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欠席一名
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1.
「そーいや、うちの学校にもあったよな。七不思議」
出来上がった赤い顔で、本田が言った。
「あ、憶えてるッスよ! 体育館とか、美術室とか」
中井が、オーバーリアクションで頷く。
「あったあった。懐かしいわぁ。昔は怖かったのよねぇ」
山本がウフフと笑う。
三人とも、変わらないな。
俺は、こっそり溜息を吐いた。
縦にも横にも無駄にデカかった本田の身体は、その威圧感と共に、健やかすぎる成長を遂げていた。ただでさえ柄が悪いのだから、口元に髭を蓄えるのは、よした方が良いと思う。人相の悪さが一層、深刻化している。
対照的にガリガリに痩せていた中井は、今でも小柄な青年だった。髪を明るい茶色に染め、眼鏡はコンタクトに変えたようだが、元来の小者臭を払拭する試みには見事、失敗している。狐そっくりの吊り眼、相変わらず嫌味に笑うものだ。
山本は、外見だけは清楚系の美人になっていた。だが、その強引で我が侭な性格は、依然として治っていない。気分屋で、人の都合などお構いなし。今日だって、コイツに無理矢理誘われなければ、俺は、こんなところに来やしなかったのに。
三人は、他愛のない話題で盛り上がっていた。
乾杯して、簡単な近況報告を済ませ、取り留めもなく昔話に花を咲かせるうち、なにが切欠だったか、先日テレビでやっていた怪奇物の話になった。番組は、学校の七不思議を特集していて、その流れで、こういった会話に至る。
「……おい、聞いてんのか? 竹内」
「え? あっ、うん」
本田に睨まれて、俺は慌てて笑顔を作った。
そうだ。
そういう俺だって、あの頃と、なにも変わってはいないのだ。
優柔不断で、意志薄弱。押しに弱い。頼まれたり誘われたりすると断れず、周りに流されて、引き受けてしまう。それが、望ましくない結果になるとわかっていても、だ。大人になった今でも、その悪癖は改善されず、知人には都合の良いように扱われていた。会社でも損ばかりしている。
ちらり見渡した宴会場は、二十人ほどの男女が犇めいて、わいわい賑やかな喧騒に満ちていた。それなりに楽しそうだ。小学六年生のとき以来だから、もう十三年になるんだろうか。変わらない奴、化けた奴、劣化した奴。欠席の一人を除いて、懐かしい顔ぶれが揃っている。
そんな中、俺は憂鬱で堪らない。
あぁ、来るんじゃなかった。
……同窓会なんて。
前の席だった山本。隣の席だった本田。後ろの席だった中井。
お節介な幹事が当時の席順を再現したものだから、俺は、十三年も経って再び、コイツ等に囲まれるハメになってしまった。
俺達四人は、いつも一緒だった。
傍目には、仲良しに見えたかもしれない。
けれど実際、俺は、この三人に振り回されていただけだ。
六年生に上がって席替えがあり、元から仲の良かった三人に、席順で取り囲まれてしまったのが運の尽き。先述の通り、要請や誘いを断れない俺は、コイツ等の体の良いパシリとなった。気分屋な山本、ガキ大将の本田、彼の腰巾着の中井。俺はどうも、この三人に悪い意味で気に入られてしまったのだ。
ハッキリ言って、三人は悪ガキだった。
率先して悪戯を提案するのは、決まってガキ大将の本田だったが、そんな本田を煽り、焚き付けるのは、山本である。本田は単純だから、女子から期待されてる俺カッケェと思い込み、益々素行の悪さに磨きを掛けていった。中井は、俺と立場が似ていたかもしれない。ただしコイツの場合、一人で悪事を働くのは怖いから大勢で……という子供らしくも強かな打算があったように思うが。
俺は、この三人に逆らえなかった。
本田が近所の畑を荒らせと命じれば、別に欲しくもないトマトを盗んだりした。
中井が新作ゲームに興味を示せば、俺が都合して貸すのがデフォだった。
山本が「あいつムカつく」と言えば、本田と中井と俺でボコった。
他に、なにをしただろう。学校の備品も壊したし、窓硝子も割った。教卓に虫を仕込んだり、クラスで飼っていた金魚を川に放流したこともある。万引きもした。花壇も荒らした。要するに、やりたい放題だったわけだ。
そしてそんなとき、本田は必ず、こう言った。
これは連帯責任だからな。
国語2の本田も、大人のよく使うこの言葉だけは意味を知っていた。つまりは、悪事一蓮托生。チクったらブッ殺すという脅しである。子供じみた口封じ。結局は先生にバレて、それこそ連帯責任で三人揃って叱られるパターンが多かった(学級委員の山本だけは、先生からの信頼も厚く、いつも華麗に説教を免れていたが)。
俺は、本当は、嫌だった。
悪いことなんて、したくはなかったし、先生に怒られるのも嫌だった。
でも、逆らえなかった。
本田に殴られるから。中井にチクられるから。山本が、根も葉もない悪口を言いふらすから。全部、怖かった。でも、そうじゃない。根本的な原因は、俺の、この性格だ。
報復を怖れるあまり、自分より強い者には、意見を主張できない。
そうやってズルズルと他者に引き摺られる方が、己で道を選び、歩くことよりも楽だから。たぶん俺は、心のどこかで、そう納得してしまっている。
これでは駄目だと、重々承知はしているのだ。
してはいても、変わらない。変われない。
今日だって、どうにか口実を設けて欠席するつもりだったのに。何処で調べたのか、山本が携帯に電話を掛けてきた。来るんでしょう? 有無を言わさぬ口調に、俺は「勿論」と答えるしかなかった。どうせ拒否したところで、彼女がムキになれば、俺が承諾するまで電話を掛けてくるに違いないのだから。
こんな性格が、#熟々__つくづく__自分で嫌になるけれど。
やっぱり俺は、今も、この場を抜け出すことができずにいる。
早く帰りたい。それができないなら、せめて席を移動したい。
のっけからタイミングを計り損ねた俺は、気を紛らわせるため、馬鹿みたいに杯を重ねていた。
「七不思議っていえばさ……」
山本が、ふと眉を寄せる。
「可哀想よね、江藤君。あんなことになっちゃって」
本田と中井は、キョトンとして小首を傾げた。
俺も、山本がなんの話を始めたのかわからない。
反応の薄い俺達に苛立ったのか、山本が少し強い口調で付け加えた。
「ほらぁ。いたでしょ、江藤君。夏休みにプールで死んじゃった子」
ようやく合点がいったらしく、あぁと本田が手を打った。
「七不思議事件だな!」
「あったッス! 世にも奇妙な七不思議事件!」
続いて、中井の頭上にも電球マークが灯った。
江藤……。
七不思議事件……?
なにそれ。
ていうか、江藤って、誰だっけ。
火照り始めた米神に手を当てて、俺は視線を上向ける。二つの単語が、頭の中でくるくる回った。それは五周ほどして、ぶつかって一つに組み合わさり、ある記憶の形を成してゆく。
「――あ」
思い出した。
此処にいない、唯一のクラスメイト。
江藤卓だ。
おとなしくて無口な奴だった。
身体も小さくて、友達もいなくて、休み時間は自分の席で本ばかり読んでいた。別に悪い奴じゃなかったんだろうと思う。ただ、なんとなく陰気臭いというか、人付き合いが下手くそというか、少なくとも、万人に好かれるタイプとは程遠い男子だった。
当然、クラスでもひっそりと目立たない存在だったわけだが、ある日を境に、彼は突如として、学校中の注目を集める有名人となる。
とある怪談の主人公として。
小学六年生の夏休みだった。
ちょうど今くらいの時期。
八月に入って、しばらく経った、ある日のことだ。
江藤は死んだ。
プールで溺死していた。
学校と警察は、彼の死を<不慮の事故>として処理したが、その実、この事件は非常に不可解なものだった。
謎が多すぎるのだ。
江藤を発見したのは、出勤してきた用務員さんだった。うちの学校に宿直の制度はなく、夏休みは、用務員さんが日中のみ、校内の警備と雑務のために在中していた。
朝イチの見回り時だったという。前日に同じ場所を確認した際には、別段異常もなかったということだから、江藤は、密かに深夜のプールへと侵入し、溺れ死んだことになる。
いったい江藤は、夏休み中にも関わらず、なんのために夜の学校などに忍び込んだのだろう。プールになんの用事があったというのか。
更に不可解なことには、江藤の身体に記された、無数の傷痕の話。
殴られたような痣や、爪で引っ掻いたような裂傷。足首に手形まで残っていたと聞く。もしそれが本当なら、明らかに<人型のなにか>が付けた痕である。
そもそも。
江藤は、どうして、服を着たままプールに入ったんだろうか。
あの、おとなしい江藤が。どうして。
あまりにも「どうして」の多いこの事件は、新学期を待たずして全校生徒の話題となった。様々な憶測が飛び交う中、やがて話はオカルトじみた方向へ移行し、尾ヒレが付き、尤もらしく整理され、既存の怪談と結び付いて、ひとつの噂へと落ち着いた。
――七不思議である。
あのとき、俺達の学校では、ちょっとした七不思議ブームが起こっていた。
言うまでもなく、七不思議とは、学校にまつわる七つ怪談のことだ。トイレの奥から二番目には花子さんがいるとか、理科室の人体模型は動くとか、まぁ、子供の考える他愛のない怪談なのだが、それは必ず全六話で完結している。
決して、七つ目を求めてはならない。
何故なら、七つすべての怪談を知ってしまうと……死ぬ。
そういう言い伝えがあるからだ。
俺達の学校にも、勿論、七不思議があった。至って標準的、ごく普通の七不思議だ。当時、七不思議を題材にした映画がヒットしたり、多くの学校系ホラー漫画が連載されていたりしたから、その影響も大きかったんじゃないだろうか。たぶん、何処の学校でも、似たようなものだったんだろう。
七不思議は、俺達小学生にとって、身近でタイムリーな話題だったわけだ。
そこへ、江藤の変死事件が発生した……。
要するに、出来上がった噂は、こうだ。
江藤は、七不思議の真偽を検証しようと、夜の学校に忍び込んだ。
そこで七つ目の怪談を知ってしまったために、学校の悪霊に殺されたのだと。
今聞けば、なんだそれとツッコまずにはいられない内容である。
だから彼は何故、七不思議を検証する必要があったのか。検証して、どうするつもりだったのか。肝心な部分が空っぽで、まるで解答になっていない。単に恐怖を煽ることだけが目的の、シンプルな二流怪談だ。穴だらけの子供的推理を繋ぎ合わせた末の産物だから、仕方がないと言えばないのだが。
けれど、如何せん小学生。
多くの児童がそれを信じ、怯えた。
この噂は、瞬く間に学校中に広まり、いつしか江藤の死の真相として定義され、二学期には<七番目の怪談>が存在する証拠として、それはそれは全校児童を震え上がらせたのだった。
「本当なら、江藤君も此処にいたはずなのに……」
山本が、これみよがしにハンカチで目元を押さえた。たぶん嘘泣きだろうけど、こんな場でやめてくれ。思えばどんな練習をしたのか、コイツは昔から、自由に涙を流すことができたっけ。
俺達三人は、つと黙り込む。空気を冷やされてドン引きしていただけなのだが、どうも彼女は、俺達が江藤を偲んでいると勘違いしたらしい。ここぞとばかりに、面倒なことを言い出した。
「ねぇねぇ、後で江藤君にお花を供えに行ってあげない?」
本田が顔を顰める。ただでさえダルマ似の顔が、前科百犯みたいになった。
「面倒臭ぇな。なんの義理があって俺達がそんなことしなきゃならねーんだよ」
本田の言い方では身も蓋もないが、ここは彼に賛成である。夜の学校なんて、俺だって面倒だし、行きたくない。明日も仕事があるし。
俺は頷く。図らずも、中井とシンクロした。
「え~だってぇ、江藤君、可哀想じゃない?」
が、山本もしつこかった。上目遣いに瞳を潤ませ、唇を結んで本田を見る。酒のせいだろうか。優しい自分にまで酔っているらしい。
返事に困ったのか、本田はチッと舌打ちして、数本目の煙草を咥えた。
すかさず中井が火を着ける。
ふと、本田の表情が変わった。
ニヤリと持ち上げられた唇の端から、煙が零れる。ギョロ目を眇めて鼻の頭に皺を寄せた本田の顔は、嫌悪感を抱くほどに不細工ではあったが、同時に、大層懐かしくもあった。
俺は、嫌な予感がした。
本田がこんな顔をするのは、いつだって、なにか悪さを思い付いたときだった。
そして、その悪さに、俺達を巻き込むときの……。
「いいじゃん。行こうじゃねーか」
言って、本田は煙草で灰皿を叩いた。
「あら、やっぱり優しいじゃない、本田君!」
「たーだーしぃ」
胸の前で手を組み、身を捩った山本を真似て、本田は肩を竦める。
「花供えて帰るだけじゃつまんねぇなー」
勿体付けた口調に、山本、中井、俺の三人は、本田の汚い笑顔をみつめた。
かつて幾度となく経験したパターンだった。俺と中井は、早々に「しまった」という表情をしていたはずだ。それに気付いているのか、いないのか。本田は尚も、ニヤニヤしている。
次の瞬間、嫌な予感は的中した。
「せっかくだからさ、俺達もやろうぜ。七不思議のケンショーってやつ。この後、学校まで行ってさ。一つ一つ、確認して回るんだ。いいだろ?」
……やっぱりだ。
冗談じゃない。俺は頭を振った。
廃校したとはいえ、母校は、町立小学校である。今でも町の所有する建物であることに変わりはない。勝手に忍び込んだりしたら、普通に犯罪だ。小学生なら悪戯で済んでも、いい大人の俺達がやったとなると、警察も見逃してはくれまい。誰の得になるんだ、それ。
なによりまず、怖いだろ。
夜の廃校舎なんて、滅茶苦茶に怖いだろうが。
コイツ本当に馬鹿だ。昔から、ロクなことを考えない。
「あっ、面白そう!」
真っ先に拒否するかと思われた紅一点が、眼を輝かせる。おいおいマジか。
「今日の思い出になるッスね」
そうなると、男子である中井が引くわけにはいかない。やや微妙な笑顔ではあったが、やんわり賛成派に回った。
俺は焦った。この流れは非常に不味い。
「やめとけよ。不法侵入だぞ」
正論を述べたつもりだが、本田はテーブルに身を乗り出して、凄んできた。
「だからなんだ? 怖ぇのか? え、竹内」
「そういうわけじゃないけど……良くないって、そういうの……」
「へーぇ、お前は正義の味方ってわけか? ふーん? 知らなかったなぁ」
「違うけど……」
これみよがしに、本田が拳骨を握る。俺の身体は強ばった。条件反射だ。
「俺、明日仕事だから、今日中に東京戻らないと……三人で行ってきたら?」
僅かな抵抗を試みるも、案の定というか、それは本田の鼻息で一蹴された。
「休めよ、そんなもん。友情の方が大事だろうが」
「えっと……」
「来るよな?」
「ちょっと待って……」
「ビビってんのか、おい。まさか江藤みたいになるのが怖いってか?」
ダメ押しとばかりに、本田が声を荒げたときだった。
俺の心臓が、どくん、と跳ねた。
息が止まったかと思った。
……なに?
突如襲った異様な感覚に、俺は言葉を忘れて、拳を握る。
いけない。
行ってはいけない。
強く、そう感じた。
理由なんて、わからない。
ただ、怖いからとか面倒だからとか、そんな些細な反応じゃない。
言うなれば、生物的な防御本能……だろうか。
それが、俺の中で叫んでいた。
「行くな」と。
「わ、なにコイツ、マジでビビってんの! だせぇー!」
本田の馬鹿笑いで、俺は我に返った。
「お、俺、ちょっとトイレ!」
慌てて場を抜けるべく立ち上がりかけたが、遅かったようだ。中井が、俺の腕をしっかりと掴んで、グラスにビールを注いでいた。
「い、いらない」
「でも竹内君、さっきから全然進んでないッス。会費払ってんだから、元取らないと損ッスよ? せっかくの同窓会、仲良し四人が集まったってのに」
ニコニコしながら、中井の眼は、まったく笑っていなかった。その狐眼が、お前だけ逃がすか、と釘を刺してくる。コイツも結構な怖がりだったものな。
「さ、とりあえず乾杯するッス。トイレはその後で、どーぞ」
「おういいな、中井!」
「ほらぁ、ノリ悪いよー? 竹内君?」
申し合わせていたかのように、三人が俺の退路を断った。
こうなると、もう駄目だ。俺の発言権は剥奪されたに等しい。
「じゃあ、なに乾杯するッスか?」
「俺達の友情に」
「あははは、くっさー!」
中井に捕まり、山本に押され、本田に引き摺られる。
……いつだって、そうだったじゃないか。
「「「かんぱーい!」」」
三人が楽しげに歓声を上げる。俺は渋々、グラスを鳴らす。
周りの喧騒が遠退いて、ひとりぼっちになったような気がした。
「そーいや、うちの学校にもあったよな。七不思議」
出来上がった赤い顔で、本田が言った。
「あ、憶えてるッスよ! 体育館とか、美術室とか」
中井が、オーバーリアクションで頷く。
「あったあった。懐かしいわぁ。昔は怖かったのよねぇ」
山本がウフフと笑う。
三人とも、変わらないな。
俺は、こっそり溜息を吐いた。
縦にも横にも無駄にデカかった本田の身体は、その威圧感と共に、健やかすぎる成長を遂げていた。ただでさえ柄が悪いのだから、口元に髭を蓄えるのは、よした方が良いと思う。人相の悪さが一層、深刻化している。
対照的にガリガリに痩せていた中井は、今でも小柄な青年だった。髪を明るい茶色に染め、眼鏡はコンタクトに変えたようだが、元来の小者臭を払拭する試みには見事、失敗している。狐そっくりの吊り眼、相変わらず嫌味に笑うものだ。
山本は、外見だけは清楚系の美人になっていた。だが、その強引で我が侭な性格は、依然として治っていない。気分屋で、人の都合などお構いなし。今日だって、コイツに無理矢理誘われなければ、俺は、こんなところに来やしなかったのに。
三人は、他愛のない話題で盛り上がっていた。
乾杯して、簡単な近況報告を済ませ、取り留めもなく昔話に花を咲かせるうち、なにが切欠だったか、先日テレビでやっていた怪奇物の話になった。番組は、学校の七不思議を特集していて、その流れで、こういった会話に至る。
「……おい、聞いてんのか? 竹内」
「え? あっ、うん」
本田に睨まれて、俺は慌てて笑顔を作った。
そうだ。
そういう俺だって、あの頃と、なにも変わってはいないのだ。
優柔不断で、意志薄弱。押しに弱い。頼まれたり誘われたりすると断れず、周りに流されて、引き受けてしまう。それが、望ましくない結果になるとわかっていても、だ。大人になった今でも、その悪癖は改善されず、知人には都合の良いように扱われていた。会社でも損ばかりしている。
ちらり見渡した宴会場は、二十人ほどの男女が犇めいて、わいわい賑やかな喧騒に満ちていた。それなりに楽しそうだ。小学六年生のとき以来だから、もう十三年になるんだろうか。変わらない奴、化けた奴、劣化した奴。欠席の一人を除いて、懐かしい顔ぶれが揃っている。
そんな中、俺は憂鬱で堪らない。
あぁ、来るんじゃなかった。
……同窓会なんて。
前の席だった山本。隣の席だった本田。後ろの席だった中井。
お節介な幹事が当時の席順を再現したものだから、俺は、十三年も経って再び、コイツ等に囲まれるハメになってしまった。
俺達四人は、いつも一緒だった。
傍目には、仲良しに見えたかもしれない。
けれど実際、俺は、この三人に振り回されていただけだ。
六年生に上がって席替えがあり、元から仲の良かった三人に、席順で取り囲まれてしまったのが運の尽き。先述の通り、要請や誘いを断れない俺は、コイツ等の体の良いパシリとなった。気分屋な山本、ガキ大将の本田、彼の腰巾着の中井。俺はどうも、この三人に悪い意味で気に入られてしまったのだ。
ハッキリ言って、三人は悪ガキだった。
率先して悪戯を提案するのは、決まってガキ大将の本田だったが、そんな本田を煽り、焚き付けるのは、山本である。本田は単純だから、女子から期待されてる俺カッケェと思い込み、益々素行の悪さに磨きを掛けていった。中井は、俺と立場が似ていたかもしれない。ただしコイツの場合、一人で悪事を働くのは怖いから大勢で……という子供らしくも強かな打算があったように思うが。
俺は、この三人に逆らえなかった。
本田が近所の畑を荒らせと命じれば、別に欲しくもないトマトを盗んだりした。
中井が新作ゲームに興味を示せば、俺が都合して貸すのがデフォだった。
山本が「あいつムカつく」と言えば、本田と中井と俺でボコった。
他に、なにをしただろう。学校の備品も壊したし、窓硝子も割った。教卓に虫を仕込んだり、クラスで飼っていた金魚を川に放流したこともある。万引きもした。花壇も荒らした。要するに、やりたい放題だったわけだ。
そしてそんなとき、本田は必ず、こう言った。
これは連帯責任だからな。
国語2の本田も、大人のよく使うこの言葉だけは意味を知っていた。つまりは、悪事一蓮托生。チクったらブッ殺すという脅しである。子供じみた口封じ。結局は先生にバレて、それこそ連帯責任で三人揃って叱られるパターンが多かった(学級委員の山本だけは、先生からの信頼も厚く、いつも華麗に説教を免れていたが)。
俺は、本当は、嫌だった。
悪いことなんて、したくはなかったし、先生に怒られるのも嫌だった。
でも、逆らえなかった。
本田に殴られるから。中井にチクられるから。山本が、根も葉もない悪口を言いふらすから。全部、怖かった。でも、そうじゃない。根本的な原因は、俺の、この性格だ。
報復を怖れるあまり、自分より強い者には、意見を主張できない。
そうやってズルズルと他者に引き摺られる方が、己で道を選び、歩くことよりも楽だから。たぶん俺は、心のどこかで、そう納得してしまっている。
これでは駄目だと、重々承知はしているのだ。
してはいても、変わらない。変われない。
今日だって、どうにか口実を設けて欠席するつもりだったのに。何処で調べたのか、山本が携帯に電話を掛けてきた。来るんでしょう? 有無を言わさぬ口調に、俺は「勿論」と答えるしかなかった。どうせ拒否したところで、彼女がムキになれば、俺が承諾するまで電話を掛けてくるに違いないのだから。
こんな性格が、#熟々__つくづく__自分で嫌になるけれど。
やっぱり俺は、今も、この場を抜け出すことができずにいる。
早く帰りたい。それができないなら、せめて席を移動したい。
のっけからタイミングを計り損ねた俺は、気を紛らわせるため、馬鹿みたいに杯を重ねていた。
「七不思議っていえばさ……」
山本が、ふと眉を寄せる。
「可哀想よね、江藤君。あんなことになっちゃって」
本田と中井は、キョトンとして小首を傾げた。
俺も、山本がなんの話を始めたのかわからない。
反応の薄い俺達に苛立ったのか、山本が少し強い口調で付け加えた。
「ほらぁ。いたでしょ、江藤君。夏休みにプールで死んじゃった子」
ようやく合点がいったらしく、あぁと本田が手を打った。
「七不思議事件だな!」
「あったッス! 世にも奇妙な七不思議事件!」
続いて、中井の頭上にも電球マークが灯った。
江藤……。
七不思議事件……?
なにそれ。
ていうか、江藤って、誰だっけ。
火照り始めた米神に手を当てて、俺は視線を上向ける。二つの単語が、頭の中でくるくる回った。それは五周ほどして、ぶつかって一つに組み合わさり、ある記憶の形を成してゆく。
「――あ」
思い出した。
此処にいない、唯一のクラスメイト。
江藤卓だ。
おとなしくて無口な奴だった。
身体も小さくて、友達もいなくて、休み時間は自分の席で本ばかり読んでいた。別に悪い奴じゃなかったんだろうと思う。ただ、なんとなく陰気臭いというか、人付き合いが下手くそというか、少なくとも、万人に好かれるタイプとは程遠い男子だった。
当然、クラスでもひっそりと目立たない存在だったわけだが、ある日を境に、彼は突如として、学校中の注目を集める有名人となる。
とある怪談の主人公として。
小学六年生の夏休みだった。
ちょうど今くらいの時期。
八月に入って、しばらく経った、ある日のことだ。
江藤は死んだ。
プールで溺死していた。
学校と警察は、彼の死を<不慮の事故>として処理したが、その実、この事件は非常に不可解なものだった。
謎が多すぎるのだ。
江藤を発見したのは、出勤してきた用務員さんだった。うちの学校に宿直の制度はなく、夏休みは、用務員さんが日中のみ、校内の警備と雑務のために在中していた。
朝イチの見回り時だったという。前日に同じ場所を確認した際には、別段異常もなかったということだから、江藤は、密かに深夜のプールへと侵入し、溺れ死んだことになる。
いったい江藤は、夏休み中にも関わらず、なんのために夜の学校などに忍び込んだのだろう。プールになんの用事があったというのか。
更に不可解なことには、江藤の身体に記された、無数の傷痕の話。
殴られたような痣や、爪で引っ掻いたような裂傷。足首に手形まで残っていたと聞く。もしそれが本当なら、明らかに<人型のなにか>が付けた痕である。
そもそも。
江藤は、どうして、服を着たままプールに入ったんだろうか。
あの、おとなしい江藤が。どうして。
あまりにも「どうして」の多いこの事件は、新学期を待たずして全校生徒の話題となった。様々な憶測が飛び交う中、やがて話はオカルトじみた方向へ移行し、尾ヒレが付き、尤もらしく整理され、既存の怪談と結び付いて、ひとつの噂へと落ち着いた。
――七不思議である。
あのとき、俺達の学校では、ちょっとした七不思議ブームが起こっていた。
言うまでもなく、七不思議とは、学校にまつわる七つ怪談のことだ。トイレの奥から二番目には花子さんがいるとか、理科室の人体模型は動くとか、まぁ、子供の考える他愛のない怪談なのだが、それは必ず全六話で完結している。
決して、七つ目を求めてはならない。
何故なら、七つすべての怪談を知ってしまうと……死ぬ。
そういう言い伝えがあるからだ。
俺達の学校にも、勿論、七不思議があった。至って標準的、ごく普通の七不思議だ。当時、七不思議を題材にした映画がヒットしたり、多くの学校系ホラー漫画が連載されていたりしたから、その影響も大きかったんじゃないだろうか。たぶん、何処の学校でも、似たようなものだったんだろう。
七不思議は、俺達小学生にとって、身近でタイムリーな話題だったわけだ。
そこへ、江藤の変死事件が発生した……。
要するに、出来上がった噂は、こうだ。
江藤は、七不思議の真偽を検証しようと、夜の学校に忍び込んだ。
そこで七つ目の怪談を知ってしまったために、学校の悪霊に殺されたのだと。
今聞けば、なんだそれとツッコまずにはいられない内容である。
だから彼は何故、七不思議を検証する必要があったのか。検証して、どうするつもりだったのか。肝心な部分が空っぽで、まるで解答になっていない。単に恐怖を煽ることだけが目的の、シンプルな二流怪談だ。穴だらけの子供的推理を繋ぎ合わせた末の産物だから、仕方がないと言えばないのだが。
けれど、如何せん小学生。
多くの児童がそれを信じ、怯えた。
この噂は、瞬く間に学校中に広まり、いつしか江藤の死の真相として定義され、二学期には<七番目の怪談>が存在する証拠として、それはそれは全校児童を震え上がらせたのだった。
「本当なら、江藤君も此処にいたはずなのに……」
山本が、これみよがしにハンカチで目元を押さえた。たぶん嘘泣きだろうけど、こんな場でやめてくれ。思えばどんな練習をしたのか、コイツは昔から、自由に涙を流すことができたっけ。
俺達三人は、つと黙り込む。空気を冷やされてドン引きしていただけなのだが、どうも彼女は、俺達が江藤を偲んでいると勘違いしたらしい。ここぞとばかりに、面倒なことを言い出した。
「ねぇねぇ、後で江藤君にお花を供えに行ってあげない?」
本田が顔を顰める。ただでさえダルマ似の顔が、前科百犯みたいになった。
「面倒臭ぇな。なんの義理があって俺達がそんなことしなきゃならねーんだよ」
本田の言い方では身も蓋もないが、ここは彼に賛成である。夜の学校なんて、俺だって面倒だし、行きたくない。明日も仕事があるし。
俺は頷く。図らずも、中井とシンクロした。
「え~だってぇ、江藤君、可哀想じゃない?」
が、山本もしつこかった。上目遣いに瞳を潤ませ、唇を結んで本田を見る。酒のせいだろうか。優しい自分にまで酔っているらしい。
返事に困ったのか、本田はチッと舌打ちして、数本目の煙草を咥えた。
すかさず中井が火を着ける。
ふと、本田の表情が変わった。
ニヤリと持ち上げられた唇の端から、煙が零れる。ギョロ目を眇めて鼻の頭に皺を寄せた本田の顔は、嫌悪感を抱くほどに不細工ではあったが、同時に、大層懐かしくもあった。
俺は、嫌な予感がした。
本田がこんな顔をするのは、いつだって、なにか悪さを思い付いたときだった。
そして、その悪さに、俺達を巻き込むときの……。
「いいじゃん。行こうじゃねーか」
言って、本田は煙草で灰皿を叩いた。
「あら、やっぱり優しいじゃない、本田君!」
「たーだーしぃ」
胸の前で手を組み、身を捩った山本を真似て、本田は肩を竦める。
「花供えて帰るだけじゃつまんねぇなー」
勿体付けた口調に、山本、中井、俺の三人は、本田の汚い笑顔をみつめた。
かつて幾度となく経験したパターンだった。俺と中井は、早々に「しまった」という表情をしていたはずだ。それに気付いているのか、いないのか。本田は尚も、ニヤニヤしている。
次の瞬間、嫌な予感は的中した。
「せっかくだからさ、俺達もやろうぜ。七不思議のケンショーってやつ。この後、学校まで行ってさ。一つ一つ、確認して回るんだ。いいだろ?」
……やっぱりだ。
冗談じゃない。俺は頭を振った。
廃校したとはいえ、母校は、町立小学校である。今でも町の所有する建物であることに変わりはない。勝手に忍び込んだりしたら、普通に犯罪だ。小学生なら悪戯で済んでも、いい大人の俺達がやったとなると、警察も見逃してはくれまい。誰の得になるんだ、それ。
なによりまず、怖いだろ。
夜の廃校舎なんて、滅茶苦茶に怖いだろうが。
コイツ本当に馬鹿だ。昔から、ロクなことを考えない。
「あっ、面白そう!」
真っ先に拒否するかと思われた紅一点が、眼を輝かせる。おいおいマジか。
「今日の思い出になるッスね」
そうなると、男子である中井が引くわけにはいかない。やや微妙な笑顔ではあったが、やんわり賛成派に回った。
俺は焦った。この流れは非常に不味い。
「やめとけよ。不法侵入だぞ」
正論を述べたつもりだが、本田はテーブルに身を乗り出して、凄んできた。
「だからなんだ? 怖ぇのか? え、竹内」
「そういうわけじゃないけど……良くないって、そういうの……」
「へーぇ、お前は正義の味方ってわけか? ふーん? 知らなかったなぁ」
「違うけど……」
これみよがしに、本田が拳骨を握る。俺の身体は強ばった。条件反射だ。
「俺、明日仕事だから、今日中に東京戻らないと……三人で行ってきたら?」
僅かな抵抗を試みるも、案の定というか、それは本田の鼻息で一蹴された。
「休めよ、そんなもん。友情の方が大事だろうが」
「えっと……」
「来るよな?」
「ちょっと待って……」
「ビビってんのか、おい。まさか江藤みたいになるのが怖いってか?」
ダメ押しとばかりに、本田が声を荒げたときだった。
俺の心臓が、どくん、と跳ねた。
息が止まったかと思った。
……なに?
突如襲った異様な感覚に、俺は言葉を忘れて、拳を握る。
いけない。
行ってはいけない。
強く、そう感じた。
理由なんて、わからない。
ただ、怖いからとか面倒だからとか、そんな些細な反応じゃない。
言うなれば、生物的な防御本能……だろうか。
それが、俺の中で叫んでいた。
「行くな」と。
「わ、なにコイツ、マジでビビってんの! だせぇー!」
本田の馬鹿笑いで、俺は我に返った。
「お、俺、ちょっとトイレ!」
慌てて場を抜けるべく立ち上がりかけたが、遅かったようだ。中井が、俺の腕をしっかりと掴んで、グラスにビールを注いでいた。
「い、いらない」
「でも竹内君、さっきから全然進んでないッス。会費払ってんだから、元取らないと損ッスよ? せっかくの同窓会、仲良し四人が集まったってのに」
ニコニコしながら、中井の眼は、まったく笑っていなかった。その狐眼が、お前だけ逃がすか、と釘を刺してくる。コイツも結構な怖がりだったものな。
「さ、とりあえず乾杯するッス。トイレはその後で、どーぞ」
「おういいな、中井!」
「ほらぁ、ノリ悪いよー? 竹内君?」
申し合わせていたかのように、三人が俺の退路を断った。
こうなると、もう駄目だ。俺の発言権は剥奪されたに等しい。
「じゃあ、なに乾杯するッスか?」
「俺達の友情に」
「あははは、くっさー!」
中井に捕まり、山本に押され、本田に引き摺られる。
……いつだって、そうだったじゃないか。
「「「かんぱーい!」」」
三人が楽しげに歓声を上げる。俺は渋々、グラスを鳴らす。
周りの喧騒が遠退いて、ひとりぼっちになったような気がした。
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