9 / 100
第1章 夢のおわり
1-7.第4の願い アナ・ワン
しおりを挟む
祝福者”アナ・ワン”の88年間の人生はどちらかと言えば平穏だった。
普通の家庭に生まれ、普通に結婚し、普通に子に恵まれ、そして普通に夫に先立たれた。
完全に平穏だったわけではない。
勤め先の業績不振から同僚が解雇されたり、友人が大病を患ったり、交通事故を目撃したり。
不幸に見舞われる人は何度も見てきた。
街に連続殺人事件が起きたこともあった。
幼い少年少女が犠牲になった事件は、たとえ直接彼女の周囲に被害が及ばなくとも、心に大きな悲しみをもたらした。
裁判所で狂ったように犯人に怒りをぶつける被害者両親のニュースを見た時は特に。
同時に自分の子供たちが犠牲にならなかったことに安堵したりもした。
後日、自分たちのだけはと考えてしまったことに、自己嫌悪に陥ることになったのだが。
周囲のごたつきはあったが、彼女は幸運にも平穏な人生を送り、今はのんびりと余生を過ごしている。
彼女は自分が幸運であったことを自覚しており、そしてそれを望んでも手に入らなかった幾人もの人々を知っていた。
だから、”祝福”が与えられた時、彼女は考えてしまった。
『わたしのような幸運な人間が、こんなものを手に入れていいものか』と。
明るい闇の中をアナは進み、神の前に到着する。
「こんばんは、星の綺麗な良い夜ですね」
「そうですね、素敵な夜のお散歩ですかマダム」
「あら、お上手だこと。そうね、ちょっと散歩をして考えてみたのよ、わたし」
彼女の声は年相応にしゃがれてはいたが、その意志と思考は衰えていなかった。
「考えてみたとは”祝福”のことであるかな?」
「ええ、そう。どんな願いがいいのかしらってね。でも、わたしは叶えて欲しい願いなんてないの。だからね、わたしは思ったの、この”祝福”は人を幸せにするものであるべきだわ、と」
「善き考えであるな。それで願いは決まったかね?」
「決まったわ。ちょっと迷ったけど」
彼女は少しはにかみながら、そう言って神を見つめる。
「この”祝福”でみんなを幸せにすることは出来ないわ。だって幸せの形ってみんな違うもの。どうしても譲れないものもあると思うわ。恋とか」
「そうだな、我も同意だ」
「でもね、誰だって嫌なことはあると思うの」
「それは何かね?」
「理不尽な死よ。特にこの”祝福”によって誰かが殺されるなんてことはあってはならないわ」
彼女がそう思ったのは、殺人鬼によって理不尽に殺された子供の事件を知っているから。
「Curses return upon the heads of those that curse」
彼女が口にした言葉は”呪いは呪う人の頭上に帰って来る”。
東洋の似たことわざで表現するなら”人を呪わば穴ふたつ”。
「だから、わたしはこう願うの『この”祝福”で誰かが誰かの死を願おうとしたなら、その願いを言い終わる前にその人が苦しんで死ぬようにして』ってね。祝福を呪いにしようなんて悪い人は”祝福者”の資格はないわ」
「その願い叶えよう。念のための確認だ。本当にそれで良いのか? 迷いはないかね?」
自分のために”祝福”を使わなくてよいのか?
彼女は神がそう問いかけたように思えた。
だが、彼女はそれを微笑みながら一蹴した。
「いいの。わたしはもう十分幸せだから。ちょっと迷ったのは、『この”祝福”で誰かの死を願ったなら、その願いを叶えると同時に願った人も苦しんで死ぬようしてちょうだい』にするべきかよ。でもね、”祝福”がふたつの”呪い”に変わっちゃうなんて悲しいじゃない。だから、これでいいの」
彼女は知っている。
命に代えても誰かを殺したいと願ってしまう悲しみがあることを。
それは彼女には想像しかできない悲しみだったけれど、そういう事情があることは十分に知っていた。
だけど、そのために”祝福”が使われるとしたら、あまりに哀しい。
「よろしい! その願い確かに聞き届けた! その願いを叶えよう!」
光が広がり、彼女は明るい闇ではなく星々が輝く明るい夜の散歩道に戻る。
彼女の願いは叶えられた。
彼女が願ったのは、とどのつまり、”穴はひとつでいい”。
そういうことだった。
普通の家庭に生まれ、普通に結婚し、普通に子に恵まれ、そして普通に夫に先立たれた。
完全に平穏だったわけではない。
勤め先の業績不振から同僚が解雇されたり、友人が大病を患ったり、交通事故を目撃したり。
不幸に見舞われる人は何度も見てきた。
街に連続殺人事件が起きたこともあった。
幼い少年少女が犠牲になった事件は、たとえ直接彼女の周囲に被害が及ばなくとも、心に大きな悲しみをもたらした。
裁判所で狂ったように犯人に怒りをぶつける被害者両親のニュースを見た時は特に。
同時に自分の子供たちが犠牲にならなかったことに安堵したりもした。
後日、自分たちのだけはと考えてしまったことに、自己嫌悪に陥ることになったのだが。
周囲のごたつきはあったが、彼女は幸運にも平穏な人生を送り、今はのんびりと余生を過ごしている。
彼女は自分が幸運であったことを自覚しており、そしてそれを望んでも手に入らなかった幾人もの人々を知っていた。
だから、”祝福”が与えられた時、彼女は考えてしまった。
『わたしのような幸運な人間が、こんなものを手に入れていいものか』と。
明るい闇の中をアナは進み、神の前に到着する。
「こんばんは、星の綺麗な良い夜ですね」
「そうですね、素敵な夜のお散歩ですかマダム」
「あら、お上手だこと。そうね、ちょっと散歩をして考えてみたのよ、わたし」
彼女の声は年相応にしゃがれてはいたが、その意志と思考は衰えていなかった。
「考えてみたとは”祝福”のことであるかな?」
「ええ、そう。どんな願いがいいのかしらってね。でも、わたしは叶えて欲しい願いなんてないの。だからね、わたしは思ったの、この”祝福”は人を幸せにするものであるべきだわ、と」
「善き考えであるな。それで願いは決まったかね?」
「決まったわ。ちょっと迷ったけど」
彼女は少しはにかみながら、そう言って神を見つめる。
「この”祝福”でみんなを幸せにすることは出来ないわ。だって幸せの形ってみんな違うもの。どうしても譲れないものもあると思うわ。恋とか」
「そうだな、我も同意だ」
「でもね、誰だって嫌なことはあると思うの」
「それは何かね?」
「理不尽な死よ。特にこの”祝福”によって誰かが殺されるなんてことはあってはならないわ」
彼女がそう思ったのは、殺人鬼によって理不尽に殺された子供の事件を知っているから。
「Curses return upon the heads of those that curse」
彼女が口にした言葉は”呪いは呪う人の頭上に帰って来る”。
東洋の似たことわざで表現するなら”人を呪わば穴ふたつ”。
「だから、わたしはこう願うの『この”祝福”で誰かが誰かの死を願おうとしたなら、その願いを言い終わる前にその人が苦しんで死ぬようにして』ってね。祝福を呪いにしようなんて悪い人は”祝福者”の資格はないわ」
「その願い叶えよう。念のための確認だ。本当にそれで良いのか? 迷いはないかね?」
自分のために”祝福”を使わなくてよいのか?
彼女は神がそう問いかけたように思えた。
だが、彼女はそれを微笑みながら一蹴した。
「いいの。わたしはもう十分幸せだから。ちょっと迷ったのは、『この”祝福”で誰かの死を願ったなら、その願いを叶えると同時に願った人も苦しんで死ぬようしてちょうだい』にするべきかよ。でもね、”祝福”がふたつの”呪い”に変わっちゃうなんて悲しいじゃない。だから、これでいいの」
彼女は知っている。
命に代えても誰かを殺したいと願ってしまう悲しみがあることを。
それは彼女には想像しかできない悲しみだったけれど、そういう事情があることは十分に知っていた。
だけど、そのために”祝福”が使われるとしたら、あまりに哀しい。
「よろしい! その願い確かに聞き届けた! その願いを叶えよう!」
光が広がり、彼女は明るい闇ではなく星々が輝く明るい夜の散歩道に戻る。
彼女の願いは叶えられた。
彼女が願ったのは、とどのつまり、”穴はひとつでいい”。
そういうことだった。
0
あなたにおすすめの小説
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
フローライト
藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。
ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。
結婚するのか、それとも独身で過ごすのか?
「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」
そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。
写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。
「趣味はこうぶつ?」
釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった…
※他サイトにも掲載
【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~
安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。
愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。
その幸せが来訪者に寄って壊される。
夫の政志が不倫をしていたのだ。
不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。
里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。
バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は?
表紙は、自作です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる