公主の嫁入り

マチバリ

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1巻 後宮の雪は龍の道士に娶られる

1-2

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 だが、和平のためと異国に送られるよりはずっといい。むしろ後宮を出て、政治に関わらずに済むのだ。

「喜んでお受けいたします」

 雪花は深々と頭を下げた。

「うむ。この婚儀に伴い、お前に長く仕えていた女官と官吏にはぎんを与えて暇を出すがいい。嫁入り先に連れていくにしても、としかさだろう」
「お気遣いありがとうございます」
「あちらの暮らしは焔家に一任してある。お前は身体に気をつけて過ごすだけでよい。準備で困ることがあれば拍に相談するがいい」
「はい」
「息災でな。なにかあれば、遠慮なく文を寄こしなさい」
「…………はい」

 利普の言葉に、雪花はにじみそうになる涙を必死にこらえた。
 悲しみはないが、寂しさがこみ上げる。
 こうしてしまえば、兄の顔を見ることは今以上に叶わないだろう。望んでいたこととはいえ、明心とも離ればなれになってしまう。

「お世話になりました」

 だが、今日まで生きてこられたのは利普のおかげだ。もうこれ以上、甘えるわけにはいかない。
 どんな形であれ、利普の役に立てるのならば本望だと、雪花は精一杯の笑みを浮かべたのだった。


   ***


 婚儀が決まったことを知った明心の驚きようは大変なものだった。
 しかも、これを機に離ればなれになると知り、涙を流して雪花をびんがった。

「一人で……しかもせいに暮らす道士に嫁入りなど」
「いいのよ明心。むしろ、この後宮から出られるのだから幸運だわ」
「ですが……」
「陛下が決めたことよ。元より、断れる話ではないわ」

 雪花が本気で嫌がれば、利普はこの婚儀を撤回してくれただろう。だが、雪花はこの婚儀に前向きだった。
 明心にぎんを与えて解放してあげられるし、この後宮の外に出ることも許される。
 なにより自分をずっと気にかけてくれていた利普の役に立てるのだ。それに、兄が酷い相手に自分を嫁がせるとは思えなかった。

「準備は不要だと言ってくださったけれど、持っていきたい物もあるの。荷物をまとめるのを手伝ってくれる?」
「雪花さま」

 涙を流す明心の背中をさすりながら、雪花は優しく微笑んだ。
 そうして二人、思い出に浸りながら片づけをはじめた。
 とはいえ、今の月花宮に価値ある物はほとんどない。
 食料や必要なものを得るために、さまざまな品を手放していたからだ。利普が即位するまでの間、なんとか生き延びられたのは、母が残してくれたわずかな装飾品のおかげだったことを思い出し、二人はまた涙を流した。
 手元に残っている品々も、公主の持ち物とは信じられないような質素な物ばかりだ。
 雪花はその中から翡翠の腕輪を手に取ると、明心に差し出した。それは、かつて母が自分を産んだ褒美に先帝からたまわった品だった。

「なにかあればこれを売ってお金に換えて。生活には困らないはずよ」
「こんな過分な行いは不要です!」
「いいの。母はずっとこれが重荷だと言っていたわ。本当は一番にお金に換えたかったけれど、先帝からたまわった品を売る勇気はなかった。でも今なら許されるはずよ」
「……うう」

 明心の瞳に再び涙がにじむ。しわだらけの手が、翡翠の腕輪ごと雪花の手を優しく包んだ。温かなぬくもりに、雪花は静かに微笑む。

「あなたはずっと私を支えてくれたわ。私にとっては母も同然よ。どうかこれからは、穏やかな時間を過ごして」
「あなたのようにお優しいあるじに仕えられたことを、私は生涯の誇りにします」
「明心」

 二人はしっかりと抱きあい、これまでの日々を懐かしんだ。
 官吏にも手伝ってもらいながら宮の中をあれこれと片づけていると、なにやら慌ただしい足音が聞こえてくる。
 なにか知らせが来たのかと雪花と明心が揃って庭に出れば、そこにいたのは使者ではなかった。
 こちらを見つめる鋭い視線に、雪花は激しいどうおそわれて、胸を押さえる。

「相変わらず辛気臭い顔をしているな」
親王殿下」

 慌てて地面に膝をつき平伏すれば、低い笑い声が聞こえてきた。

「そう堅苦しく呼ぶな雪花。ヒン兄さま、と呼んでくれてよいのだそ」
「恐れ多いことでございます」

 瑠親王は麗貴妃の産んだ皇子だ。雪花にとっては利普と同じ腹違いの兄で、名は思敏。利普が即位したのち、瑠親王と名乗るようになっていた。
 麗貴妃そっくりの麗しい見た目をしており、一見すれば女性のように美しい。だが、その性格は母以上に苛烈で、残虐な行いに泣く者も少なくない。
 幼いころより麗貴妃が雪花をうとんでいるのを真似て、大人たちの目の届かぬところで雪花を追い詰める恐ろしい存在であった。
 親王としての位を得てからは、伶家の商いに関わり、皇城の外に屋敷を構えていた。
 麗貴妃の宮で頻繁に開かれる盛大な宴の喧騒は、この月花宮にも風に乗って届くのだ。世情にうとい雪花でさえ、その羽振りのよさは知っている。
 皇帝である利普が蛮族との交渉に必死になっているというのに、と憤ったことは一度や二度ではない。

(どうしてここに)

 もう長いこと雪花には興味を示さなかったはずなのに、なんの気まぐれだろうか。
 全身を震わせながら雪花はゆるゆると顔を上げた。
 雪花を見下ろす瑠親王は笑っていたが、その瞳には冷たい光が宿っていた。母親である麗貴妃そっくりの、自分たち以外を人間とは思わぬ視線に身体の芯が冷えていく。

「とうとう嫁ぎ先が決まったそうだな。兄として祝いの品を持ってきたぞ」
「……ご厚意に感謝いたします」

 雪花が深く頭を下げると、瑠親王は満足げな顔をする。
 さまざまな品を掲げた女官や官吏たちが現れ、庭にそれらを並べていく光景に、雪花の瞳が何度も瞬く。
 これまで物を奪われることはあっても、与えられたことなどなかった。
 瑠親王の突然の行いに、雪花は戸惑いを通り越して恐怖を感じた。

「あの、さすがにこれは……」
「大事な妹がこうするのだ。兄として、これくらいの振る舞いは当然だろう。それにこれは俺からだけではない。母上からの贈り物も兼ねておる」
「麗貴妃さまが……?」
「お前がようやく後宮を出られることを喜んでいたぞ」

 言葉に含まれるとげに雪花は身体を固くした。
 これは決して結婚を祝ってくれているのではない。後宮から自分が出ていくことを喜んでいるからこその贈り物なのだ、と。
 青ざめた雪花に、瑠親王は満足げに頷いている。
 贈り物の意味を雪花が理解したことが嬉しくてたまらないようすだ。

「しかし、相手があの龍の道士だとはな。あんな男に嫁ぐことになるとは、さすがの俺も同情を禁じ得ない」
「龍の道士……?」
「ん? 兄上から聞いていないのか? ははん、本当のことを知ればお前が断るかもしれないと思って、隠しておいでだったのだな」
「あの、龍の道士とはいったい」
あわれな妹に教えてやろう。お前の夫となる焔蓮は、恐ろしい神龍の血を引く男だ」

 龍、と雪花はかすれた声で呟く。
 宗国において、龍はずいじゅうとされて人々からまつられる存在だ。それを恐ろしいと口にする瑠親王を、雪花は信じられないものを見る目で見つめた。
 瑠親王はその視線に苛立ったように眉をわずかに上げたが、まだ話し足りないのだろう。息がかかるほどに顔を近づけ、唇の端を吊り上げる。

「お前も知っているだろう。かつてこの大地を水に沈めた荒ぶる龍の伝説を」

 ずっと昔。まだいくつもの小国がこの大地を争っていたころの話だ。
 人々がみにくい争いを繰り返し、大地を血で汚したことに怒った神獣である龍が、大地の汚れを洗い流すために雨を降らせた。その雨は数ヶ月にも及び、人々は水に沈む大地をただ眺めることしかできなかったという。その龍の怒りを解き、大地を取り戻した者たちの子孫だけがこの大地に住むことを許されたという伝承は、宗国に住む者なら誰もが知っている。
 宗国では龍を象徴として崇めており、毎年に龍をまつる祈祷祭が行われていた。

「そうだ。焔家はその龍を鎮めるいけにえに、娘を差し出した家なのさ」

 それならば英雄ではないか、と雪花は言いたかったが、興に乗ったように喋り続ける瑠親王に口を挟むことはできない。
 瑠親王はまるで歌劇の役者になったかのように大げさな身振り手振りで話を続けた。

「ただいけにえを出しただけならば、焔家は英雄にもなれただろう。だが、焔家が差し出したいけにえの娘は、なぜか生きて帰ってきてしまった」
「生きて?」
「そう。戻ったとき、その娘は子をはらんでいたという。当時の権力者は、娘をいけにえに差し出したと見せかけて逃がしたのだと焔家を糾弾した。当主は有無を言わさず処刑された。だが、そのすぐあと、娘が産んだ子どもには龍のうろこがあったそうだ。娘は龍の子をはらんでいたのさ」
「龍の子……」
「父親を殺された娘は嘆き悲しみ、そのまま業死した。残された子どももみ子として葬るべきだという声もあったが、龍の子を殺せばどんな祟りがあるかわからない。故に、子どもは焔家に返されて育てられることになった。不思議なことに、その子が泣けば雨が降り、怒れば日照りが続いたという。子どもは成長したのちは、他の追随を許さぬほどの仙力を持った道士となり、焔家の血統を繋いだ」

 そんな話は聞いたことがない。もしそれが事実ならば、それはあらひとがみの血筋と呼べるのではないか。皇族よりも尊いかもしれない。
 驚きを隠しきれず、雪花は瑠親王から目を離せないでいた。

「その力に目をつけた者は少なくない。だが、焔家を利用した者は必ず命を落とすと言われている。焔家の血は呪われているのだ」

 人ならざる者の血を引く家系。誤った関わり方をすれば神に呪われ、うとまれる。
 恐ろしい、と瑠親王が口にしたのも頷ける。

「まあそれはずっと昔の話で、龍の力を持った者はずいぶん長いこと生まれていないと聞く。その証拠に、お前も焔家についてなにも知らなかっただろう?」
「はい」
「焔家はおとろえ、今や直系は当主である焔蓮一人。変わり者が故に、いい歳をして嫁の一人も迎えていないそうだ。兄上は、焔家がこのまま絶えてしまうことを案じているのだろう。たとえまゆつばの伝承だとしても、龍の血脈を自分の代で絶やしたとなれば、どんな呪いが降りかかるかわからんからな」
「……」
「なんだ、震えているのか? 安心しろ。龍の血を引いていると言っても、焔蓮は普通の人間の形をしていた。少々陰気で偏屈な男ではあるが、お前にはよく似合いの夫になるだろうよ」

 雪花が震えていたのは、自分が任されたことの大きさに気がついたからだった。
 利普は褒美として雪花を嫁入りさせると言ったが、それは建前だったのだ。
 本当の役目は、人質でも監視でもない。子どもを産み、焔家の尊い血を保つことなのだと。
 それを瑠親王は恐れと見たのだろう。必死に考え込んでいるようすの雪花を、爛々らんらんとした瞳で嬉しそうに見つめていた。

「龍の怒りを買うようなことがあれば、兄上の汚点になることを忘れるな」

 うつむいたままの雪花の肩を乱暴に叩き、満足げな笑みを浮かべる。
 瑠親王が今日ここに出向いたのは、雪花の結婚を祝うためなどではなく、絶望に突き落とすためだ。
 どこまでも雪花という存在をうとみ、加虐の的だと考えている瑠親王とその後ろにいるのであろう麗貴妃の思惑に、雪花は胃のを掴まれたような気持ちになった。

「お前の母も、きっとこの婚儀を喜んでいるだろうよ」
「っ……!」

 母のことを持ち出され、雪花は弾かれたように顔を上げた。瑠親王はそんな雪花を見降ろし、ますます笑みを深める。
 自分の前では感情を隠し、怯えているばかりの妹が、心を動かしたことが嬉しくてたまらないという顔だ。そのいびつさに、雪花は眩暈めまいがしそうなほどの憤りを感じずにはいられない。

(どうしてあなたが母のことを口にするの……!)

 反論したくてたまらなかった。怒りのままに問い詰め、どうして母が死ななければならなかったのかと瑠親王に掴みかかりたかった。
 爪が手のひらに食い込むほど強く握りしめ、雪花は必死に自分の感情を抑え込む。
 これはすべて瑠親王の策なのだろう。婚儀への不安をあおり、ここで雪花を追い詰め、なにか失敗をさせたいに違いない。
 そうすれば、この話は台無しになり、普剣帝の顔に泥を塗ることになる。それだけは絶対に避けたかった。

「瑠親王殿下のお気遣いに心より感謝いたします」

 震える声でそう呟くのが雪花にとっての精一杯だった。

「ふん」

 おもしろくなさそうに鼻を鳴らした瑠親王だったが、またすぐに意地の悪い笑みを浮かべ、己のふところから小さな銀色の腕輪を取り出した。
 黒い玉が埋まったそれは、不気味に光り輝いている。

「これもお前にやろう。舶来ものの逸品だ」

 言うが早いか、瑠親王は雪花の腕を掴むと、それを手首にはめてしまった。冷たい金属の感触に雪花は身を固くする。
 折れてしまいそうなほど細い雪花の手首にそのな腕輪はあまりに不釣り合いだったが、瑠親王は満足したのか、そのまま背を向けて月花宮を出ていった。
 ようやく静寂を取り戻した月花宮の庭は、積み上げられた品々で圧迫されていた。雪花はそれらをすべて投げ捨てたい思いだった。
 こんなものはいらない、母を返せ、と叫びたかった。

「公主さま……おいたわしい……」

 優しく背中をでてくれる明心がいなければ、とっくに心を壊していたかもしれない。

「とにかく、頂いたものを片づけましょう」

 気が重かったが、そのままにしておくわけにもいかない。
 届けられた品の大半は、後宮から持ち出すのがためらわれるような高価な物ばかりだった。手放すにしても手段が思い浮かばず、雪花は途方に暮れる。

「拍太監殿に相談してみては?」
「そうね、それがいいかもしれない」

 置いたままにしてこうなどしたら、それこそなにを言われるかわかったものではない。官吏に留守を頼むと、雪花と明心は連れだって月花宮を出た。

「公主さまが自ら行かれなくてもよいのではないですか?」
「明心一人で外に出すほうが心配だわ。それに少し気分転換がしたかったら、ちょうどいいのよ」

 後宮は広いうえに、月花宮は最奥に位置している。
 使いを出すにしても、高齢の明心だけで行かせるのは不安が大きかった。外を歩けば官吏もいるかもしれないと考えながら、長い通路を歩く。

「……ふう」

 すでに夕刻近い空はわずかに茜色に染まっていた。
 普段ならばとうにゆうの支度をしているころだが、今日は食欲が湧きそうにない。
 本殿に呼ばれて利普と会い、婚儀の勅命を受け、そのうえ瑠親王からいらぬ贈り物を押しつけられ。
 無理矢理つけられた腕輪は、外れる気配がない。肌に食い込む金属の感触が痛かった。
 拍に頼んで外す手段を考えてもらおうと思っていると、不意に視界に影が差した。
 驚いて顔を上げた雪花の前には、黒い服を着た背の高い男性が立っていた。垂布のついた帽子を被っているため顔かたちはわからないが、立ち姿からは気品が感じられる。

「突然なんですか! 公主さまの前に立つなど、無礼ですよ」

 明心が声を荒らげ、男と雪花の間に立ちはだかった。
 その言葉を当然だとは思ったが、雪花はなぜか男を怖いとも不気味とも感じず、荒ぶる明心の肩を叩き、落ち着かせようとする。
 その瞬間、雪花の件の腕輪が急に熱を帯びた。
 肌を焼くような痛みに、雪花は思わず悲鳴を上げた。

「熱っ!」
「失礼」

 低く、心地のいい声が鼓膜をでる。
 伸びてきた男の手が腕輪に触れ、形を確かめるように表面をでた。
 その瞬間、頭の中で大きな鐘が打ち鳴らされたような音が響き、全身の血が逆流していくような不可解な感覚に視界が揺れ、身体が傾ぐ。

「おっと」

 大きな手が雪花の肩を抱き、引き寄せてくれた。大人びた香りが鼻腔をくすぐる。

「大丈夫ですか?」
「はい……」
「たちの悪いものを押しつけられたようですね。これからは気をつけてください」
「え?」

 地面になにかが落ちる音がして視線を落とす。そこには、先ほど瑠親王からつけられた腕輪が割れて転がっていた。

「大変!」
「触ってはいけません」

 慌てて拾おうとした雪花を、男が押しとどめる。
 なぜそのようなことを言うのかと納得できない気持ちで腕輪を見つめていると、黒い玉が鈍い音を立てて砕け散った。

「ひ!」

 割れた宝玉からは黒いもやが立ち上がり、手のひらに載る大きさの人の形になった。それはなにかを探すように腕輪の周りをぐるぐると回っている。
 おぞましい、と本能的な怯えが雪花をおそった。背筋が凍り、その場で動けなくなる。男が支えてくれなければ、倒れていたかもしれない。

「ずいぶんとゆがんだ呪いだ」
「呪い!?」
「まさかそんな!」

 雪花と明心の悲鳴が重なる。
 呪い。それは誰かを苦しめ、おとしめるためのおぞましい呪法だ。そんなものが存在していることは知っていたが、この目で見るのははじめてだった。
 なにより、どんな理由であれ、皇族に呪法を使うことは禁じられているはずなのに。

「誰があなたにこれを?」

 男の問いに雪花は言葉を詰まらせる。
 ここで瑠親王の名前を出していいのだろうかと。そもそも、この人は誰なのだろうという疑問でうまく喋れない。

「これは先ほど、身内から、頂いたばかりのもので……」
「それは運がよかった。長く身につけていれば御身を害していたでしょうね」

 男は指先でなにごとかの文字をえがくと、聞き慣れぬ音の言葉を発した。
 すると、人の形となっていた黒いもやがその場でもがき苦しみはじめる。時間にしてほんの数秒、瞬きをする間に、それは消えてなくなってしまった。

「これでもう安心です」
「は……」

 無意識のうちに詰めていた気を吐きだしながら、雪花はその場に座り込む。明心もまた、放心したように雪花に寄り添いながらへたりこんでいた。

「ご無事でよかった。悪い気を感じたので、気配をたどってここまで来たのです。突然のご無礼、お許しください」

 地面に膝をつき、静かに頭を下げる男の所作は美しかった。

「これにはもう触れませぬように。人を呼んでまいりますので、お待ちください」
「あ……!」

 待って、と声をかけようとした雪花を残し男は早足に去っていく。その大きな背中をぼんやりと見つめながら、雪花は小さな胸を高鳴らせていた。


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