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VS山男

第十四話 遭難

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「あーもう! やってらんないわよ!」

 アンが樹の枝をくぐりぬけながら怨嗟えんさの声をぶち撒けた。

「まさかこんなことになるとはなぁ……」

 おれはヘトヘト歩きながら言った。

 おれたちはいま鬱蒼うっそうしげ山中さんちゅうをさまよっていた。

 ことの顛末てんまつはこうだ。

 街を出発したおれたちは、いくつもの駅馬車を乗り継ぎ王都を目指した。
 もちろんずっと乗ってるわけじゃない。
 途中の街や村で寝泊まりし、また駅馬車に乗っては次の中継の街を目指すという繰り返しだ。
 ちなみに駅馬車ってのは現代でいうバスに近いもんだと思えばいい。

 たのしい旅だったぜ。なんせ気になる女の子といろんな街を渡り歩くんだ。
 馬車ではずっと隣だし、感動やよろこびもふたりで共有する。
 おれはずっとこのまま旅してえと思ったよ。

 それなのに、

「よお、ニイちゃんたち王都に行きてえのかい?」

 ある日、とある山際やまぎわの町で昼メシを食っていたところ、知らねえおっさんが話しかけてきた。

「いやな、別に盗み聞きするつもりじゃなかったんだ。ただ、なんとなく聞くともなしに聞いてりゃ、王都に行きてえって聞こえてよ」

 たしかにおれたちは、ちょうどそんな話をしていた。
 ここから王都にまで三ヶ月近くかかる。
 だけどこの先の山をまっすぐ抜ければひと月くらいは短縮できる——と。

「あの山は幅広だからなあ。馬車はどうしたって迂回うかいしなきゃならねえ。でも突っ切れば一週間ほどで抜けられる」

 おっさんはひとりでペラペラしゃべっていた。
 おれは無言だったよ。
 なにせこいつ、かなりの大男なんだ。
 肉体は見るからに強靭きょうじんだし、背中にはでっけえ剣を背負っている。
 ヘタに刺激すればどうなるかと内心ビクビクしていた。

 だけど女は強いねぇ。

「なによ、別にあたしらがどこに行こうと関係ないでしょ。死ねば?」

 アンのさらりとした発言で、おれのラス一のキンタマが縮み上がった。
 なに言ってんだこいつって思ったよ。うっちゃるにも言い方ってもんがあらあ。

 でもおっさんはにこやかだった。

「まあまあ、そう邪険にしねえでくれよ。おれに任せてくれりゃ時間も旅費も大いに浮くぜ」

「え、旅費が浮く!?」

 アンが目の色を変えて立ち上がった。
 おっさんは手応えを感じたようで、

「おうよ。おれァハンターでよ、ついでに山を渡りてえってヤツを案内する仕事もしてんのよ。そこのツーリストと契約してんだけどよ」

 おっさんは、通常山を迂回するとこれだけの馬車と宿、その他の経費をひっくるめてこんなに金がかかるが、突っ切っちまえばたったのこれだけ! と、いちども噛まずにスラスラしゃべった。
 どうやら手慣れてるらしい。
 たぶんまったくおなじ長ゼリフをなんども繰り返してるんだろう。

 そしてこいつの言うことが真実なら、びっくりするような金額が浮く。
 がめついアンがよろこばないはずがない。

「コトナリ! このステキなおじさまにお願いしましょう!」

 おいおい、さっき死ねとか言ってたじゃねえか。マジで現金なやろうだな。

 でもまあ、たしかに悪い話じゃねえ。
 大金かかえてるとはいえ無限にあるわけじゃねえ。
 できることなら節約したい。
 ただおれとしちゃ、アンといろんなところ回って、いっしょに景色見たり、地方の名物食ったりしてえんだけどな……

 けどアンはそんなの知ったこっちゃねえ。こいつの一番の興味は金だ。

「なに悩んでんのよ! もう決まったから! はい決まりー!」

 アンはおれの返事も聞かず、おっさんとともにツーリストへズカズカ向かっちまった。
 そんで料金を払って、おっさんに護衛と案内を任せることになった。

 てなわけで山越えに入ったんだが……

「なーにがハンターよ! あんなドジ、よくいままで生きてこれたわね!」

「まあ……実際死んじまったしなぁ」

 そう、死んじまった。
 出発してから四日目の朝、おっさんは足を滑らせ谷に落ち、そのまま帰らぬ人となってしまった。

 谷はかなり深かった。
 谷底にはでかい岩がごろごろしており、悲鳴とともに小さくなったおっさんは、いやに耳に残る音を残して動かなくなった。

 それから半日、おれたちは道もわからずさまよっていた。

「せめてまだ初日ならなあ」

 予定だと一週間で山越えだ。
 いまいる場所はまさにど真ん中。
 戻ろうにも道はわからねえし、こうなりゃがむしゃらに進むしかない。

 しかし、心細い。

「あたしいやよ。こんなところで死ぬなんて」

「お、おれだって……」

 おれはアンの言葉になにか返そうとしたが、不安と疲れでろくに返事が出なかった。
 死という単語がひどくリアルに感じていた。

 一応食料はある。
 おのおの背中にリュックを背負い、緊急時のために最低限の水と保存食を携帯している。

 もっとも、毎日の食事はおっさんのリュックの中だ。
 残りの分は谷底で、非常食は切り詰めても二日分しかない。
 飢え死にが物語の中のお話じゃなくなってきている。

 だがそれより怖いのが野獣だ。
 山には当然野生動物が棲息せいそくしている。
 一応護身用でマスケット銃らしきものは持っているが、アドレナリンを放出した獣は簡単には止まらないと聞くし、この世界にはモンスターと呼ばれる凶暴な生き物もいる。

 いまのところ出会わずに済んでいるが、もし会っちまったら……

 と思ったそのとき!

「ガオオオーーッ!」

 で、出やがった! でっけえ犬だか猫だかわかんねえ四本足の腕二本で手先がハサミになってるヤツーー!

「わあああーーッ!」

「きゃあああああーーーーッ!」ぐいっ!

「おおおっ!?」

 あ、アンのヤツおれを盾に! わあああ! わあああああーー!

「ガアーーーーッ!」

 モンスターが両腕を持ち上げ接近した! 逃げようにもアンがおれを押さえて逃げられねえ!

 や、やられる!

 そこに!

 ——ズドン!

「ギイーーーー!」

 えっ?

 突如轟音ごうおんが鳴り、目の前のバケモノがぶっ倒れた。
 おりょ? 頭の側面から血が出てる。
 これは……

「やあ、危なかったな」

 おれたちは声の方に振り返った。
 するとそこにはマスケット片手にひとりの男が立っていた。
 銃口からは硝煙しょうえんが立ち昇っている。

「あ、ありがとう! 助かったぜ!」

 おれはすぐにこいつが撃ったと理解した。アンもペコペコ頭を下げている。

「なあに、これも仕事さ」

 男はなんでもないとでも言いたげにニコリと笑った。
 あまり若くはないが、中年というほどでもない。
 体は細くも太くもなく、服や靴は土で汚れているが、ヒゲをり、さっぱりと清潔感がある。
 平たく言ってナイスガイだ。

 男はマスケットを地に立て、装填作業をしながら言った。

「遭難かい?」

「ああ、案内人のハンターが谷に落ちて死んじまって……」

「なるほど、大変だったな」

 男はアカト・ガラシィと名乗った。
 彼はこの山でハンターをしており、獲物を探していたところ、偶然ここに出会でくわしたという。

「とりあえずおれの山小屋にいこう。こいつも運ばなきゃならないしな」

 そう言ってアカトは獲物を担ぎ、運び出した。
 力持ちが三人集まってやっと運べそうな大物だ。
 それを軽々と引きずっていく。

「すごいわー! 重たいでしょうに!」

 アンが女特有のキラキラした声で言った。すると、

「べ、別に大したことないさ! こ、コツをつかめば難しくない!」

 アカトはずいぶん照れくさそうに言った。
 ほんのり声がうわずっている。なんか女に慣れてねえって感じだ。
 様子からしておそらく童貞だろう。

 やがておれたちは山小屋に到着した。
 丸太や木材を組み合わせた小さな平家ひらやで、中は大きめのリビングと、隣接するキッチンの二間のみ。男ひとり暮らすには十分な広さだ。

「まあ、くつろいでてくれ」

 アカトはおれたちに薬草から煮出したお茶を用意し、小屋を出た。
 外には解体場があり、彼は先ほど手に入れたモンスターの処理をしなければと、獲物を台に吊るし、なたとナイフを持って解体をはじめた。

 見事な手腕しゅわんだったぜ。
 皮をはぎ、内臓を切り出し、みるみる精肉されていく様は見ていて気持ちよかった。
 ちっとばかしグロテスクだが、熟練のわざはある種サーカス・ショウのように魅力的で、おれたちをとりこにした。

「すげえな。見惚れちまうよ」

「ははは、どこの牧場でもやってることさ。おれなんかまだまだだよ。本物のプロはナイフ一本ですべてやりきる」

 かあ~、謙遜けんそんだねぇ。おれたち素人からすりゃすっげえ腕だよ。
 アンも興奮してらあ。

「すっごーい! どんどんお肉が精肉されてくー! かっこいいー!」

「べ、べべべ別に! ふ、ふつうのことだけどなあ! あははは!」

 アカトはやはりアンにめられるとドギマギした。
 こりゃ童貞で間違いない。それも重度の。
 並の童貞じゃここまで焦らない。

 だが、それも仕方のないことだった。

「もう十年になるかな」

 解体が終わったあと、おれたちはアカトの燻製くんせい作りを眺めながら談笑していた。

「元はふもとの街で料理人やってたんだけどさ。いろいろあってハンターに転向して、こうしてひとりで暮らしてるんだ」

「それじゃ十年も人と関わってないの?」

 とアンが訊くと、

「いや、たまに下山していろいろ調達してるよ。文明の利器なしじゃ人間が山で暮らすことなんてできないし、果物や小麦もほしいからな。それに忌避きひ剤は必須だ」

 この小屋周辺は獣を寄せ付けない忌避剤が撒いてある。
 おかげで夜も安心して眠れるという。

「それにしても、君みたいな美女と話すのは久しぶりだ。いつも顔を合わせるのはハンター組合の強面こわもてばかりだからね」

「やだぁ~、そんな美人だなんてホントのこと言っちゃって~!」

「あはっ、あはは!」

 さわやかなアカトの顔が真っ赤に染まった。
 思えばアンの顔を見ていない。
 たまにチラリと目を向けるが、すぐにさっとらしてしまう。
 なるほど、十年ものの童貞か。
 女ってだけでまぶしくてしょうがねえんだろう。
 こうはなりたくねえもんだ。

「さて、君たち遭難したんだったな」

 仕事を終えたアカトは手を洗い、リビングでくつろぎ、言った。

「おれが送ってってやるよ。なに、金なんか取らない。蓄えなら十分すぎるほどある。今日はもう遅いから、今夜はゆっくりしていきな。ベッドがないから雑魚寝ざこねになるけどさ」

 おれたちはお言葉に甘えることにした。というかそれしかねえ。

「もうすぐ日が暮れる。早めに夕食を取って、すぐに寝てしまおう」

 アカトは庭先に石を積んでコンロを作り、火を起こした。
 慣れた手つきで準備を進め、

「ふだんは中のキッチンで作るんだが、たまに客が来るとこうして外でやるんだ。鉄板焼きもいいし、鍋を作ってもいい。万が一の武装は必要だがな」

 そう言って腰にぶら下げたククリを軽く撫で、背中のマスケットをがしゃりと鳴らした。
 山男らしいハニカミだ。

「わぁー、ステキー!」

「い、いや、あははは!」

 アンはいちいちめたてた。
 なんか嫉妬しっとしちまうなぁ。
 アカトのやろう、どうやら三十代前半らしいが、ハンターのワイルドな面とスマートな清潔感が相まって、男のおれでもかっこよく感じる。
 しかも料理もできるんだもんなぁ。おれもできるけどさ……

「あ、そうだコトナリ! あんたが料理しなさいよ!」

 アンが唐突に言った。

「あたしたち助けてもらってばっかりで悪いじゃない! あんた超一流の料理人なんだから、それくらいのお返しして当然でしょ!」

 あー、言われてみりゃそうだなぁ。
 でもおれ、別に料理人じゃねえんだよなぁ。

「……コトナリ、君はプロの料理人なのか?」

 アカトが怪訝そうに言った。
 まだ十代半ばの少年が超一流などと信じられないのだろう。
 実際違えし。

「いや、その……」

 おれはなんて答えればいいかわからなかった。
 だって否定できねえ。
 アンの前で二度もプロを撃破している。
 でも、はいそうですって答えるのもなぁ……

 と思っていると、

「そうなのよ~! コトナリは超高級レストランのオーナーシェフを料理バトルで倒すほどのプロなのよ! こいつに任せればきっと最高のディナーになるわ!」

 やめてくれアン! そんな持ち上げられてもテキトーに焼くか煮るくらいしかできねえ!

「そうか……まだ若いのに、そんな実力が……」

 いや、違えんだ! おれはうんこでノックアウトしただけで……

「……なら料理勝負を仕掛けてもいいな!」

 ……は? いまなんて?

「コトナリ! おれと勝負してくれ!」

「なんで!?」

「おれは……おれは、アンにれた! アンを賭けておれと勝負だ!」

 はあ~~~~!?
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