[短編集][各話1〜2万字] - 切ない恋物語

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[ホラー]どこにでもある幽霊の物語[約15,000文字]

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「祐樹お前先行けよ!」
「やめろ真志! 押すなって!」
「お前らほんと仲いいな、結婚しちまえ。」

 俺の名前は高島祐樹(タカシマユウキ)、高校一年だ。
 夏休みが始まって間もない今夜、俺は友達の八代真志(ヤシロマサシ)と堂本健司(ドウモトケンジ)とで、街外れの廃病院に肝試しに来ている。
 目的なんてあるわけがない。
 高校で新しくできた友達と話しているうちに、テンションが上がってそういう話になっただけで、ただの興味本位ってことだ。
 こういうのが、幽霊には一番失礼になるのだろうが、今の俺たちにとってはそれすらも場の空気を掻き立てるスパイスでしかない。
 今日の俺は本当にどうかしている。
 
「でもよ、何も廃病院ってマジすぎないか? 学校裏の墓ぐらいでよかったんだぞ。」

 真志がへっぴり腰で震えながら、俺の上着を掴んでくる。
 真夏だというのに、ここは冷んやりしていて、虫の声すら聞こえないのだから、こんな不気味な雰囲気に恐怖するのも無理はない。

「学校裏の墓なんか何にも怖くねーだろ! それに前からこの廃病院はなんか気になってたんだよ。」
「気になってたって、夜来るこたねーだろ!」

 真志はやめようと言うかのように、俺の上着を更に引っ張る。
 だが、真志の言うことにも一理ある。
 気になったからといっても、何も夜に来ることはないのだ。
 むしろ、昼に来た方が明るいので、色々と確認ができるだろう。
 でも、なんとなく、昼間じゃダメな気がした。
 やっぱり、今日の俺はどうかしている。

「まあ、なんだ。腹減ったし早く終わらせちまおうぜ。どうせ幽霊なんかいねーんだからよ。」

 健司は怖くないのか、気だるそうにあくびをしながら、そんなことを言ってくる。
 正直、俺も怖くはなかった。
 もっとも健司とは逆の理由で、幽霊に会えるかもしれないという好奇心が、恐怖心を勝っていただけなのだが。
 俺は改めて目の前にそびえ立つ廃病院へと視線を送る。
 街外れに建てられていることもあり、そこそこの大きさだ。
 門から入り口までは距離があり、病院の最上階まで見渡せる。

「よし、じゃあ行くぞ。」

 懐中電灯の明かりを入り口へと向けた俺は、廃病院の中へ足を踏み入れた。





「やっと終わったぁ……」
「やっぱり幽霊なんていなかっただろ。早く帰って夜食でも食おっと。」
「そうだな。」

 俺たちは1時間ほど廃病院の中を徘徊した。
 全ての場所を巡ったわけではないが、これといって興味をそそられる事も起こらなかった。   
 恐怖の限界に達してしまった真志と、退屈の限界に達してしまった健司を見かねて、肝試しは終了となった。
 真志と健司はそれぞれの理由で、足早に廃病院から出て行こうとする。
 俺は二人とは逆に、後ろ髪を引かれているような、そんな物足りなさが胸に残っていた。
 そして、廃病院の門まで歩いて来たところで、不意に首筋に寒気が走った。
 物足りなさがあったためか、よせばいいのに俺は期待を込めて後ろを振り返った。

「あ。」

 実際にそれを見ると、そんな阿呆な声しか出なかった。
 だって、それはあんなにもはっきりと、俺の目に映っているのだから。
 それは白く美しく、儚くも存在感のある百合のように、最上階の窓に咲いていた。

「祐樹! いきなりなんだよ!」
「いや、病室の窓から女の子がこっち眺めてたからさ。」

 真志が俺に振り返った体勢のままで固まる。
 いっぽう健司は、そんな真志の姿に腹を抱えて笑っている。

「祐樹おまえ天才か! タイミングばっちりだろ! 見ろよ真志の顔!」
「いや、だってほらあそこに……あれ?」

 そんな二人の様子を見ていた俺が、再びそれに視線を向けると、もうそれは姿を消していた。

「わかった、わかった。真志の面白い顔が見れたから俺は満足だ。祐樹、帰ろうぜ。」
「おう。」
「……。」
「真志もいつまで固まってんだ。行くぞ。」

 健司は真志の襟首を掴み、ズルズルと引きずって歩き始めた。
 俺も二人の後を追って家路についた。





 一年後、高校生活二回目の夏休みが訪れた。
 去年の肝試しのことなんて、俺はすっかり忘れてしまっていた。

「祐樹。夕飯できたから降りてきな。」

 一階から母親が呼ぶ声が聞こえるが、今俺は漫画を読んでいて忙しい。

「はーい。もうちょっとしたら行くー」
「あんたのもうちょっとは長いのよ! 早く降りてきな!」

 俺はしょうがないと漫画を閉じて棚に戻そうとした。
 すると、漫画を戻そうとした棚の奥に、何かが落ちているのを見つけた。
 気になった俺は、周りの漫画を棚から降ろすと、奥にあったそれを手に取った。

「あれ。これって。」

 それは、どこにでもありそうな形をしたお守りで、それを見た瞬間に思い出した。
 去年、廃病院で肝試しをした時に拾ったお守りで、廊下を歩いている時に落ちていたのだ。
 俺たち以外にも肝試しをしていた奴らが他にもいたようで、廃病院は荒らされており、このお守りも誰かのいたずらか、もてあそばれて廊下に放置されていたのだ。
 でも、俺はこのお守りを見た時に、何か放っておいてはいけないような気がして、無意識にポケットにそのお守りを入れて家に持ち帰っていたのだ。
 今思えば随分罰当たりなことをしたと思っている。

「これは、流石にマズイよな。」

 俺は夕飯の後、こっそり家を抜け出し、廃病院の前へと一人で来ていた。
 あのお守りを元あった場所へと返すためだ。
 流石に一人では怖いかと思ったが、今回も恐怖はなかった。
 去年ここへ来た時は、好奇心で恐怖心を上書きしていたため怖くはなかったが、今回は違う。
 むしろ、安らぎすら感じている。
 廃病院の最上階の病室から、あの女の子が笑顔でこちらに手を振っているからだ。

「やっぱり、あの時の女の子は幻じゃなかったんだな。」

 俺はそんな独り言をつぶやいて、手を振り返そうとしたが、思いとどまって後ろを振り向いた。
 こんな夜にありえないことだが、後ろに別な奴がいて、そちらに手を振っているのではないかと疑ったからだ。
 今まで女の子から手を振られるなんて経験はなかったのだから、用心深くなってしまうのも無理はない。
 もちろん後ろには誰もおらず、どうやらあの女の子は俺に手を振っているようだ。
 安心して俺も手を振り返そうと、改めて女の子へ向き直ると、

「なっ!」

 その女の子が俺を指差して口に手をやり、必死に笑いを堪えているのを、この距離でもはっきりと確認できた。
 完全に舐められている。
 頭にきた俺は、一年ぶりに廃病院の中へ足を踏み入れ、最上階の例の病室へと急いで向かった。
 ここへは一度来ているので、階段の位置などはすぐにわかるし、外から見て病室の位置も大体わかった。
 例の病室の前へは五分とかからずたどり着くことができた。
 怒鳴ってやろうと、勢いよく病室へと入ったのだが、

「……」

 その光景に、俺は言葉を失ってしまった。
 そうだ、今日は満月だった。
 病室の窓から月明かりが差し込んでいる。
 その月明かりに照らされた彼女は、幻想的なまでに白く輝いていた。
 誰の目にも汚されることのない、山奥にひっそりと咲いている百合のように、彼女は去年と同じその場所に咲いていた。

「やっと、来てくれたね。」
「……」

 彼女は俺に声をかけてきたが、依然として俺の口は動かなかった。
 口どころか、金縛りになっているかのように、身体も動かない。

「あの……、私を成仏させて。」

 胸を張って言える。
 この時、俺は彼女に恋をした。





「ユウくん! 次は何見ようか?」

 彼女と出会ってから一週間が過ぎようとしていた。
 彼女は死んでからもう二十年ほど経っているという幽霊なのだ。
 見た目の年齢が俺と同じぐらいなのは、死んだ時の年齢が十六歳だったかららしい。
 だが、彼女が幽霊であることを、俺は時々忘れてしまう。
 俺の知っている幽霊の概念を、真っ向から否定しているからだ。

 まず、太陽の光なんて関係なく、昼間でも行動できる。
 行動できるとは文字通りで、自分の好きなところに動いて行けるのだから、もちろん足も生えている。
 今は廃病院を抜け出し、俺の部屋に居ついている。
 幽霊とはいえ女の子のため、もちろん布団は別にはしているのだが、寝ているのかはわからない。
 布団に入れるということで、この世の物体への物理的な接触も可能だ。
 その証拠に、彼女は俺の目の前で、次に見る映画のDVDを勝手に品定めしている。
 だが、食べ物は摂取できないらしく、食べ物の味を知りたいときは俺に憑依して、俺が食べ物を食べる感覚を共有するのだ。
 憑依するといっても、俺の肩にただ手を置くだけだ。
 美味しいと言っているので、味は伝わっているのだと思う。
 
「ユウくん、これなんてどうかな?」

 よりによって彼女が手にしているのは、ホラー映画のDVDだった。

「お前な、幽霊って自覚はあるのか?」
「ユウくん!」

 突然、彼女の顔が厳しくなり、その顔を俺の顔へと近づけた。
 鼻先がくっつくかというほどに近づいた彼女の顔にたじろいでしまう。

「私には、ユウくんがつけてくれたユリって名前がちゃんとあるんだから、ちゃんと名前で呼んでください!」

 そう、俺は彼女と出会ったあの日、あの病室で、彼女にユリという名前をつけた。
 そもそも彼女はあの日、自分を成仏させて欲しいと俺に言ってきた。
 状況をよく飲み込めてなかったが、俺は彼女の姿に見惚れてしまっていて、思わず彼女の申し出を承諾してしまったのだ。
 彼女が成仏する条件とは、彼女の本当の名前を俺が当てるということだと聞かされた。
 その時、自分でも安直だったと思っているが、彼女の姿がどうにも百合の花に見えてしまい、思わずユリと口にしたのだ。
 もちろん本当の名前ではなかったのだが、彼女はその名前をいたく気に入り、以来彼女のことをユリと呼んでいる。
 また、俺が名前を当てるまで、彼女は俺の守護霊になると勝手に言い出し、行動を共にしている。
 ただし、守護霊というよりかは、俺がユリのわがままに振り回されている現状なのだが。

「ねぇ、ユウくんってば!」
「わかったよ、ごめんなユリ。」

 俺がユリを名前で呼ぶと、ユリはすごく嬉しそうに、満面の笑みを返してくる。
 その顔がものすごく可愛くて、いつも俺の顔は熱を帯びてしまう。
 それが気恥ずかしくて、俺は気づけばユリのことをお前と呼んでしまうのだ。
 即刻、修正されてしまうのだが。

「わかればよろしい。」

 ユリは満足げな顔で、DVDプレイヤーにディスクを入れて、リモコンの再生ボタンを押した。
 もう慣れたようだが、ユリが生きていた頃の主流はVHSだったらしく、レンタルショップで棚に並んだDVDやブルーレイディスクを見て大興奮していた。
 今や、ショップにいかずとも、オンラインでレンタルできる時代ではあるのだが。
 画面にホラー映画が映し出されて、ストーリーが進んでいく。
 有名なホラー映画で、俺はどのタイミングで幽霊が出てくるかは把握済みだ。
 だが、初めてこの映画を見るユリにとっては、心臓が動いていたらバクバクしていただろう。
 画面を食い入るように見ている。
 もうすぐ、恐怖シーンだ。

「キャーー!」

 画面いっぱいのドアップで幽霊が登場したと同時に、ユリが悲鳴をあげた。
 相当に怖かったのか、ユリは俺の腕にしがみついてきた。

「うわ、ちょっと! ユリも幽霊なのになんで怖がってんだよ!」
「そんなの関係ないわよ! 怖いのは怖いもん!」

 振りほどこうにも、かなりの力で腕を掴まれている。
 正直、俺もまんざらではないので、そのままユリに腕をあずけてみた。
 だが、俺の腕を掴むユリの手からは、体温は感じられない。
 やっぱり、ユリは幽霊なのだと改めて実感させられた。

 一通り映画を見終わって、俺とユリの間にまったりとした時間が流れ出した。
 そろそろ、今日もあの時間かな。

「なぁ。今日もあれやっていいか?」

 俺がそう切り出すと、ユリはビクッと体を震わせて、うつむきながらコクっと頷いた。
 俺とユリが正面で向き合う形で正座する。

「い、いくよ。」
「……うん。」

 緊張の一瞬だ。

「アスカ!」

 俺は、ユリの本当の名前を当てるために、今日考えていた名前をユリに言った。
 どうも、アニメのDVDを見ていたせいもあり、影響されてたかもしれない。
 ユリが俺の目を真顔で見つめてくるので、俺は緊張のあまり顔が引きつってしまう。

「ハズレ!」
『バチン!』

 ユリのハズレという言葉と同時に、俺の頰にビンタが炸裂した。

「痛って! なんで毎回ビンタなんだよ!」
「ユウくん。リスクがなかったら、当てずっぽうで適当な名前を言いまくるでしょ。」

 当初、ユリの言う通りで適当な名前をいくつも言ってみた。
 もちろん、その数のビンタが飛んできたわけなのだが。
 頰が赤く腫れあがってしまうので、名前を当てるのは一日一回と決めているのだ。
 俺の夏休みも残すところ一ヶ月を切っている。
 はたして、ユリの本当の名前を当てることはできるのだろうか。





 ユリと出会って二週間が過ぎた。
 俺はユリのことをあまり詮索しなかった。
 どうしてユリが死んでしまったのか、それを知るのが怖かったということもあるのだが、本当の理由は別にある。
 ユリが幽霊であると、認めたくなかったのかもしれない。
 俺はユリのことを好きになってしまったから。
 でも、ユリのことを好きになればなるほど、ユリのことを知りたくなってしまう。
 ユリのことを知るということは、ユリが幽霊であることを認めることになる。
 そうしたら、俺はどうなってしまうのだろうか。
 俺がユリに好きだと言ったら、ユリはどうなってしまうのだろうか。
 何よりユリを傷つけるかもしれない。
 でも、自分の衝動を抑えることができなかった。

「なあ。ユリ。」
「ん~?」
「ユリってなんで死んじまったんだ?」

 俺の部屋で漫画を読んでいたユリが、ページをめくる手を止めた。
 やっぱり聞いてはいけなかったことだったのだろうかと、後悔していると、ユリが漫画を棚に戻して俺に向き直った。

「ねえ。ユウくん。海行こうよ。」





「海だーー! ユウくん海だよ海! すごい! 青い! 早く入ろう!」
「おい、あんまりはしゃぐなよ!」

 ユリは水着姿で砂浜を駆け回って俺を呼んでいる。
 ユリの白い素肌が真夏の強い日差しを反射して、その白さをよりいっそう強調してくる。
 今、俺の目に映っているのは、幽霊ではなく紛れもなく天使だ。
 ユリがもうすでに死んでいて、幽霊だなんてますます信じたくなくなってくる。
 ちなみに、ユリの水着をネット通販で購入する際に、スリーサイズを選ぶ画面で一悶着あったのは別な話だ。

「これではしゃがなくて、いつはしゃぐのよ!」
「それもそうだな! 泳ぐか!」
「ひゃ! 海水ってそんなに冷たくないんだね!」

 それから俺とユリは海でひとしきり遊んだ。
 息継ぎをしなくてよいユリが、潜水して俺の足を引っ張った時は、状況がリアルすぎて青ざめてしまったが。
 ユリはまだまだ遊べたようだが、俺は体が冷えてきたので、海の家で何か食べようとユリに声をかけると、ユリの目の輝きがいっそう増した。

「海の家! 行ってみたい! 食べたい!」
「ユリ、何か食べたいものあるか?」
「ある! 本で読んだことあるんだけど、こう言う時って焼きそばが定番なんでしょ!?」

 ものすごく偏った知識ではあるが、焼きそばであればすぐ買えるだろう。
 それにしても、海に来てからのユリの様子が気になる。
 ユリも生前で海ぐらいには行ったことがあるだろうに、海を見た時も、海に入った時も、海の家についても、全て初々しい反応を見せてくれる。

「焼きそばって不思議な味がするんだね。でも、おいしいね!」

 味覚を共有するために、焼きそばを食べてる俺の肩に手を置いているユリが笑顔でそう言った。

「なぁ。まさかユリって海に来たことない?」
「……うん。」

 ユリは、俺の肩に手を置きながら俯いてしまった。
 生前に何があったのかはわからないが、本当に一度も海に来たことがなかったらしい。

「よし、ユリ。ちょっとここで待っててくれ。」
「え、うん。わかった。」

 俺は、ユリを残し席を立った。

 数分後。

「お待たせ。これが焼きもろこしで、こっちがラーメン、カレーライス、かき氷、イカ焼き、フランクフルト、たこ焼き……」
「え? ちょっとわたしこんなに食べられない。」
「バカ。ユリはどのみち食えないだろ。いいから黙って肩に手を置いて。」

 ユリの手が俺の肩へと静かに乗せられた。
 そして、俺は気合を入れて、目の前に置かれた大量の料理を順々に食べ始めた。

「これこんな味がするんだ! これ中が冷えててあんまり美味しくないね。かき氷で頭がキンキンするってこう言うことなの!?」

 俺が料理を口に運ぶたびに、ユリは様々な反応を見せてくれる。
 先程まで俯いていたユリはどこへやら、ユリの顔はすっかり笑顔へと変わっていた。

「せっかく海まで来たんだから、全力で楽しまないとな!」
「うん!」

 今度は、海の家でビーチボールを買って遊んだ。

「ユウくん、男なのにだらしないぞ!」
「いや、食い過ぎで……ぶっ!」

 俺の顔面にユリが放ったスパイクが炸裂した。

「きゃはは!」
「こんにゃろー!」

 逃げるユリを俺が追いかける。
 そんなこんなで、夕方まで海を遊びつくした。
 着替えを済ませた俺たちは、水平線に沈もうとしている夕日を眺めながら、帰りの駅で電車を待っていた。

「ユウくん、今日は私のわがままに付き合ってくれてありがとね。」
「わがままはいつもだろ。」
「それひどくない?」

 ユリは頰を膨らませて、横目で俺を睨んでくる。
 だが、それもすぐに笑顔に変わり、また夕日へ視線を戻す。

「あのさ、私のこと知りたい?」

 唐突にユリからそんな言葉をかけられた。
 ユリのこと。
 それは、俺が一番知りたくて知りたくないことだ。
 でも、俺の答えは、海に来る前にもう決まっていた。

「知りたい。」

 俺は夕日を見ながら率直にそう返した。

「さっき言った通り、私は今まで海に来たことがないの。海だけじゃないよ。十六年間ずっと病院暮らしだったから。難しい病名はわからなかったけど、どこかの臓器が病気だったみたい。だから、遊びに行ったことなんてなかったの。ただ生かされてる感じかな。」
「……」

 ここ二週間の反応を見ると、薄々は勘付いてはいたが、物心着いてから外に出たことがなかったらしい。
 ユリは話を続けた。

「それでね、私、医療ミスで死んじゃったんだ。それもあって、この病院倒産しちゃったみたいで。取り壊しが決まってたんだけど、今度は業者がもめてるみたいで、二十年放置されてるみたい。業者の人が来た時にこっそり聞いちゃったんだけどね。」
「そうか。」

 俺の返事はそっけなかったかもしれない。
 でも、俺には十六年間を病室にこもりっきりなんて、想像すらできなかった。
 そして、医者も悪気があったわけではないだろうが、ユリが他人の手によって終わりを告げられたことには変わりはないのだ。
 こんなにも悲惨に人生の幕を閉じたユリに、こんな俺が気を使って言葉を並べたところで、それはユリにとって何の意味も持たないだろう。
 俺はそう返すしかなかった。

「でもね、嫌なことばっかりじゃなかったよ。死んじゃう一年前に、同い年の男の子が隣の病室に来てね。毎日私の部屋に来て一緒に遊んでくれるの。だから、寂しくはなかったんだ。むしろ、私、その男の子に救われたんだ。だから、その男の子に会いたくて。その男の子に……」

 俺はユリの顔を横目で見ると、ユリは頰を赤く染めて嬉しそうに、当時を思い出すかのように遠くを見ていた。
 それを見ると、俺の胸にチクリと針が刺さったかのような、そんな痛みが走った。
 なんだろう、さっきまであんなにユリのことを知りたかったのに、もうこの話は聞きたくないと思い、ユリの話を遮った。

「そうか。ごめん。あんまりこう言う話は詮索しないほうがいいよな。」
「え? 別に、私はユウくんに私のこと知って欲しくて……だからまだ続きを聞いて、」
「もういいんだ。聞きたくないんだ!」

 俺は自分の胸に生まれたよくわからない感情を、そのままユリにぶつけてしまった。
 ふと俺は我に返って謝ろうとユリへ向き直ると、そこにはもうユリはいなかった。





 ユリが姿を現さなくなって一週間が過ぎた。

「祐樹。夕飯できたから降りてきな。」

 また母親が一階から俺を呼ぶ声が聞こえる。
 俺はベッドに横になって天井を眺めていた。
 胸にぽっかりと穴が空いたような気がして、俺の食欲も何もかもがその穴から抜けていくような気分だった。
 別に忙しくもないのに、母親にいつもの返事を返す。

「はーい。もうちょっとしたら行くー」
「あんたのもうちょっとは長いのよ! 早く降りてきな!」

 俺は仕方なくベッドから起き上がったところで、机の上にあるものを見つけた。

「あ、結局お守り、元の場所に戻さなかったな。」

 俺は夕飯の後、また家を抜け出し、廃病院の前へと一人で来ていた。
 慣れた足取りで門から入り口へと歩いていく。
 心のどこかで期待していたが、最上階のあの病室の窓には彼女の姿はなかった。
 あんなことを言ってしまったのだから、俺以外の人に成仏の手伝いをお願いしているのかもしれない。
 勝手にそんなことを思うと、目頭に熱いものを感じる。
 彼女の事を今でも好きなのだから仕方がない。
 そんな事を考えて歩いていると、気づけば彼女のいた例の病室へ来ていた。
 そこで、彼女の言っていた隣の病室にいた男の子のことを思い出し、両隣の病室を覗いてみることにした。
 別にどんな男か気になったからではないが、何かユリの事について手がかりがないかと思ったのだ。

 左側の病室にはベッドも机も何もなく、探索はすぐに終わった。
 右側の病室に入ると、そこには骨組みだけになったベッドと机が置かれていた。
 直前まで使われていたのか、点滴の掛けておくスタンドなどが散乱していたが、目に見える範囲には、特にこれといって手がかりになりそうなものはなかった。
 ふと、机に目をやると、引き出しがあることに気づき、その引き出しを開けると、どこにでもあるようなキャンパスノートが入っていた。
 紙質からかなりの時間をこの引き出しの中で過ごしてきたのだとわかる。
 俺は、破けないように慎重に、そのノートの一ページ目を開いた。
 そこには、一日一言だけの日記のようなものがびっしりと書かれていた。





 ・七月二十一日
  今日、俺の元いた病院から引越して、この病院に移ってきた。
  なんだか病状が良くないらしいけど、周りの人が気を使ってるのがバレバレだ。

 ・七月二十二日
  トイレに行った時にわかったんだけど、隣にめっちゃ可愛い女の子がいた!
  これは冥土の土産話に、俺の彼女になってもらうしかない!

 ・七月二十三日
  いきなり隣の女の子の部屋に行ったら、ドン引きされた。
  完全に嫌われたけど、俺は負けないぜ。

 ・七月二十四日
  今日はお見舞いに来てくれた親戚が花を持ってきてくれたから、その一本を女の子にプレゼントした。
  なんかめっちゃ喜んでた! なんて花だったかな、確かユリだったかな。

 ・七月二十五日
  女の子に名前を教えて欲しいっていったけど、教えてくれなかった。
  俺の名前も聞きたくないんだって、変なの。

 ・七月二十六日
  女の子がお守りを交換しようと言ってきた。
  中に自分の名前を書いて、病気が治ったらお互い中を開けて名前を見るんだって。
  俺は親に速攻でお守りを買ってくるように頼んだ。

 ・七月……

 俺は時間を忘れて、ノートをめくり続けた。
 気づけば、ほぼ一年分の日記を読んでしまったようだ。
 読み進めるにつれて、ユリと思われる女の子がこの男の子に心を許していく様子が手に取るようにわかった。
 なんだか嬉しいようで寂しくもあったが、読み進める手を止めることができなかった。
 この男の子にも終わりが近づいているようで、こんな気持ちでこの男の子の事実から目をそらすことは失礼に思えたからだ。


 ・七月一日
  この日記をつけてもうすぐで一年なのに、一年分書ききれるかわからなくなってきた。
  やっぱり周りの人は気を使ってくれるけど、自分の体は自分が一番わかるよ。

 ・七月二日
  そういえば、しばらく隣の病室の女の子と遊べてないな。
  お互い名前を教えない約束だったけど、やっぱり本当の名前を女の子の口から聞きたいな。

 ・七月三日
  隣の病室の女の子が泣きながら俺の病室に入ってきた。
  俺の姿、そんなにひどい事になってるのかな。
  だとしたら、あんまり見られたくないかも。
  女の子はお守りを持っていた。
  このお守りがあれば絶対治るって言ってたけど、この世に絶対なんてないよね。
  それに、治ったらお守りを一緒に開けようって、俺は今君の口から名前を聞きたいんだけどね。
  まあ、そんなところも可愛いから許すけどね。
  大好きだよ、ユリの花の女の子。

 そこで、日記は終わっていた。
 おそらく、今俺の手の中にあるお守りは、この男の子のものなのかもしれない。
 中を開けたら彼女の名前が書いてあるのだろう。
 でも、俺にはそんな資格はないように思えて、そのお守りとノートを元の引き出しへそっと戻した。





 一週間後、俺はリビングで久しぶりにテレビを見ていた。
 見ていると言っても、ニュースなんて興味はないし、ただのBGMとして聞き流しているだけだ。

『では次のニュースです。解体の日程が決まった〇〇町にある廃墟の病院ですが、ようやく明日から作業が開始されます。この病院の解体については長年問題になっておりましたが、老朽化が進み安全上の問題から国が……』

 俺は耳を疑った。

「おやじ! この廃病院ってあそこのか! いつ日程決まってたんだ!?」
「なんだ、ニュース見てないのか。先月から決まってたぞ。」
「ちょっと俺、用事思い出した!」
「おい! 今何時だと思ってるんだ! おい!」

 親父の制止を振り切り、俺は家を飛び出した。
 向かう先はもちろんあの廃病院で、夜道を自電車でかっ飛ばしていく。
 廃病院に着くと、明日から始まる解体作業に使う重機が、敷地内に数多く配置されていた。
 俺は真っ先に彼女がいた病室へと向かった。

「ユリ!」

 だが、彼女はそこにはいなかった。
 この病院が解体されてしまったら、彼女はどうなってしまうのか、俺には見当もつかない。
 もしかしたら、拠り所のなくなった彼女は成仏ができなくなってしまうのだろうか。
 幽霊の知識がない俺には、そんな妄想しかできなかった。
 でも、最も気がかりなのは、このままでは彼女の思い出の場所が他人に壊されていくのを、彼女は見届けなくてはならない。
 その時の彼女の顔を想像すると、俺は黙ってそれを見ているなんてことはできなかった。
 ユリの病室に、ユリの行きそうな場所の手がかりがないか探すことにした。
 あの男の子の部屋と同じような状態で、やはり机に引き出しが付いている。
 俺は、まっすぐその引き出しに向かって行き、引き出しにてをかけた。

「ユリ、ごめん。開けるよ。」

 引き出しを開けると、そこには男の子からもらったと思われるお守りが入っていた。
 ただし、お守りの中は空で、その隣にお守りの中に入っていたと思われる紙が置いてあった。
 それを見ると、笑いがこみ上げてきた。

「あいつ、男の子との約束守れてないじゃないか。」

 そして、その紙には「祐」という文字が書いてあった。

「ユウ……」

 その紙に書かれた文字を見た途端、俺の頭に激痛が走った。
 そして、自分でも信じられないが、俺は全てを思い出した。
 こんなことが、現実で起こるなんて信じられない。

「まさか……、嘘だろ……、俺があの『男の子』だっていうのか?」

 ユリはあの男の子に会いたいと言っていた。
 だからユリは俺に成仏を頼んだのだろうか。
 そもそも、こんなに近くで生まれ変わるなんてありえるのだろうか。
 というか、ユリはなんで俺がこの男の子だとわかったのだろうか。
 疑問は尽きないのだが、今はユリを探す事が優先だ。
 だが、ユリの居場所はわからない。

「これは賭けだな。」

 ユリは病室から出たことがなかったと言っていた。
 そして、当然俺の部屋にはいなかった。
 そうなると、ユリが行ったある場所といえばただ一つ。
 一緒に行った海だ。
 だが、ここから五十キロは離れている。
 電車で行ったところで、途中で終電になり、明日の朝までに辿り着けないだろう。
 であれば、自分の力でいけばいいだけのことだ。
 俺は自転車にまたがり、海に向かって漕ぎ出した。





 五時間後、俺はあの日来た海へとたどり着いた。
 時間は午前二時の丑三つ時で、幽霊を探すには絶好の時間だ。

「ユリ! どこにいるんだ!」

 俺はユリと歩いた道、遊んだ海辺を走り回り、ユリを探したが、ユリは現れなかった。
 そして、最後にユリが消えた駅にたどりついた。
 もちろん、駅には誰もいなかった。
 入り口は閉鎖されているため、中に入ることはできない。
 だけど、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
 俺は、柵を登り、あの日ユリと一緒に夕日を見た駅のホームへと足を進めた。
 だが、そこにもユリの姿はなかった。
 もしもと思って、少しの可能性にかけてここまで来たのだが、ユリと出会えなかった現実に、俺は柵にしがみつき、泣き崩れた。

「ユリ……どこ行っちまったんだよ。」

 膝にあたっているホームのコンクリートが夏だというのに妙に冷たく感じる。
 目からこぼれ落ちた涙が、その膝に落ちて、さらに冷たさが増す。

「俺が悪かったよ。戻ってきてくれよ。」
「ユリって誰よ、私の本当の名前はユリじゃないんだけど。」

 突然、後ろから声がかけられた。

「え……ユリ?」
「なんて顔してるのよ、ぐちゃぐちゃじゃない。」

 ユリはそっぽを向いて、ハンカチを差し出してきた。
 俺はそのハンカチも無視して、ユリに抱きついてしまった。

「ユリ! ごめん! 俺、思い出したんだ。」
「ちょっと! ユウくん! もう、自分に嫉妬してどうするのよ。」

 ユリは俺の頭を優しく撫でてくれた。
 体温のない手のはずが温もりを感じる。

「それとね、私もごめん。ユウくんがあんなこと言うから、私もついイラっときちゃって……、姿消してたの。」
「え? 姿消してたって、ずっとここにいたんじゃなくて?」
「うん。ずっとユウくんの横にいた……」
「……」

 そう言うことであれば、俺はこんなところまで自転車で来る必要はなかったのだろう。
 ユリから離れた俺は、腕を組んでユリを横目で睨んだ。

「でもねでもね、ユウくんが悪いんだからね!」
「それは、謝るけど……」
「でも、私嬉しかったよ。私のために必死になってるユウくんが見れて幸せだった。」
「うん……」

 正直、俺も怒っているわけではない。
 ユリと再び会えたのだから、全てを帳消しにしても構わない。

「で、ユウくんはどうしてここにきたんだっけ?」
「あぁ。ユリを成仏させるためだ。」

 本当はユリに成仏なんてして欲しくない。
 来週の花火大会も一緒に行きたい。
 それどころか、ずっと一緒にいたいぐらいだ。
 だけど、それは許されない願いだろう。
 彼女は幽霊だ。
 この世にいつまでも止まることは、彼女にとっても良くないことだろう。

「ありがとう。でも、その前にちょっとお話ししようよ。」
「そうだ、ユリに聞きたいことが山ほどあるんだよ。」
「それじゃ明日の解体工事が始まっちゃうよ。」
「それもそうだな。」

 ユリは他人事のように、俺に笑いかけてくるので、俺も笑い返す。
 それから、俺とユリは駅のホームに座り、一時間ほど他愛もない話をした。
 肝試をしたあの日、帰ろうとした時に俺の首筋に悪寒が走ったのは、ユリが俺の魂があの男の子であるか確認するために、俺の首筋を舐めたのだというのには驚いたのだが。
 
「私さ、幽霊になって良かったと思ってるんだ。」
「な、なんて事言うんだよ。」

 突然、ユリはとんでもないことを言い出した。
 それは、死んで良かったと言っているようなものだ。

「だって、幽霊になってなかったら、ユウくんに会えなかったから。」
「確かにそうだけど。」
「でもね……」

 突然、ユリは俺の胸に顔を埋めて泣き出した。

「死にたくはなかったんだよ。ユウくんにも生きていて欲しかったんだよ。」
「そうだな。」
「でも、ユウくんも死んじゃって、私も死んじゃった。」
「そうだな。」

 俺には泣きじゃくるユリの頭を、優しく撫でてやることしかできなかった。

「それに、ユウくんはズルいよ。ユウくんが拾ったあのお守りの中に書いてある名前を読み上げてもらえれば、私はそれで十分だったのに。前世のことを思い出すなんてありえないよ。だめだよ、反則だよ……」
「ごめん。でもユリも約束破ってお守りの中を開けてたから悪いんだぞ。自分で書いた前世の名前を見たら思い出しちまったんだよ。」
「うぅ……。だって我慢できなかったんだもん。」
「バカ。」

 俺はユリの頭を軽くコツンと小突いた。

「で、私の名前はわかったの? 私のお守りまだ開けてなかったけど。」
「ああ。前世の俺はもうユリの本当の名前を知ってたんだよ。」
「え!? どうして? 私、名前言ってなかったはずだけど。」

 俺は気まずくなり、ユリから目線をそらし無意識に頰をかいた。

「実は、もらったその日に、俺も中見てたからさ。」
「同罪じゃん! しかも私よりも先に見てるし!」

 俺の胸から顔を上げたユリが、そらした俺の目線へ入り込んでくる。
 そして、俺とユリの目が合ったところで、

「ぷっ!」
「あはははっ!」

 お互い吹き出して笑ってしまった。

「お互い様だな。」
「そうだね。」

 俺とユリは、駅のホームから空を見上げた。
 空は徐々にではあるが明るさが増してきていた。

「そろそろ時間だね。」
「そうだな。」

 俺は覚悟を決めて、ユリの両肩に手を置くと目を閉じ、ゆっくりと優しく唇を重ねた。
 ユリはビクリと体を震わせたが、徐々に体から力が抜けていき、俺へと体を預けて抱き合う形となった。
 ユリの唇からは、幽霊とは思えないほどの温もりが伝わってくる。
 その温もりの余韻を唇に感じながら、いちど唇を離し、間近にあるユリの顔を、俺は改めてしっかりと脳裏に焼き付ける。
 その顔は、今にも溶けて無くなってしまいそうなほど儚くも美しい、百合の花のようだった。
 そして、俺はついに本当の名前を口にした。

「ユリカ、大好きだ。」
「ユウくん、私も大好き。」

 俺は再び目を閉じて、ユリカの唇に自分の唇を重ねようとした。
 だが、もうそこにはユリカの唇は無かった。

「ありがとう。」

 ユリカの声で、確かにそう聞こえた。

「またな、ユリカ。」

 目を開けると、蛍のような光が、天に向かっていくつも昇っていくのが見えた。

おわり。
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