Satanic express 666

七針ざくろ

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第十話 ~従者であること~ ③

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―山の廃病院・入院室前の廊下(夜)―

       月光だけがまばらに闇を照らす静まりかえった廊下をジャルが走り
       抜けていた。
       やがて、フランクから聞き出した部屋の入り口に着いた彼女は足を
       止めて息を呑んだ。
ジャル 「…… ゴメン… 約束守れないかも……」
       月明かりの逆光に浮かび上がる椅子に座った二つの影。
       ジャルはその一つが纏っていた冷たく澄んだ空気に戦慄し、無意識
       の内に小さく両手を挙げて降参の意を彼女に示していた。
       呼吸を整えながら体勢を崩さずジャルはゆっくりゆっくりと部屋の
       中へ入っていった。



―山の廃病院・入院室(夜)―

       投降した兵士のようにジャルが恐る恐る部屋の中へと歩いてきた。
       彼女の足音にアナは目を開けた。
ジャル 「アンタ… デルタさんだろ? 何でこんな所に…」
       ジャルの呼びかけにデルタは聖書から顔を上げた。
デルタ 「貴女は… ジャルですか、お久しぶりです」
ジャル 「アンタに売られて以来か…」
       二人のやり取りを聞いていたアナは自分の耳を疑った。
デルタ 「そうですね。孤児院に居た時と変わらず、お元気そうで何よりです」
ジャル 「アンタも元気すぎてお嬢様の誘拐か?」
       両手は挙げたままだったが、ジャルがデルタに向けていた目が鋭く
       なった。その静かな殺気に呼応するようにデルタも椅子からスッと
       立ち上がった。
デルタ 「いいえ、教会と孤児院の運営費の為に副業でクリーナーをしているだけ
     です。今回は人質の護衛として雇われました」
ジャル 「副業ねぇ… アタシを売った金は」
デルタ 「残念ながらもうありません。貴女もあの場所の物価がどれ程かはご存じ
     でしょう」
       ジャルはチラリとアナを見た。
ジャル 「お嬢様、ごめんなさい… 約束破ります!」
       ジャルとデルタは同時に銃を構えた。
デルタ 「ジャル、考えてご覧なさい。貴女は他の誰かに従属するために生まれ、
     生きてきたのですか?」
       デルタはジャルに諭すように語りながら一歩だけ横に動いた。
ジャル 「それでいい… いいや、それがいいんだ! アタシはお嬢様が、その人
     が居ないとアタシになれないんだ!」
       デルタは大きくため息をつき、銃を下ろした。
デルタ 「それは残念です」
       突然自ら隙を見せたデルタを不審に感じたジャルはあることに気が
       付いた。
       二人が話している間にデルタはジャルとアナの直線上に立っていた
       のだ。つまり、彼女を撃てばアナにも弾が当たる事を悟ったジャル
       の指は動かなくなった。
       そして、何より彼女が犯した最大のミスはその事で一瞬だけデルタ
       から気を逸らしたことだった。
       その事に気が付いたのか、彼女の野生の勘なのかは分からないが、
       ジャルは横に大きく飛び退いた。
       その瞬間、彼女の頬に赤い筋が入り、その後では黒い髪が宙に飛び
       散った。
       転がりながら着地したジャルは、デルタの姿を確認することもせず
       起き上がりざまに走り出した。戦いの火蓋が切られた今、一瞬でも
       止まれば確実に仕留められることを彼女はよく理解していた。
       細かくステップを刻み、敵に的を絞らせないようした上で、更に敵
       をアナから引き離そうと大きく位置を変え続けるジャル。一方で、
       そんな彼女から常に銃口を逸らすことなくデルタも数歩ずつ動いて
       変わり続ける安全地帯を確保していた。
       互いの的確な牽制のみで繰り広げられる激しくも静かな攻防は徐々
       に守備側のジャルに大きな負担を与えていった。
ジャル (ヤベェ… ジリ貧だ。脚が持つ内に真横を取りに行かなきゃ)
       ジャルはステップを切り返し、アナの横に置かれたままのデルタが
       座っていたパイプ椅子に向い大きく回り込むように走り出した。
       彼女の動きの変化を察知したデルタは自分の横にあったパイプ椅子
       をジャルの進行方向に蹴り飛ばした。
       全速力で走っていたジャルは飛んできたパイプ椅子の手前で大きく
       かがみ込んで急停止をした。デルタはその瞬間を見逃さなかった。
       しかし、ジャルは自分の進行方向さえ分かればデルタが足を止めに
       来ることは読んでいた。だからこそ、あえて大きく踏み込むように
       止まったのだった。
       彼女は長い助走で生み出した力を一気に両脚に伝え、小さく縮めた
       体を大きく伸ばしバネのように飛び上がった。
       デルタの放った弾丸が床に当たったとき、ジャルは大きく側転しな
       がら空中で銃を彼女に向けていた。
       ついにジャルはデルタの真横を取ったが発砲はしなかった、彼女が
       撃てたのは飛んだ直後だけで、体勢が整った時は既にデルタは彼女
       に向かって身を低くし飛び込んできていたのだった。
ジャル 「ぐっ…」
       ジャルは着地と同時に膝を立てた右脚に激痛を感じ顔を歪ませた。
       その痛みがする箇所、ジャルの右の太腿をデルタが左手で押さえて
       いた。その掌の下からは大量の血が流れ出していた。
       激しい痛みを堪えながらジャルは銃を持った手を僅かに動かした。
       しかし、デルタはすぐに彼女の額に銃口を突きつけた。
ジャル 「初めてアンタに勝てたよ」
       ジャルはデルタに笑顔を見せると、中途半端に横に向けた銃の引き
       金を引いた。
       彼女が放った弾丸はアナを縛り付けていたロープを撃ち抜いた。
       ロープが切れてアナの体が椅子から転がり落ちた。
ジャル 「早く逃げて!」
       一瞬の出来事に放心状態だったアナはジャルの叫び声にハッと我に
       返り逃げだそうとしたが、彼女はその場に留まっていた。
ア ナ 「できない… ジャルを置いていけない!」
ジャル 「アタシなんか気にしないで!」
       二人のやり取りにデルタは優しげな微笑みを浮かべてジャルの腿に
       添えていた腕を引き上げた。
       すると、彼女の腕に続いて袖口から飛び出した刃渡り20センチ程
       の剣のような刃が真っ赤に染まってジャルの腿から出てきた。
デルタ 「私としたことが、防衛対象を見落としていた… 負けました」
       穏やかな表情を見せるデルタは安心した様子のアナに目を向けた。
デルタ 「しかし、私も手ぶらで帰るわけにはいきません。ですので、私と貴女で
     ビジネスの話をいたしましょう」
       彼女は真顔でアナの顔を見ながらジャルに突きつけた銃を更に強く
       押しつけた。
デルタ 「貴女は彼女の命をお幾らで買いますか」
ア ナ 「えっ…」
       この瞬間アナとジャルの立場は逆転した。パニックに陥ったアナは
       デルタに何かを言おうとしても言葉らしい言葉は出なかった。
ジャル 「1カーネでいい、とにかく金を掴まs… がふっ!」
       ジャルがアナに声を掛けている最中、デルタは彼女の喉を正面から
       蹴りそのまま踏みつけた。
ア ナ 「やめて! やめてよ! お金なんかいくらでも出すから!」
デルタ 「いくらでも… 厳密な数字を聞かせてもらえますか」
ア ナ 「…… ジャルの命… そんなの決められないよ」
       喉を踏み潰され呻き声を上げるジャルはデルタに銃を向けた。
       乾いた銃声が響き、デルタに向けられた銃はジャルの手からスルリ
       と抜け落ちていった。
       デルタはもう一本の腕を殺すためにジャルの左肩も撃ち抜いた。
       喉を潰された状態のジャルは言葉にならない声を上げ苦しんだ。
ア ナ 「(涙声)やめて! 貴方の欲しいだけ出すから!」
デルタ 「私が決めていいのですか?」
       目に涙を浮かべたアナはデルタの問いに大きく何度もうなずいた。
       しかし、ジャルは呻きながら大きく首を横に振っていた。
デルタ 「でしたら…」
       デルタは苦しみ悶えるジャルの顔を見下ろした。
デルタ 「また、お別れですね」
       彼女はジャルの腹部に連続で3発の弾丸を撃ち込んだ。
ア ナ 「嫌ぁぁあぁぁっ!」
       目の前でジャルが撃たれ、アナは頭を抱えながら悲鳴を上げた。
ア ナ 「何で! どうしてよ!」
       取り乱したアナの叫び声に袖をまくって前腕一面に巻かれた手甲に
       隠し剣を引き戻していたデルタは返り血の付いた顔を彼女に向けて
       首をかしげた。
デルタ 「私が決めていいと言ったではないですか」
ア ナ 「違う! そんなの認めてない!」
デルタ 「文句を言うのでしたら、何故ご自分で決めなかったのですか。この交渉
     の主導権を放棄したのは貴女ご自身ですよ」
       デルタはアナに銃を向けた。
デルタ 「では、もう一度聞きます。ご自分の命はお幾らで買いますか?」
       アナはしばらく黙っていた。
ア ナ 「お前なんかに1カーネもやるか! 私も… 私も殺しなさいよ!」
デルタ 「本当に、それでいいのですか」
       アナはデルタを睨みながら静かにうなずいた。
       デルタの指先に力が入るとアナは目を閉じた。
先 生 「おい、俺の散歩コースで何穏やかじゃねぇ事してんだ。あ?」
       デルタの後ろには彼女の後頭部に銃を突きつけた先生が居た。
デルタ 「これは脅しのつもりですか?」
先 生 「お前こそどうなんだ? そんな小さな銃で大盤振る舞いをしてたみたい
     だが、弾残ってんのか?」
       実際に彼女の銃に弾は残っていなかった。デルタは空いている左腕
       に神経を集中させた。
先 生 「お前の腕が1メートルちょい動くのと、俺の指が数センチ動くのどっち
     が速いか試すか?」
       隠し剣も見抜かれていたデルタは諦めたようにスッとアナに向けた
       銃を下ろした。
デルタ 「お見通しのようですね… 貴男は一体何者なのですか」
先 生 「俺か? 俺は神だ」
       彼の答えにデルタはフフッと笑った。
デルタ 「何故、貴男は私をお嫌いになるのですか?」
先 生 「嫌った覚えは無いが… そんな態度取られちゃ、好きにはなれねぇな」
       先生が答えるとデルタはクルッと素早く身を反して、振り向きざま
       に彼の銃をはたき落として奪い取った。
デルタ 「それで結構です。私もあなたが嫌いですから」
       彼女は奪った銃を先生に返し、部屋の入り口へ静かに歩き出した。
ア ナ 「何やってるの! 早くアイツを殺して!」
       先生は詰め寄ってきたアナの頬に張り手を放った。
先 生 「よく見ろ! 死ななきゃいけないヤツを殺すより、死んだら困るヤツを
     生かす方が優先だろ!」
       先生は持っていたドクターズバッグを倒れているジャルの横に放り
       投げた。
先 生 「まだ息はある。応急処置をするから手伝え!」
       先生に言われてアナはジャルに目を向けた。
ア ナ 「は… はい……」
先 生 「心配すんな。ココは病院、つまり俺の聖域だ」



―山の廃病院・外(夜)―

       夜の闇の中から貨物コンテナを抱え込んだ巨大なトンボが廃病院の
       上空に飛んできた。
       トンボは位置を確認するとコンテナを投下した。すると、コンテナ
       から大きなパラシュートが開いて病院の前へと着地した。
       コンテナの扉が開くと中から鮮やかなセルリアンブルーの軍服に身
       を包んだイーグルを先頭に、武装したセルリアンアーミーの一団が
       飛び出してきた。
イーグル「総員、接敵機動!」
       兵士達は素早く陣形を整えてアサルトライフルを構えながら静かに
       ゆっくりと廃病院へと近づいていった。
兵士A 「隊長、人が居ます」
イーグル「あれは… アナ様!」
       病院の入り口にはアナと先生、そしてストレッチャーに横たわった
       ジャルが居た。
イーグル「あの男か… 構え!」
       イーグルが声を掛けると兵士達は皆一斉に足を止めて先生に狙いを
       定めた。
       アナは先生の前に出て両手を大きく横に広げた。
ア ナ 「違うの! 私は無事だよ!」
先 生 「それよりも、お前らのとこのメイドが重傷だ」
       二人の言葉にイーグルは手を下げて兵士達に銃を下ろさせた。
       アナはジャルの乗ったストレッチャーをゆっくりと押して兵士達が
       開けた道を真っ直ぐ進んだ。
       彼女たちの後ろを歩いていた先生はイーグルとすれ違いざまに足を
       止めた。
イーグル「どうやら恩人のようでしたな。申し訳ない…」
先 生 「まだなりきれちゃいねぇよ。すぐに出れるか? 少しでも早く彼女を俺
     の病院まで運んで欲しい」



―廃病院付近の森(深夜)―

       木立が月の光を遮って生み出した暗闇の中を廃病院から一人で逃げ
       出していたヴァンが彷徨っていた。
ヴァン 「クソッ… 道が分かんねぇ……」
       闇雲に歩き回っていた彼は木の根に躓いて転んだ。
ヴァン 「痛てっ、チクショウ!」
       苛立ったヴァンは躓いた木の根を蹴った。だが、疲弊しきっていた
       彼の怒りは長くは続かず、彼はスーツのポケットからタバコを取り
       出し火を付けた。
ヴァン 「…… こっから出たら、まともに就職しよう。どんなに大金が入っても
     あんな化け物ども相手の生活なんて無理だ…」
       正気を保とうとタバコを吸いながら今後の事を考えていた彼の頭上
       から先端が大きな輪になった一本の細いワイヤーが音も無く徐々に
       垂れ下がってきた。
ヴァン 「あいつら… 無事かな? ま、元々他人だs… グエッ!」
       ワイヤーが何も気付かないでいたヴァンの喉に食い込み、彼の首を
       締め上げた。
       すると、ワイヤーの反対側を持ったデルタが木の上から飛び降りて
       きた。彼女が着地をしたときにはヴァンの体は宙高く吊り上げられ
       ていた。
デルタ 「申し訳ありません。今回のご依頼を果たせなかったので報酬は頂かない
     旨を伝えにまいりました」
       デルタはヴァンに謝罪すると、ワイヤーを緩めて少しずつ彼の体を
       下ろしていった。
デルタ 「ですが…」
       ヴァンの足の先が地面に着く寸前で彼を下ろすのを止め、ワイヤー
       を近くの太い木の幹に巻き付けて金具で留めた。
デルタ 「思い返すと、今回の件では貴男方に何度か妨害、またはそれに近い行為
     を受けています。それらが今回のご依頼の遂行を妨げた要因だと考えて
     います。ですので、違約金を…」
       彼女の言葉など何一つ耳に入っていないヴァンは顔を真っ赤にして
       じたばたもがいていた。
デルタ 「と、言いましてもお金が無いことは私も承知しています。その代わりに
     今の貴男から頂ける物を頂いていきます」
       デルタは呆れたように手を横に広げ手首を外に返すと、両方の袖口
       から隠し剣が高い音を立て飛び出した。
       暗闇の中で冷たく煌めく刃を目にしたヴァンは更に大きく体をバタ
       つかせた。
デルタ 「動かないでください。何度も切ることになります」
       優しく掛けられた言葉にヴァンは最期を悟り、デルタへの無意味な
       抵抗を止めた。
       彼の動きが止まると、デルタは彼の肩、正確にはそこの間の関節を
       狙って素早く腕を振り下ろした。
       暗い森の中に悲鳴ともえずきともとれないくぐもった男の声が消え
       ていった。

       デルタは赤く濡れた刃を振り払い血を落とすと、手甲の中へ隠し剣
       を引き戻した。
デルタ 「痛みますか? 苦しいですか? もし、そのようでしたら…」
       彼女は木に吊り下がったものに声を掛けた。
デルタ 「神に祈りなさい。そして… 現実を知りなさい」
       彼女は地面に転がっている切断された四肢を拾い上げ脇に抱え込む
       と森の奥へと姿を消していった。



―ハッピーイエロークリニック・診察室(朝)―

       先生はデスクに向かいカルテをボーッと眺めていた。
       そのすぐ横で彼の憂鬱など知ったことではないとフランが患者用の
       椅子に座りながら一人でグルグル回り続け、ケラケラと楽しそうに
       笑っていた。
先 生 「お前、その椅子やるから部屋に戻ってろ」
       彼の苛立った声にフランは椅子の回転をピタッと止めた。
フラン 「あ~、イライラしちゃってさ。どーしたの?」
       彼女は椅子から立ち上がると先生の前にそれを運んだ。
フラン 「センセーもグルグルしなよ、スゲー楽しいよ」
       先生は床を蹴って自分が座ってる椅子をクルンと一回転させた。
先 生 「コレでもできんだよ」
       フランは腕を組んで神妙な顔を見せた。
フラン 「グルグルができないほどの嫌な事かぁ…」
       彼女はパッと目を見開き、胸を張った。
フラン 「ワタシで良いなら相談乗るよ!」
       自信満々の彼女に先生は露骨に嫌そうな顔を見せた。しかし、何か
       に気が付いたように机の上のカルテを手に取った。
先 生 「そうだな… 三度の飯より人殺しが好きなお前の意見を聞いてみるか」
フラン 「アハハ。人殺しは得意だけど、三度の飯よりは好きじゃないよ」
       先生は眩しい笑顔を見せる彼女にカルテを渡した。
先 生 「文字は意味が分からんだろうからシカトしていい。その人体の絵にバツ
     が付いてるところが撃たれた箇所、右腿の太線は大型の刃物による刺し
     傷だ。その患者が死ぬ可能性は?」
       フランはカルテをじっくりと見た。
フラン 「この傷だけじゃほぼゼロ、失血死以外じゃ死なないね。弾は5発全部が
     急所から外れてるし、刺し傷も大きな動脈は無さそうな場所だから痛み
     と筋肉のダメージで動けなくなるだけだろうね」
       フランは先生にカルテを返した。
フラン 「でも、こんなのセンセーなら簡単でしょ?」
       先生はカルテを受け取ると机に放り投げて、椅子から立ち上がって
       フランの頭を撫でた。
先 生 「ああ、そうだ… あのアマ、わざと殺さなかったんだよ。彼女が死んだ
     時は救えなかった神のせいにするつもりなんだろう」
       撫でられて機嫌が良くなったフランは先生に抱きついた。
先 生 「…… お前、神は嫌いじゃないか?」
フラン 「分かんない。ワタシが嫌いなのはケーサツとホーリツ」
先 生 「そうか、俺もその二つは嫌いだ」



―ハッピーイエロークリニック・入院室(朝)―

       ジャルが深く眠っているベッドの横で目の下にクマができたアナが
       彼女の顔を覗き込んでいた。
イーグル「アナ様、少しお休みになられては…」
ア ナ 「いいの、貴方だって寝ていないでしょ」
       彼女の背後に立つイーグルはチラリと腕時計を見た。
イーグル「しかし… 本日はサタニックエクスプレス社との経営会議があります
     故、どうか少しでもお休みになってください」
       アナは静かに首を横に振った。
ア ナ 「ごめんなさい、今日の会議は私無しでお願い。今はジャルから離れたく
     ないの」
イーグル「お気持ちは察しますが…」
       イーグルが二人から少し目を背けると、慌てた様子のバニラが部屋
       に飛び込んできた。
バニラ 「失礼します! 今、サタニックエクスプレスの方々と話が付きまして、
     こちらに来てくれるそうです!」
ア ナ 「本当!」
       思わず立ち上がったアナに息を切らせたバニラは笑顔を見せた。
バニラ 「ハイ! 先方のお二人ともジャルさんのお見舞いに来たいそうでして、
     具体的な調整をAJさんとシナモンが行っています」
       彼女の話を聞き、アナは椅子に座り直すとジャルの手を取った。
ア ナ 「ジャル、お客さんが来るよ! 早く目を覚まして! お願い、早く…
     目を覚ましてよ…」
       強く握りしめられたアナの手にバニラが手を添えた。
バニラ 「ジャルさんの分は私が頑張りますから、どうかもう少しだけこのまま
     休ませてあげてください」
ア ナ 「…… そうだね」
       アナは泣きそうになるのを堪えて笑顔で穏やかなジャルの寝顔を
       覗き込んだ。



                              〈第十話 終〉
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