グウェンドリン・イグレシアスのお気に入り

衣更月

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 これ幸い。
 風の精霊にお願いして、ルイスをベッドに移してもらい観察を開始する。
 ノートにスケッチするのは首から下。
 ふむふむ。
 こんがりと日焼けしているのは鎖骨から上で、その下は意外と白い。てっきり地黒かと思ったが、この肌の白さも母親譲りなのだろうか?
 いや、よくよく考えると、髭もじゃワイアットの地肌だって知らないな。
 奴は下半身以外は頻繁に着脱している。冬でも関係なく、筋肉もりもりを見せつける暑苦しい男なので、万年日焼け男の可能性も捨てきれない。
 半裸で雪中訓練しているのを見た時は恐怖を覚えたものだ。
 正直、あのこんがり焼けた筋骨隆々の体躯と爛々と輝く琥珀色の双眸。さらに、白い歯をむき出しにした笑顔を不意打ちに目撃すると、未だにびくっと心臓が震えることがある。
 精悍な美中年ワイアットは、ビッグフットと化した時に死んだのだ。
 不思議なことに、凛々しいワイアットから髭もじゃワイアットに変貌を遂げた時、毟り尽くしたかった胸毛を許せるようになった。
 奇妙奇天烈な生き物と成り果て、胸毛が馴染んだのだ。
 今では髭と胸毛が渾然一体としている。
 そんな髭もじゃワイアットとルイス。
 本当に親子なのかと疑問に思うほど、寝入ったルイスと髭もじゃワイアットは似ていない。
「栗毛は同じだが、顔立ちは母親の血が濃いのかもな。髭もなければ胸毛もない」
 それともルイスも忽然とビッグフット化するのだろうか?
「ん~…でも」
 似ていないようでいて、こうして観察すると、髭もじゃワイアットと比べれば劣るものの筋肉が凄い。
 着痩せするタイプか?
 それにしても筋肉!筋肉…筋肉…筋肉!
 悲しいかな、ハイエルフとエルフは筋肉とは無縁だ。魔法に特化しているので誰も鍛えないし、鍛えることに意味を見いだせない。
 鍛えても筋肉がつかない可能性すらある。
 結果、筋肉を鍛えるいう発想がないし、筋肉を鍛えるとどうなるのかも知らない。
 なので、腹の筋肉がこんな形をしていると知るハイエルフはいない。
 全ハイエルフに告ぐ!
 鍛えた腹は6つに割れるのだよ!
 腹の中にコブがあるみたいだな!
 胸の隆起は髭もじゃワイアットと比ぶべくもないが、そこそこある。髭もじゃワイアットは、これを自在に動かすのだから凄い生き物だ。
 ああ、腕もカチカチだ。
 自分の二の腕を摘み、ルイスの腕の硬さと触り比べてみると分かりやすい。
 次いで、指腹で腹のコブを押してみる。
「おぉ」
 硬い!
 自分の腹を撫で、ルイスの腹を撫でる。
 想像よりもゴツゴツしているぞ!
 感動の硬さだ。
 ここに男のハイエルフがいれば、良い比較対象だったのだが…。
 思えば、上半身といえどもハイエルフの男の裸は見たことがなかったな。
 初めて見た上半身裸の男は人間だ。もっと正確に言えば辺境伯家お抱えの兵士たちだ。彼らは訓練がてら、すぐに服を脱ぎ捨て筋肉自慢をする。
 両手を腹の前で組んで、「ぬおぉー!」と叫んでは筋肉を隆起させて歓声を浴びるのだ。時として、辺境伯家や使用人の子供たちを両腕にぶら下げ叫んでいることもある。
 その様子を初めて見た時、同族との違いに衝撃カルチャーショックを受けた。
 ハイエルフと人間は、次元の違う別の生き物なのだと。
 実際は、兵団限定の局地的発生筋肉だった。
 町を歩く領民は普通の体形だったし、いきなり服を脱ぎ捨てて筋肉自慢する人間もいなかった。それどころか、酒に酔って服を脱いだ人間が、憲兵に引きずられて行ったのを見たことがある。腹にスイカを隠し持っているのかと思うほど腹の大きな男だった。
 あのタイプも、ハイエルフにもエルフにも存在しない。
 色んな意味で私に衝撃を与えてくれたのが辺境伯領の人間たちだ。
 一方、ハイエルフはといえば、だぼっとしたキトンを纏うが、服の上からも筋肉皆無のほっそりした体形が分かる。キトンを好まないイグレシアス家の男どもも、ほっそりした体形だし、小枝のような腕は重い荷を担ぐことはない。革装丁の本を2冊持てれば十分だ。
 荷を担ぐ時は、風の精霊に手伝ってもらうのが常なのだから、ハイエルフたちに筋肉自慢をしたところで誰もが首を傾げる結果となる。
 だというのに、人間の兵士の体躯よ!
 髭もじゃワイアットの腕など、私のウエストほどもあるのだ。
 奴は本格的に人間を辞めようとしているんじゃないかと睨んでいる。いや、ビッグフットと化した時に辞めてしまったのかもしれない。
「ああやって馬鹿みたいに鍛えると筋肉がつくのか。だが、こいつは……筋肉が付きづらいのか?個体差があるのか」
 ふむふむ。
 胸の筋肉を揉んだところでノートに”個体差”と書き記すと、「がぁーーー!!」と絶叫でルイスが飛び起きた。
 かと思うと、ブランケットを体に巻く早業よ!
 まるで毛を逆立てた子猫のように、真っ赤な顔でフーフー唸っている。
「エエエエエエエエエエエルフが…なぜ大森林から出てるのですかっ!あ、あああと!俺の体を触るな!つまむな!もむな!」
 うるさい。
「私はエエエエエエエエエエエルフではない」
「…エルフと言ったのです」
「エルフでもない」
 私は言って、ちょんと耳の先をつまむ。
「エルフの耳は、もう少し、こう下がっているのだよ。エルフを見たことは?」
 訊けば、ルイスはふるふると頭を振る。
 そういえば、エルフもハイエルフ並みに大森林から出ないな。
 両者の違いを簡単に言えば、排他的で変化を嫌うのがハイエルフで、人間を嫌って引きこもっているのがエルフになる。
 ハイエルフはエルフよりも大森林の奥地に住んでいるので、人間に接したことのある者はイグレシアス一族くらいだろう。よって、ハイエルフは”人間”という種族がいるという知識しかない。関心があるとかないとか以前の話だ。
 片やエルフは、時折、外に出て行く者がいる。
 暇を持て余し、好奇心に抗えずに予備知識もなく人間社会に突撃する。すると、初めての悪意にさらされたエルフは、人間の愚かさを知って人間嫌いを加速させる。そんな出戻りエルフが”人間は野蛮”だとヘイトスピーチをまき散らすので、極端な思想のエルフは人間嫌いとなる。
 だが、善良な人間と出会えたエルフは、当たり前ながら暇と無縁の人間社会で生きていくので里には帰らない。
 ということで、エルフの里で善良な人間の噂が流れることはないのだ。
 ハイエルフよりは外に出るとはいえ、エルフが珍しいことに変わりはない。
 見たことがないのなら、私とエルフの違いが分からなくとも仕方ない。
 ぱっと見は同じででも、エルフの肌は人間に近い。色白ではあるが、森に棲んでいるからであって、陽の下で汗水たらして暮らせば、あるていどは日焼けする。
 だが、ハイエルフは陽に肌をさらしても焼けない。真珠粉をはたいたような煌めきは、ハイエルフの特徴なのだ。これも加護の影響だろう、と大叔父が言っていた。あと、人間の前に姿をさらせば精霊王と間違えてひれ伏してくるから面白いぞ、とも。
 ルイスはどうだろうか。
 好奇心が擽られる。
「私とエルフを並べると違いは分かるのだが……私はハイエルフだ」
「ハハハハハハハハハハ…ッ!!」
「笑っているのか?」
「驚いているんだっ!!」
 ルイスは叫ぶと、はっとしたように両手で口を覆った。
 すごいな。
 ころころと表情が変わる。
 ハイエルフはエルフに輪をかけて表情筋が死んでいるので、秒単位で表情を変えられると目が離せなくなる。
 確か、こういう時に使う言葉があったはずだ。
「あ。思い出した。情緒不安定だ」
 人間は情緒不安定になりやすい、とペンを走らせる。
「あぁ……なんて冗談だ…。崇高なるハイエルフが…変人だなんて…っ」
「叡智の結晶。全精霊を従えし精霊の王だったか。ハイエルフを精霊王と混同されても困るのだがな。私たちを神格化するのは自由だが、私を信仰対象にしてくれるなよ?いや。前言撤回。信仰対象にしてもらっても構わない。供物は身体強化だ。私を楽しませてくれ」
 両手をワキワキさせてにじり寄った私に、ルイスは甲高い悲鳴をあげた。それからブランケットを私に投げつけ、半裸のままに部屋を飛び出して行った速さよ。
 遠くで髭もじゃワイアットの怒声が聞こえたが、私のせいではないはずだ。

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