地下街

阿房宗児

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マッドサイエンティスト アダム

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ジョゼフィーヌは勝手に扉を開けて入る。自分もそれに続く。研究所と言っても、丸い建物が縦に二つ並んでいる、無個性な平屋の建物。室内も実験器具はおろか、ほとんどなにも見当たらなかった。あったのは丸テーブルと椅子が数脚、あとは壁際にいくつものケーブルで繋がれている車椅子だけ。車椅子に繋がれていたケーブルが音もなく外れ、こちらを振り返った。そこに居たのは、映画ワンポイントオーのアダムだった。ジョゼフィーヌは来訪の理由をアダムに告げて帰っていく。アダムの背丈は車椅子を合わせても、自分の半分以下、映画では頭の一部が外されていたが、その部分も装着され、ビニール素材のような、つやつやとし、のっぺりとしている感触を想像させた。相変わらず童のような顔をしている。車椅子とアダムの顔を繋げているもの。それは黒の長細い四角い箱。車椅子にコントロールの類いが見られないが、車椅子は動く度に静かなモーター音がしていた。自分が先に口を開いた。
「ファーム社のことを知っているって聞いたんだけど。」
アダム「ファーム社」
映画と同様に、アダムがネットに繋ぐときの、かん高い音が響く。しばらくは無言でアダムは身動き一つしない。もう一度かん高い音が響く。アダムが顔を上げ、人形の目で自分を真っ直ぐに見て喋り始めた。それはファーム社のことではなく、自分のことだった。自分の身長から体重、家族構成から、幼年期の自分からの視点と、第三者の視点、さらに両親からの視点を組み合わせた、話を語り始める。自分という本人に向かって、淡々と朗読するようなところからして、どうやらさっき、アダムがインターネットに接続したのは、自分の個人情報をハッキングしたのだと思う。しかしどこに自分の緻密に記録されたファイルが存在しているのだろう?自分は質問を挟もうと片手を挙げる。
アダム「中断しますか?続行しますか?」
さっきまでとは別の電子音で聞いてきた。自分が黙っていると同じ質問を繰り返す。
「それにかかる所要時間は?」
「3333日かかる予定です。」
自分はもちろん中断してもらった。しかしその最後はどこまで記録されているのかが気になって、それを聞いてみた。
「ではラストチャプターまでスキップします。」
自分は無言で頷く。
「あなたは自身の作品を持って、裁判所に向かう姿が街灯メデアによって撮影されています。これにてファイル終了。」
        ・
「君自身の説明をしたよ。それで、君はどうしてファーム社のことが知りたいんだい?サイモン。」
「自分はサイモンじゃないよ。」
「あぁ、すまない。人間はみんなサイモンと呼んでしまうんだ。」
自分はここに来た理由を説明した。またもやアダムは例のかん高い音を立てて、その後一気に喋り始めた。

そうさ、君が思っている通りさ。あの映画は実際この街で起こった出来事を元に作られた映画、もしくは偶然の一致。実際の出来事が起きてから、ずっと後に街のメデアをハッキングした住人がいてね、その人間のアイデアが元になっているんじゃないかな。

当時、実際に起きた事件はどんなものだったの?ファーム社とはなにか?

まずあの映画と似たような人達が、実際にこの街にいた。アパートの構造も一緒でね。

知っている。自分はそのアパートに住んでいるから。しかも617号室だ。

ますます君をサイモンって呼びたくなるよ。まず映画でいうところのファーム社というのは、この街の資金源でもある株式会社地下街から資金を得て、現在街でも使用されている、沈鬱剤と興奮剤の元となる薬を開発していた。そしてそれの実験場として、あのアパートの一部の人間が無作為に選ばれた。そしてその住人の中にサイモンがいた。映画同様、現実のサイモンもファーム社からコード解析を頼まれていたが、それは偶然だった。何故無断で人体実験が行われたか?それはファーム社のなかでの内部分裂が原因で、無断実験を行ったのは強硬派で、強硬派の主導のもとで行われた。穏健派は実験を妨害するためにアパートにスパイを潜り込ませ、反社会性を持った住人にコンタクトを取り無断実験をリークした。このスパイと反社会性の住人の組み合わせは映画でいうところの、コーラ500と友人のアリスだね。この情報リークによって実験に狂いが生じた。強硬派は実験を取り止めるどころか、実験対象をアパート全体に広げた。当初はアパートの一部だけの人間が対象だったからね。そしてようやく映画の主人公のサイモンが登場する。

実はこのサイモンが自分の実の父親でね。最初にサイモンに気付いたのは穏健派の女幹部だった。これが映画でいうところのデボラ、デボラが自分の母親になる。デボラも偶然によってサイモンを見つけたんだ。話はサイモンがコード解析を終えた頃に、強硬派の実験拡大により、サイモンの部屋にも高濃度の沈鬱剤と興奮が、空調のダクトをから流し込まれる。そのせいでサイモンは精神に異常をきたし、コード解析のデータが保存しているPCを、幻覚のうちに細かく分解して食べてしまった。サイモンはもちろん倒れて病院に搬送される。その病院こそが、穏健派の隠れ蓑でもあり、デボラの親族が経営する病院だった。デボラもその病院で研究をしていたしね。そして元々サイモンがコード解析していたのが、新技術の画期的なプログラミング言語やそのアルゴニズムに関するもので、非常に画期的なものだった。そんなことを当時は誰も気づいていなかった。最初はその価値やサイモンに気づいていた人間はいなかった。ただ入院しているサイモンの病状は良くならないし、奇妙な現象がサイモンの身の回りに起こるので、それでようやくデボラの耳に届き、デボラはサイモンを徹底的に調べあげた。その結果サイモンの体は、コード解析したデータをDNAに上書きしていた。それが原因で、サイモンの身の回りで、医療器具や最新器具がパワーダウンする原因になっていた。つまりサイモンはPCを食べてしまい、そのコードに関するデータはサイモンの、体に流れる神経等の微弱な電流に乗り、サイモンの体を駆け巡り、最も神経が集まり、電力が集まる脳に寄生した。しかしサイモンの肉体の方はどんどん弱っていく。そこでデボラは、自らの性欲解消とDNAに刻まれたコードを得るためにサイモンの子を宿した。実際は大きな賭けだったろうね。そしてその子供が自分で、映画のアダムだね。映画しか見ていない君は混乱するだろうね。でも、ざっくり話すとこれが映画の元となった事件さ。

「ウドギアーは?」
「悪いけど単なる創作のキャラクター。でも
ウドギアーには、実際のサイモンの性格が反映されているね。覗き趣味とか、音楽の趣味とか。」
「大家とゴミ収集人は?」
「そう、最初はアパートの一部だけの人間が対象だったから。」
「ハワードは?」
「映画では死の象徴として描かれている。だけどハワードのセリフはこの街の出身者の経験からのものだろうね。目覚めたときこそ反撃のとき、とかね。」
「そして時間が経って、誰かがメデアをハッキングして、過去のこの事件を元に小説やら脚本を作ったってわけ?」
「そういうことだよ。サイモン。彼も自分を訪ねてきたよ。」
「その彼が映画の監督なのかな?」
「違うと思うよ。たぶん別人だね。確証はないけれど。」
「難しい話だね。まだ分からないことが一杯あるよ。どうしてファーム社は興奮剤や、沈鬱剤を作っていたの?単なる製薬会社だから?」
「その話をするなら、もっと込み入った話もしなければいけない。」
すると足元から白い猫が尻尾を立てて表れる。自分の体が緊張で固まる。猫は車椅子に飛び乗り、アダムの耳元で喋るように口を開け閉めしているが、もちろん何一つ声は聞こえない。そして何事もなかったように、またもや自分の両足の隙間をすり抜けて、入り口の隙間から出ていった。やたらと尻尾をこすりつけてくる。
「お上の許しも出たから、続きは自分の研究を紹介しながらにしよう。君たち人間の手と足の話さ。」
アダムは奥に続く扉へと進み、自分もそれに続いた。扉の向こうは通路になっており、両側の壁に液体に満たされたいくつもの水槽が取り付けられていた。それは半円形の天井まで届こうとしている。水槽の中には様々なものが浮かんでいた。向かって左側の水槽には生足を含む、足に関するものが浮かんでいた。右側が手に関するもの。生足や生の手、またそれぞれの指だけが入れられているのもあれば、じゃんけんの形に固まっているもの、踵部分のみ、または肉が剥ぎ取られ骨格だけになっているもの、手袋に靴、ハイヒールにブーツ、靴下、または動物の手足、魚のえら、尾びれ、植物の根や枝や葉、水槽の中では時々気泡が下から浮き上がり、それによって中のものが動いたような気がした。もちろん湧き上がる気泡のせいだと思うが…自分はそんな光景に見とれて立ち止まっていた。先を行くアダムがこちらを振り向く。
「このコレクションを置くときに、どちらの方角を正面として考えるかで悩んだよ。と言っても二択なんだけどね。それかバラバラに置くかだけど、整頓されていないのは好きじゃないんだ。手は右脳を表しているし、足は左脳を表している。今と同じ居間兼応接室から研究室に向かう方を正面とするか、または逆か。ちょうど研究室の方角は大まかに裁判所の方角で、居間の方角は刑務所。こういう時、人間は正座を基準にしてきたよね。つまり南北東西。でもここには星は浮かんでいない。この問題の焦点は人間さ。人間は地上を経由して、ここにやってくるのか、または裁判所を通って地上に出るのか。」
廊下は長く、コレクションも途切れることがない。アダムは喋り続ける。
「人間に興味を持ったのは、やっぱり自分の出生の出来事だね。人間。人間について君はどう思う?別にサイモンがどう思っていてもかまわないけど、実際人間というものを定義するのは難しいんだ。まぁ化け物達は「定義する」という概念さえ間違っているっていう考え方らしくて、それはある意味そうなんだけど、やっぱり自分はそれでもつい、興味あるものは追い求めてしまう。まぁ研究室に行けば分かるよ。生理的に拒絶するかもだけど、果たして人間という存在はあるのか?答えは微妙だよ。サイモン。」
「…サイモンじゃないよ。」
「いや、やっぱり話の続きは向こうについてからにしよう。」
アダムはそれっきり黙り、自分も無言で長い廊下を歩いていった。
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