3 / 20
白い駅
しおりを挟む
白い駅があった。
そこは俗世から隔離された巨大な空間だ。
「静か」という状態を「言葉らしきものが聞こえない」という状態だと言えるのであればここは異様なまでに静かな空間であり、そうとは言えないのであれば非常に騒がしい空間である。
なぜならば、突然踊り出す者がいて、
いきなり喚き散らす者がいて、
不意に泣き出す者がいて、
突如笑い出す者がいる。
というように、濁りなき感情に満ちた空間だからである。
この駅に電車が来たことは一度もない。
線路上には、胸の上で手を組んで眠る者たちが規則正しく並んでいる。
彼らの目は虚空を見つめていた。
※
僕は物心ついた時からこの駅にいた。
そして、その時から心に不安を飼っていた。
理由はない。漠然とした不安がただそこにあった。
その曖昧さがさらに不安を肥えさせた。
不安を受け止める器は、恐ろしく小さい。
涙より先行する嗚咽を自信が漏らしていることに気がついた時、僕は真っ白な空間を呆然と見つめた。
僕の中には、まっさらな悲しみが存在していた。誰にも手をつけられず、僕の中の感情をやりくりして出来た僕だけの悲しみ。それは、誰にも侵されないのではない。理解されないのだ。どこまでも続く苦しみだった。
この駅にはそういう者しか存在しない。けれどそれぞれが持つ感情は違う。お互いに干渉できない冷たい空間だ。
僕はいつも真っ白な柱の陰でうずくまって泣いている。目は腫れ、開かなくなる。まるで自分がひどく小さな胎児であるかのような錯覚が起きる。泣いていないのはほんの少しの時間だけ。泣いていない間は、この駅をひたすら徘徊する。
この駅に出口はない。
この駅に電車は来ない。
つまりは完全な隔離空間である事がわかった。
プラットホームが無限に続き、階段がなければ駅のその向こうの世界も存在していない。ただただ真っ白な空間があてもなく続いている。
線路には、白い布を顔に乗せた者たちが、規則正しい間隔で横たわっている。
この駅が隔離空間であると気づいた時、僕はわかってしまった。
そうか、彼らは死ぬのをひたすらに待っているのか。
つまりは絶望が彼らを支配しているのだ。彼らは自らを縛る一辺倒の感情を抱いたまま、この空間で生きる事を拒んでいる。
絶望は彼らに一種の繋がりを持たせている。僕にはそれが見えた。
細い糸が、彼らを繋いでいる。
僕は、無性にそれを切ってやりたくなった。
僕もあの中に入りたいのに、あんまり彼らが規則正しく並ぶから、輪を乱す事なんて出来やしない。
いや、違う。死を選択できる彼らが、僕にはどうしようもなく輝いて見えた。羨ましかった。
僕はプラットホームから、彼らを覗き込んだ。
薄い布から、彼らの密やかな輪郭線がうっすらと透けて見える。
ぼんやりとそれを見つめていたら、僕の口から静かに嗚咽が漏れていた。
音も立てずに、僕はその場に倒れ伏した。
体を抱えてうずくまる。
ああ、僕も支配されている。
ここから出たい。ここから。感情を自由に解放出来たら、どんなにか楽になれるのだろう。
しばらくそうしていた。やがて立ち上がると、僕は再び彼らの輪郭線を見つめた。
何かが、何かが変わる気がする。
目の前と死と向き合いたい。これは一つの無であろう。一度自分をまっさらに出来たのなら、感情をまた生み出せるのではないかと思う。
いつまでも、僕は彼らに向き合っていた。
するとその時は突然訪れた。
不意に、彼らの結びつきが大きな輪のように広がり始めたのだ。
ゆらゆらと繊維を残して、それは急速に広がっていった。
輪の中には、世界があった。
巨大な高層ビル群、人口の光、闊歩する人々、そして、一人一人が持つ無数の感情。
僕は巨大な引力に引き寄せられて、世界へ飛び込んだ。
僕のまっさらな心に、感情がべちゃべちゃと塗りたくられていく。
僕はひどく薄汚れて、世界に立っていた。
空を仰ぐと、白い駅がぽっかりと浮いているのが見えた。電車が、白い龍のように駅へ向かっている。
そうか、この世界に来るには、僕は電車へ乗らなくちゃ。
僕は強く目を閉じた。
次に目を開けると、僕は白い駅の中にいた。
線路に横たわる者たちは安堵の涙を流す。
この駅での生活になんの疑念も抱かなかった者たちは、錯乱状態になり、各々の感情を惜しげもなく爆発させる。
僕は、その状況をみて笑っていた。
電車が来る。
『次は、白い駅、白い駅に止まります。黄色い線の内側まで下がってお待ちください』
電車の音がする。
徐々に近づいてくるその音を聞いて、僕は不思議と寂しくなった。
『白い駅 白い駅、あるいは、あるいは』
電車は容赦なく線路に横たわった者たちを轢き殺した。
『あるいは、白痴の駅でございます』
僕は電車に乗った。
「…白痴なんかじゃないよ」
流れ落ちた僕の涙は、ひどく濁っていて、駅の中の白い床を汚してしまった。
そこは俗世から隔離された巨大な空間だ。
「静か」という状態を「言葉らしきものが聞こえない」という状態だと言えるのであればここは異様なまでに静かな空間であり、そうとは言えないのであれば非常に騒がしい空間である。
なぜならば、突然踊り出す者がいて、
いきなり喚き散らす者がいて、
不意に泣き出す者がいて、
突如笑い出す者がいる。
というように、濁りなき感情に満ちた空間だからである。
この駅に電車が来たことは一度もない。
線路上には、胸の上で手を組んで眠る者たちが規則正しく並んでいる。
彼らの目は虚空を見つめていた。
※
僕は物心ついた時からこの駅にいた。
そして、その時から心に不安を飼っていた。
理由はない。漠然とした不安がただそこにあった。
その曖昧さがさらに不安を肥えさせた。
不安を受け止める器は、恐ろしく小さい。
涙より先行する嗚咽を自信が漏らしていることに気がついた時、僕は真っ白な空間を呆然と見つめた。
僕の中には、まっさらな悲しみが存在していた。誰にも手をつけられず、僕の中の感情をやりくりして出来た僕だけの悲しみ。それは、誰にも侵されないのではない。理解されないのだ。どこまでも続く苦しみだった。
この駅にはそういう者しか存在しない。けれどそれぞれが持つ感情は違う。お互いに干渉できない冷たい空間だ。
僕はいつも真っ白な柱の陰でうずくまって泣いている。目は腫れ、開かなくなる。まるで自分がひどく小さな胎児であるかのような錯覚が起きる。泣いていないのはほんの少しの時間だけ。泣いていない間は、この駅をひたすら徘徊する。
この駅に出口はない。
この駅に電車は来ない。
つまりは完全な隔離空間である事がわかった。
プラットホームが無限に続き、階段がなければ駅のその向こうの世界も存在していない。ただただ真っ白な空間があてもなく続いている。
線路には、白い布を顔に乗せた者たちが、規則正しい間隔で横たわっている。
この駅が隔離空間であると気づいた時、僕はわかってしまった。
そうか、彼らは死ぬのをひたすらに待っているのか。
つまりは絶望が彼らを支配しているのだ。彼らは自らを縛る一辺倒の感情を抱いたまま、この空間で生きる事を拒んでいる。
絶望は彼らに一種の繋がりを持たせている。僕にはそれが見えた。
細い糸が、彼らを繋いでいる。
僕は、無性にそれを切ってやりたくなった。
僕もあの中に入りたいのに、あんまり彼らが規則正しく並ぶから、輪を乱す事なんて出来やしない。
いや、違う。死を選択できる彼らが、僕にはどうしようもなく輝いて見えた。羨ましかった。
僕はプラットホームから、彼らを覗き込んだ。
薄い布から、彼らの密やかな輪郭線がうっすらと透けて見える。
ぼんやりとそれを見つめていたら、僕の口から静かに嗚咽が漏れていた。
音も立てずに、僕はその場に倒れ伏した。
体を抱えてうずくまる。
ああ、僕も支配されている。
ここから出たい。ここから。感情を自由に解放出来たら、どんなにか楽になれるのだろう。
しばらくそうしていた。やがて立ち上がると、僕は再び彼らの輪郭線を見つめた。
何かが、何かが変わる気がする。
目の前と死と向き合いたい。これは一つの無であろう。一度自分をまっさらに出来たのなら、感情をまた生み出せるのではないかと思う。
いつまでも、僕は彼らに向き合っていた。
するとその時は突然訪れた。
不意に、彼らの結びつきが大きな輪のように広がり始めたのだ。
ゆらゆらと繊維を残して、それは急速に広がっていった。
輪の中には、世界があった。
巨大な高層ビル群、人口の光、闊歩する人々、そして、一人一人が持つ無数の感情。
僕は巨大な引力に引き寄せられて、世界へ飛び込んだ。
僕のまっさらな心に、感情がべちゃべちゃと塗りたくられていく。
僕はひどく薄汚れて、世界に立っていた。
空を仰ぐと、白い駅がぽっかりと浮いているのが見えた。電車が、白い龍のように駅へ向かっている。
そうか、この世界に来るには、僕は電車へ乗らなくちゃ。
僕は強く目を閉じた。
次に目を開けると、僕は白い駅の中にいた。
線路に横たわる者たちは安堵の涙を流す。
この駅での生活になんの疑念も抱かなかった者たちは、錯乱状態になり、各々の感情を惜しげもなく爆発させる。
僕は、その状況をみて笑っていた。
電車が来る。
『次は、白い駅、白い駅に止まります。黄色い線の内側まで下がってお待ちください』
電車の音がする。
徐々に近づいてくるその音を聞いて、僕は不思議と寂しくなった。
『白い駅 白い駅、あるいは、あるいは』
電車は容赦なく線路に横たわった者たちを轢き殺した。
『あるいは、白痴の駅でございます』
僕は電車に乗った。
「…白痴なんかじゃないよ」
流れ落ちた僕の涙は、ひどく濁っていて、駅の中の白い床を汚してしまった。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
なお、スピンオフもございます。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる