ボタニカルショップ ウィルオウィスプ

景崎 周

文字の大きさ
7 / 34

7話:先輩

しおりを挟む



 案の定、翌日も拓斗はお店にやってきた。
 学校終わりらしく、ランドセルを背負ったままで。
 駆け寄った虎徹をすぐさまリードに繋ぎ、意気揚々と散歩へと出掛けて行った。

「なあ千秋。ロホホラいつ退院?」

 散歩から帰ってきた拓斗の第一声がこれだ。

「うーん、そうだなぁ」

 千秋さんはポイントカードにスタンプを押す。
 この時私は、午前中に撮った植物の写真をホームページにアップしている最中だった。

和音かずねちゃんの誕生日の次の日、にしようか」
「マジ? 嘘じゃねぇよな?」
「嘘じゃないよ。約束する。だけど」
「わかってるわかってる! じゃな! オレ、用事があるから帰る!」
「がんばれー」

 千秋さんのエールに見送られ、拓斗は店を飛び出して消えた。

「……元気ですねぇ」
「微笑ましいよ」

 笑い合って、再びお店に静かな空気が戻る。
 今日は生花の水揚げを習い、写真を撮り溜め、ジャングルにあるガラスケースをピカピカに磨いた。
 ウィルオウィスプでは元々切り花の販売をしていなかったが、近隣住民の希望で少量置いているのだそうだ。
 だから普通のお花屋さんのような量はないし、仕入れも毎日ではない。
 どちらかと言えば鉢植えなどの取り扱いが多く、枯れた葉や花を取り除く作業の方が骨が折れた。
 ガラスケースだってすぐに水垢で汚れてしまうので、掃除は欠かせない。
 それらを終えて黒ずんだ手でキーボードを叩いていると、瞬く間に陽が傾いていった。

 植物店の仕事って、想像よりずっとハードだ。
 お客さんは相変わらず少ないが、人間相手じゃない仕事はわんさかある。
 現在進行形でアップしている植物の写真も、添える文章が呪文すぎて戸惑っていた。
 店の植物の名前は、アルファベットとカタカナ、漢字が混在している。
 完全にアルファベット表記の物もあれば、ごちゃまぜの物もある。
 素人には難解極まりない単語の羅列に、頭のなかがこんがらがっていた。
 よく出てくる名前は一応メモしたが、これらを正確に入力し、そのあとに種小名や和名まで詳細に記さなければならない。
 なんでもマニアにとってはここが重要であるらしく、間違えると大顰蹙を買うそうだ。
 ちなみに同じ名前の物でも、最後に“sp.”とかついていたりするので気が抜けない。
 これはspecies 、しゅの略で、ざっくり説明すれば判明しているのは属名までで、種小名の同定はできていませんよ、という意味なのだそうだ。
 有難いことに写真をアップし続けていると、それぞれの特徴が何となく掴めてくる。
 育て方に関しては相変わらずさっぱりだが、漠然となら見分けられそうだ。
 sp.その他諸々の種小名以下は勘弁してほしいけれど。

「わふん」
「待ってよー。あとちょっとだから」

 レジカウンター内で作業する私には、毛むくじゃらの湯たんぽが寄り添っていた。
 千秋さんはジャングルで植物のレイアウトにお悩み中だ。

「明日までに反応あるかなぁ、虎鉄」

 頭を撫でると、虎鉄はふんっと鼻を鳴らす。

「もし買い手が見つかったら、先払いしてもらって梱包して発送だって。虎鉄は知ってるよねー」
「わふ」

 虎鉄の返事と同時に、最後の一件をアップし終わった。

「終わりっ! あとは待つのみだ」

 ホームページに画像を追加した旨をSNSで呟いておしまい。
 ひと月の間更新されていなかった呟きには、私の挨拶も一緒に投稿しておいた。
 これからよろしくお願いします、くらいの短いものを。

「千秋さんまだ悩んでるのかな」

 もう三十分は籠っているのではなかろうか。
 心配になった私は、様子を見に行くため、レジカウンターを出た。

「千秋さ――うお」

 すると、引き留めるかのように電話が鳴る。
 業者さんからかな、と私は受話器を取った。

「お世話になっております。こちらボタニカルショップ、ウィルオウィスプです」
「こんばんはー、ってあれ? もしかして新人さん?」

 受話器の向こうから聞こえてきたのは、快活な若い女性の声。

「はい。笹森と申します」
「へー、千秋君から聞いてたけど、女の子ってのは嘘じゃなかったんだ。ホームページと呟き、見たよ。私が残したマニュアルは役に立ったみたいだね」

 お客さんかと思ったが、マニュアルをご存知となると、この人は……。

「ひょっとして以前勤めていらっしゃった方ですか?」
「うん。せーかい。榧野純かやのじゅん、アラサーでーすっ。以後よろしくね」
「わぁ! こちらこそよろしくお願いします! マニュアルとってもわかりやすくて助かりました」

 親しみやすいフランクな口調から、頼もしいお姉さん像が私の中に形作られる。

「でしょ? 滅茶苦茶わかりやすかったでしょ? 小学生でもわかる内容だったでしょ? でも千秋君には伝わらないんだよなぁ。パソコン音痴恐るべしだよねぇ」
「ずっと起動してなかったみたいで、一か月分の更新プログラムのインストールから始めましたよ」

 榧野さんは間髪置かずに大笑いした。

「もー、ごめんねぇ、ほんっとごめん。もう少し働くつもりだったんだけど、急に夫君の転勤が決まっちゃってさぁ。でも、しっかりした子に決まってお姉さんも一安心だ」
「そんな。私、ただパソコンが操作できるからってだけで採用が決まったんです。植物の知識はほぼゼロで、一から教えていただいている最中で。榧野さんはお詳しいんですよね?」
「気にしない気にしない。最初はみーんな素人だし、千秋君や私なんかはただの変態だもん」
「すみれちゃん、もしかして純さんから?」

 談笑していると、ジャングルからひょっこり千秋さんが顔を出す。

「はい。榧野さんすみません、千秋さんが戻られたので変わりますね」
「お、ならスピーカーフォンにしてもらえる? みんなに聞こえるやつ」
「わかりました」

 私は電話機を操作して、設定を切り替えた。

「あーあー、千秋君聞こえてる?」
「聞こえてるよ。僕にもすみれちゃんにも、虎鉄にも」
「虎鉄元気かぁ―? 今度また匂い嗅がせろよー」

 声に反応して「うわん」と虎鉄が鳴く。
 どうやら榧野さんを覚えているらしい。

「純さん、そっちはどう? もう慣れた?」
「ぼちぼちね。まだ道に迷いまくりだし、未開拓のお店もたくさんあるし。だけどまぁ、程よく都会で快適だよ」
「新幹線も通ってるしね」
「うんうん。超便利だよ新幹線。東京まですぐだもん。ビューン! って着くもん」

 鬼住村の属する県には新幹線が通過すらしない。
 もし乗ろうと思えば特急列車で二時間かけて山越えしなければならないのだ。
 私もここへ来るときに経験したが、あまりに揺れるので酔って死ぬかと思った。

「千秋君こそ、ちゃんと食べてる? 食の乱れは心の乱れだよ」
「野菜も卵もお肉もほぼいただきもので済んでます。この前なんかシカ肉もらったよ」

 この辺りではシカやイノシシは害獣として駆除され、食肉に加工されている。
 いわゆるジビエと呼ばれるものだ。

「いーなー。私も食べたいなぁ。宅配便で送ってよー、店長ぉー」
「今度貰ったらね」
「やった。もちろん私も特産品送り返すんで!」
「美味しい物なら大歓迎だよ。じゃんじゃん送って」
「ふふふ、期待しときなぁー」

 弾んだ声に虎徹がわふわふと返事をする。
 虎徹も特産品、欲しいのかな。

「笹森ちゃーん。千秋君の手綱をがっちり握っといてよー? この人意外と世間知らずだし、大事なところが抜けてるから。壊れたテレビをぶっ叩いて再起不能にする系男子だから。猫に酒飲まそうとする非常識な酒豪だから」
「ちょっと純さん?」
「後輩としてしっかりやらせていただきます」

 多分その猫、うちのあけび様です榧野さん。

「あーもー、すみれちゃんも乗っからないでって」

 榧野さんはまた大笑いする。

「いいねー、笹森ちゃん最高! じゃ、バイバーイ」

 ここで電話は切れた。

「……明るい方でしたね。頼れる姐御って感じの」
「まさにそんな人だよ。底抜けに明るい人。僕も元気そうで安心した」
「元はこの辺りに住んでらっしゃったんですよね、榧野さんって」
「隣の市から車で通ってくれてたんだ。植物全般に詳しくて、お客さんからも好かれててさ。フラワーアレンジメントも彼女から教わったんだ」

 私に同じ役目が務まるだろうか。

「でも、体調を崩しやすい人で心配してたんだよ。ほら、見知らぬ土地で旦那さんと二人きりだから」
「あんなにお元気なのに、意外です……」
「明るさの反動が体と心に、ね」

 千秋さんの表情に一瞬翳る。
 しかしすぐに晴れ、またニコッと口角を上げた。

「さ、仕事に戻ろうか。明日は拓斗の花束用にお花が届くから手伝ってもらうよ」
「お姉ちゃん、きっと喜びますね」
「うん。目一杯お誕生日らしい華やかなものを作らなきゃ」

 そう言って、千秋さんはロホホラに温かな眼差しを向けた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...