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変わり始める日常
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ーそうして、現在に至るー
立花先生から病気を宣告されて今日でちょうど1年になる。
家のカレンダーには、今日の日付のところに私の誕生日と書かれている。正直、どうだっていいけれど。
だって、私はあと1年もしないうちに"この世を去る"のだから。今日が私にとって最後の誕生日になるのだろう。
「あとどれくらい生きられるんだろう」
あの日、先生に告げられて言葉は、私の心を簡単に砕いてしまうくらいの破壊力を伴っていた。
頑丈なハンマーで石を粉々に砕いたかのように、修復不可能なまでにバラバラな形となって。
日光乾皮症と診断された私は、その日から太陽の下を歩けなくなった。
太陽の光を浴びることが、私の寿命を縮めていくらしい。
もし、「太陽の光を浴びたらどうなるのか」と先生に聞いたことがあったが、返答は恐ろしいものだった。
日光乾皮症の人が、太陽の下を歩くと瞬時に呼吸困難に陥り、数秒後には手足の痺れ、意識の朦朧や幻覚といった症状が現れるらしい。
そして、1時間もしないうちに死に至ると。まさに、死に至る病というわけだ。
太陽の下を歩くことになる場合は、日傘は絶対必須。肌の露出なんてもってのほか。
必然的に私の格好は、夏の暑い日でも長袖長ズボン。どんなに暑苦しくても命には変えられない。
私には、どうしても死ぬ前に叶えたい夢があるから。他のことはどうでもいいけれど、これだけは叶えることは難しいが叶えたい。
日光乾皮症の患者は例外なく、発症から2年以内に確実に亡くなると言われているらしい。
現に、全国で私を含め4人の日光乾皮症の患者がいるが、先日そのうちの1人が亡くなったと立花先生は言っていた。
その方は、日光乾皮症を発症して8ヶ月という1年にも満たない短期間で亡くなってしまった。
短すぎる命。先生からその話を聞いた時、会ったこともない他人のはずなのに涙が止まらなかったのを覚えている。
見ず知らずの他人だが、共に闘いあっている仲間の死を聞くのは辛い。
この病の怖いところはこれだけではない。亡くなる時ですら、楽になることができないんだ。
亡くなる瞬間、体が焼けるように体温が上昇し、体には赤いあざ模様を刻みながら命を落としていく。
これだけで、想像を絶するほどの痛みが伴うのが想像できてしまう。
あんまりすぎる。こんな残酷なことがあっていいのだろうか。
死ぬ時ですら、楽になることができないなんて、生きることも死ぬことも怖くて仕方がない。
毎日死への恐怖に追われ続けて生活することが、どんなに辛いことなのか。
この恐怖を知っているのは、日本中探しても簡単には見つからないだろう。
私の身近な人で、そういった人は誰1人としていないのだから。
「希空~、学校行くよ!」
「うん、今行く」
病気が発覚してからも私は、学校には通い続けた。両親からは無理をしなくてもいいと言われたが、学校に行かないと、することもないので退屈。
それに、なんか日常が崩れてしまったようで、気持ちが悪い。
万全の対策をしないといけないが、余生もできることなら普通の人と同じように生きたい。
例え、未来に絶望している少女でさえ、同級生たちと同じようにこの世を去るまでは普通に生きたいのだ。
私が日光乾皮症と知っているのは、先生たちや幼馴染で親友の未來だけ。
他にも仲の良い友達もいるけれど、その子たちの負担にはなりたくないので詳しいことは話してはいない。
『紫外線を受けると体調を崩す』くらいには話したっけ?
ま、そんなざっくりした感じの内容くらいしか話していない。
「ちょっと車のエンジンかけてくるから、支度済ませといてね」
「はーい」
携帯のアプリでとある人物にメッセージを送る。携帯を前にして待機していたのか、送った瞬間に既読がつき、若干引いてしまう。
その辺りも含めて好きなのだが。私のことを大切にしてくれているのが、彼女なりに伝わってくるから。
「希空、行くよ~!」
「今出る~」
玄関に置かれている傘立てから日常的に使っている日傘を手に取る。
玄関から車に向かう途中でも、太陽の光は私のことを見逃してはくれない。常に細心の注意を払いながら生活しないといけないのは、かなり神経がすり減る。
たった3歩ほどで着く距離なのに、日傘をささないといけないもどかしさ。時間にして1秒にも満たないのに...
ゆっくりと日傘を開いて、太陽の光を完全に遮断する。既に開かれている車の後部座席に乗り込む。
その間にも光は私を照らすので、母に日傘を持ってもらい避けながら座席に座る。
この体になってから私が1人でできることは格段に減った。それが、何よりも申し訳ない。
特に両親と未來には多大なる迷惑をかけているのに、誰1人として嫌な顔をしないのが、私には辛い。
少しくらい嫌な顔をされた方が、まだ頼りやすいのに。
みんなして私のことを1番に考えてくれているんだ。それなのに、私はみんなに何もしてあげることができない。
「ちょっと~! なに、辛気臭い顔してんの?」
「未來・・・」
「おばさん、おはよう!」
「おはよう未來ちゃん。今日も希空のことよろしくね」
「もっちろんですよ! この世で1番大好きな親友のためならなんだってします!」
「頼もしいわね」
私が病気を発症してからというもの、未來も登下校の際、母の運転する車に乗るようになった。もちろん、私のために。
走り出す車の後部座席に2人並んで座り、移りゆく景色を眺めながら学校へと向かう。
どこまでも続く変わらぬ空を眺めながら、車は学校へと進んでいく。
空は変わることはないのに、近くに見える家々やお店が変わっていくのは不思議。
空だって止まっているわけではないのに、止まって見えてしまう。まるで、1年前に忘れてきた私の正の感情のように止まっているみたい。
時折、私たちと同じ制服を着た子たちが、自転車で通学をしているのを見ると、つい目を逸らしてしまいたくなる。
去年までは、私も未來と自転車で通学していた頃を何度も思い出してしまうから。
「あ、そうだ! こっそり先生から聞いたんだけど今日ね、うちのクラスに転校生来るらしいよ」
「え、この時期に?」
「そうそう、この時期に」
「もう7月だよ?」
「んね。なんでこの時期なんだろうね。何か事情でもあるのかもね」
「ま、私には関係ないよ。保健室登校だからね」
「わかんないよ~? 保健室でばったり・・・なんて展開が待っているかもよ?」
「そんな上手い話があるかな」
賑やかになる車内。ルームミラー越しに母の笑った瞳が一瞬だけ映る。
この時は、まだこの話が本当のことになるとは、ここにいる誰もが予想していなかった。
彼との出会いが、私の人生を大きく変えるということも...
「もうすぐ学校に着くからね。降りる準備をしておいてよ」
『はーい』
2人揃ってタイミングよく返事をする私たち。あまりにもピッタリすぎて思わず笑ってしまう。
「本当にあんたたちは仲がいいわね」
「そりゃそうですよ。何年一緒にいると思ってるんですか」
「羨ましいね。これからも希空のことをよろしくね、未來ちゃん・・・」
母の言う「よろしく」とはどんな意味なのだろうか。私はあと1年も生きることができないのに、母はそれを疑っているみたいだ。
私はこの先も生き続けると信じているみたいに。
そんなことは絶対にあり得ないことだとわかっているのに、信じて疑わないのは私の母親だからに違いない。
だから、そんな前向きな言葉を言われるたびに私の胸は締め付けられる。
私はあと1年以上生きられるとは、微塵も思ってはいないのだから。
奇跡なんてものは存在しない。むしろ期待するだけ無駄なんだ。
日光乾皮症だと診断されたあの日から、私は不思議と自分の死を受け入れてしまったのかもしれない。
「はい! これから先もずっっっと一緒です! そうだよね、希空?」
私に向けられるその笑顔が、喜びよりも虚しさが優ってしまうのはどうしてなんだろう?
母や未來が私は生きると信じているのに、その期待に応えようとしない私は最低なやつだ。
「う、うん。そうだね」
無理やり口角を上に上げ、引き攣った笑顔を作り出す。
ぐちゃぐちゃに入り乱れた感情が、顔に映し出されていそうで怖い。
「さ、2人ともついたわよ。気をつけていってらっしゃい!」
「いってきます!」
「いってきます・・・」
未來と同じ言葉のはずなのに、言葉に込められた気持ちが全く違く感じる。
先に未來が車から降りて、日傘を準備する。車に乗る時と同様に、降りる時も油断ならない。
日差しを遮る大きな真っ黒な傘。人を2人分覆い尽くせるほどの大きさ。
車から降りると同時に肌に伝わってくる、もわっとした空気の塊。
私だけが日傘に隠れるように、2人並んで歩き始める。
遠くに見える景色が、暑さのせいか歪んで見える。『かげろう』という現象らしい。
私たちを通り越していく生徒たちの首筋には、汗が垂れるように流れている。
みんなの格好は、腕を曝け出した半袖の制服スタイル。去年までは、自分もあの半袖を着ていたんだと思うと名残惜しい。
隣を歩く、未來は私のためを思ってなのか夏で暑いにもかかわらず、長袖を着用している。
彼女の優しさが、嬉しい反面申し訳ない気持ちになってしまう。
私がいることで、彼女の行動を制限してしまっているのではと...
「ねぇ、希空」
「ん?」
「夏休みになったらさ、遊ぼうよ!」
「いいよ。何かしたいことでもあるの?」
「んー、これと言ってはないけど。私たちが存分に遊べる夏は今年が最後じゃん?」
彼女の言う『最後』とはどういった想いを含めての『最後』なのだろうか。
私の最後の夏...いいや、未來の言う最後の夏は、きっと来年から私たちは高校3年生になるので、目一杯遊べる夏は今年で最後という意味。
こんな些細なことで、悲観的になってしまう自分にうんざりする。こうなってしまったのも全部病気のせいなのに...
「未來と遊べるなら、私はなんでもいいよ」
悲しみを孕んだ私の言葉に彼女は、気づいているのだろうか。もし、気づいているのに明るく接してくれているのなら本当に申し訳ない。
「もう、本当に希空は可愛いんだから~! 私も希空さえいれば、なんでも楽しいよ」
うん。多分気づいてはいないに違いない。この底抜けの明るさのおかげで、私は何度も助けられてきた。
病気になる前からもずっと未來には、感謝しきれないほどの恩がある。
「希空~! またお昼ね! 保健室で待っててよ~」
「わかった。前みたいに急ぎすぎて転ばないでよ」
「へへへ、気をつけます!」
私に背を向け、2年3組の教室へと向かっていく彼女。背中の半分くらいまで伸びた真っ黒な綺麗な髪の毛が、振り子のように左右に大きく揺れる。
それに比べ、私の髪の毛は...病気を発症したのをきっかけに徐々に色が抜け始めた。
今では、完全に真っ白な髪の毛へと変化してしまった。未來には、「綺麗な色」と言われたが、私的にはみんなと同じ黒に染まった髪の毛がいい。
何度か嫌になって、髪を染めてはみたが、すぐさま根本から白くなってしまうので、今ではもう諦めてしまった。
太陽の光を浴びていないせいか、髪だけではなく肌も真っ白すぎて鏡に映る自分を見ると、少しだけゾワッとしてしまう。
中学校時代の友人が今の私を見たら、きっと私だと認知する人は片手で収まるくらいだろう。
昇降口で未來と別れ、私はもう一度外へと戻る。これから、保健室に行くのだが、さすがに校舎内で傘をさすのはまずいので、普段から私は保健室に外から入室している。
学校内だからといって、太陽の光が差し込んでいない場所はそうそうない。むしろ、光が入らないように設計されている学校の方が珍しいだろう。
そんな学校が存在するとは思えないが。
本来なら、カーテンが開かれているはずの保健室。閉め切られているのは、もちろん私のため。
"コンコン"
保健室のガラスをノックすると、普段からお世話になっている朱美先生が顔を出す。
「あら、今日はいつもよりちょっと早いわね」
「あーちゃん、おはよう」
「おはよ、希空。まだあーちゃんって呼ばれるのは慣れないわね」
「えー、そろそろ慣れてよ。もう半年くらいになるんだから」
「はいはい。慣れるようにする。それと、他の生徒の前では『朱美先生』だからね!」
「はいはーい」
「こら、『はい』は1回でしょ!」
「あーちゃんだって、『はいはい』って言ってたよ~」
「あっ・・・そ、そんなことはいいから早く入りな!」
靴を脱いで、片手に靴を持ちながら入室する。当然、日傘はまだ開いたまま。
私が保健室に入ったのを確認すると、すぐさまカーテンを閉めて日光を遮断するあーちゃん。
「あーちゃん、ありがとう」
「いつものことでしょ」
「つめたーい」
「ここにいる時だけ、希空は我儘になるから、このくらいがちょうどいいわ」
「それは言えてるな」
私は、あーちゃんには両親や未來とは違った意味で心を開ききっている。
いつからこんな関係になったのかまでは、覚えてはいないが、あーちゃんと過ごす時間は意外と楽だったりする。
なんでもズバズバ言っても、あーちゃんは受け止めてくれる優しいお姉さんだから。
私が病気だとわかった時も、ただ黙って話を聞いてくれたのが懐かしい。
歳が9歳しか違わないのも、私が話しやすい理由のひとつだろう。
26歳という若さに加え、整った容姿のおかげでここを訪れる男性生徒は絶えない。
中には、わざとあーちゃんに治療してもらうために怪我をする人もいるのだとか。
本当に男子は、いつまで経っても少年なんだなと思ってしまう。
「あ、そうだ。私、今日朝用事あるから、ちょっといないけど大丈夫?」
「大丈夫だよ。いってらっしゃーい」
「ずいぶん軽いな。ま、誰か来たら適当に案内でもしといて。じゃ、よろしく~」
ひらひら舞う白衣を靡かせながら、保健室を出ていくあーちゃん。
私のことを散々言っていたが、彼女もかなり適当なのは否めない。
薬品の匂いが、ほのかに保健室内を満たしている。病院ほどではないが、時々鼻を掠める薬の匂いが、心地悪い。
1人残された静かな教室で、私はあーちゃんが戻ってくるのをただ待っていた。
"コンコン"
保健室の扉に人影が映る。誰かが、尋ねてきたみたいだが、生憎ここには私しか今はいない。
「し、失礼します」
「あ、どうも」
見たこともない顔の生徒が、扉の前で硬直している。少しだけ赤みがかった茶色いマッシュヘアーに、犬のような垂れ下がった目。見るからにして優しくて、弱気そうな彼。
上履きの色からして同級生なのだが、私は彼のことを知らない。
学年が3クラスと多いわけではないので、名前を知らない人はもちろんいるが、顔を見たことがない人はいないはず。
「う、うわぁぁぁぁぁ!」
当然叫び出す彼に、驚きのあまり体が仰け反ってしまう。
「ど、どうしたの?」
彼に怯えながらもなんとか声を振り絞り、彼にたずねる。
「しゃ、しゃ・・・」
「しゃ?」
「喋ってる・・・僕、とうとう幽霊が見えるようになっちゃったんだぁぁぁぁ!!」
「えー! どこに幽霊なんているの! 怖い助けて!」
"ガタンッ"
どうやら、驚きのあまり保健室の真ん中に置かれているテーブルの角に、足をぶつけたらしく痛み悶えている彼。
数秒後には、痛みが引いたのだろうか。
あれほど、騒いでいたはずの彼が急に真顔になりこちらをじっと見つめてくる。
「え、君って幽霊じゃないの?」
「・・・は?」
これが、私と太陽の最初の出会いだった。
彼の第一印象は、うるさくて失礼なやつ。だって、生きている人間のことを幽霊扱いするなんて、とんでもなく失礼なことだ。いくら、肌や髪の毛が白いからといって、幽霊だなんて。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。彼となら、仲良くなれる。そんな気がしたんだ。
「なんだ、君人間だったんだね。よかった~、本当にお化けかと思ったよ」
「初めてそんな失礼なこと言われたよ。人のことお化け扱いとか、なかなかだよ?」
「ごめんごめん。あまりにも君が透き通るほど、白くて綺麗だったから。現実感がなかったよ」
「そんなこと言っても許してあげないから」
「本当に申し訳ありませんでした」
「今回だけは、特別ね」
「ありがとう。ところで、君の名前はなんて言うの?」
「私は、蒼井希空。君は?」
「僕は、夜瀬太陽。実は、今日転校してきたばかりだから、君が初めての友達になるんだ」
彼が、未來が話していた今日から私たちのクラスメイトになる転校生だったのか。
でも、どうして彼は今ここにいるのだろう。もう、朝のホームルームは始まっているはずなのに。
ここにいるということは、彼にもそれなりの事情があるに違いない。
もしかしたら、何か聞かれたくないことでもあるのかもしれない。
「もうすぐで保健室の先生戻ってくると思うから、待ってるといいよ」
「んー、特に保健室に用事はないんだ」
「え、じゃあどうしてここにいるの?」
「その・・・迷ってしまいまして。自分のクラスまでの行き方がわからなくて・・・」
そんなことがあり得るのか。衝撃的すぎて言葉が出ない。彼は、方向音痴なのかそれとも、天然なのか。
どちらなのかはわからないが、確実に言えることがある。間違いなく彼はどこか抜けている。
保健室と私たちの教室は、そもそも階数が違うのだ。保健室は1階。2年3組の教室は、3階。
普通に過ごしていたら、迷うことなんてあり得ないのに。
それに事前に教室の場所は伝えられているはず...
「私が案内してあげたいけど・・・」
「話したくない理由があるんでしょ?無理に話そうとしなくてもいいよ」
「ごめん・・・」
「気にしないでよ。僕にもその気持ちはよくわかるから」
保健室の扉の前に戻り、立ちすくんだまま動かない彼。廊下の窓から校内に差し込んでいる太陽の光が、彼を神々しく照らしている。
保健室の入り口を境に引かれる『光と闇』の境界線。
当然、彼が光で私は闇。闇の中でしか生きられない私からすると、彼の姿が輝いて見えてくる。
「ねぇ。夜瀬くん」
「太陽」
「え?」
「僕のことは太陽って呼んでよ。僕も君のことは希空って呼ぶからさ」
急な名前呼びに、不覚にもドキッとしてしまう。思い返せば、異性に名前で呼ばれるのは、小学生以来かもしれない。
「うん、わかった。よろしくね、太陽」
「よろしく、希空」
ニコリと微笑む彼の顔が眩しすぎて、直視するのが困難なほど。
「あ、それでね。もうすぐここにあー・・・朱美先生が会議から戻ってくるから、朱美先生に教室まで案内してもらうといいよ」
「んー、それはいいかな」
「どうして?」
「どうせなら、転校してきたばかりだからこの学校を軽く見て回りながら、教室に行きたいからかな」
彼が何を言っているのか、私には全くこれっぽっちも理解できなかった。
既に遅刻をしているのに、急ぐそぶりを全く見せない彼。
私は知らなかった。彼もこの時から闘っていたことに。
彼が去って行った後の保健室は、1人でいた時は何も感じなかった私に孤独感を与えた。
今まで私が生きてきた中で、出会ったことがないタイプの人だったからなのか、彼のことが気になって仕方がない。
保健室は私のために、真っ黒なカーテンで光を遮断しているので、私が肌で感じられている光は人工的な天井に取り付けられた蛍光灯の光のみ。
太陽ほどの眩しさはない。あの煌めく私たちの体に元気をもたらしてくれる光が懐かしい。
そして、たまらないくらい恋しい。
「希空~、戻ってきたよ」
「あ、あーちゃん。もう、遅いよ~」
「ごめんって。用事が結構長引いちゃってさ」
「いいよ。あーちゃんも忙しいだろうからね」
「わかってるじゃん、希空」
「へへへ、そうでしょ」
「1番は希空の子守りが大変だけどね」
「こら~! 大変じゃない! それに、子守りって・・・私はもう高校生だよ!」
「ほら、勉強始めるよ」
「って完全にスルーじゃん」
知ってるよ。本当のことだもんね。あーちゃんの仕事で1番大変なのは、私のお世話だってことくらい。
各教科の先生たちが、他の生徒に授業をするように、私にはあーちゃんが全て教えてくれる。
それが、どんなに大変か。基本的に高校は、各教科先生が違うためそれぞれ担当が分かれている。
数学担当の先生が古典を教えることなど、まずあり得ない。
平気な顔をして私に教えてくれるあーちゃんは、きっと裏でものすごい勉強をしているに違いない。
昔習ったことを思い返しながら、夜な夜な高校生の勉強を復習しているなんて、心がギュッと締め付けられる。
自分の仕事だってあるはずなのに...
あーちゃんでもわからないところがあれば、担当教科の先生に聞きに行くことになっているが、1年間聞きに行ったことはない。
私が単に先生に聞きに行くのが、嫌とかではない。単純に聞きに行くことがないのだ。
なぜなら、目の前に座っている彼女が全て解決してくれるから。
時々、疑問に思ってしまう。彼女のどこに、勉強する時間があるのだろうと。
「・・・あ。希空。ちょっと、聞いてる?私が教えてあげてるってのに、ぼーっとしてるなんて失礼だわ」
「あ、ごめん」
「いいけど、さっきからどうしたの?珍しくぼーっとしちゃってさ。もしかして、センチメンタルになっちゃった?」
「センチメンタル?」
「そう。私には、もう勉強をする意味がないとか、マイナスなことを考えてたのかな~って」
(あぁ。あーちゃんからだと、私はそんなふうに見えていたのか。全くそんなことは考えてもいないのに)
「違うよ。なんであーちゃんは、全教科完璧に教えられるのかな~って思って」
手に持っていたシャープペンシルを不器用にくるくると回す。
うまくペンが回るはずもなく、ノートの上に無惨に落ちていくシャープペンシル。
「なんだ、そんなことか。それは、私が"天才"だからでしょ!」
ドヤ顔で言ってくるものだから、少し腹立たしい。
「ねぇ~、本当のこと教えてよ! あーちゃんってば、私のために夜な夜な勉強してるんでしょ?」
いつもおちゃらけているはずの彼女から、笑みが徐々に消え去っていく。
表情からでもわかる。どうやら、図星だったらしい。
「希空さ、それ本気で言ってる?私が自分の時間を削ってまで勉強するわけないじゃん。私の性格をよく知っている希空なら、わかるでしょ?」
「うぅ、確かに・・・でも、じゃあどうしてあーちゃんは、私に全教科完璧に教えられるわけ?」
「だからさっきも言ったじゃん。私は天才なんだって!」
再びいつもの彼女が戻ってきた。
「えー、信じられない。どんなトリックを使ってるんだ!」
「本当疑い深いな~。あのね、私実はT大学を卒業してるんだよ」
驚きで声も出ない。T大学といえば、日本トップクラスの大学名だ。
まさか、そんな名門大学を卒業しているなんて思いもしなかった。
「あ、あーちゃんって天才なんだね・・・疑ってごめん」
「全くだよ。ま、信じてもらえないのは何も今回だけじゃないからいいけどね」
「でも、どうしてそんなすごい大学出てるのに、高校の看護教諭になろうと思ったの?」
素朴な疑問だった。T大学ともなれば、就職先はいくらでもあったはず。
手に余るくらいの数多くの有名企業とやらが。
「えー、なんでかな。なんとなくって言ったら怒る?」
悪い顔して私の心を覗くように微笑む彼女。
「怒らないけど、勿体無いなとは思うかな。あーちゃんの人生だから、あまり口うるさくは言わないけどね」
「意外と希空って大人なんだね。そうだな~、強いていうなら、助けてあげたかった」
「誰を?」
「未来ある若者たちを。苦しくて1人で悩んで、抱え込んでいる時に手を差し伸べて助けてあげられる存在になりたかった。誰しもが、友人や両親に悩みを打ち明けられるわけではないから。そんな子たちの支えになりたかった。希空なら、薄々わかるでしょ?」
わかるどころではない。それ以上だ。私が完全に嘘偽りなく本音を話せる相手は、今のところあーちゃんしかいない。
病気になる前は、未來にも話せない悩みなど存在しなかった。しかし、病気になってから私は、肝心な本心を彼女には告げていたい。
これ以上、彼女に迷惑をかけたくはないという理由を建前に逃げているだけなのかもしれない。
両親や親友の未來には、話せない心の奥に潜んでいる悩みがある。でも、そんな悩みすらもあーちゃんには打ち明けてしまっている。
私の奥に眠る弱い部分や醜い部分でさえ。なんなら、前にあーちゃんの前で『死にたくない』と号泣して困らせたことだってある。
「そうだったんだ。なんか、意外と考えてるんだね。ちょっとだけ見直したよ」
「でしょ?ま、勉強はもう飽きたから教師じゃなくて養護教諭にしたんだけどね」
「あーあ。その一言で今の感動台無し」
「そ、そんな~」
初夏に蝉の鳴き声が、私たちに夏の始まりを告げていく。
自分の目で夏を感じることは難しいが、肌を撫でる暑さだけはもう夏の空気だと感じることが私にもできた。
”キーンコーンカーンコーン"
校内に4時間目の授業終了の鐘が鳴り響く。45分間のお昼休憩がスタートする。
あと数分もしないうちに校内は、楽しげな声で賑わい始めるだろう。
私のいる保健室までは、そこまで声は響いてはこないが、無数の足音だけは上からいくつも聞こえる。
「さ、休憩休憩! じゃ、また午後の授業で!」
足早に教室を出ていくあーちゃん。颯爽と出ていくあまり、着用している白衣が風と同化するように靡いていた。
テーブルの上に散乱している教科書類をテーブルの端の方で整頓しておく。私が勉強している間、あーちゃんも何やら勉強をしていたが、手にしていた分厚い本を見ただけで眩暈がした。
やはり、天才というのは本当だったのかもしれない。
あーちゃんが出て行った後の保健室は、主人を失ったかのように静けさ。
彼女がお昼休みになると、すぐに教室を出ていくには理由がある。私と未來が2人で休憩をしやすいように場所を提供してくれているのだ。
きっと彼女は私にバレていないと思っているが、当然私にはバレバレ。
あえてそのことを告げずに出ていくのは、彼女の優しさのひとつなのだろう。
『失礼します』の声と同時に保健室の中に入室する未來。
手には、可愛らしいピンクの花柄のお弁当入れの袋を持っている。
「一緒に食べにきたよ~!」
「待ってたよ、未來」
この言葉に嘘偽りはない。話せない弱音はあるが、未來は私にとって家族同然の大切な人。
「今日も朱美先生は、出て行っちゃったの?」
「うん。あーちゃんも一緒に食べればいいのに・・・」
未來の前では、気が緩んでしまうのでついつい『あーちゃん』と呼んでしまう。最初は戸惑ってもいたが、今ではすっかり馴染んでしまった。
「いいな~。私も朱美先生と仲良くなりたいよ。あんな綺麗な人と仲がいいなんて羨ましい」
「なんか未來、今の言動、容姿目当ての男子高校生っぽい」
「確かに」
ゲラゲラと声に出して豪快に笑い合う私たち。これこそ、まさに男子高校生そのもの。
生憎、私たちの辞書には『穏やかに笑う』といった可愛らしい表現は存在すらしていない。
「さ、食べよっか」
「そうだね」
向かい合って座り、手を重ね合わせる。
『いただきます』
重なり合う2人の声が、閉ざされた保健室の内側から光を灯していくのだった。
時間をかけて作られた手作り弁当を米粒ひとつ残すことなく綺麗に平らげる。
「ふぅ~、食べた食べた!緑茶でも飲みたくなるね」
「今度は年寄りくさいね、未來」
「確かに」
さっきも似たようなくだりをしたことを思い返す。壁にかけられている時計を見ると、休み時間が残り20分まで減っていた。
時計の針が止まることなく、円を書くように1秒、また1秒と、こうしている間にも時間は流れていく。
確実に今を生きている人たちは、私と同様に着実に寿命が減り続けている。
私のベクトルとは、進んでいく方向は同じだが、緩やかさは全くの別物だろうけれど。
「そういえば、転校生の子はどう?」
太陽...と名前を出そうかと思ったが、紛らわしくなるのは御免なので、あえて『転校生』と壁を張る。
「あぁ~、それがさ。顔はかっこいいんだけどさ、だいぶ変わってるんだよね」
頭に浮かんでくるのは、今朝彼と会話した記憶。
「ど、どんなところが?」
該当している部分がありすぎて、共感してしまいそうになる。
「結構あるんだけど。まず、転校初日から遅刻してきた挙句、理由が校舎内を散歩してましたって理由がぶっとんでない?」
(あぁ、太陽は本当に校舎内を探索してから教室に向かったんだ・・・)
「え、そ、そうなんだ」
「なんか反応薄くない?だいぶ問題だと思うけど」
「いや、驚きすぎて言葉がね・・・」
私も初めて聞いたら、『なんだその子!』と驚いていたに違いない。しかし、私は今朝そんなおかしな彼と出会ってしまっている。
本当に実行するとは、信じてはいなかったが。
「それで、先生も呆れて自己紹介を促したんだけどさ、散歩しているうちに疲れたらしく教壇で倒れるように寝ちゃってさ」
「はぁ!?」
「あ、これには驚くんだ」
「そりゃそうでしょ。え、だって、自己紹介で寝るって・・・」
「だよね。みんな驚きすぎて、誰ひとりとして言葉が出てこなかったもん。先生でさえ、初めてだったみたいでそっとしておこうってことになったの」
転校初日は、基本的にその後の学校生活の命運を握っているというのに、そんな大胆な行動をしでかすなんて肝が据わっているとしか考えられない。
並大抵の人が真似できるものではない。
「そんなところが気に入ったのか知らないけど、男子たちはめっちゃ彼のこと気になったらしくて、すぐに打ち解けてたよ」
「あ、そうなんだ」
ホッと肩を撫で下ろす。
(良かった。彼がひとりぼっちにならなくて)
「でもさ、妙なことにね、男子とは普通に楽しげに話すのに、女子とは一切話そうとしないんだよね」
「え?」
今のは聞き間違いだろうか。そんなはずはない。だって、今朝彼はここで確かに私と...
「クラスの女子が、話しかけても無視ではないけど、冷たくあしらわれるみたい」
「そ、そうなんだ・・・」
おかしい。彼と話した感じからして、そんなことをする人には見えなかった。どちらかと言うと、そんなことしないような小心者に見えた。
「ま、希空はここにいるから関わることはないと思うから安心してよ」
「う、うん。そうだね」
曖昧な返事をする私に未來は、首を傾げていたが深く聞いてくることはなかった。
もう1度、彼に会いたい気持ちが知らぬ間に膨らんでいる。
その機会は、意外にもすぐ訪れた。あれは、多分青の絵の具を空に塗りたくったような綺麗な快晴だった。
「はーい、今日はおしまーい!」
6時間目ののチャイムが鳴る5分前に、私とあーちゃんの個別授業は終了した。
まだ他の生徒たちは、授業をしているのだと思うと少しだけ優越感を感じる。
「あー、もう数学やりたくないよ~!」
「希空は数学苦手だもんね。何がそんなに嫌なの?」
「えー、わけわかんない公式がたくさんあるし、数字ばかりで疲れる」
「でもさ、数学は現代文とかと違って、答えは必ずひとつじゃん?」
「そうだけどさ~、その答えに辿り着くまでが長いし、どこか間違えると一気に全部間違えるのが嫌だ」
「それが、数学の面白いところではあるんだけどね。ま、希空の場合は数学以外の教科に学力を吸い取られすぎて、数学だけがね・・・」
「仕方ないじゃん。中学生の時から数学は苦手だったんだから」
私が通っている高校の偏差値は、68と県内でもかなり上の方。その中でも私の成績は、毎回2位という順位。
1位になりたくてもなれない現実が、私の前に見えない壁として聳え立っている。
理由は、ある教科の点数だけが著しく低いから。
「それにしてもね、定期テストで数学以外の教科はいつもほぼ満点なのに、数学だけ赤点って。悪いけど笑っちゃうわ」
ニタニタとタチの悪い笑みを見せるあーちゃん。
「いいの! 数学以外はいつも学年1位だから!」
「数学さえ、高得点取れれば総合で学年トップになれるのにね」
「もー! あーちゃんの意地悪! 嫌いになっちゃうよ?」
「それはないね。希空、私のこと大好きだろうから」
自信満々に告げる彼女に、若干ムカついてしまう。いつでも、大人の余裕?といったものを纏っているのが、腹立たしい。
私もあーちゃんくらいの年齢になれたら、大人の余裕ってものが現れるのだろうか。
26歳。私にとっては、なりたくてもなれないであろう年齢。
周りの同級生は、何食わぬ表情のまま当たり前にその年齢に達していくのだろう。
高校生のままの私を取り残して、大人への階段を確実に一歩一歩登っていくのだ。
私には見えない透明な階段の先へと。
「あーちゃん、また明日ね」
「気をつけて帰るんだよ」
「はーい。あーちゃんこそ、私のこと大好きじゃん!」
「まぁね。大事な教え子?だし」
静かに保健室の扉を閉じる。閉じる最後の瞬間まで、あーちゃんが私のことを見守っているのが見えた。
サラッと右目をウインクしているように見えたのは、気のせいだろうか。もし、事実だとしたらちょっと惚れてしまいそう。
時刻は15時30分。まだまだ太陽は、空に昇ったまま地上を明るく照らしている時間。
必然的に廊下には、太陽の光が綺麗に差し込み、廊下には窓枠の影が床に映し出されている。
保健室を出る前にリュックから、取り出しておいた小さめの日傘を光が差し込む廊下で花咲くように開く。
基本的に下校時は人の数が極端に少ないので、危険のない程度なら校内でも日傘をさすことを特別に許可されている。
他の人からしたら異様かもしれないが、こうでもしないと命を守れることができないので仕方がない。
そもそも放課後に保健室を訪れる人は、ほぼいないので私が歩く道はいつも私だけ。
「希空~! 迎えにきたよ!早く帰ろ~」
廊下の奥の方で、大ぶりにこちらに手を振る未來。彼女の表情が恐ろしく眩しい。まるで、太陽がそこにあるかのよう。
「いつもありがとね」
未來には聞こえない声で、囁いてみる。きっと彼女にこの声は届いてはいないだろう。
面と向かって彼女に告げるには、少々気恥ずかしい。
「ねね、未來」
今度は彼女に聞こえる声で、呼びかけてみる。
私の声に釣られるように、こちらへと歩みを進めてくる彼女。
「な~に?」
「今日さ、うちに泊まらない?」
「え! 本当に!? 泊まりたい!!」
「じゃあ、決まりね。明日土曜日だから、たまにはいいかなって思ってさ」
「めっちゃ楽しみなんだけど! 何しようかな~、夜更かしは決定だね!」
見るからに嬉しそうな未來を眺めているだけで、私も幸福感に包まれる。
うん。今日は間違いなく寝ることはできないだろう。ま、たまにはそういう日もあってもいいのかもしれない。
昇降口で靴を履き替え、日差しが燦々と照らす外の世界へと足を踏み出す。
日差しは日傘でカットされているが、夏の暑さだけは遮ることができない。
歩いているだけでも、体から汗が出てきてしまいそう。朝綺麗に整えたはずの前髪は、もうおでこに張り付いてしまっている。
「あれって、転校生じゃん」
未來の目線の先にいたのは、空を眺めている太陽の姿。黒々とした熱せられたアスファルトの上で、呆然と立ち尽くしている姿は異様とまで言える。
一体、彼には何が見えているのだろうか。
「あ」
私たちの存在に気がついたらしいが、依然として彼は空に視線を戻してしまう。
私も空を眺めたい。あの澄み渡った澱みのない自由な大空を。
しかし、それはとうの昔にできなくなってしまった。
「希空、いこっか」
「うん」
彼の横を通り抜けていく。通り過ぎる瞬間さえ、私は彼から目を離すことができなかった。
彼は何を思って空を眺めているのか。君は今何を考えているの。
後ろを振り返り、佇んでいる彼を見つめる。
「ねぇ、太陽」
「ん?」
「何してるの?」
「空を眺めてる」
「それは見たら、わかるよ」
「あぁ、そうだね。空ってさ、広いね。大きいね。そして、自由だ」
何を言っているのか理解できなかった。でも、なぜだか彼が言いたいことはうっすらとわかる気がした。
「うん」
隣にいる未來は、私たちの様子を見守っている。後で色々聞かれるだろうが、それは仕方ないだろう。今日の夜は長いので、その時話すとしよう。
「空を自由に飛べたら、最高だろうな~。いつか、あの大空を自由に飛んでみたい」
信じられない。私と同じことを考えている仲間がこんなに近くにもいたなんて。
「どうして、飛びたいの?」
聞かずにはいられなかった。なぜ、彼が空を飛んでみたいのか。
私にも明確な理由があるわけではない。彼に答えを求める意味合いも込めて尋ねてみたかった。
「僕は・・・自由じゃないから」
「自由じゃない?それって・・・」
「おーい、希空。帰るわよ」
校門の前に車を止め、私たちを呼んでいるママ。もう私も高校生で、恥ずかしさもあるので呼ぶのはやめてほしい。
「うん。今行くよ」
「それじゃあ、また月曜日。希空はいつも保健室にいるの?」
悲しげな瞳を揺らす彼。何に彼は悲しんでいるのか。彼は何に囚われて生きているのだろう。
力になれるならなりたいが、私たちの関係はそこまで深くはない。まだ今日出会ったばかりの仲。
「そうだよ。ちょっと体が弱くてね」
「そうか。案外僕たちは、似たもの同士なのかもね。また月曜」
影が一切ない日の当たる道へと歩いていく彼。なぜか、輝いているはずの彼の後ろ姿は寂しそうだった。
「似たもの同士・・・」
その言葉だけが私の中に虚しく残り続けた。カラスが1羽、2羽と電線から大空へと飛び立っていく。
その度に私は彼との会話を思い出しながら、車へと向かった。
立花先生から病気を宣告されて今日でちょうど1年になる。
家のカレンダーには、今日の日付のところに私の誕生日と書かれている。正直、どうだっていいけれど。
だって、私はあと1年もしないうちに"この世を去る"のだから。今日が私にとって最後の誕生日になるのだろう。
「あとどれくらい生きられるんだろう」
あの日、先生に告げられて言葉は、私の心を簡単に砕いてしまうくらいの破壊力を伴っていた。
頑丈なハンマーで石を粉々に砕いたかのように、修復不可能なまでにバラバラな形となって。
日光乾皮症と診断された私は、その日から太陽の下を歩けなくなった。
太陽の光を浴びることが、私の寿命を縮めていくらしい。
もし、「太陽の光を浴びたらどうなるのか」と先生に聞いたことがあったが、返答は恐ろしいものだった。
日光乾皮症の人が、太陽の下を歩くと瞬時に呼吸困難に陥り、数秒後には手足の痺れ、意識の朦朧や幻覚といった症状が現れるらしい。
そして、1時間もしないうちに死に至ると。まさに、死に至る病というわけだ。
太陽の下を歩くことになる場合は、日傘は絶対必須。肌の露出なんてもってのほか。
必然的に私の格好は、夏の暑い日でも長袖長ズボン。どんなに暑苦しくても命には変えられない。
私には、どうしても死ぬ前に叶えたい夢があるから。他のことはどうでもいいけれど、これだけは叶えることは難しいが叶えたい。
日光乾皮症の患者は例外なく、発症から2年以内に確実に亡くなると言われているらしい。
現に、全国で私を含め4人の日光乾皮症の患者がいるが、先日そのうちの1人が亡くなったと立花先生は言っていた。
その方は、日光乾皮症を発症して8ヶ月という1年にも満たない短期間で亡くなってしまった。
短すぎる命。先生からその話を聞いた時、会ったこともない他人のはずなのに涙が止まらなかったのを覚えている。
見ず知らずの他人だが、共に闘いあっている仲間の死を聞くのは辛い。
この病の怖いところはこれだけではない。亡くなる時ですら、楽になることができないんだ。
亡くなる瞬間、体が焼けるように体温が上昇し、体には赤いあざ模様を刻みながら命を落としていく。
これだけで、想像を絶するほどの痛みが伴うのが想像できてしまう。
あんまりすぎる。こんな残酷なことがあっていいのだろうか。
死ぬ時ですら、楽になることができないなんて、生きることも死ぬことも怖くて仕方がない。
毎日死への恐怖に追われ続けて生活することが、どんなに辛いことなのか。
この恐怖を知っているのは、日本中探しても簡単には見つからないだろう。
私の身近な人で、そういった人は誰1人としていないのだから。
「希空~、学校行くよ!」
「うん、今行く」
病気が発覚してからも私は、学校には通い続けた。両親からは無理をしなくてもいいと言われたが、学校に行かないと、することもないので退屈。
それに、なんか日常が崩れてしまったようで、気持ちが悪い。
万全の対策をしないといけないが、余生もできることなら普通の人と同じように生きたい。
例え、未来に絶望している少女でさえ、同級生たちと同じようにこの世を去るまでは普通に生きたいのだ。
私が日光乾皮症と知っているのは、先生たちや幼馴染で親友の未來だけ。
他にも仲の良い友達もいるけれど、その子たちの負担にはなりたくないので詳しいことは話してはいない。
『紫外線を受けると体調を崩す』くらいには話したっけ?
ま、そんなざっくりした感じの内容くらいしか話していない。
「ちょっと車のエンジンかけてくるから、支度済ませといてね」
「はーい」
携帯のアプリでとある人物にメッセージを送る。携帯を前にして待機していたのか、送った瞬間に既読がつき、若干引いてしまう。
その辺りも含めて好きなのだが。私のことを大切にしてくれているのが、彼女なりに伝わってくるから。
「希空、行くよ~!」
「今出る~」
玄関に置かれている傘立てから日常的に使っている日傘を手に取る。
玄関から車に向かう途中でも、太陽の光は私のことを見逃してはくれない。常に細心の注意を払いながら生活しないといけないのは、かなり神経がすり減る。
たった3歩ほどで着く距離なのに、日傘をささないといけないもどかしさ。時間にして1秒にも満たないのに...
ゆっくりと日傘を開いて、太陽の光を完全に遮断する。既に開かれている車の後部座席に乗り込む。
その間にも光は私を照らすので、母に日傘を持ってもらい避けながら座席に座る。
この体になってから私が1人でできることは格段に減った。それが、何よりも申し訳ない。
特に両親と未來には多大なる迷惑をかけているのに、誰1人として嫌な顔をしないのが、私には辛い。
少しくらい嫌な顔をされた方が、まだ頼りやすいのに。
みんなして私のことを1番に考えてくれているんだ。それなのに、私はみんなに何もしてあげることができない。
「ちょっと~! なに、辛気臭い顔してんの?」
「未來・・・」
「おばさん、おはよう!」
「おはよう未來ちゃん。今日も希空のことよろしくね」
「もっちろんですよ! この世で1番大好きな親友のためならなんだってします!」
「頼もしいわね」
私が病気を発症してからというもの、未來も登下校の際、母の運転する車に乗るようになった。もちろん、私のために。
走り出す車の後部座席に2人並んで座り、移りゆく景色を眺めながら学校へと向かう。
どこまでも続く変わらぬ空を眺めながら、車は学校へと進んでいく。
空は変わることはないのに、近くに見える家々やお店が変わっていくのは不思議。
空だって止まっているわけではないのに、止まって見えてしまう。まるで、1年前に忘れてきた私の正の感情のように止まっているみたい。
時折、私たちと同じ制服を着た子たちが、自転車で通学をしているのを見ると、つい目を逸らしてしまいたくなる。
去年までは、私も未來と自転車で通学していた頃を何度も思い出してしまうから。
「あ、そうだ! こっそり先生から聞いたんだけど今日ね、うちのクラスに転校生来るらしいよ」
「え、この時期に?」
「そうそう、この時期に」
「もう7月だよ?」
「んね。なんでこの時期なんだろうね。何か事情でもあるのかもね」
「ま、私には関係ないよ。保健室登校だからね」
「わかんないよ~? 保健室でばったり・・・なんて展開が待っているかもよ?」
「そんな上手い話があるかな」
賑やかになる車内。ルームミラー越しに母の笑った瞳が一瞬だけ映る。
この時は、まだこの話が本当のことになるとは、ここにいる誰もが予想していなかった。
彼との出会いが、私の人生を大きく変えるということも...
「もうすぐ学校に着くからね。降りる準備をしておいてよ」
『はーい』
2人揃ってタイミングよく返事をする私たち。あまりにもピッタリすぎて思わず笑ってしまう。
「本当にあんたたちは仲がいいわね」
「そりゃそうですよ。何年一緒にいると思ってるんですか」
「羨ましいね。これからも希空のことをよろしくね、未來ちゃん・・・」
母の言う「よろしく」とはどんな意味なのだろうか。私はあと1年も生きることができないのに、母はそれを疑っているみたいだ。
私はこの先も生き続けると信じているみたいに。
そんなことは絶対にあり得ないことだとわかっているのに、信じて疑わないのは私の母親だからに違いない。
だから、そんな前向きな言葉を言われるたびに私の胸は締め付けられる。
私はあと1年以上生きられるとは、微塵も思ってはいないのだから。
奇跡なんてものは存在しない。むしろ期待するだけ無駄なんだ。
日光乾皮症だと診断されたあの日から、私は不思議と自分の死を受け入れてしまったのかもしれない。
「はい! これから先もずっっっと一緒です! そうだよね、希空?」
私に向けられるその笑顔が、喜びよりも虚しさが優ってしまうのはどうしてなんだろう?
母や未來が私は生きると信じているのに、その期待に応えようとしない私は最低なやつだ。
「う、うん。そうだね」
無理やり口角を上に上げ、引き攣った笑顔を作り出す。
ぐちゃぐちゃに入り乱れた感情が、顔に映し出されていそうで怖い。
「さ、2人ともついたわよ。気をつけていってらっしゃい!」
「いってきます!」
「いってきます・・・」
未來と同じ言葉のはずなのに、言葉に込められた気持ちが全く違く感じる。
先に未來が車から降りて、日傘を準備する。車に乗る時と同様に、降りる時も油断ならない。
日差しを遮る大きな真っ黒な傘。人を2人分覆い尽くせるほどの大きさ。
車から降りると同時に肌に伝わってくる、もわっとした空気の塊。
私だけが日傘に隠れるように、2人並んで歩き始める。
遠くに見える景色が、暑さのせいか歪んで見える。『かげろう』という現象らしい。
私たちを通り越していく生徒たちの首筋には、汗が垂れるように流れている。
みんなの格好は、腕を曝け出した半袖の制服スタイル。去年までは、自分もあの半袖を着ていたんだと思うと名残惜しい。
隣を歩く、未來は私のためを思ってなのか夏で暑いにもかかわらず、長袖を着用している。
彼女の優しさが、嬉しい反面申し訳ない気持ちになってしまう。
私がいることで、彼女の行動を制限してしまっているのではと...
「ねぇ、希空」
「ん?」
「夏休みになったらさ、遊ぼうよ!」
「いいよ。何かしたいことでもあるの?」
「んー、これと言ってはないけど。私たちが存分に遊べる夏は今年が最後じゃん?」
彼女の言う『最後』とはどういった想いを含めての『最後』なのだろうか。
私の最後の夏...いいや、未來の言う最後の夏は、きっと来年から私たちは高校3年生になるので、目一杯遊べる夏は今年で最後という意味。
こんな些細なことで、悲観的になってしまう自分にうんざりする。こうなってしまったのも全部病気のせいなのに...
「未來と遊べるなら、私はなんでもいいよ」
悲しみを孕んだ私の言葉に彼女は、気づいているのだろうか。もし、気づいているのに明るく接してくれているのなら本当に申し訳ない。
「もう、本当に希空は可愛いんだから~! 私も希空さえいれば、なんでも楽しいよ」
うん。多分気づいてはいないに違いない。この底抜けの明るさのおかげで、私は何度も助けられてきた。
病気になる前からもずっと未來には、感謝しきれないほどの恩がある。
「希空~! またお昼ね! 保健室で待っててよ~」
「わかった。前みたいに急ぎすぎて転ばないでよ」
「へへへ、気をつけます!」
私に背を向け、2年3組の教室へと向かっていく彼女。背中の半分くらいまで伸びた真っ黒な綺麗な髪の毛が、振り子のように左右に大きく揺れる。
それに比べ、私の髪の毛は...病気を発症したのをきっかけに徐々に色が抜け始めた。
今では、完全に真っ白な髪の毛へと変化してしまった。未來には、「綺麗な色」と言われたが、私的にはみんなと同じ黒に染まった髪の毛がいい。
何度か嫌になって、髪を染めてはみたが、すぐさま根本から白くなってしまうので、今ではもう諦めてしまった。
太陽の光を浴びていないせいか、髪だけではなく肌も真っ白すぎて鏡に映る自分を見ると、少しだけゾワッとしてしまう。
中学校時代の友人が今の私を見たら、きっと私だと認知する人は片手で収まるくらいだろう。
昇降口で未來と別れ、私はもう一度外へと戻る。これから、保健室に行くのだが、さすがに校舎内で傘をさすのはまずいので、普段から私は保健室に外から入室している。
学校内だからといって、太陽の光が差し込んでいない場所はそうそうない。むしろ、光が入らないように設計されている学校の方が珍しいだろう。
そんな学校が存在するとは思えないが。
本来なら、カーテンが開かれているはずの保健室。閉め切られているのは、もちろん私のため。
"コンコン"
保健室のガラスをノックすると、普段からお世話になっている朱美先生が顔を出す。
「あら、今日はいつもよりちょっと早いわね」
「あーちゃん、おはよう」
「おはよ、希空。まだあーちゃんって呼ばれるのは慣れないわね」
「えー、そろそろ慣れてよ。もう半年くらいになるんだから」
「はいはい。慣れるようにする。それと、他の生徒の前では『朱美先生』だからね!」
「はいはーい」
「こら、『はい』は1回でしょ!」
「あーちゃんだって、『はいはい』って言ってたよ~」
「あっ・・・そ、そんなことはいいから早く入りな!」
靴を脱いで、片手に靴を持ちながら入室する。当然、日傘はまだ開いたまま。
私が保健室に入ったのを確認すると、すぐさまカーテンを閉めて日光を遮断するあーちゃん。
「あーちゃん、ありがとう」
「いつものことでしょ」
「つめたーい」
「ここにいる時だけ、希空は我儘になるから、このくらいがちょうどいいわ」
「それは言えてるな」
私は、あーちゃんには両親や未來とは違った意味で心を開ききっている。
いつからこんな関係になったのかまでは、覚えてはいないが、あーちゃんと過ごす時間は意外と楽だったりする。
なんでもズバズバ言っても、あーちゃんは受け止めてくれる優しいお姉さんだから。
私が病気だとわかった時も、ただ黙って話を聞いてくれたのが懐かしい。
歳が9歳しか違わないのも、私が話しやすい理由のひとつだろう。
26歳という若さに加え、整った容姿のおかげでここを訪れる男性生徒は絶えない。
中には、わざとあーちゃんに治療してもらうために怪我をする人もいるのだとか。
本当に男子は、いつまで経っても少年なんだなと思ってしまう。
「あ、そうだ。私、今日朝用事あるから、ちょっといないけど大丈夫?」
「大丈夫だよ。いってらっしゃーい」
「ずいぶん軽いな。ま、誰か来たら適当に案内でもしといて。じゃ、よろしく~」
ひらひら舞う白衣を靡かせながら、保健室を出ていくあーちゃん。
私のことを散々言っていたが、彼女もかなり適当なのは否めない。
薬品の匂いが、ほのかに保健室内を満たしている。病院ほどではないが、時々鼻を掠める薬の匂いが、心地悪い。
1人残された静かな教室で、私はあーちゃんが戻ってくるのをただ待っていた。
"コンコン"
保健室の扉に人影が映る。誰かが、尋ねてきたみたいだが、生憎ここには私しか今はいない。
「し、失礼します」
「あ、どうも」
見たこともない顔の生徒が、扉の前で硬直している。少しだけ赤みがかった茶色いマッシュヘアーに、犬のような垂れ下がった目。見るからにして優しくて、弱気そうな彼。
上履きの色からして同級生なのだが、私は彼のことを知らない。
学年が3クラスと多いわけではないので、名前を知らない人はもちろんいるが、顔を見たことがない人はいないはず。
「う、うわぁぁぁぁぁ!」
当然叫び出す彼に、驚きのあまり体が仰け反ってしまう。
「ど、どうしたの?」
彼に怯えながらもなんとか声を振り絞り、彼にたずねる。
「しゃ、しゃ・・・」
「しゃ?」
「喋ってる・・・僕、とうとう幽霊が見えるようになっちゃったんだぁぁぁぁ!!」
「えー! どこに幽霊なんているの! 怖い助けて!」
"ガタンッ"
どうやら、驚きのあまり保健室の真ん中に置かれているテーブルの角に、足をぶつけたらしく痛み悶えている彼。
数秒後には、痛みが引いたのだろうか。
あれほど、騒いでいたはずの彼が急に真顔になりこちらをじっと見つめてくる。
「え、君って幽霊じゃないの?」
「・・・は?」
これが、私と太陽の最初の出会いだった。
彼の第一印象は、うるさくて失礼なやつ。だって、生きている人間のことを幽霊扱いするなんて、とんでもなく失礼なことだ。いくら、肌や髪の毛が白いからといって、幽霊だなんて。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。彼となら、仲良くなれる。そんな気がしたんだ。
「なんだ、君人間だったんだね。よかった~、本当にお化けかと思ったよ」
「初めてそんな失礼なこと言われたよ。人のことお化け扱いとか、なかなかだよ?」
「ごめんごめん。あまりにも君が透き通るほど、白くて綺麗だったから。現実感がなかったよ」
「そんなこと言っても許してあげないから」
「本当に申し訳ありませんでした」
「今回だけは、特別ね」
「ありがとう。ところで、君の名前はなんて言うの?」
「私は、蒼井希空。君は?」
「僕は、夜瀬太陽。実は、今日転校してきたばかりだから、君が初めての友達になるんだ」
彼が、未來が話していた今日から私たちのクラスメイトになる転校生だったのか。
でも、どうして彼は今ここにいるのだろう。もう、朝のホームルームは始まっているはずなのに。
ここにいるということは、彼にもそれなりの事情があるに違いない。
もしかしたら、何か聞かれたくないことでもあるのかもしれない。
「もうすぐで保健室の先生戻ってくると思うから、待ってるといいよ」
「んー、特に保健室に用事はないんだ」
「え、じゃあどうしてここにいるの?」
「その・・・迷ってしまいまして。自分のクラスまでの行き方がわからなくて・・・」
そんなことがあり得るのか。衝撃的すぎて言葉が出ない。彼は、方向音痴なのかそれとも、天然なのか。
どちらなのかはわからないが、確実に言えることがある。間違いなく彼はどこか抜けている。
保健室と私たちの教室は、そもそも階数が違うのだ。保健室は1階。2年3組の教室は、3階。
普通に過ごしていたら、迷うことなんてあり得ないのに。
それに事前に教室の場所は伝えられているはず...
「私が案内してあげたいけど・・・」
「話したくない理由があるんでしょ?無理に話そうとしなくてもいいよ」
「ごめん・・・」
「気にしないでよ。僕にもその気持ちはよくわかるから」
保健室の扉の前に戻り、立ちすくんだまま動かない彼。廊下の窓から校内に差し込んでいる太陽の光が、彼を神々しく照らしている。
保健室の入り口を境に引かれる『光と闇』の境界線。
当然、彼が光で私は闇。闇の中でしか生きられない私からすると、彼の姿が輝いて見えてくる。
「ねぇ。夜瀬くん」
「太陽」
「え?」
「僕のことは太陽って呼んでよ。僕も君のことは希空って呼ぶからさ」
急な名前呼びに、不覚にもドキッとしてしまう。思い返せば、異性に名前で呼ばれるのは、小学生以来かもしれない。
「うん、わかった。よろしくね、太陽」
「よろしく、希空」
ニコリと微笑む彼の顔が眩しすぎて、直視するのが困難なほど。
「あ、それでね。もうすぐここにあー・・・朱美先生が会議から戻ってくるから、朱美先生に教室まで案内してもらうといいよ」
「んー、それはいいかな」
「どうして?」
「どうせなら、転校してきたばかりだからこの学校を軽く見て回りながら、教室に行きたいからかな」
彼が何を言っているのか、私には全くこれっぽっちも理解できなかった。
既に遅刻をしているのに、急ぐそぶりを全く見せない彼。
私は知らなかった。彼もこの時から闘っていたことに。
彼が去って行った後の保健室は、1人でいた時は何も感じなかった私に孤独感を与えた。
今まで私が生きてきた中で、出会ったことがないタイプの人だったからなのか、彼のことが気になって仕方がない。
保健室は私のために、真っ黒なカーテンで光を遮断しているので、私が肌で感じられている光は人工的な天井に取り付けられた蛍光灯の光のみ。
太陽ほどの眩しさはない。あの煌めく私たちの体に元気をもたらしてくれる光が懐かしい。
そして、たまらないくらい恋しい。
「希空~、戻ってきたよ」
「あ、あーちゃん。もう、遅いよ~」
「ごめんって。用事が結構長引いちゃってさ」
「いいよ。あーちゃんも忙しいだろうからね」
「わかってるじゃん、希空」
「へへへ、そうでしょ」
「1番は希空の子守りが大変だけどね」
「こら~! 大変じゃない! それに、子守りって・・・私はもう高校生だよ!」
「ほら、勉強始めるよ」
「って完全にスルーじゃん」
知ってるよ。本当のことだもんね。あーちゃんの仕事で1番大変なのは、私のお世話だってことくらい。
各教科の先生たちが、他の生徒に授業をするように、私にはあーちゃんが全て教えてくれる。
それが、どんなに大変か。基本的に高校は、各教科先生が違うためそれぞれ担当が分かれている。
数学担当の先生が古典を教えることなど、まずあり得ない。
平気な顔をして私に教えてくれるあーちゃんは、きっと裏でものすごい勉強をしているに違いない。
昔習ったことを思い返しながら、夜な夜な高校生の勉強を復習しているなんて、心がギュッと締め付けられる。
自分の仕事だってあるはずなのに...
あーちゃんでもわからないところがあれば、担当教科の先生に聞きに行くことになっているが、1年間聞きに行ったことはない。
私が単に先生に聞きに行くのが、嫌とかではない。単純に聞きに行くことがないのだ。
なぜなら、目の前に座っている彼女が全て解決してくれるから。
時々、疑問に思ってしまう。彼女のどこに、勉強する時間があるのだろうと。
「・・・あ。希空。ちょっと、聞いてる?私が教えてあげてるってのに、ぼーっとしてるなんて失礼だわ」
「あ、ごめん」
「いいけど、さっきからどうしたの?珍しくぼーっとしちゃってさ。もしかして、センチメンタルになっちゃった?」
「センチメンタル?」
「そう。私には、もう勉強をする意味がないとか、マイナスなことを考えてたのかな~って」
(あぁ。あーちゃんからだと、私はそんなふうに見えていたのか。全くそんなことは考えてもいないのに)
「違うよ。なんであーちゃんは、全教科完璧に教えられるのかな~って思って」
手に持っていたシャープペンシルを不器用にくるくると回す。
うまくペンが回るはずもなく、ノートの上に無惨に落ちていくシャープペンシル。
「なんだ、そんなことか。それは、私が"天才"だからでしょ!」
ドヤ顔で言ってくるものだから、少し腹立たしい。
「ねぇ~、本当のこと教えてよ! あーちゃんってば、私のために夜な夜な勉強してるんでしょ?」
いつもおちゃらけているはずの彼女から、笑みが徐々に消え去っていく。
表情からでもわかる。どうやら、図星だったらしい。
「希空さ、それ本気で言ってる?私が自分の時間を削ってまで勉強するわけないじゃん。私の性格をよく知っている希空なら、わかるでしょ?」
「うぅ、確かに・・・でも、じゃあどうしてあーちゃんは、私に全教科完璧に教えられるわけ?」
「だからさっきも言ったじゃん。私は天才なんだって!」
再びいつもの彼女が戻ってきた。
「えー、信じられない。どんなトリックを使ってるんだ!」
「本当疑い深いな~。あのね、私実はT大学を卒業してるんだよ」
驚きで声も出ない。T大学といえば、日本トップクラスの大学名だ。
まさか、そんな名門大学を卒業しているなんて思いもしなかった。
「あ、あーちゃんって天才なんだね・・・疑ってごめん」
「全くだよ。ま、信じてもらえないのは何も今回だけじゃないからいいけどね」
「でも、どうしてそんなすごい大学出てるのに、高校の看護教諭になろうと思ったの?」
素朴な疑問だった。T大学ともなれば、就職先はいくらでもあったはず。
手に余るくらいの数多くの有名企業とやらが。
「えー、なんでかな。なんとなくって言ったら怒る?」
悪い顔して私の心を覗くように微笑む彼女。
「怒らないけど、勿体無いなとは思うかな。あーちゃんの人生だから、あまり口うるさくは言わないけどね」
「意外と希空って大人なんだね。そうだな~、強いていうなら、助けてあげたかった」
「誰を?」
「未来ある若者たちを。苦しくて1人で悩んで、抱え込んでいる時に手を差し伸べて助けてあげられる存在になりたかった。誰しもが、友人や両親に悩みを打ち明けられるわけではないから。そんな子たちの支えになりたかった。希空なら、薄々わかるでしょ?」
わかるどころではない。それ以上だ。私が完全に嘘偽りなく本音を話せる相手は、今のところあーちゃんしかいない。
病気になる前は、未來にも話せない悩みなど存在しなかった。しかし、病気になってから私は、肝心な本心を彼女には告げていたい。
これ以上、彼女に迷惑をかけたくはないという理由を建前に逃げているだけなのかもしれない。
両親や親友の未來には、話せない心の奥に潜んでいる悩みがある。でも、そんな悩みすらもあーちゃんには打ち明けてしまっている。
私の奥に眠る弱い部分や醜い部分でさえ。なんなら、前にあーちゃんの前で『死にたくない』と号泣して困らせたことだってある。
「そうだったんだ。なんか、意外と考えてるんだね。ちょっとだけ見直したよ」
「でしょ?ま、勉強はもう飽きたから教師じゃなくて養護教諭にしたんだけどね」
「あーあ。その一言で今の感動台無し」
「そ、そんな~」
初夏に蝉の鳴き声が、私たちに夏の始まりを告げていく。
自分の目で夏を感じることは難しいが、肌を撫でる暑さだけはもう夏の空気だと感じることが私にもできた。
”キーンコーンカーンコーン"
校内に4時間目の授業終了の鐘が鳴り響く。45分間のお昼休憩がスタートする。
あと数分もしないうちに校内は、楽しげな声で賑わい始めるだろう。
私のいる保健室までは、そこまで声は響いてはこないが、無数の足音だけは上からいくつも聞こえる。
「さ、休憩休憩! じゃ、また午後の授業で!」
足早に教室を出ていくあーちゃん。颯爽と出ていくあまり、着用している白衣が風と同化するように靡いていた。
テーブルの上に散乱している教科書類をテーブルの端の方で整頓しておく。私が勉強している間、あーちゃんも何やら勉強をしていたが、手にしていた分厚い本を見ただけで眩暈がした。
やはり、天才というのは本当だったのかもしれない。
あーちゃんが出て行った後の保健室は、主人を失ったかのように静けさ。
彼女がお昼休みになると、すぐに教室を出ていくには理由がある。私と未來が2人で休憩をしやすいように場所を提供してくれているのだ。
きっと彼女は私にバレていないと思っているが、当然私にはバレバレ。
あえてそのことを告げずに出ていくのは、彼女の優しさのひとつなのだろう。
『失礼します』の声と同時に保健室の中に入室する未來。
手には、可愛らしいピンクの花柄のお弁当入れの袋を持っている。
「一緒に食べにきたよ~!」
「待ってたよ、未來」
この言葉に嘘偽りはない。話せない弱音はあるが、未來は私にとって家族同然の大切な人。
「今日も朱美先生は、出て行っちゃったの?」
「うん。あーちゃんも一緒に食べればいいのに・・・」
未來の前では、気が緩んでしまうのでついつい『あーちゃん』と呼んでしまう。最初は戸惑ってもいたが、今ではすっかり馴染んでしまった。
「いいな~。私も朱美先生と仲良くなりたいよ。あんな綺麗な人と仲がいいなんて羨ましい」
「なんか未來、今の言動、容姿目当ての男子高校生っぽい」
「確かに」
ゲラゲラと声に出して豪快に笑い合う私たち。これこそ、まさに男子高校生そのもの。
生憎、私たちの辞書には『穏やかに笑う』といった可愛らしい表現は存在すらしていない。
「さ、食べよっか」
「そうだね」
向かい合って座り、手を重ね合わせる。
『いただきます』
重なり合う2人の声が、閉ざされた保健室の内側から光を灯していくのだった。
時間をかけて作られた手作り弁当を米粒ひとつ残すことなく綺麗に平らげる。
「ふぅ~、食べた食べた!緑茶でも飲みたくなるね」
「今度は年寄りくさいね、未來」
「確かに」
さっきも似たようなくだりをしたことを思い返す。壁にかけられている時計を見ると、休み時間が残り20分まで減っていた。
時計の針が止まることなく、円を書くように1秒、また1秒と、こうしている間にも時間は流れていく。
確実に今を生きている人たちは、私と同様に着実に寿命が減り続けている。
私のベクトルとは、進んでいく方向は同じだが、緩やかさは全くの別物だろうけれど。
「そういえば、転校生の子はどう?」
太陽...と名前を出そうかと思ったが、紛らわしくなるのは御免なので、あえて『転校生』と壁を張る。
「あぁ~、それがさ。顔はかっこいいんだけどさ、だいぶ変わってるんだよね」
頭に浮かんでくるのは、今朝彼と会話した記憶。
「ど、どんなところが?」
該当している部分がありすぎて、共感してしまいそうになる。
「結構あるんだけど。まず、転校初日から遅刻してきた挙句、理由が校舎内を散歩してましたって理由がぶっとんでない?」
(あぁ、太陽は本当に校舎内を探索してから教室に向かったんだ・・・)
「え、そ、そうなんだ」
「なんか反応薄くない?だいぶ問題だと思うけど」
「いや、驚きすぎて言葉がね・・・」
私も初めて聞いたら、『なんだその子!』と驚いていたに違いない。しかし、私は今朝そんなおかしな彼と出会ってしまっている。
本当に実行するとは、信じてはいなかったが。
「それで、先生も呆れて自己紹介を促したんだけどさ、散歩しているうちに疲れたらしく教壇で倒れるように寝ちゃってさ」
「はぁ!?」
「あ、これには驚くんだ」
「そりゃそうでしょ。え、だって、自己紹介で寝るって・・・」
「だよね。みんな驚きすぎて、誰ひとりとして言葉が出てこなかったもん。先生でさえ、初めてだったみたいでそっとしておこうってことになったの」
転校初日は、基本的にその後の学校生活の命運を握っているというのに、そんな大胆な行動をしでかすなんて肝が据わっているとしか考えられない。
並大抵の人が真似できるものではない。
「そんなところが気に入ったのか知らないけど、男子たちはめっちゃ彼のこと気になったらしくて、すぐに打ち解けてたよ」
「あ、そうなんだ」
ホッと肩を撫で下ろす。
(良かった。彼がひとりぼっちにならなくて)
「でもさ、妙なことにね、男子とは普通に楽しげに話すのに、女子とは一切話そうとしないんだよね」
「え?」
今のは聞き間違いだろうか。そんなはずはない。だって、今朝彼はここで確かに私と...
「クラスの女子が、話しかけても無視ではないけど、冷たくあしらわれるみたい」
「そ、そうなんだ・・・」
おかしい。彼と話した感じからして、そんなことをする人には見えなかった。どちらかと言うと、そんなことしないような小心者に見えた。
「ま、希空はここにいるから関わることはないと思うから安心してよ」
「う、うん。そうだね」
曖昧な返事をする私に未來は、首を傾げていたが深く聞いてくることはなかった。
もう1度、彼に会いたい気持ちが知らぬ間に膨らんでいる。
その機会は、意外にもすぐ訪れた。あれは、多分青の絵の具を空に塗りたくったような綺麗な快晴だった。
「はーい、今日はおしまーい!」
6時間目ののチャイムが鳴る5分前に、私とあーちゃんの個別授業は終了した。
まだ他の生徒たちは、授業をしているのだと思うと少しだけ優越感を感じる。
「あー、もう数学やりたくないよ~!」
「希空は数学苦手だもんね。何がそんなに嫌なの?」
「えー、わけわかんない公式がたくさんあるし、数字ばかりで疲れる」
「でもさ、数学は現代文とかと違って、答えは必ずひとつじゃん?」
「そうだけどさ~、その答えに辿り着くまでが長いし、どこか間違えると一気に全部間違えるのが嫌だ」
「それが、数学の面白いところではあるんだけどね。ま、希空の場合は数学以外の教科に学力を吸い取られすぎて、数学だけがね・・・」
「仕方ないじゃん。中学生の時から数学は苦手だったんだから」
私が通っている高校の偏差値は、68と県内でもかなり上の方。その中でも私の成績は、毎回2位という順位。
1位になりたくてもなれない現実が、私の前に見えない壁として聳え立っている。
理由は、ある教科の点数だけが著しく低いから。
「それにしてもね、定期テストで数学以外の教科はいつもほぼ満点なのに、数学だけ赤点って。悪いけど笑っちゃうわ」
ニタニタとタチの悪い笑みを見せるあーちゃん。
「いいの! 数学以外はいつも学年1位だから!」
「数学さえ、高得点取れれば総合で学年トップになれるのにね」
「もー! あーちゃんの意地悪! 嫌いになっちゃうよ?」
「それはないね。希空、私のこと大好きだろうから」
自信満々に告げる彼女に、若干ムカついてしまう。いつでも、大人の余裕?といったものを纏っているのが、腹立たしい。
私もあーちゃんくらいの年齢になれたら、大人の余裕ってものが現れるのだろうか。
26歳。私にとっては、なりたくてもなれないであろう年齢。
周りの同級生は、何食わぬ表情のまま当たり前にその年齢に達していくのだろう。
高校生のままの私を取り残して、大人への階段を確実に一歩一歩登っていくのだ。
私には見えない透明な階段の先へと。
「あーちゃん、また明日ね」
「気をつけて帰るんだよ」
「はーい。あーちゃんこそ、私のこと大好きじゃん!」
「まぁね。大事な教え子?だし」
静かに保健室の扉を閉じる。閉じる最後の瞬間まで、あーちゃんが私のことを見守っているのが見えた。
サラッと右目をウインクしているように見えたのは、気のせいだろうか。もし、事実だとしたらちょっと惚れてしまいそう。
時刻は15時30分。まだまだ太陽は、空に昇ったまま地上を明るく照らしている時間。
必然的に廊下には、太陽の光が綺麗に差し込み、廊下には窓枠の影が床に映し出されている。
保健室を出る前にリュックから、取り出しておいた小さめの日傘を光が差し込む廊下で花咲くように開く。
基本的に下校時は人の数が極端に少ないので、危険のない程度なら校内でも日傘をさすことを特別に許可されている。
他の人からしたら異様かもしれないが、こうでもしないと命を守れることができないので仕方がない。
そもそも放課後に保健室を訪れる人は、ほぼいないので私が歩く道はいつも私だけ。
「希空~! 迎えにきたよ!早く帰ろ~」
廊下の奥の方で、大ぶりにこちらに手を振る未來。彼女の表情が恐ろしく眩しい。まるで、太陽がそこにあるかのよう。
「いつもありがとね」
未來には聞こえない声で、囁いてみる。きっと彼女にこの声は届いてはいないだろう。
面と向かって彼女に告げるには、少々気恥ずかしい。
「ねね、未來」
今度は彼女に聞こえる声で、呼びかけてみる。
私の声に釣られるように、こちらへと歩みを進めてくる彼女。
「な~に?」
「今日さ、うちに泊まらない?」
「え! 本当に!? 泊まりたい!!」
「じゃあ、決まりね。明日土曜日だから、たまにはいいかなって思ってさ」
「めっちゃ楽しみなんだけど! 何しようかな~、夜更かしは決定だね!」
見るからに嬉しそうな未來を眺めているだけで、私も幸福感に包まれる。
うん。今日は間違いなく寝ることはできないだろう。ま、たまにはそういう日もあってもいいのかもしれない。
昇降口で靴を履き替え、日差しが燦々と照らす外の世界へと足を踏み出す。
日差しは日傘でカットされているが、夏の暑さだけは遮ることができない。
歩いているだけでも、体から汗が出てきてしまいそう。朝綺麗に整えたはずの前髪は、もうおでこに張り付いてしまっている。
「あれって、転校生じゃん」
未來の目線の先にいたのは、空を眺めている太陽の姿。黒々とした熱せられたアスファルトの上で、呆然と立ち尽くしている姿は異様とまで言える。
一体、彼には何が見えているのだろうか。
「あ」
私たちの存在に気がついたらしいが、依然として彼は空に視線を戻してしまう。
私も空を眺めたい。あの澄み渡った澱みのない自由な大空を。
しかし、それはとうの昔にできなくなってしまった。
「希空、いこっか」
「うん」
彼の横を通り抜けていく。通り過ぎる瞬間さえ、私は彼から目を離すことができなかった。
彼は何を思って空を眺めているのか。君は今何を考えているの。
後ろを振り返り、佇んでいる彼を見つめる。
「ねぇ、太陽」
「ん?」
「何してるの?」
「空を眺めてる」
「それは見たら、わかるよ」
「あぁ、そうだね。空ってさ、広いね。大きいね。そして、自由だ」
何を言っているのか理解できなかった。でも、なぜだか彼が言いたいことはうっすらとわかる気がした。
「うん」
隣にいる未來は、私たちの様子を見守っている。後で色々聞かれるだろうが、それは仕方ないだろう。今日の夜は長いので、その時話すとしよう。
「空を自由に飛べたら、最高だろうな~。いつか、あの大空を自由に飛んでみたい」
信じられない。私と同じことを考えている仲間がこんなに近くにもいたなんて。
「どうして、飛びたいの?」
聞かずにはいられなかった。なぜ、彼が空を飛んでみたいのか。
私にも明確な理由があるわけではない。彼に答えを求める意味合いも込めて尋ねてみたかった。
「僕は・・・自由じゃないから」
「自由じゃない?それって・・・」
「おーい、希空。帰るわよ」
校門の前に車を止め、私たちを呼んでいるママ。もう私も高校生で、恥ずかしさもあるので呼ぶのはやめてほしい。
「うん。今行くよ」
「それじゃあ、また月曜日。希空はいつも保健室にいるの?」
悲しげな瞳を揺らす彼。何に彼は悲しんでいるのか。彼は何に囚われて生きているのだろう。
力になれるならなりたいが、私たちの関係はそこまで深くはない。まだ今日出会ったばかりの仲。
「そうだよ。ちょっと体が弱くてね」
「そうか。案外僕たちは、似たもの同士なのかもね。また月曜」
影が一切ない日の当たる道へと歩いていく彼。なぜか、輝いているはずの彼の後ろ姿は寂しそうだった。
「似たもの同士・・・」
その言葉だけが私の中に虚しく残り続けた。カラスが1羽、2羽と電線から大空へと飛び立っていく。
その度に私は彼との会話を思い出しながら、車へと向かった。
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