『俺と妻の家の話』

篠崎俊樹

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『俺と妻の家の話』

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 俺は、今、一緒にいる事実婚の妻と、16年前の夏、出会った。ちょうど、暑い時で、妻も、家にいるとき、Tシャツを着て、ジーンズを穿いて、家の茶の間に、ちょこんと座っていたのを覚えている。小さな体。元々、地元福岡県朝倉市にある公立中学校を出た後、近くにある洋裁学校に入学して、苦学して、洋裁の勉強をして、身を立てた。賢い妻だ。俺にはそう思える。妻の体は小さかった。繰り返し言うが……。妻の洋裁は、実に、身が入っている。小さな体を動かして、涙ぐましいほど、仕事をしている。普段、自分の車を運転して、地元朝倉市から50分ほど走った、福岡県三井郡大刀洗町の縫製工場に通い、午前8時半から、午後5時半まで、自動車のシートを縫う仕事をしている。大変だった。恥ずかしい話だが、俺は、妻に、20代後半の頃まで、シャツやジーンズをたくさん買ってもらった。はっきり言って、恥ずかしかったぐらいだ。妻は、俺を、旧甘木市のユニクロに車で連れて行ってくれて、シャツ類を選んでくれた。元々、洋裁学校を卒業後、旧甘木市の外れにある、アパレル会社に就職して、そこで、いい年をしたおじさんたちに、スーツなどを仕立てて、売る仕事をしていた。俺は、妻が愛しいと思う。誰よりも。そう思える。実は、俺も、妻に対して、大きなことは言えないのだし、妻だって、俺には何も言わない。だが、妻と俺は、一心同体だ。そう思えている。妻は、朝倉市内の公立中学校にいたとき、教科書さえ、ろくに買えなくて、散々苦労した。それが、妻の半生だ。いや、半生じゃない。中学時代までの、わずか15年間のことだ。俺がこうやって、妻との話を書き綴るのも、大切で、離したくない存在だからである。どうだっていい存在なら、話などしない。そう思う。脱線するのだが、妻と対照的なのが、俺と同居している老父だ。どうやら、レビー小体型認知症のようらしい。俺は、持病の統合失調症で、旧甘木市の精神科の病院に、月一度、通院していて、週に3回、訪問看護の看護師が交代で来てくれるのだが、父は、夜、俺が、自宅2階の部屋で寝ている時間は、茶の間で酒を浴びるほど飲んで、夜は顔も洗わずに、午後10時に眠って、朝は、午前8時頃、起き出す。また、認知症というのは、俺もネットで知ったのだが、根本的に、治療薬がなく、悪化するばかりだ。俺は、定時に、精神科から処方された、レキサルティーという、統合失調症治療薬を飲んで、寛解してから、自宅2階の書斎で、物書きの仕事をする。最近、ライターの仕事を、ある有名な作家の先生に師事して、いただいた。俺にとって、この短編小説は、愛しい妻の家族のことを書き綴る、貴重な紙面でもあるのだが、正直、老父のことはどうだっていい。血糖値、尿酸値、コレステロール値……、検査数値は全部悪い。また、俺は最近、電話で、自分の旦那寺に、老父の永代供養も断ると、電話を掛けておいた。これが、俺の出来る、次善の策だと思った。俺にとって、老父は、もう、どうだっていいのだ。精神安定剤も、睡眠導入剤もない。あるのは、糖尿病治療薬だけ。それも、飲み忘れる。どうしようもない。妻とは対蹠的だ。これを言い終えて、この短い物語を結ぶ。まとまりのない話となったかもしれないが、俺にとって、妻は誰よりも愛しい。妻の連れ子である、義理の息子や娘も。妻の兄や姉、甥、姪、それに、妻の5人の孫たちも。ここら辺りで、この物語を結び、最後とさせていただく。もう一つ、付言しておくと、妻と俺は、これからも、ずっと関係が続く。たとえ、俺が、自宅2階の書斎で、作家の仕事をしていても、週に1度は、必ず、ご自宅にお伺いする。そう思って、この物語を結ぶ。俺にとって、この話は手記だ。昔、マルテの手記というのがあったろう?それと、同根だ。妻
が大切な存在であるのに対して、レビー小体型認知症の老父は、もうどうだっていい存在なのだ。それは、はっきりと言っておく。
                                (了)
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