赤毛とトカゲと淑女。

海子

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5.happy and happy!

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 ゲストルームに集った五人、つまり、オーランド、コーディリア、サディアス、キース、そして、グラハム伯爵夫人キャロラインの間には、どことなく緊張感が漂っていた。 
その緊張感は、初対面のせい、というだけでなく、キャロラインの来訪の意味するところにあった。 
何故、キャロラインがやって来たのか。
コーディリアが、一カ月と少し前、家出同然でグラハム家を離れ、片田舎のチェストルへやって来たことを考えれば、単純に、母親が娘に会いに来ただけとは、思えなかった。
互いに挨拶を交わし、フィンドレー三兄弟がキャロラインのチェストルまでの労をいたわり、その道中を気遣ったが、キャロラインは、どこか上の空で、尋ねられたことに応じるだけで、会話は度々途切れた。 
そして、キャロラインが、時折視線を向ける先には、硬い表情を崩さないままソファに座るコーディリアがいた。 
久しぶりの母娘の再会だというのに、お互い、笑顔も抱擁もなく、そして、会話もなかった。
「ふたりで、話した方が・・・」 
「帰って来てほしいの、あなたに」 
打ち解けないキャロラインとコーディリアに、話し合いを促しかけたオーランドの言葉の途中で、キャロラインが、堰を切ったかのように、口を開いた。
「あなたに、帰って来てほしいの、ウォルトンへ・・・」 
「お母様・・・」 
「勝手な言い分だと言うことは、承知しているわ。だけど、あなたがいなくなって初めて、気づいたの。あなたがどれだけ心優しい、思いやりのある娘だったか、私たち家族にとって、どれだけ大切な存在だったか・・・」
五十に近い年齢とあって、ところどころに白いものが混じるダークブラウンの髪色は、コーディリアとは違っていたが、目元から頬にかけての曲線が、コーディリアによく似たキャロラインの面差しは、後悔に歪み、その瞳から涙が溢れた。
コーディリアの知る母親は、感情的な人ではなかった。 
むしろ、激しい感情は表に出さず、哀しみを瞳の奥に抑え、冷静に温和に振る舞う婦人だった。 
だから今、溢れる涙をハンカチで拭う母の姿に、コーディリアは戸惑った。 
その気持ちを見透かしたように、傍らに立つオーランドの手が、そっとコーディリアの背に添えられた。 
「お父様は、あなたがあんな風に急にいなくなってしまって、すっかり塞ぎ込んでしまったわ。近頃は、お仕事を断って、外出も取りやめて、ずっと部屋に閉じこもってばかりなの。お医者様にも診ていただいたのだけれど、こういった心の病は、治療に時間がかかると言われて、わたくしも、アルバートも、途方に暮れてしまって・・・」 
父ジョンが、心の病になって、キャロラインや、コーディリアの兄アルバートに気遣われているのだと聞いても、コーディリアは、俄かには信じることが出来なかった。
コーディリアの知る父は、自信家、自己中心的、頑固、支配的で、他人にはもちろん、家族にさえ、弱みを見せることはなかった。 
けれども今、ウォルトンから遠く離れたこのチェストルまでやって来た母が、コーディリアを連れ戻すために、嘘をついているとも考えられなかった。 
そもそもキャロラインは、そういったことのできる性格ではなかった。
「ヴィクターとのことは、わたくしたちが間違っていたわ。わたくしは、傷ついたあなたの気持ちが、わからないわけじゃなかった。わたくしも、そういった苦しみを知らないわけではなかったから。だけど、あの時は、今更、婚約破棄だなんて考えられなかった。婚約破棄だなんていうことになれば、ボズウェル家とのグラハム家の関係はどうなるの、事情はどうあれ、あなたは婚約を破棄された娘だと非難されてしまう、そういったことばかりを考えてしまって、一番大切にしないといけなかったあなたの気持ちを、置き去りにしてしまったの。本当にごめんなさい」
キャロラインは、コーディリアに向かって、静かに頭を下げ、続ける。
「あなたがウォルトンからいなくなって、ヴィクターとの結婚は白紙になり、ボズウェル家との交流は途絶えたわ。今回の件は、社交界のいたるところで噂になって、グラハム家の家名に傷がついてしまった。一時は、そう考えて、わたくし自身も塞ぎ込んでしまったの。でも、お父様があんな風になってしまって、ようやく気づいたの。わたくしが守るべきだったのは、グラハム家の名誉でも家名でもない。わたくしが一番守らなくてはいけなかったのは、あなたやお父様・・・、家族だった、ということに」 
キャロラインはコーディリアに歩み寄ると、屈んで、手を取った。 
「わたくしは、間に合ったかしら。まだ・・・、あなたのお母様でいられるかしら?」
「お母様は、ずっと・・・わたくしのお母様よ。これまでも、これからも」 
キャロラインは、ああ、と、小さな吐息をつくと、コーディリアを腕一杯に抱きしめ、眼を閉じた。
母娘の頬に、涙が伝う。 
その様子を見守っていたオーランド、サディアス、キースも、視線を合わせ、良かった、と、安堵の微笑みを浮かべた。
けれども、微笑みを浮かべるオーランドの瞳の奥に見え隠れする戸惑いを、サディアスは見逃さなかった。 



 ウォルトンからキャロラインがやって来て、コーディリアとの和解の場に居合わせてから、オーランドは、ずっと、自分とコーディリアのこれからについて、考え続けていた。 
今すぐにでも、コーディリアと結婚したい。
そうして、このチェストルで、これまで通り、ラズベリーやプラムといった愛すべき果実を育み、フォーシーズンズ・ハウスで季節の移ろいを身近に感じながら、愛する妻と、信頼できる兄弟と共に、暮らしたい。
もしも、子どもを授かったなら、コーディリアと一緒に、精一杯の愛情を注いで、育てていきたい。
自分が、両親から、そうしてもらったように。 
それが、オーランドの、心からの願いだった。 
けれども、コーディリアは、どうなのだろう? 
そう考えるオーランドに、昨夜の出来事が、甦った。
「ごめんなさい、わたくし、あなたのことは、本当に好きだけれど・・・、まだ、こういったことは、心の準備が・・・」 
コーディリアの潤んだ瞳が、オーランドの胸を刺した。 
それならば、結婚してしまえばいい、と。 
結婚式を挙げて、夫婦になってしまえば、もう何も、誰にも遠慮することなく、朝も昼も夜も・・・、一緒に過ごすことが出来る。
オーランドが、一晩真剣に考えた結果が、コーディリアへのプロポーズだった。 
けれども、キャロラインの来訪が、オーランドを制した。 
キャロラインは、コーディリアが出て行ったせいで心を病んでしまった、コーディリアの父ジョンのために、ウォルトンへ帰って来てほしいと言った。 
心優しいコーディリアが、父親を心配していないはずがない。 
ウォルトンへ帰らなくてはいけないと、思っていないはずがない。 
今、自分がプロポーズをすれば、コーディリアをここへ引き止めることになってしまうのではないか。 
父親と自分との間で、板挟みになってしまうのではないか。 
そして、もうひとつ、オーランドがプロポーズを躊躇う理由が出来てしまった。
今夜、キャロライン、コーディリア、フィンドレー三兄弟で囲んだ夕食のテーブルは、和やかなものだった。 
その会話の中で、自然と、キャロラインの口からウォルトンでのコーディリアの暮らしぶりを、聞かされることになった。
キャロラインは、ジョンのように自己顕示欲の強い方ではなく、むしろ、控えめな性質で、決して、グラハム家の地位や身分を、ひけらかそうとしているわけではなかった。 
ただ、ウォルトンでのコーディリアのあるがままの生活を語ろうとすれば、家族関係や交友関係に、王族、あるいは国を代表する人々や団体の名前が上がり、その親しい間柄に、フィンドレー家との身分の差を、まざまざと感じる時間になった。 
仮に・・・、仮に、自分のプロポーズを受け入れてくれたとして、コーディリアは、この先、後悔しないだろうか?
最初は、のんびりした田舎暮らしに目新しさを感じたとしても、親も兄弟も親戚も友人もなく、都会の流行を知るすべもないチェストルでの生活に、若く美しい娘が、退屈せずにいられるだろうか?
コーディリアのためを思うのなら、一度ウォルトンへ帰して、今後の事を家族で話し合い、コーディリアが本当の自分の気持ちを確かめた方がいい。
その結論が、例えオーランドの希望を打ち砕くものだったとしても。
そう・・・、その方がいい。 
それが、彼女のためだ。 

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