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一話目の原文
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私の家は王都でも名高い名門、公爵家。けれど私は幼い頃から「呪いの娘」と呼ばれてきた。
この血筋に生まれた女は、子を産めば命を落とすか、女児しか生まれない。母もまたその呪いに抗えず、私を産んでまもなく世を去った。
だから私は病弱と決めつけられ、婚約相手のあてもなく、家の中で温室の花のように過ごしてきた。
けれど、ただ俯いているだけでは母の死を無駄にする。私は母を奪った呪いを解き明かすため、古文書や魔術書を集め、研究に没頭してきた。
父はそんな私を溺愛してくれていたが、母を失ってからどこか心に空洞を抱えているようでもあった。笑顔の裏に、消えない影が差していた。
――そんな私に、ある日縁談が持ち込まれた。
◆◇◆
相手は子爵家の三男、エルヴァン。貧乏貴族の出身ながら学園で優秀な成績を収め、若手の中でも将来を嘱望されているという。
父は彼を大層気に入り、「この青年ならば」と喜んだ。
彼は父の前では、完璧だった。
「閣下、いつもご配慮いただき感謝に堪えません」
穏やかに笑い、真摯に言葉を紡ぐ。冗談に笑い、真剣な話題には誠実に耳を傾ける。
父の顔に久方ぶりの明るい笑顔が戻り、私はそれを見るだけで胸が痛んだ。
――けれど、それは仮面に過ぎなかった。
父が部屋を出て行った途端、彼の目は冷たく細まり、口調も刺々しくなる。
「お前は幸運だな、公爵家に生まれただけで俺に見初められるんだから」
「病弱で書物ばかりにかじりついて、女らしさが欠片もない」
下級使用人には命令口調で横柄に振る舞い、私に対してもことあるごとに優越感を示そうとする。
しかし父や執事の前では、理想の婿のように振る舞い続けた。
胸の奥に積もる怒りと悔しさ。それでも父を悲しませたくなくて、私は笑顔を装った。
◆◇◆
ある日、彼はふと口にした。
「女は子を産むために存在するんだ。お前の母親だってそうだったんだろう?」
その言葉は、私の心臓を氷の刃で貫いた。母を侮辱するその一言で、私の中の何かが決定的に壊れた。
――許さない。
その夜、私は魔術書を漁り、ある古文書の一節を開いた。
『誓約の場において偽りを吐く者、女神はその身に罰を与えるだろう。
それは「在り方そのもの」を変える誓約。』
誓約を破った者を、根本から変えてしまう古の魔術。
私は閃いた。彼に「己の言葉を呪いとして返す」ことができるかもしれないと。
◆◇◆
そして婚約誓約の日。
大広間に燭台が並び、貴族たちが見守る中で儀は始まった。
女神像が静かに立ち、誓いの場を見下ろしている。
「我が誓いは、公爵家の娘を妻として迎え、その身と家を守り、共に未来を築くこと」
エルヴァンの声は朗々としていた。父は誇らしげに頷き、周囲も感心したように囁き合う。
だが次の瞬間――。
「もっとも、女など子を産むためにあるのだからな」
その言葉が発せられた途端、女神像の瞳が赤く輝き、眩い光が広間を包んだ。
「なっ、何だ……!? ぐ、ぐぅっ……!」
彼の体が震え、髪が音を立てるように伸びていく。背丈は少し縮み、肩幅は狭まり、胸元が膨らんで衣服を押し広げた。
声が裏返り、低音は消えて甲高い悲鳴がこぼれる。
「やめろ……! 俺の体が……!」
恐怖に駆られた彼は、近くの窓に駆け寄った。
ガラスに映ったのは、長い髪を持つ蒼白な若い女性の姿。
「嘘だ……これは俺じゃない……!」
会場が騒然とする。誰もが信じられぬものを見るように目を見開き、彼女の変わり果てた姿を凝視していた。
私は一歩前に出て、静かに告げた。
「女は子を産む道具……その言葉を、女神が返したのです」
◆◇◆
父が駆け寄り、震える手で彼女を抱きとめた。
「女神よ……これは導きなのか……?」
私はすかさず言葉を重ねた。
「父上。エルヴァン様は……私を呪いから救うため、自らの身を犠牲にしてくださいました」
「な、何を……!? 違う! 俺はそんな――!」
必死の叫びは、私の声にかき消される。
「これは尊い犠牲です。女神が示されたのです。彼こそが、公爵家を救う存在だと」
父の瞳に涙が溢れた。
「……なんと崇高な。妻を失って以来、こんな奇跡が訪れるとは……」
その大きな腕が、震えるエルヴァーナを抱き締める。
彼女は青ざめ、震えながら必死に否定したが、参列者たちは祝福の拍手を送った。
「おめでとうございます!」
「女神の導きに違いない!」
その声の波が広間を埋め尽くし、彼女の悲鳴を完全にかき消した。
◆◇◆
翌日から、エルヴァーナの地獄は始まった。
朝には「公爵夫人」として豪奢なドレスを着せられ、ぎこちなく廊下を歩かされる。
公爵――父は優しく「無理をするな」と労わりつつも、隣に並ぶことを当然とした。
かつて彼が見下していた使用人たちは「奥様」と頭を下げ、時折皮肉めいた笑みを浮かべる。
エルヴァーナの瞳は日に日に曇り、私を見つめるときには憎悪と絶望が滲む。
けれど、もう戻る道はない。
私は静かに胸の内で呟く。
――これでいい。
母を奪った呪いから私は解放された。彼は自らの言葉に押し潰され、公爵家に縛られる。
私は私の望む未来を選ぶのだ。
女神は確かに導いた。私に自由を。彼には罰を。
それこそが、この呪われた血筋に差し込んだ、初めての光だった。
この血筋に生まれた女は、子を産めば命を落とすか、女児しか生まれない。母もまたその呪いに抗えず、私を産んでまもなく世を去った。
だから私は病弱と決めつけられ、婚約相手のあてもなく、家の中で温室の花のように過ごしてきた。
けれど、ただ俯いているだけでは母の死を無駄にする。私は母を奪った呪いを解き明かすため、古文書や魔術書を集め、研究に没頭してきた。
父はそんな私を溺愛してくれていたが、母を失ってからどこか心に空洞を抱えているようでもあった。笑顔の裏に、消えない影が差していた。
――そんな私に、ある日縁談が持ち込まれた。
◆◇◆
相手は子爵家の三男、エルヴァン。貧乏貴族の出身ながら学園で優秀な成績を収め、若手の中でも将来を嘱望されているという。
父は彼を大層気に入り、「この青年ならば」と喜んだ。
彼は父の前では、完璧だった。
「閣下、いつもご配慮いただき感謝に堪えません」
穏やかに笑い、真摯に言葉を紡ぐ。冗談に笑い、真剣な話題には誠実に耳を傾ける。
父の顔に久方ぶりの明るい笑顔が戻り、私はそれを見るだけで胸が痛んだ。
――けれど、それは仮面に過ぎなかった。
父が部屋を出て行った途端、彼の目は冷たく細まり、口調も刺々しくなる。
「お前は幸運だな、公爵家に生まれただけで俺に見初められるんだから」
「病弱で書物ばかりにかじりついて、女らしさが欠片もない」
下級使用人には命令口調で横柄に振る舞い、私に対してもことあるごとに優越感を示そうとする。
しかし父や執事の前では、理想の婿のように振る舞い続けた。
胸の奥に積もる怒りと悔しさ。それでも父を悲しませたくなくて、私は笑顔を装った。
◆◇◆
ある日、彼はふと口にした。
「女は子を産むために存在するんだ。お前の母親だってそうだったんだろう?」
その言葉は、私の心臓を氷の刃で貫いた。母を侮辱するその一言で、私の中の何かが決定的に壊れた。
――許さない。
その夜、私は魔術書を漁り、ある古文書の一節を開いた。
『誓約の場において偽りを吐く者、女神はその身に罰を与えるだろう。
それは「在り方そのもの」を変える誓約。』
誓約を破った者を、根本から変えてしまう古の魔術。
私は閃いた。彼に「己の言葉を呪いとして返す」ことができるかもしれないと。
◆◇◆
そして婚約誓約の日。
大広間に燭台が並び、貴族たちが見守る中で儀は始まった。
女神像が静かに立ち、誓いの場を見下ろしている。
「我が誓いは、公爵家の娘を妻として迎え、その身と家を守り、共に未来を築くこと」
エルヴァンの声は朗々としていた。父は誇らしげに頷き、周囲も感心したように囁き合う。
だが次の瞬間――。
「もっとも、女など子を産むためにあるのだからな」
その言葉が発せられた途端、女神像の瞳が赤く輝き、眩い光が広間を包んだ。
「なっ、何だ……!? ぐ、ぐぅっ……!」
彼の体が震え、髪が音を立てるように伸びていく。背丈は少し縮み、肩幅は狭まり、胸元が膨らんで衣服を押し広げた。
声が裏返り、低音は消えて甲高い悲鳴がこぼれる。
「やめろ……! 俺の体が……!」
恐怖に駆られた彼は、近くの窓に駆け寄った。
ガラスに映ったのは、長い髪を持つ蒼白な若い女性の姿。
「嘘だ……これは俺じゃない……!」
会場が騒然とする。誰もが信じられぬものを見るように目を見開き、彼女の変わり果てた姿を凝視していた。
私は一歩前に出て、静かに告げた。
「女は子を産む道具……その言葉を、女神が返したのです」
◆◇◆
父が駆け寄り、震える手で彼女を抱きとめた。
「女神よ……これは導きなのか……?」
私はすかさず言葉を重ねた。
「父上。エルヴァン様は……私を呪いから救うため、自らの身を犠牲にしてくださいました」
「な、何を……!? 違う! 俺はそんな――!」
必死の叫びは、私の声にかき消される。
「これは尊い犠牲です。女神が示されたのです。彼こそが、公爵家を救う存在だと」
父の瞳に涙が溢れた。
「……なんと崇高な。妻を失って以来、こんな奇跡が訪れるとは……」
その大きな腕が、震えるエルヴァーナを抱き締める。
彼女は青ざめ、震えながら必死に否定したが、参列者たちは祝福の拍手を送った。
「おめでとうございます!」
「女神の導きに違いない!」
その声の波が広間を埋め尽くし、彼女の悲鳴を完全にかき消した。
◆◇◆
翌日から、エルヴァーナの地獄は始まった。
朝には「公爵夫人」として豪奢なドレスを着せられ、ぎこちなく廊下を歩かされる。
公爵――父は優しく「無理をするな」と労わりつつも、隣に並ぶことを当然とした。
かつて彼が見下していた使用人たちは「奥様」と頭を下げ、時折皮肉めいた笑みを浮かべる。
エルヴァーナの瞳は日に日に曇り、私を見つめるときには憎悪と絶望が滲む。
けれど、もう戻る道はない。
私は静かに胸の内で呟く。
――これでいい。
母を奪った呪いから私は解放された。彼は自らの言葉に押し潰され、公爵家に縛られる。
私は私の望む未来を選ぶのだ。
女神は確かに導いた。私に自由を。彼には罰を。
それこそが、この呪われた血筋に差し込んだ、初めての光だった。
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