シカメツラ兎-短編集-

加藤

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夾竹桃

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夏の始まり。学園の庭園には白と桃色の夾竹桃が咲き乱れていた。白木の長椅子に腰掛けて、私はその花をジッと見つめた。
白い可憐な花。桃色の愛らしい花。なんの害も無さそうなその姿の裏に、恐ろしい毒を隠し持っている。
私は枝に手を伸ばした。
ぽきり、と折ろうとする手を誰かが遮る。
顔を上げると、私の一つ年下の後輩、琴乃が立っていた。
「先輩。授業をサボって、何をしているのですか?」
無邪気な笑顔で首を傾げる。
「君だって、今ここにいるなら授業をサボったということだろう…ほら、あの約束のことを考えていた」
琴乃は長椅子にゆったりとした腰掛けると、私の肩に頭を乗せた。
「…やめてくれ。人に見られたらどうする」
「私は構いませんよ」
琴乃はそう言ってコロコロと笑った。
まるで砂糖衣に包まれているような甘い匂いが私の鼻孔をくすぐる。
彼女の白い肌は、今にもこの庭園の陽気に溶けて消えてしまいそうなほど儚い。その純白と艶やかに光る、長い漆黒の髪の対比は、息を呑むほど美しかった。
ほんのりと上気した肌はどことなく色気があり、私は密かに生唾を飲んだ。
「今年も綺麗に咲きましたね」
「あぁ…」
私はほの赤く染まった頰を悟られないように、琴乃と真逆の方を向いた。
「先輩、照れているの?」
頰に白い手が添えられる。淡い朱色に染まった指先。それを見て、私はひどく官能的な気分になるのを感じた。指先だけではない。琴乃には女を欲情させる気質がある。
私は彼女の方に向き直ると、ソッと顔を近づけた。
長い睫毛が頰に影を落としているのがわかる。
潤んだ瞳は、私を誘うように二、三回瞬きをした。
「…わかっていてやってるのか?」
琴乃は妖艶な笑みを浮かべて、より一層頰を赤く染める。
「なんの…ことですか…」
一語一語に吐息を含ませるその話し方。
私は琴乃の薔薇色の唇に、自身の唇を強引に重ねた。彼女の細い指が、私の頰を包み込む。私は両腕で彼女の華奢な体を力強く抱きしめた。
甘い琴乃はその純な見た目に反して、貪るように舌を絡めてくる。時々漏れる小さな喘ぎに、私は逐一愛欲をそそられた。
ひとしきりお互いの体を愛撫し合い、再びお互いの目を見つめ合った。
琴乃は焦点の合わないとろんとした目を、漠然と私に向けてくる。
私は吐息がかかるほど、琴乃の耳に口を近づけると囁いた。
「…約束の話、今がいいんじゃないか」
耳の中に私の低い声が響くいたのだろう。琴乃は体をびくりと震わせた。
その様子が愛らしくて、私は琴乃の頭を優しく撫でた。
「ええ、今日って、約束しましたから…」
琴乃は はにかむように笑うと、私の手を取った。「今ここで先輩と死ねるのなら、なんの悔いもありません」
それを聞くと、私は琴乃の可愛い額についばむような軽いキスを落とした。

私たちは今日死ぬ。女同士の交際を互いの両親が認めてくれなかった日、私たちはそう固く誓いあった。
その誓いを立てた日、学生寮の私の部屋で体を重ねていた。両親が認めてくれなかったことが私の心をささくれさせていた。そのせいで、私の抱き方はいつもより乱暴だった。
私の手の中で激しく乱れる琴乃。その姿はこの世のものとは思えないほど美しかった。
それを見ていたら、なんだか無性に涙が出てきたのを覚えている。
「先輩、泣いてるの?」
琴乃は私の涙を小さな舌ですくった。
「琴乃…琴乃…」
この美しい生き物。この学園を卒業したら、きっと離れ離れにされてしまう。嫌だ。この生き物は私のものだ。
「君を、失いたくない…」
私は琴乃にすがりついた。強く抱きしめた。そうしなければ、華奢な彼女が、泡になった人魚姫のように消えてしまいそうで怖かった。
琴乃は私の頰に優しく唇を押し付けた。
「私はどこにも行きませんよ。私は、先輩のものです」
琴乃は穏やかな眼差しを私に向けて言った。
「先輩。私と一緒に死にましょう?…あの、夾竹桃の毒で」
私の部屋の窓から、まだ花の咲いていない夾竹桃が見えた。

琴乃は優雅な動作で長椅子から立ちあがった。
夾竹桃の枝に手を添えて、ぽきりと折る。
枝の先から白い樹液が垂れる。
琴乃はそれを飲み込んだ。依然垂れ続けるその液を再び口に含むと、私の膝の上に馬乗りになった。
「口を開けてください」
私は琴乃の腰を抱き寄せて、口を開けた。
琴乃の口から私の口に、その毒が流れ込んでくる。
琴乃の唾液と共に、それを飲み込んだ。
私たちはぎゅっと目を閉じて、固く抱きしめあった。
徐々に苦しみを感じていく最中さなか、琴乃は震える声で呟いた。
「先輩、どうしてさっき枝を折ろうとしていたの?」
琴乃において行かれないためだよ、琴乃に死なせて、私が死ねないのは嫌なんだ。そう言ったけれど、あまりにも小さな声で、琴乃に届いたとは思えなかった。
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