つく言葉だけは避けているあたりが、一応の気づかいと言ったところか。



カミラに対しては―――――いなくなったシハルヴァ王族のことを。

オズヴァルトに対しては―――――彼の妻子のことを。

どちらもあえて口にしていない。



―――――どうやら、お変わりないらしい。

カミラは変わらず、強く元気なようだ。オズの記憶を持つオズヴァルトは内心安堵していた。
かつての王族として、オズヴァルトは彼女に、一応の敬意を払う。

ただ、今となっては、カミラは帝国の公爵夫人である。
よって、オズヴァルトは彼女に対して、かつての主家の姫としてでなく、隣国の貴族として接するのが正しいだろう。

こういう対応を一つ間違えれば、生き馬の目を抜くような貴族社会では、互いの立場が危うくなる。


「騎士のくせに、レディを守れなくて申し訳ないとは思わないの?」
「もし今、公爵夫人が萎れた花のようになっていたら」
オズヴァルトはさらりと続けた。



「それを成した相手を捕えて土下座姿で凍り付かせましょうか」



「なんの嫌がらせかしら」

微笑みを崩さないカミラが、低い声で返す。
どうやらお気に召さなかったらしい。

「いずれにせよ、その辺りはあなたの夫に任せます」

カミラを守る役割はもう、レミントン公爵のものだ。
カミラは穏やかな口調で冷たく応じる。
「まるで他人事ね。罪悪感はないのかしら」

「ありませんね。ただ、感謝はしております」


「…なんですって?」


不審そうなカミラの目の前で、オズヴァルトは優雅に、完璧な所作で頭を下げた。






「ありがとうございます。…生き残ってくださって」






先ほどは皮肉を口にしたが、オズヴァルトとてわかっている。

カミラは、亡国の王女。
王国が滅び、後ろ盾がなくなった時点で、彼女の存在価値はほぼ消えたと言っていい。

誇り高い王女として生きてきた女性だ。

その苦悩はいかばかりだったか。








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