東雲色のロマンス

海子

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12.レティシアの決心

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 「おはよう、レティシア、・・・どうしたの?随分、眼が赤いようだけど」 
九月を十日程すぎた早朝、キッチンへ降りてエプロンを付け、朝の支度を始めようとしたケイティは、先にキッチンで、朝食の準備をしていたレティシアの眼を見て、驚いた。 
「ケイティ、あの、話があって・・・」 
「悪い話?」 
そう尋ねたケイティに、レティシアは微笑みながら首を振った。
「教会を、紹介してほしい」 
「教会?」 
「そう、私、これから、フォルティスの信仰を学ぶ。私、一カ月前、リックに結婚を申し込まれた・・・」
「まあ、そうだったの?驚いたわ。どうして、泣くの?おめでたい話じゃないの」 
と、ケイティは笑いながら、瞳から涙の溢れるレティシアを、抱きしめた。 
「聖ラファエラ女子修道院のことや、いろんなこと考えると・・・、胸がいっぱい」 
「それは、そうでしょうね・・・。信仰の事は、もちろんだけれど、それ以外のことも、結婚するまでに、ゆっくり慣れていけばいいんじゃないかしら?私にできることは、何でもするつもりよ」 
「ありがとう、ケイティ」 
「それに・・・」
と、ケイティは改まった口調になって、 
「リックと結婚すれば、あなたも、マクファーレンの一員になるの。フランクとリックは、兄弟のような絆があるから、私は、あなたと姉妹になるのよ。だから、姉としての立場から、差しでがましいことを、言うことになるかもしれない。きっと、少し、耳の痛いことも。でも、姉の言うことだと思って、聞いてもらえるかしら」
レティシアは笑顔で、はい、もちろん、と頷いた。
「それじゃあ、まず、そうね、これから、あなたに渡すのは、お給金ではなく、お小遣い。もう、あなたは、使用人じゃないの。子だくさんの姉を助ける妹。わかった?」 
レティシアは、笑いながら頷いた。 
「それと、もう少し、洋服の数を増やしましょう。レティシア、始末なことは、悪いことじゃない。でも、結婚したら、世間の人は、あなたのことを、リック・スペンサーの妻として、見るようになるでしょう。派手に着飾る必要はないし、高価なものを身に着ける必要はないけれど、それ相応の身だしなみを、整えておく必要があるわ。アクセサリーや、小物類も、必要ね。世界初の蒸気機関車の開発に携わった、技術者の妻女となれば、夫婦そろって、レセプションに出席することも、あるかもしれない。その時に、見劣りしたり、引け目を感じたりしないようにするの。大切なことよ」 
ケイティの助言を、レティシアは、熱心に聞いた。 
改めて、結婚するということの意味を、教えられているような気分になった。
そして、レティシアのことを、きちんと考えてくれるケイティを、有り難い存在だと思った。
その助言は、差し出がましいどころか、身寄りのない外国人である自分が、これからフォルティスという国で暮らしていくとき、率直で、的確で、そして愛情のこもった助言は、心強かった。
いくらリックを頼りにしているとは言っても、男では、行き届かない部分があるのは、否めなかった。
その点、同性の年長者の手助けは、頼もしかった。
「あなたは、幼いころに教育があったのかしら、立ち居振る舞いや、マナーは、身についているようだけれど、フォルティスの言葉は、日常の会話には困らなくなったとしても、もう少し、洗練していく必要があるわね。マクファーレンのお義母様にも相談してみるけれど、きちんとした言葉を教えてくれる家庭教師を、探しましょう」 
「ケイティ、私、そんなにしてもらうと・・・」 
「マクファーレンの家に嫁ぐには、全て必要なことよ。一度に、たくさん言ったから、少し、混乱させてしまったかしら?でも、あなたなら大丈夫。私だけじゃなく、みんなの手を借りて、少しずつ、楽しくやっていきましょう」 
はい、と頷くレティシアの表情は、明るかった。 
不安がないと言えば、嘘になった。 
けれども、リックや、ケイティやフランクさんや、そのご両親の応援があるのだから、何より、愛する人と結ばれるためなのだから、頑張れる、と、気持ちは前向きだった。 
「それと・・・」
と、ケイティは真顔になって、しばらく、レティシアの顔を見つめていたものの、 
「少し、言いにくい話だけれど、はっきり言わせてもらうわね。耳が痛い話だと思うわ。だけど、あなたのためだと思うから言うの。私の気持ちが、伝わると嬉しいのだけれど」 
と、切り出した。 
ケイティの眼差しが随分と真剣だったので、レティシアも真顔になった。
「この件は、また私からリックにも、直接話してみるわね・・・」 
と、ケイティは、話を始めた。 



 線路の敷設工事から、リックが、ブリストンへ戻って来たのは、レティシアがケイティに結婚の報告をした日の三日後で、九月の半ばの、その週末、リックは、レティシアを夕食に誘うつもりだった。
リックにしてみれば、レティシアと夕食を楽しむのは、料理と雰囲気さえよければ、ブリストンにある、どこのレストランでも良かったのだが、ふたりが付き合って、初めてのデートを、よそのレストランで楽しんだということが、アダムに知れたなら、リックは、二度とアダムに口をきいてもらえなくなる恐れがあった。
もしかしたら、もう二度と、その素晴らしい料理を、口にすることができなくなるかもしれなかった。 
さりとて、四カ月ほど前、リックが原因で、バッカスの酒場クレセントで、大乱闘を引き起こしたことを思うと、同じバッカスにある、アダムが腕を振るう食堂ダファディルで、レティシアと食事をするのは、どう考えてもまずかった。
もう一度、あんな騒ぎを起こせば、今度こそ、間違いなく、俺はジェフリーに抹殺される、リックはそう思った。 
それで、リックとしては、一応筋を通すつもりで、アダムに、断りを入れた。
近々、レティシアを食事に誘うつもりだが、乱闘事件のことを考えると、ダファディルには行けないから、残念だが、よそのレストランへ行くことにする、と。
が、アダムは、納得しなかった。 
承服しなかった。
ただ、リックの事情も、よくわかった。
四カ月前の、クレセントでの乱闘の際、アダムは、ダファディルの厨房にいた。
殴り合いだ、クレセントで殴り合いだ と、誰かの叫ぶ声で、クレセントに駆け付けると、既に手の付けられる状況ではなかった。 
その修羅場の中に、リックと、デニスの姿を見つけて、おおよその乱闘原因がわかったが、今更、自分が加勢したところで、どうなるものでもあるまいと、諦めた。 
アダムは、その騒ぎが、ダファディルにまで飛び火してはたまったものではないと、すぐに、ダファディルを締め切り、乱闘者たちの侵入を防いだのだった。 
だから、リックの心配はもっともなものだと思ったし、正直、ダファディルであんな騒ぎを起こされるのは、まっぴらだった。
故に、アダムは提案した。 
次の週末に、アダムの自宅で、ふたりに料理を振る舞うことを。 
遠慮することはない、恋するふたりに、最高の料理を振る舞ってやる。 
アダムは、鼻息荒く、そう言った。 
・・・少々、迷惑ではあった。
リックとしては、アダムに一言断りを入れて、レティシアと、よそで食事を楽しむつもりだったから、予想外の展開に、少々戸惑った。
が、まあ、それでもいいか、と思い直した。 
レティシアも、その方が喜ぶかもしれないし、何しろ、目の前で意気込んでいるアダムの提案を、断れるはずはなかった。



 そういう訳で、その夜、フランクの家を訪れたリックは、約一カ月ぶりに会う恋人に、熱い抱擁と口づけと、再会の涙で迎えられ、一カ月間、互いの身に起きた尽きぬ話で、時間を過ごし、アダムの自宅でのディナーに、レティシアを誘った。
「まあ、本当に!私、嬉しい。アダムのお料理、嬉しい。ありがとう、リック」 
レティシアが、輝くような笑顔で喜ぶ姿を見て、リックは、ディナーを前にして、既に満足でいっぱいだった。 

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