真夜中の同窓会

雪麻呂

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欠席一名

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1.





「そーいや、うちの学校にもあったよな。七不思議」

 出来上がった赤い顔で、本田が言った。

「あ、憶えてるッスよ! 体育館とか、美術室とか」

 中井が、オーバーリアクションで頷く。

「あったあった。懐かしいわぁ。昔は怖かったのよねぇ」

 山本がウフフと笑う。
 三人とも、変わらないな。
 俺は、こっそり溜息を吐いた。

 縦にも横にも無駄にデカかった本田の身体は、その威圧感と共に、健やかすぎる成長を遂げていた。ただでさえ柄が悪いのだから、口元に髭を蓄えるのは、よした方が良いと思う。人相の悪さが一層、深刻化している。
 対照的にガリガリに痩せていた中井は、今でも小柄な青年だった。髪を明るい茶色に染め、眼鏡はコンタクトに変えたようだが、元来の小者臭を払拭する試みには見事、失敗している。狐そっくりの吊り眼、相変わらず嫌味に笑うものだ。
 山本は、外見だけは清楚系の美人になっていた。だが、その強引で我が侭な性格は、依然として治っていない。気分屋で、人の都合などお構いなし。今日だって、コイツに無理矢理誘われなければ、俺は、こんなところに来やしなかったのに。

 三人は、他愛のない話題で盛り上がっていた。
 乾杯して、簡単な近況報告を済ませ、取り留めもなく昔話に花を咲かせるうち、なにが切欠だったか、先日テレビでやっていた怪奇物の話になった。番組は、学校の七不思議を特集していて、その流れで、こういった会話に至る。

「……おい、聞いてんのか? 竹内」
「え? あっ、うん」

 本田に睨まれて、俺は慌てて笑顔を作った。
 そうだ。
 そういう俺だって、あの頃と、なにも変わってはいないのだ。
 優柔不断で、意志薄弱。押しに弱い。頼まれたり誘われたりすると断れず、周りに流されて、引き受けてしまう。それが、望ましくない結果になるとわかっていても、だ。大人になった今でも、その悪癖は改善されず、知人には都合の良いように扱われていた。会社でも損ばかりしている。

 ちらり見渡した宴会場は、二十人ほどの男女が犇めいて、わいわい賑やかな喧騒に満ちていた。それなりに楽しそうだ。小学六年生のとき以来だから、もう十三年になるんだろうか。変わらない奴、化けた奴、劣化した奴。欠席の一人を除いて、懐かしい顔ぶれが揃っている。
 そんな中、俺は憂鬱で堪らない。
 あぁ、来るんじゃなかった。
 ……同窓会なんて。
 前の席だった山本。隣の席だった本田。後ろの席だった中井。
 お節介な幹事が当時の席順を再現したものだから、俺は、十三年も経って再び、コイツ等に囲まれるハメになってしまった。





 俺達四人は、いつも一緒だった。
 傍目には、仲良しに見えたかもしれない。
 けれど実際、俺は、この三人に振り回されていただけだ。
 六年生に上がって席替えがあり、元から仲の良かった三人に、席順で取り囲まれてしまったのが運の尽き。先述の通り、要請や誘いを断れない俺は、コイツ等の体の良いパシリとなった。気分屋な山本、ガキ大将の本田、彼の腰巾着の中井。俺はどうも、この三人に悪い意味で気に入られてしまったのだ。

 ハッキリ言って、三人は悪ガキだった。
 率先して悪戯を提案するのは、決まってガキ大将の本田だったが、そんな本田を煽り、焚き付けるのは、山本である。本田は単純だから、女子から期待されてる俺カッケェと思い込み、益々素行の悪さに磨きを掛けていった。中井は、俺と立場が似ていたかもしれない。ただしコイツの場合、一人で悪事を働くのは怖いから大勢で……という子供らしくも強かな打算があったように思うが。
 俺は、この三人に逆らえなかった。

 本田が近所の畑を荒らせと命じれば、別に欲しくもないトマトを盗んだりした。
 中井が新作ゲームに興味を示せば、俺が都合して貸すのがデフォだった。
 山本が「あいつムカつく」と言えば、本田と中井と俺でボコった。
 他に、なにをしただろう。学校の備品も壊したし、窓硝子も割った。教卓に虫を仕込んだり、クラスで飼っていた金魚を川に放流したこともある。万引きもした。花壇も荒らした。要するに、やりたい放題だったわけだ。
 そしてそんなとき、本田は必ず、こう言った。
 これは連帯責任だからな。
 国語2の本田も、大人のよく使うこの言葉だけは意味を知っていた。つまりは、悪事一蓮托生。チクったらブッ殺すという脅しである。子供じみた口封じ。結局は先生にバレて、それこそ連帯責任で三人揃って叱られるパターンが多かった(学級委員の山本だけは、先生からの信頼も厚く、いつも華麗に説教を免れていたが)。

 俺は、本当は、嫌だった。
 悪いことなんて、したくはなかったし、先生に怒られるのも嫌だった。
 でも、逆らえなかった。
 本田に殴られるから。中井にチクられるから。山本が、根も葉もない悪口を言いふらすから。全部、怖かった。でも、そうじゃない。根本的な原因は、俺の、この性格だ。
 報復を怖れるあまり、自分より強い者には、意見を主張できない。
 そうやってズルズルと他者に引き摺られる方が、己で道を選び、歩くことよりも楽だから。たぶん俺は、心のどこかで、そう納得してしまっている。
 これでは駄目だと、重々承知はしているのだ。
 してはいても、変わらない。変われない。

 今日だって、どうにか口実を設けて欠席するつもりだったのに。何処で調べたのか、山本が携帯に電話を掛けてきた。来るんでしょう? 有無を言わさぬ口調に、俺は「勿論」と答えるしかなかった。どうせ拒否したところで、彼女がムキになれば、俺が承諾するまで電話を掛けてくるに違いないのだから。
 こんな性格が、#熟々__つくづく__自分で嫌になるけれど。
 やっぱり俺は、今も、この場を抜け出すことができずにいる。





 早く帰りたい。それができないなら、せめて席を移動したい。
 のっけからタイミングを計り損ねた俺は、気を紛らわせるため、馬鹿みたいに杯を重ねていた。

「七不思議っていえばさ……」

 山本が、ふと眉を寄せる。

「可哀想よね、江藤君。あんなことになっちゃって」

 本田と中井は、キョトンとして小首を傾げた。
 俺も、山本がなんの話を始めたのかわからない。
 反応の薄い俺達に苛立ったのか、山本が少し強い口調で付け加えた。

「ほらぁ。いたでしょ、江藤君。夏休みにプールで死んじゃった子」

 ようやく合点がいったらしく、あぁと本田が手を打った。

「七不思議事件だな!」
「あったッス! 世にも奇妙な七不思議事件!」

 続いて、中井の頭上にも電球マークが灯った。
 江藤……。
 七不思議事件……?
 なにそれ。
 ていうか、江藤って、誰だっけ。
 火照り始めた米神に手を当てて、俺は視線を上向ける。二つの単語が、頭の中でくるくる回った。それは五周ほどして、ぶつかって一つに組み合わさり、ある記憶の形を成してゆく。

「――あ」

 思い出した。
 此処にいない、唯一のクラスメイト。
 江藤卓だ。





 おとなしくて無口な奴だった。
 身体も小さくて、友達もいなくて、休み時間は自分の席で本ばかり読んでいた。別に悪い奴じゃなかったんだろうと思う。ただ、なんとなく陰気臭いというか、人付き合いが下手くそというか、少なくとも、万人に好かれるタイプとは程遠い男子だった。
 当然、クラスでもひっそりと目立たない存在だったわけだが、ある日を境に、彼は突如として、学校中の注目を集める有名人となる。
 とある怪談の主人公として。

 小学六年生の夏休みだった。
 ちょうど今くらいの時期。
 八月に入って、しばらく経った、ある日のことだ。
 江藤は死んだ。
 プールで溺死していた。
 学校と警察は、彼の死を<不慮の事故>として処理したが、その実、この事件は非常に不可解なものだった。
 謎が多すぎるのだ。
 江藤を発見したのは、出勤してきた用務員さんだった。うちの学校に宿直の制度はなく、夏休みは、用務員さんが日中のみ、校内の警備と雑務のために在中していた。
 朝イチの見回り時だったという。前日に同じ場所を確認した際には、別段異常もなかったということだから、江藤は、密かに深夜のプールへと侵入し、溺れ死んだことになる。
 いったい江藤は、夏休み中にも関わらず、なんのために夜の学校などに忍び込んだのだろう。プールになんの用事があったというのか。
 更に不可解なことには、江藤の身体に記された、無数の傷痕の話。
 殴られたような痣や、爪で引っ掻いたような裂傷。足首に手形まで残っていたと聞く。もしそれが本当なら、明らかに<人型のなにか>が付けた痕である。
 そもそも。
 江藤は、どうして、服を着たままプールに入ったんだろうか。
 あの、おとなしい江藤が。どうして。
 あまりにも「どうして」の多いこの事件は、新学期を待たずして全校生徒の話題となった。様々な憶測が飛び交う中、やがて話はオカルトじみた方向へ移行し、尾ヒレが付き、尤もらしく整理され、既存の怪談と結び付いて、ひとつの噂へと落ち着いた。
 ――七不思議である。

 あのとき、俺達の学校では、ちょっとした七不思議ブームが起こっていた。
 言うまでもなく、七不思議とは、学校にまつわる七つ怪談のことだ。トイレの奥から二番目には花子さんがいるとか、理科室の人体模型は動くとか、まぁ、子供の考える他愛のない怪談なのだが、それは必ず全六話で完結している。
 決して、七つ目を求めてはならない。
 何故なら、七つすべての怪談を知ってしまうと……死ぬ。
 そういう言い伝えがあるからだ。
 俺達の学校にも、勿論、七不思議があった。至って標準的、ごく普通の七不思議だ。当時、七不思議を題材にした映画がヒットしたり、多くの学校系ホラー漫画が連載されていたりしたから、その影響も大きかったんじゃないだろうか。たぶん、何処の学校でも、似たようなものだったんだろう。
 七不思議は、俺達小学生にとって、身近でタイムリーな話題だったわけだ。
 そこへ、江藤の変死事件が発生した……。

 要するに、出来上がった噂は、こうだ。
 江藤は、七不思議の真偽を検証しようと、夜の学校に忍び込んだ。
 そこで七つ目の怪談を知ってしまったために、学校の悪霊に殺されたのだと。

 今聞けば、なんだそれとツッコまずにはいられない内容である。
 だから彼は何故、七不思議を検証する必要があったのか。検証して、どうするつもりだったのか。肝心な部分が空っぽで、まるで解答になっていない。単に恐怖を煽ることだけが目的の、シンプルな二流怪談だ。穴だらけの子供的推理を繋ぎ合わせた末の産物だから、仕方がないと言えばないのだが。
 けれど、如何せん小学生。
 多くの児童がそれを信じ、怯えた。
 この噂は、瞬く間に学校中に広まり、いつしか江藤の死の真相として定義され、二学期には<七番目の怪談>が存在する証拠として、それはそれは全校児童を震え上がらせたのだった。





「本当なら、江藤君も此処にいたはずなのに……」

 山本が、これみよがしにハンカチで目元を押さえた。たぶん嘘泣きだろうけど、こんな場でやめてくれ。思えばどんな練習をしたのか、コイツは昔から、自由に涙を流すことができたっけ。
 俺達三人は、つと黙り込む。空気を冷やされてドン引きしていただけなのだが、どうも彼女は、俺達が江藤を偲んでいると勘違いしたらしい。ここぞとばかりに、面倒なことを言い出した。

「ねぇねぇ、後で江藤君にお花を供えに行ってあげない?」

 本田が顔を顰める。ただでさえダルマ似の顔が、前科百犯みたいになった。

「面倒臭ぇな。なんの義理があって俺達がそんなことしなきゃならねーんだよ」

 本田の言い方では身も蓋もないが、ここは彼に賛成である。夜の学校なんて、俺だって面倒だし、行きたくない。明日も仕事があるし。
 俺は頷く。図らずも、中井とシンクロした。

「え~だってぇ、江藤君、可哀想じゃない?」

 が、山本もしつこかった。上目遣いに瞳を潤ませ、唇を結んで本田を見る。酒のせいだろうか。優しい自分にまで酔っているらしい。
 返事に困ったのか、本田はチッと舌打ちして、数本目の煙草を咥えた。
 すかさず中井が火を着ける。
 ふと、本田の表情が変わった。
 ニヤリと持ち上げられた唇の端から、煙が零れる。ギョロ目を眇めて鼻の頭に皺を寄せた本田の顔は、嫌悪感を抱くほどに不細工ではあったが、同時に、大層懐かしくもあった。
 俺は、嫌な予感がした。
 本田がこんな顔をするのは、いつだって、なにか悪さを思い付いたときだった。
 そして、その悪さに、俺達を巻き込むときの……。

「いいじゃん。行こうじゃねーか」

 言って、本田は煙草で灰皿を叩いた。

「あら、やっぱり優しいじゃない、本田君!」
「たーだーしぃ」

 胸の前で手を組み、身を捩った山本を真似て、本田は肩を竦める。

「花供えて帰るだけじゃつまんねぇなー」

 勿体付けた口調に、山本、中井、俺の三人は、本田の汚い笑顔をみつめた。
 かつて幾度となく経験したパターンだった。俺と中井は、早々に「しまった」という表情をしていたはずだ。それに気付いているのか、いないのか。本田は尚も、ニヤニヤしている。
 次の瞬間、嫌な予感は的中した。

「せっかくだからさ、俺達もやろうぜ。七不思議のケンショーってやつ。この後、学校まで行ってさ。一つ一つ、確認して回るんだ。いいだろ?」

 ……やっぱりだ。
 冗談じゃない。俺は頭を振った。
 廃校したとはいえ、母校は、町立小学校である。今でも町の所有する建物であることに変わりはない。勝手に忍び込んだりしたら、普通に犯罪だ。小学生なら悪戯で済んでも、いい大人の俺達がやったとなると、警察も見逃してはくれまい。誰の得になるんだ、それ。
 なによりまず、怖いだろ。
 夜の廃校舎なんて、滅茶苦茶に怖いだろうが。
 コイツ本当に馬鹿だ。昔から、ロクなことを考えない。

「あっ、面白そう!」

 真っ先に拒否するかと思われた紅一点やまもとが、眼を輝かせる。おいおいマジか。

「今日の思い出になるッスね」

 そうなると、男子である中井が引くわけにはいかない。やや微妙な笑顔ではあったが、やんわり賛成派に回った。
 俺は焦った。この流れは非常に不味い。

「やめとけよ。不法侵入だぞ」

 正論を述べたつもりだが、本田はテーブルに身を乗り出して、凄んできた。

「だからなんだ? 怖ぇのか? え、竹内」
「そういうわけじゃないけど……良くないって、そういうの……」
「へーぇ、お前は正義の味方ってわけか? ふーん? 知らなかったなぁ」
「違うけど……」

 これみよがしに、本田が拳骨を握る。俺の身体は強ばった。条件反射だ。

「俺、明日仕事だから、今日中に東京戻らないと……三人で行ってきたら?」

 僅かな抵抗を試みるも、案の定というか、それは本田の鼻息で一蹴された。

「休めよ、そんなもん。友情の方が大事だろうが」
「えっと……」
「来るよな?」
「ちょっと待って……」
「ビビってんのか、おい。まさか江藤みたいになるのが怖いってか?」

 ダメ押しとばかりに、本田が声を荒げたときだった。
 俺の心臓が、どくん、と跳ねた。

 息が止まったかと思った。
 ……なに?
 突如襲った異様な感覚に、俺は言葉を忘れて、拳を握る。
 いけない。
 行ってはいけない。
 強く、そう感じた。
 理由なんて、わからない。
 ただ、怖いからとか面倒だからとか、そんな些細な反応じゃない。
 言うなれば、生物的な防御本能……だろうか。
 それが、俺の中で叫んでいた。
 「行くな」と。

「わ、なにコイツ、マジでビビってんの! だせぇー!」

 本田の馬鹿笑いで、俺は我に返った。

「お、俺、ちょっとトイレ!」

 慌てて場を抜けるべく立ち上がりかけたが、遅かったようだ。中井が、俺の腕をしっかりと掴んで、グラスにビールを注いでいた。

「い、いらない」
「でも竹内君、さっきから全然進んでないッス。会費払ってんだから、元取らないと損ッスよ? せっかくの同窓会、仲良し四人が集まったってのに」

 ニコニコしながら、中井の眼は、まったく笑っていなかった。その狐眼が、お前だけ逃がすか、と釘を刺してくる。コイツも結構な怖がりだったものな。

「さ、とりあえず乾杯するッス。トイレはその後で、どーぞ」
「おういいな、中井!」
「ほらぁ、ノリ悪いよー? 竹内君?」

 申し合わせていたかのように、三人が俺の退路を断った。
 こうなると、もう駄目だ。俺の発言権は剥奪されたに等しい。

「じゃあ、なに乾杯するッスか?」
「俺達の友情に」
「あははは、くっさー!」

 中井に捕まり、山本に押され、本田に引き摺られる。
 ……いつだって、そうだったじゃないか。

「「「かんぱーい!」」」

 三人が楽しげに歓声を上げる。俺は渋々、グラスを鳴らす。
 周りの喧騒が遠退いて、ひとりぼっちになったような気がした。





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