女神の導き

佐藤なつ

文字の大きさ
9 / 16

一話目の原文

しおりを挟む
 私の家は王都でも名高い名門、公爵家。けれど私は幼い頃から「呪いの娘」と呼ばれてきた。
 この血筋に生まれた女は、子を産めば命を落とすか、女児しか生まれない。母もまたその呪いに抗えず、私を産んでまもなく世を去った。

 だから私は病弱と決めつけられ、婚約相手のあてもなく、家の中で温室の花のように過ごしてきた。
 けれど、ただ俯いているだけでは母の死を無駄にする。私は母を奪った呪いを解き明かすため、古文書や魔術書を集め、研究に没頭してきた。

 父はそんな私を溺愛してくれていたが、母を失ってからどこか心に空洞を抱えているようでもあった。笑顔の裏に、消えない影が差していた。

 ――そんな私に、ある日縁談が持ち込まれた。

◆◇◆

 相手は子爵家の三男、エルヴァン。貧乏貴族の出身ながら学園で優秀な成績を収め、若手の中でも将来を嘱望されているという。
 父は彼を大層気に入り、「この青年ならば」と喜んだ。

 彼は父の前では、完璧だった。
 「閣下、いつもご配慮いただき感謝に堪えません」
 穏やかに笑い、真摯に言葉を紡ぐ。冗談に笑い、真剣な話題には誠実に耳を傾ける。
 父の顔に久方ぶりの明るい笑顔が戻り、私はそれを見るだけで胸が痛んだ。

 ――けれど、それは仮面に過ぎなかった。

 父が部屋を出て行った途端、彼の目は冷たく細まり、口調も刺々しくなる。
 「お前は幸運だな、公爵家に生まれただけで俺に見初められるんだから」
 「病弱で書物ばかりにかじりついて、女らしさが欠片もない」

 下級使用人には命令口調で横柄に振る舞い、私に対してもことあるごとに優越感を示そうとする。
 しかし父や執事の前では、理想の婿のように振る舞い続けた。

 胸の奥に積もる怒りと悔しさ。それでも父を悲しませたくなくて、私は笑顔を装った。

◆◇◆

 ある日、彼はふと口にした。
 「女は子を産むために存在するんだ。お前の母親だってそうだったんだろう?」

 その言葉は、私の心臓を氷の刃で貫いた。母を侮辱するその一言で、私の中の何かが決定的に壊れた。

 ――許さない。

 その夜、私は魔術書を漁り、ある古文書の一節を開いた。
 『誓約の場において偽りを吐く者、女神はその身に罰を与えるだろう。
 それは「在り方そのもの」を変える誓約。』

 誓約を破った者を、根本から変えてしまう古の魔術。
 私は閃いた。彼に「己の言葉を呪いとして返す」ことができるかもしれないと。

◆◇◆

 そして婚約誓約の日。

 大広間に燭台が並び、貴族たちが見守る中で儀は始まった。
 女神像が静かに立ち、誓いの場を見下ろしている。

 「我が誓いは、公爵家の娘を妻として迎え、その身と家を守り、共に未来を築くこと」
 エルヴァンの声は朗々としていた。父は誇らしげに頷き、周囲も感心したように囁き合う。

 だが次の瞬間――。

 「もっとも、女など子を産むためにあるのだからな」

 その言葉が発せられた途端、女神像の瞳が赤く輝き、眩い光が広間を包んだ。
 「なっ、何だ……!? ぐ、ぐぅっ……!」

 彼の体が震え、髪が音を立てるように伸びていく。背丈は少し縮み、肩幅は狭まり、胸元が膨らんで衣服を押し広げた。
 声が裏返り、低音は消えて甲高い悲鳴がこぼれる。

 「やめろ……! 俺の体が……!」

 恐怖に駆られた彼は、近くの窓に駆け寄った。
 ガラスに映ったのは、長い髪を持つ蒼白な若い女性の姿。
 「嘘だ……これは俺じゃない……!」

 会場が騒然とする。誰もが信じられぬものを見るように目を見開き、彼女の変わり果てた姿を凝視していた。

 私は一歩前に出て、静かに告げた。
 「女は子を産む道具……その言葉を、女神が返したのです」

◆◇◆

 父が駆け寄り、震える手で彼女を抱きとめた。
 「女神よ……これは導きなのか……?」

 私はすかさず言葉を重ねた。
 「父上。エルヴァン様は……私を呪いから救うため、自らの身を犠牲にしてくださいました」

 「な、何を……!? 違う! 俺はそんな――!」
 必死の叫びは、私の声にかき消される。

 「これは尊い犠牲です。女神が示されたのです。彼こそが、公爵家を救う存在だと」

 父の瞳に涙が溢れた。
 「……なんと崇高な。妻を失って以来、こんな奇跡が訪れるとは……」

 その大きな腕が、震えるエルヴァーナを抱き締める。
 彼女は青ざめ、震えながら必死に否定したが、参列者たちは祝福の拍手を送った。

 「おめでとうございます!」
 「女神の導きに違いない!」

 その声の波が広間を埋め尽くし、彼女の悲鳴を完全にかき消した。

◆◇◆

 翌日から、エルヴァーナの地獄は始まった。

 朝には「公爵夫人」として豪奢なドレスを着せられ、ぎこちなく廊下を歩かされる。
 公爵――父は優しく「無理をするな」と労わりつつも、隣に並ぶことを当然とした。
 かつて彼が見下していた使用人たちは「奥様」と頭を下げ、時折皮肉めいた笑みを浮かべる。

 エルヴァーナの瞳は日に日に曇り、私を見つめるときには憎悪と絶望が滲む。
 けれど、もう戻る道はない。

 私は静かに胸の内で呟く。
 ――これでいい。
 母を奪った呪いから私は解放された。彼は自らの言葉に押し潰され、公爵家に縛られる。
 私は私の望む未来を選ぶのだ。

 女神は確かに導いた。私に自由を。彼には罰を。
 それこそが、この呪われた血筋に差し込んだ、初めての光だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

処理中です...