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5.happy and happy!
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コーディリアとキャロラインを乗せた馬車は、ウォルトンへ向けて、順調に走り出した。
その馬車の中には、キャロライン、コーディリア、そしてキャロライン付きの侍女の三人が乗っていたが、フォーシーズンズ・ハウスを出発してから、誰も一言も話さなかった。
何故なら、コーディリアの様子が、明らかに普段とは違っていたからだった。
キャロラインの向かいに座ったコーディリアは、顔を伏せたまま、じっと堪えている様子だった。
キャロラインが、もしや、と思いたったのは、出発の直前だった。
今朝から、どことなく沈んだ様子のコーディリアだったが、ひと月あまり、楽しく暮らしたフォーシーズンズ・ハウスとの別れに、少々感傷的になっているのだろうと、キャロラインは思っていた。
だから、出発の際、寂しげに別れの挨拶を交わすコーディリアを見ても、別段、何も、思い当たらなかった。
けれども、オーランドと別れの挨拶を交わしていたコーディリアが、顔を上げた時、キャロラインは、コーディリアがオーランドを見つめる表情に、はっと、させられた。
もしかして・・・。
突然、キャロラインの胸に沸き上がった疑問は、馬車に乗ってから、一層膨らんだ。
馬車に乗り込んでから、ただ黙って耐えているコーディリアの姿に、キャロラインは確かめずにはいられなくなった。
「コーディリア、あなた、もしかして・・・」
キャロラインのその言葉に、思わずコーディリアの瞳から、涙が零れ落ちた。
「どうして、言わなかったの?どうして・・・」
動揺しつつも、キャロラインには分かった。
コーディリアは、キャロラインを心配させまいと、黙っていたのだと言うことを。
父のことを思って、全て自分の胸に仕舞い、ウォルトンへ帰ろうとしたのだということを。
キャロラインは、自分の鈍さを悔いた。
娘の・・・、大切な娘の想いに、真っ先に気づいてやらなくてはいけないのは、わたくしなのに。
ご令嬢を、お預かりしますと、色々と心労があるようなので、チェストルでゆっくり休養をしていますと、以前、オーランドからの手紙を受け取った。
だから、そうなのだろうと、そんな素振りは全く見えなかったから、チェストルで、ヴィクターとのことで傷ついた心を休めていたのだろうと、疑わなかった。
けれども、少し考えれば、わかることではなかったか。
コーディリアのような娘を、結婚相手として迎え入れたのなら・・・、そして、ふたりにとって楽しい時間を過ごしたのなら、何も起こらないはずがない。
「コーディリア・・・」
キャロラインは、コーディリアの傍に寄り添った。
そして、嗚咽するコーディリアを抱きしめ、その背を撫でた。
ウォルトンへ向かう馬車は、林を抜け、モーリンヒルへと差し掛かっていた。
コーディリアを乗せた馬車が見えなくなるまで、オーランドは立ち去らなかった。
砂埃が消えてもまだ、馬車の去った方を見つめ続けていたが、やがて、ふっと息をつき、屋敷の中へ戻った。
これで・・・、良かったんだ。
オーランドはそう自分に言い聞かせて、書斎に戻った。
午後から、融資の話で、サディアスとホレスの銀行へ向かう予定で、机の引き出しから、試算表を取り出し、眼を通し始めた。
けれども、書面の数字は、一向に頭の中に入って来なかった。
熱心に薔薇の手入れをする、コーディリアの真剣な眼差しに見惚れていると、視線に気づいたコーディリアが、眩しい笑顔に変わって、オーランドを見つめ返す。
もうここにはないアクアマリンの眼差しの面影は、オーランドの胸を締め付けた。
心が・・・、千切れてしまいそうだ。
オーランドは心の痛みを耐えるように、眼を閉じた。
今更ながら、失ったものの大きさに気づかされた。
その時、書斎をノックする音が聞こえて、
「行く前に、もう一度、書類を確認しておきたいと思って」
と、サディアスが入って来た。
椅子に座ったオーランドの後方に回り、オーランドの手にする試算表を覗き込む。
「事業計画書は?」
「何か、問題が?」
「まさか。俺が念入りに作り込んだ自信作だぜ。アピールポイントの最終チェックだよ」
オーランドは、引き出しを開けて、大きめの糸綴じの封筒を取りだした。
と、引き出しの片隅に入っていたリングケースが、オーランドとサディアスの眼に入った。
それは、オーランドがコーディリアに贈るはずだったエンゲージリングの入った、小さな箱だった。
ほんの一瞬、オーランドの動きが止まる。
想いを振り切るように、そのまま引き出しを閉じかけたオーランドの腕を、ぐっと押さえたのは、サディアスだった。
「本当にいいのか、このままで」
オーランドは、答えなかった。
「もう、帰って来ないかもしれないんだぞ」
サディアスは、掴んだ腕を離さなかった。
コーディリアを、束縛したくなかった。
彼女のためだと、思いたかった。
けれども、コーディリアが本当にいなくなって、どれだけその存在が大きかったかを、今、オーランドは思い知らされていた。
次の瞬間、オーランドはリングケースをポケットに押し込み、駆けだしていた。
数分後、門扉から一目散に駆けていく馬があった。
騎乗していたのは、もちろん、オーランドだった。
嗚咽するコーディリアの背を撫でて宥めつつ、ヴィクターとのことで、深く傷ついたのに、また、こんなことになってしまってと、キャロラインは、胸を痛めていた。
そして、母親としての不甲斐なさを恥じていた。
どうしたらいいのか・・・。
馬車は、ちょうどモーリンヒルを上りきり、下りに差し掛かろうとしていた。
コーディリアのためを思うのなら、このままウォルトンへ向かうのではなく、一度、フォーシーズンズ・ハウスへ引き返した方がいいのではないか、キャロラインに、そんな思いが過ぎった時だった。
人の声が、耳に入ったような気がした。
「何か聞こえて?」
「はい、奥様、確かに」
付き添いの侍女の耳にも入ったようで、不安そうに、頷いた。
キャロラインが、立ち上がって、後方の小さな窓を覗くと、一頭の馬が、こちらへ向かって、全力疾走して来る。
馬上には、オーランドがいた。
「止めてちょうだい」
キャロラインは、慌てて前方の窓を叩き、御者に知らせた。
「コーディリア!」
馬車が止まると同時に、横づけした馬から飛び降りたオーランドが、車室のドアを開ける。
と、すぐさま、コーディリアが飛び出して、オーランドに抱き着いた。
コーディリアは、涙の溢れるままオーランドの胸に顔をうずめ、オーランドは、もう二度と手放すまいと、コーディリアを抱きしめる腕に力を込めた。
「・・・言い伝えの通りね」
「何?」
コーディリアの言葉の意味が解せずに、オーランドが問い返す。
「モーリンヒルの言い伝え。リユニオン。もう、あなたと再会できたもの」
ああ、と、後方に見える岩を見やったオーランドは、本当だ、と、コーディリアと瞳を重ねて、笑みを浮かべた。
そして、
「グラハム夫人、実は・・・」
馬車から顔を覗かせるキャロラインへ向き直ったが、
「お話は、フォーシーズンズ・ハウスで伺った方が良さそうね」
と、キャロラインはそれを遮った。
キャロラインの声には、オーランドを咎める様で、それでいて、どこかほっとしたような響きがあった。
その馬車の中には、キャロライン、コーディリア、そしてキャロライン付きの侍女の三人が乗っていたが、フォーシーズンズ・ハウスを出発してから、誰も一言も話さなかった。
何故なら、コーディリアの様子が、明らかに普段とは違っていたからだった。
キャロラインの向かいに座ったコーディリアは、顔を伏せたまま、じっと堪えている様子だった。
キャロラインが、もしや、と思いたったのは、出発の直前だった。
今朝から、どことなく沈んだ様子のコーディリアだったが、ひと月あまり、楽しく暮らしたフォーシーズンズ・ハウスとの別れに、少々感傷的になっているのだろうと、キャロラインは思っていた。
だから、出発の際、寂しげに別れの挨拶を交わすコーディリアを見ても、別段、何も、思い当たらなかった。
けれども、オーランドと別れの挨拶を交わしていたコーディリアが、顔を上げた時、キャロラインは、コーディリアがオーランドを見つめる表情に、はっと、させられた。
もしかして・・・。
突然、キャロラインの胸に沸き上がった疑問は、馬車に乗ってから、一層膨らんだ。
馬車に乗り込んでから、ただ黙って耐えているコーディリアの姿に、キャロラインは確かめずにはいられなくなった。
「コーディリア、あなた、もしかして・・・」
キャロラインのその言葉に、思わずコーディリアの瞳から、涙が零れ落ちた。
「どうして、言わなかったの?どうして・・・」
動揺しつつも、キャロラインには分かった。
コーディリアは、キャロラインを心配させまいと、黙っていたのだと言うことを。
父のことを思って、全て自分の胸に仕舞い、ウォルトンへ帰ろうとしたのだということを。
キャロラインは、自分の鈍さを悔いた。
娘の・・・、大切な娘の想いに、真っ先に気づいてやらなくてはいけないのは、わたくしなのに。
ご令嬢を、お預かりしますと、色々と心労があるようなので、チェストルでゆっくり休養をしていますと、以前、オーランドからの手紙を受け取った。
だから、そうなのだろうと、そんな素振りは全く見えなかったから、チェストルで、ヴィクターとのことで傷ついた心を休めていたのだろうと、疑わなかった。
けれども、少し考えれば、わかることではなかったか。
コーディリアのような娘を、結婚相手として迎え入れたのなら・・・、そして、ふたりにとって楽しい時間を過ごしたのなら、何も起こらないはずがない。
「コーディリア・・・」
キャロラインは、コーディリアの傍に寄り添った。
そして、嗚咽するコーディリアを抱きしめ、その背を撫でた。
ウォルトンへ向かう馬車は、林を抜け、モーリンヒルへと差し掛かっていた。
コーディリアを乗せた馬車が見えなくなるまで、オーランドは立ち去らなかった。
砂埃が消えてもまだ、馬車の去った方を見つめ続けていたが、やがて、ふっと息をつき、屋敷の中へ戻った。
これで・・・、良かったんだ。
オーランドはそう自分に言い聞かせて、書斎に戻った。
午後から、融資の話で、サディアスとホレスの銀行へ向かう予定で、机の引き出しから、試算表を取り出し、眼を通し始めた。
けれども、書面の数字は、一向に頭の中に入って来なかった。
熱心に薔薇の手入れをする、コーディリアの真剣な眼差しに見惚れていると、視線に気づいたコーディリアが、眩しい笑顔に変わって、オーランドを見つめ返す。
もうここにはないアクアマリンの眼差しの面影は、オーランドの胸を締め付けた。
心が・・・、千切れてしまいそうだ。
オーランドは心の痛みを耐えるように、眼を閉じた。
今更ながら、失ったものの大きさに気づかされた。
その時、書斎をノックする音が聞こえて、
「行く前に、もう一度、書類を確認しておきたいと思って」
と、サディアスが入って来た。
椅子に座ったオーランドの後方に回り、オーランドの手にする試算表を覗き込む。
「事業計画書は?」
「何か、問題が?」
「まさか。俺が念入りに作り込んだ自信作だぜ。アピールポイントの最終チェックだよ」
オーランドは、引き出しを開けて、大きめの糸綴じの封筒を取りだした。
と、引き出しの片隅に入っていたリングケースが、オーランドとサディアスの眼に入った。
それは、オーランドがコーディリアに贈るはずだったエンゲージリングの入った、小さな箱だった。
ほんの一瞬、オーランドの動きが止まる。
想いを振り切るように、そのまま引き出しを閉じかけたオーランドの腕を、ぐっと押さえたのは、サディアスだった。
「本当にいいのか、このままで」
オーランドは、答えなかった。
「もう、帰って来ないかもしれないんだぞ」
サディアスは、掴んだ腕を離さなかった。
コーディリアを、束縛したくなかった。
彼女のためだと、思いたかった。
けれども、コーディリアが本当にいなくなって、どれだけその存在が大きかったかを、今、オーランドは思い知らされていた。
次の瞬間、オーランドはリングケースをポケットに押し込み、駆けだしていた。
数分後、門扉から一目散に駆けていく馬があった。
騎乗していたのは、もちろん、オーランドだった。
嗚咽するコーディリアの背を撫でて宥めつつ、ヴィクターとのことで、深く傷ついたのに、また、こんなことになってしまってと、キャロラインは、胸を痛めていた。
そして、母親としての不甲斐なさを恥じていた。
どうしたらいいのか・・・。
馬車は、ちょうどモーリンヒルを上りきり、下りに差し掛かろうとしていた。
コーディリアのためを思うのなら、このままウォルトンへ向かうのではなく、一度、フォーシーズンズ・ハウスへ引き返した方がいいのではないか、キャロラインに、そんな思いが過ぎった時だった。
人の声が、耳に入ったような気がした。
「何か聞こえて?」
「はい、奥様、確かに」
付き添いの侍女の耳にも入ったようで、不安そうに、頷いた。
キャロラインが、立ち上がって、後方の小さな窓を覗くと、一頭の馬が、こちらへ向かって、全力疾走して来る。
馬上には、オーランドがいた。
「止めてちょうだい」
キャロラインは、慌てて前方の窓を叩き、御者に知らせた。
「コーディリア!」
馬車が止まると同時に、横づけした馬から飛び降りたオーランドが、車室のドアを開ける。
と、すぐさま、コーディリアが飛び出して、オーランドに抱き着いた。
コーディリアは、涙の溢れるままオーランドの胸に顔をうずめ、オーランドは、もう二度と手放すまいと、コーディリアを抱きしめる腕に力を込めた。
「・・・言い伝えの通りね」
「何?」
コーディリアの言葉の意味が解せずに、オーランドが問い返す。
「モーリンヒルの言い伝え。リユニオン。もう、あなたと再会できたもの」
ああ、と、後方に見える岩を見やったオーランドは、本当だ、と、コーディリアと瞳を重ねて、笑みを浮かべた。
そして、
「グラハム夫人、実は・・・」
馬車から顔を覗かせるキャロラインへ向き直ったが、
「お話は、フォーシーズンズ・ハウスで伺った方が良さそうね」
と、キャロラインはそれを遮った。
キャロラインの声には、オーランドを咎める様で、それでいて、どこかほっとしたような響きがあった。
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