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33話:春を待つ
しおりを挟む焦げた砂糖の甘い香りが台所に充満する。
もうちょっと。
完成は近い。
あとほんの少しだけとろみが強くなったら、頃合いだ。
「こんなにもらっちゃったら春までさつまいもには困らないね」
「毎年、お漬物のお返しだけんってごしなるだで」
「へぇ。だからなんだ」
段ボールひと箱ぶんのさつまいも。
私が目覚めた日の夕方に、お隣さんがくれた寒い季節のごちそうだった。
二人で台所に立ち、おばあちゃんはさつまいもを揚げて、私は蜜を作る。
あけび様は椅子の上で丸くなって出来上がりを待っている。
そんな昼下がり。
振舞うのはもちろん、ようやく会える千秋さんだ。
「おいもさんはお味噌汁に入れても、煮ても、揚げても美味しいけんねぇ」
三毛猫が首を掻く音が聞こえた。
それを合図にとろとろの蜜に揚げたさつまいもを絡める。
光り輝く衣をまとったら、黒胡麻を振りかけて皿に盛りつける。
二人でだからだろうか。
一人暮らし時代には面倒で作らなかった大学芋が、すんなりとテーブルに並ぶ。
目覚めてから四日。
凝り固まっていた体もほぐれ、腕の傷跡にも慣れてきた。
他に変化があるとしたら、あけび様が普通にしゃべる猫となり、四六時中おばあちゃんとお話ししている、くらいだろうか。
毎日現れる軟派な料理泥棒については言及しないおこう。
今朝だってピザトーストが食べたいとおばあちゃんに懇願していらっしゃった。
結果としてチーズたっぷりの絶品ピザトーストが三人分の朝食となったのである。
とても美味しかった。
お店で食べているんじゃないかと錯覚するくらいに。
レパートリー豊富なおばあちゃんに死角はない。
きっとボルシチとかビーフストロガノフとかだって作れるのだろう。
「千秋ちゃん、始めは野菜炒めも作れんくてなぁ。おばあちゃんがお料理を教えてあげただで。飲み込みが早いけん、すぐに覚えんさって。大したもんだわぁ」
「常子は料理の腕も教え方も玄人じゃからの。儂だって卵焼きなら負けぬ」
振り向くと、丸くなっていた三毛猫が得意げに顔を上げていた。
「あけびちゃんの卵焼きは甘くてふわっとしとって一等美味しいがぁ。おばあちゃん大好きだで、また作ってごしないよ」
「ふふん。常子の分はたっぷり砂糖を入れて作ってやるからの。ぬか漬け娘の分は塩を大さじ二杯じゃ」
「高血圧になっちゃうので謹んでお断りしますぅー」
「申し分のない気付け薬じゃろう?」
「卵焼きが気付け薬って……」
やめてください。
残念だが私は正気だし、そんな卵焼きはじゃりじゃりで食べられそうにない。
ゲテモノじゃなく、甘くてふわふわなのが欲しいですあけび様。
うん。もしいつかあけび様が私に卵焼きを作ってくれたとしても、まずは疑ってかからねば。
さもないとひどい目に遭いそうだ。
「すみれちゃん、後片付けはおばあちゃんがしとくけん、エプロン外してきないよ。あと五分だで」
「えっ。本当だ……」
壁掛け時計を見れば、千秋さんたちが訪れる時刻が迫っていた。
私はおばあちゃんに断わって、部屋へと戻る。
エプロンを外して、結んでいた髪をほどき、ちょっとだけ鏡をチェックする。
別に浮かれてはいない。
どんな風に話すべきか、未だ導き出せてすらいない。
けれど、憎しみや嫌悪は不思議と湧いてこなかった。
「よーし。ちゃんと笑うんだぞ、すみれ」
ぱん、と頬を叩いて一階へと降りる。
まもなくして、玄関チャイムが軽快に鳴り響いた。
玄関へ出て「はーい」と返事をすると、引き戸が開く。
「うわん!」
真っ先に滑り込んだのは元気いっぱいに尻尾を振る虎鉄だった。
「どもー。連れてきましたよーっと」
次は、へらへら笑う平常運転のヤナギさん。
最後に。
「……お久しぶりです、千秋さん」
俯いたままの、千秋さん。
三角巾で吊られた右腕は、指先まで包帯が巻かれていた。
あの夜の面影は微塵もない。
紛れもなく私の知る優しい千秋さんが戸をくぐった。
「……すみれちゃ、ん」
恐る恐るといった様子で、視線が交わる。
すると、途端に端正な顔が悲痛で歪み、千秋さんはその場に崩れ落ちた。
「ごめん……ごめん、ごめんなさい、ごめん……」
何度も「ごめん」と繰り返す声も、肩も、ぶるぶると震えて止まらない。
「ごめん……僕は、僕が、こんな……」
いくつもの雫が落ち、三和土に染みを作る。
胸が締め付けられる感覚に、私は千秋さんのそばへ膝をついた。
「謝らないでください。このとおり、ぴんぴんしてますよ」
「ごめん。こんな……」
ようやくこちらへ向けられた瞳は、憔悴しきった昏いものだった。
「僕が無能だから、月隠を抑えきれなくて、すみれちゃんにひどいことを」
嗚咽の度に涙が零れ落ちていく。
「わかってるんだ。この感情が、植えつけられた紛いものだって。僕の全部が人を模した偽ものだって。でも、だけど、確かに僕はすみれちゃんを大切に思っていて、護らなきゃいけなかった、のに……!」
また「ごめん」が幾度となく私に注がれる。
肩をさすっても謝罪は止まない。
「嫌だよね。怖いよね。こんな化け物と一緒にいるなんて、無理、だよね」
あの瞬間、千秋さんは私を護ろうと必死に戦ってくれていた。
それを知れただけで充分だ。
「――ウスネオイデスの花は春に咲くんですよね」
「……え?」
大きく見開かれた目が私を捉える。
「私、花を見てみたいんです。控えめで、可憐な花を」
ずっと待ち遠しく思っていた。
春に見られる鮮やかな色彩を。
「ウスネオイデスだけじゃないです。お店の多肉植物だって春になったらたくさん花を咲かせるって、千秋さん言ってましたよね」
このまま、店を去ってくれとは言わせない。
言われたくない。
言ってほしくない。
「知りたいことも聞きたいことも、まだまだたくさんあるんです。何より、私は千秋さんともっと一緒にいたいです」
笑え、笑うんだすみれ。
「私がいないと、パソコン使えませんよ? あんなに通販に頼った経営なのに、いなくなったら困りません?」
「でも……!」
「私は」
大袈裟に息を吸って、笑って見せる。
「ずっと敷かれたレールの上を走ってきました。走り続けていれば幸せになれると信じていました。でも、親しく思っていた人に呪われて、レールを外れて、路頭に迷って」
このまま落ちぶれて、自堕落な大人になってしまうと思っていた。
「勉強ばかりで趣味もない。夢中になれるもの見つからない。だけど、千秋さんと出会ってウィルオウィスプで働き始めて、生まれて初めて興味を持てるものを見つけられたんです」
美しい植物たちは私を虜にした。
お世話をするのが純粋に楽しかった。
素敵な出会いもあった。
多くの奇跡が、レールから外れても生きていけるのだと私に希望をくれた。
「私は駆け出しで、知識も経験も千秋さんたちの足元にも及びません。学ばなければならないことだって、山ほどあります」
四日間。
じっくり考えて導き出した答えは、誰に反対されようと変える気はなかった。
私は、この足で歩いていくのだから。
「きっと一人ではつまずいたり、間違ったり、騙されたりするかもしれません。そんな時に、千秋さんに隣にいてほしいんです。隣で私を見張っていてほしいんです」
千秋さんは、じっと私を見つめ続ける。
涙は枯れていた。
「大体今回だって私が勝手に家宅侵入したあげくの結果ですよ? 二階には上がらないでって言いつけを破った私が悪いんです」
「すみれちゃん……」
「私、役に立てているか怪しいですけど、ずっとウィルオウィスプで働きたいです。だって、千秋さんが大好きですから」
泣かせるつもりはなかったのに。
ぐしゃり、と整った顔が歪み再び決壊する。
「……僕も、好きだよ」
紛いものの感情が応えた好きは、私の好きとは違うもの。
一生交わらないかもしれないすれ違い。
それでも私は満足だった。
例え“千秋”という人格にヤナギさんが恋愛という概念を与えていなくとも。
尊敬する人に気に入ってもらえるなんて人生で二度とないだろうから。
笹森すみれに高望みは似合わない。
堅実に地道に。
一歩一歩踏みしめて歩んでいくのだ。
いつまでも憧れの人の隣で笑えるように。
「そうだ。私とおばあちゃんで大学芋をたくさん作ったんですよ。みんなで食べませんか? 虎鉄、はダメだけどヤナギさんも」
「常子さん監修なら、食べようかなぁ」
「なんですかそれ。私が料理下手だって言いたいんですか?」
「いやぁ?」
三日月型に唇を釣り上げるヤナギさん。
こんな時でさえ面倒臭い人だ。
「千秋さんも、こんなところで話すのもなんですし、上がってください」
「……うん」
目元を拭った大きな手のひらを私が引いて、居間へと導く。
おやつの時間は、絶対に楽しいひと時になってくれるだろう。
だって、こんなに胸が満たされているのだから。
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