ヘルパーという名の聖人

pyrites

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窓から見える公園

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彼は母親と二人で、駅前通りからわりと近くの小さなマンションに住んでいる。
駅から近くの派遣先は、ヘルパーにとってはありがたい。これはラッキー派遣。駅から徒歩10分15分なんてのは、ざらにある。
炎天下での徒歩移動は、それだけで疲れてしまう。

部屋に入ると、母親の鋭い眼光に、少し萎える。まぁ、今に始まった事じゃないしスルーして、入念に肘まで手を洗い、消毒剤を済ませたら、利用者さんに、挨拶に行く。

「こんにちは●●さん、▲▲のワタシです。よろしくお願いします」これは判を押した様に、どこの利用者宅でも行う一連の流れ。

そう挨拶をすると、ワタシは彼の顔が見える場所へ移動して、顔を合わせる。

彼は少し不機嫌な表情で、目と眉を動かして挨拶を返してくれる。ワタシを呼ぶ時は、歯ぎしりで合図を送ってくる。イエス、ノーはこちらの問いかけに目と表情で応えてくれる。

彼の年齢は、ワタシより6歳上。ほぼ同世代と言える。
筋肉が収縮していき、体の自由を、全ての自由を日に日に奪っていく。国が認定している、重度の障害だ。


気管切開をして、呼吸器を装着している為、話すことは・・・
出来るのです。
短い間なら、呼吸器を外しキャップをはめて、自呼吸も出来るので、その間はおしゃべりができる。

彼に派遣されるヘルパーさんは、何人もいて、性別、年齢も様々だ。
掃除中心の派遣、お風呂専用の派遣、いわゆる身体介護、生活介護。

ワタシは・・・
身体介護サービスをしている。
痰の吸引、排泄、洗髪、足浴、体に保湿クリームを塗りながら、映画チャンネルを観たり、たわいもないおしゃべりをしている。
そしてワタシは彼に特別なサービスを提供している。

それは「プレイ」だ。

彼に派遣されて1年7ヶ月が過ぎ、彼とも、彼のお母さんとも気心か知れて慣れてきた頃に、お母さんから美容院へ行きたいと、事前に延長依頼を受けていた日のことだった。

その日もいわゆるフルコースメニューで、洗髪を済ませ、次は足浴・・・のタイミングで、カチカチと歯ぎしりの合図をもらった。
キャップをして、話がしたいと。
彼の体調、気分次第でその日のオーダーも変わるので、彼が風邪気味で、痰の吸引が多い日は、洗髪も足浴も無しな日もあった。

キャップ付けて、自分で話す彼の声はいつも変だった。
アニメみたいな、機械みたいな、人離れした特殊な声で、本人には言わないけど、ワタシはこの声を聞くのが好きだった。
「今日はして欲しい、ずっと待ってたんだよ、ババアが出かける日」

彼は変な声で、口が悪い。
キャップを付けて話すのは、人を選んでいるから、彼が話せる事を知らないヘルパーさんもいる。

お母さんと二人で生きること、人の助けを得て、国のお金で生きること、自分で死ぬことすらできないこと、自分の身に起きている不自由で、理不尽な全てを呪い、怒り、諦め、哀しみ、ただ生きている。無理矢理生かされている。

だから、そんな彼は許されて良いとワタシは思っている。

だからワタシは、彼の希望を受け入れた。

彼には時間が無いから。
呼吸器を外して自呼吸できる時間も短いから。

彼のせむしの水気の無い背中や痩こけて骨が突き出た腰に、ワセリンを塗り込みながら彼の耳に吐息を吹き込む。

耳を責める。

優しい言葉や淫靡な台詞を囁くのでない。

ひたすらカウントを囁くのだ。

彼は自分を完璧にコントロールしていて、30カウントで果てるスペックを身に付けていた。
ワタシがサポートするのは、いつものように体にワセリンを塗ること、股間にティッシュをあてること、耳元でカウントを囁くこと、ティッシュをトイレに流すこと、部屋に消臭スプレーをまくこと。

ワタシはこのサービスを計4回行った。

実は後から彼に聞いた話だけど、カウントガール(勝手にワタシが言っているだけ)をお願いしたのはワタシが2人目で、1人目のカウントガールは、ワタシの知り合いのヘルパーさんだった。

他事務所のヘルパーさんだったけど、偶然にも顔を合わせる機会が何度かあった。ただ、初見の印象が強くて、彼女もワタシから見て、かなり訳ありヘルパーさんだと思っていた人で、妙に納得してしまった。


彼はもういってしまった。


まもなく
彼のお母さんも亡くなられたと事務所で聞いた。

今みたいに枯葉が足元いっぱいに歩道を埋めて、風が吹く度にカサカサと音を立てては、もうすぐ来る厳しい寒さと、寂しさを連れてくる。

彼と過ごした時間の中に、ちょっとだけ恋に似た1コマがある。

ベッドから動けない彼が、大きな鏡を使って、外の景色を見たいと言った。
ワタシは鏡の角度やら、窓の位置やらを四苦八苦しながら、どうにか彼の目に外の景色を見せる事が出来た。
「●●さん、秋だね。公園の桜の木、すっかり紅葉してるね」
とワタシが言うと、彼が歯ぎしりでワタシを呼んで、自分の唇をチューを求める様に突き出した。

ワタシが「はい、それは別料金!」と茶化すと彼も顔をくしゃくしゃにして笑った。声は出さず、笑った。
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