トラに花々

野中

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日誌・129 歪んだ宣言

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どれほど嫌いな相手でも、死ぬと考えれば、胸の奥が、氷みたいに冷たくなる。
自分自身の命が一部、もがれるように。

それは、妹が自殺した衝撃のせいかもしれないが。



分かっている。知っている。恭也は殺し屋だ。他者の命を奪うことが仕事。



すべて承知で、雪虎は恭也との付き合いを続けてきた。取引と称して。死者の影を彼の背後に感じながら。
その、暗黙の了解に、今。
わずかな綻びが生じた。


…殺すな、と恭也に告げることは。


「ねえ、それってさ」
いっきに、退屈そうな目になって、恭也は紺碧の目で雪虎を見下ろした。



「―――――ぼくの存在を拒絶してる?」



…そういうことにも、つながるのだろう。雪虎は一度、強く目を閉じた。

拒絶。否定。

確かに。

だが、一部分だけを受け入れられないからと言って、雪虎は。
恭也のすべてを拒絶はしない。正確には、できない。それは、無理をしているわけではなくて、…誰だってそうだ。

他人と向かい合った時、相手のすべてを丸ごと全面的に肯定し、受け入れられる人間がいったいどれだけいるだろう。

これは何も、特別なことではなかった。恭也のことだってそうだ。



特殊ではあるが、特別ではない。



すぐ、雪虎は顔を上げ、恭也と目を合わせる。刹那。
「トラさんがどう思っていても、ぼくに対して悪く思う必要はないよ」
恭也は、雪虎の言葉を遮るように、優しげに言った。微笑む。


だが、妙な凄みがあった。許すようで、受け容れるようで、―――――まったく質の異なる微笑。




「トラさんがぼくをどう思っていようと、ぼくの気持ちには関係ないことだから」




それは一見、純粋な強い気持ちを抱いているようで。


とびきり歪んだ宣言だった。


つまり、…もし、雪虎が―――――恭也を受け入れられないとしても。
一方的に関係を続ける。…そういう、宣言だ。逆もまた然り。

思わず、雪虎は思い切り渋面になった。
「殺し屋」
咎める気分で呼べば、恭也は笑顔のまま―――――雪虎に腕を伸ばした。ごく自然な動き。だが、


「困ったな。どうしたら、見逃してくれる?」


嫌な予感に、雪虎は咄嗟に身を翻す。
「決めたんだ、魔女たちは潰すって」
ただし、残念ながら少し、雪虎の行動は遅かった。

「…痛っ」
恭也が、雪虎の腕を掴んだ。背中へ、ねじり上げられる。そのまま、不可視の壁らしきものに叩きつけられる―――――と感じた刹那。





パチ、ン。





また、何か、泡が弾けるような感じがあった。

「…あ?」
面食らったのは、雪虎だけではない。恭也もだ。

揃って、階段の上へ転がった。転がり落ちる、寸前。


恭也の腕が、雪虎を支える。
おかげで、雪虎の服にもじっとりと血が染みてきた。それが気にならないくらい、雪虎は面食らう。

なにかそこに、不可視の壁があったと思うのだが。―――――消えた?


「え、今の、いったい」
思わず恭也の腕にしがみついた雪虎が、目を瞬かせれば。



「はは…っ、すごい、トラさん最高」



恭也が、呆気にとられたように乾いた笑いをこぼした。
この男でも、驚くことがあるのだな、と雪虎も驚いた。刹那。



「信じられない…!」

「どうやって」

「何が起きたんですのっ」

「結界が」

「…消滅した…っ?」

「しかも、触っただけで!」

「ありえないっ」



魔女たちが口々に囁きを交わす。日本語ではなかったから、雪虎は何を言っているのか理解できない。
雪虎の目の前で、恭也が楽し気に笑った。


「分かるかな、トラさん、あなた今」
恭也は雪虎を腕に抱えなおす。立ち上がり、その上で。


花束みたいに抱え上げた。


「は…っ? ちょ、おい」
雪虎の体重を、ものともせず、軽々と。
意表を突かれ、すぐには文句も出ない。


絶句した雪虎を、満面の笑みで、恭也は覗き込んだ。



「魔女どもの結界を、消滅させたんだよ。紙を破るくらい簡単に」



「けっかいって」

オウム返しの言葉は、質問ではない。無意識に呟いただけだ。恭也は頷いて受け流す。

「不思議だね? 今、ぼくがそばにいるから、月杜の祟りの力は働いていない…ってことは」
探るようでいて、秘密の宝箱でも覗き込むような眼差しで、恭也は雪虎の目の奥を見つめた。


「トラさんそのものに、そういう力が備わってるのか」


「…なんだって?」
恭也の言葉を理解はできない。できない、が。雪虎は思い出す。


そう言えば、雪虎の体質と恭也の体質はその特性を、共にいることで打ち消し合うのだ。


思い出した雪虎は、恭也の顔を見直した。
恭也の今の物言いから推察するに、この事実は、それは互いの本性ではない、ということにつながるのだろうか?


では、打ち消し合った結果、そこに残ったモノこそが、―――――おそらくは互いの本質、だと?


ただ、それについてゆっくり考えを巡らせる暇はなかった。




「ツキモリ…っ?」




恭也の言葉に反応し、さわさわと魔女たちのざわめきがさざ波のように広がり始める。


「いえ、まさかツキモリが魔女の宴に参加なんて」

「それにツキモリの気配なんて欠片も」


ふ、と温度の抜けた声を放った魔女たちを見上げ、恭也は非現実的なほど整ったその面立ちから表情を消した。
「やっぱり、うるさいな」
真っ直ぐ雪虎に向いていた紺碧の瞳、その視線が、横へ流れる。

恭也が階段を上がるごと、不穏な気配が強まった。
恭也の腕に抱え上げられたまま、雪虎は慌ててその肩を掴んだ。


「よせ」


「なにを」
言いにくかったが、迷うことなく雪虎は繰り返した。
「殺すな」
対する恭也は、と言えば、

「殺さないよ?」
堂々と、嘘をついた。雪虎は頭痛を覚える。


「嘘つけ」


どうしてこの男は、こうもきれいに嘘をつくのだろう。
「困ったな。どうしたら、ぼくのしたいようにさせてくれる? …ああ」

―――――また、話が元に戻ろうとしている。

どうも、恭也は今、たいそうブチ切れているようだ。魔女たちはいったい、なにをしでかしたのか。



恨み言をお経のように読み上げたい気分を押し殺し、とにかく、この死神をどう止めるべきか、思考を巡らせた時。



すとん、と雪虎は恭也の腕から降ろされた。ここで恭也を解放しては最後との予感から、慌てて手を伸ばせば。





「ぼくの女にすれば従ってくれるかな」





(…は?)

逆に、腕を引き寄せられた。
腕の中、深く抱き込まれた刹那。雪虎の足の間に、恭也の身体が割り入ってくる。

「なにを」
逃げようとした腰に、腕を回された。ぎゅうと引き寄せられ、同時に。

恭也の腰を、押し付けられる。
やたらと淫猥な動きだ。


―――――壮絶に重い沈黙が、周囲に立ち込めた。


「…っおい!」

「いやなら抵抗していいよ。止めないけど」

足を動かそうと力を入れようとするなり、恭也の腰を締め上げるような格好になり、うまく動けない。
せめてもの抵抗に、雪虎は、恭也の背中側に回っている腕で、彼の服を思い切り引っ張る。




「どういう冗談だ…っ、俺に、妙な見世物になる趣味はない!」









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