女神の導き

佐藤なつ

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三話:原文

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公爵は、浮き立つ声でエルヴァンの新しい名について語り始めた。
「花嫁となるからには、それにふさわしい名が必要だ。エルヴァンのままでは男の名だ。これからは――」

彼は豪華な応接室に腰を下ろし、酒杯を片手に愉しげに名をいくつも並べ立てていった。
「エルミナ……いや、エルシア……どうだろうな。もっと響きに華やぎが欲しい」

その場にいた者たちは皆、黙ってその言葉を聞いていた。けれど、イレーネは静かに口を挟んだ。
「お父さま。母の名に似せた響きはいかがですか? 母上は『セレーナ』とおっしゃいました。優雅で、皆に愛された名です」

「ほう……セレーナ、か」
公爵は目を細め、グラスを揺らす。

イレーネは続けた。
「似せるなら、エルヴァン様は『エルヴァーナ』など……。母上の影を継ぎつつ、新たな花嫁にふさわしい響きかと」

「よい! それだ!」
公爵は満足げに大きく頷き、決定を下した。
「今日からお前はエルヴァーナだ。我が公爵家の花嫁として、新しい名を背負うのだ」

その場に居合わせた役人が証書を広げ、手続きを開始した。
改名の正式な証には、元の家族――子爵家の署名も必要であった。
「呼んである」
公爵が軽く手を振ると、しばらくして子爵一家が応接室へ入ってきた。

彼らは公爵に一礼したのち、冷ややかな視線をエルヴァン――いや、これから「エルヴァーナ」となる青年へと投げかけた。
「本当に、この名でよろしいのですか?」
子爵は渋い顔をした。
「男の名を捨て、女の名を背負うなど、我が家の恥でしかありませんが……まぁ、公爵閣下のご意志ならば」

彼らは署名を済ませると、淡々と椅子へ腰かけ、今度は荷物の仕分けへと移った。



机の上に運ばれたのは、エルヴァンの実家から届けられた私物の数々だった。
剣、勲章、表彰状、書物、衣服。
彼がこれまで積み重ねてきた努力と証明が、無造作に山積みにされる。

「剣は……売れるな。道具屋に持っていこう」
長男がそう言うと、母親が頷く。
「剣帯も古道具屋で値がつくわ。これはもらっていく」

勲章を手に取った次男は、じっと金属部分を眺めながら言った。
「これは……溶かせば多少は金になるんじゃないか? 飾りなんて無駄だ」
「表彰状は紙切れよ。焚き付けにでもすればいい」
母親が冷笑する。

衣服に手を伸ばしたのは長男だった。
「この礼服は、俺が使えるな。あの儀式のときに着ていたものだろう? 生地はまだしっかりしている」
「そうね。他の古着は古着屋に売れるわ。捨てるなんてもったいない」

一方で、机の端に積まれたレポートや研究ノートには、誰も興味を示さなかった。
「これは要らないな」
「焚き付けにも微妙だし……まぁ、暖炉に突っ込んでしまえばいいか」

彼らは目の前で、エルヴァンの努力の結晶を一枚一枚冷笑と共にめくり、価値がないと切り捨てていった。



使用人たちは公爵の命を受け、子爵家の人々が選び取らなかった紙類を暖炉へ放り込んだ。
ぱちぱちと炎が立ち、表彰状の文字が次々と黒く焼け落ちていく。
剣や勲章は別に仕分けられ、衣服は紐で束ねられ、運び出される。

子爵夫人が冷たく言った。
「こうしておけば、家に無駄なものを置かずに済むわ。女の名を名乗るなど恥の極み。せいぜい笑いものになるがいい」

エルヴァン――エルヴァーナは唇を噛み締めた。
自分が努力して得てきたものが、いとも簡単に金目かどうかで測られ、切り捨てられていく。
何より、家族がそれを当然とし、悪びれもせず持ち去っていくことが、耐え難い屈辱だった。

やがて彼らが去ると、静けさが訪れた。
けれど胸の奥には、焼け焦げた紙の匂いと共に、取り返しのつかない喪失感が残っていた。



その夜、裏庭。
エルヴァーナは一人、人気のない場所に身を隠し、声を押し殺して泣いていた。
瞼は腫れ、呼吸は荒い。けれど、涙は止まらなかった。

ふと、物陰から人の声がした。
それは、公爵家の使用人たちの会話だった。
彼らは、暖炉や焼却炉で残りの品を処分しながら話していた。

「ひどいご家族でしたねぇ。あれでは坊ちゃま……いや、お嬢様も気の毒で」
「ええ。剣だの勲章だの、全部金に換えることしか考えてない。浅ましいにもほどがあります」
「まぁ、あの家に育てられたからこそ、あのような性格になってしまったのでしょう。歪んでしまったのも、無理はない」

その言葉は、慰めのはずだった。
だが、エルヴァーナの胸を突き刺す。
歪んだ、と。無理もない、と。
自分の人生そのものを、外から冷たく総括された気がして、涙はますます溢れ出た。

彼は膝を抱え、ただ夜の闇に身を委ねた。
新しい名を与えられ、家族に切り捨てられ、公爵家の花嫁として生きる未来だけが、残されていた。
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