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第9章 ウイスキーの街

19 レネ

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 大きな不安を残したまま、次の日の午後俺はあゆみを抱えて娼館へと向かった。
 何も知らないあゆみは暢気なもので、久しぶりに外に出られたとやたら嬉しそうだ。
 ……このままどっか別の場所に向かいたい。そんなわけにはいかねーが逃げ出したい気分でいっぱいだ。

 娼館に着くとレネが昨日にもまして濃厚な色気を振りまきながら現れた。俺は素知らぬふりで初対面のふりを装う。
 監査式に関しては本当にここにも行う必要があるからこれは必ずしも茶番とは言えない。
 のらりくらりとかわすレネに俺が本気でイライラし始めた頃、あゆみがいつもの人の良い調子でレネに監査式の利点を説明し始めた。それをレネが分かりやすい挑発をしながら無視する。食い下がるあゆみをからかうように何度もひどい言葉を繰り返した。
 これが茶番の一部なのは分かっちゃいたが見てられない。あのお茶に昨日テリースが保証してくれた興奮剤が入っているとはいえレネのいいようにあゆみが乗せられていく……

『明日私があゆみ様にすることは全てお芝居の一部なのですからネロ様は決して私があゆみ様を嵌めるのを邪魔してはいけませんよ』

 そう言って昨日前もってレネに釘を刺されているから下手な事も言えない。それでもつい口を挟んだらなんとあゆみに怒鳴られた。
 はあ? なんでこいつが俺を怒鳴るんだ?
 最終的には信じられないことにあゆみが自分から客を取ると宣言しやがった。
 あゆみが部屋を出ていくとレネが少し勝ち誇ったように俺を見やがる。

「可愛らしい方ですわね。ネロ様が執着されるのが分かりますわ」
「知ったような口利くな。やっぱりこんな茶番は止めだ。あゆみを連れ戻す」

 俺が不機嫌に席を立とうとするとレネがすっと俺の腕に手をおき、静かに首を振りながら俺を見る。

「お待ちください、あゆみ様は私がお相手しますわ。要は形だけ特別室に入っていて頂ければいいのですから」
「お前が相手をするってどういう意味だ?」
「私、こう見えても男装が得意なんですの。ここにはそういう趣味のお客様もいらっしゃいますから」

 俺はレネをもう一度よく見た。言われてみれば化粧でごまかしているが涼しげな目元も高い鼻梁も見ようによっては男性のそれに見えなくもない。

「ご安心下さい。あゆみ様にお使い頂く特別室には窓もありませんから兵士の皆様に隣の部屋から入り口を見張らせて私が中でも見張っていれば手出しは出来ませんでしょう?」

 こいつの言う事には確かに一理ある。そしてそれ以上俺たちに出来る事がないのも事実だった。
 なのになぜだか俺の不安は膨れ上がるばかりだった。

 それからは打ち合わせ通り数人の兵士たちが時間をおいて娼館に入ってきた。珍しく早い時間からの大入りに下では娼婦たちが慌ただしく準備を整えてる音がする。
 レネはすぐに支度してくると言って一人で隣の部屋に入っていった。あゆみが連れていかれたのと同じ部屋に向かったという事はあゆみの支度は終わって特別室に移されたのだろう。

 しばらく俺は一人でレネの戻るのを待ちながら考えに浸っていた。
 あゆみの馬鹿。
 俺にも身体を許せない癖にあいつどうする気なんだか。
 当たり前だが嫉妬の炎は高く燃え上がってる。誰にってわけじゃなくあいつが身体を許す可能性のあるこの世の男全般に、だ。
 分かってる。これはフェアじゃない。今日の事を何も知らないあゆみはまんまとレネの思惑通り薬を飲んだ上ではめられただけだ。そう分かっていても。
 俺を受け入れられないあいつならレネがどんなに挑発しても受け入れないだろってちょっと思ってた。ずるいかも知れねーが勝手にそう信じてた。それを裏切られた俺の中ではドス黒い怒りが渦巻いていて簡単には収まりそうにない。
 あゆみに告白を受け入れられて結婚式も終え、最近はあいつも俺にかなり気を許してくれている実感があった。他の奴とは明らかに違う次元の信頼もされてるつもりだった。
 あいつが何かしらの事情で俺を肉体的に受け入れられないならそれでもいい。それでも俺だけを番として受け入れてくれているのだからあいつの心の準備が出来るまで我慢しよう。そう自分に言い聞かせてきたのに。
 どんな理由があっても他の男に身体を許す賭けに乗っちまったあいつを心の底で責めずにはいられない。怒りと嫉妬が俺の身体を内側からジリジリと焼く。

 そこに扉が開いて一人の優男が部屋に足音もさせずにスルリと入ってきた。俺の耳じゃなければ聞き逃したかもしれない。
 その優男がレネなのは間違いないのだが上手く化けたもんだ。言われなきゃまるっきり同一人物とは気づけなかった。
 さっきまでウェーブを描いていた長い髪はどうやったのかサラサラと流れるような直毛になってる。それを後ろで結って耳を出すとなぜかやけにそれがレネの顔の輪郭を男っぽく見せた。
 目を凝らしてみれば違う類の化粧をしてやがる。肌の色彩を落として陰で輪郭まで変えて見せていた。
 体つきも服装のせいもあって肩が張った細腰の男の身体に見える。

「大した変わりようだな」

 俺が正直驚いてそう言えば、レネがわざとらしく俺に向かって綺麗に儀礼的な一礼をして見せた。そのしぐさ全てが優男そのものでもうどこにもあの婀娜っぽい色気の溢れる娼館の主人の影は見つけられなかった。
 その姿にピンとくるものがある。俺はギクリとしてレネが自分の椅子に向かう背中に声を掛けた。

「おい、間違ってもあゆみに手を出したりするなよ。お前、どっちも行けるんだろ」

 俺が釘を刺すように睨むとひらりと振り返って椅子に軽く腰かけたレネがおどけたように肩をすくめて見返してくる。

「私、そんな男に見えますかしら?」

 声だけが以前のレネのままだ。それがやけに気持ち悪い。

「ごまかすんじゃねーよ」

 俺の険を含んだ言葉にレネが少し驚いたように見返してくる。

「あらまあ驚いた。どうやらネロ様の方がかなり真剣にあゆみ様にご執心の様子ですわね」

 そう言ってあゆみの残したお茶のカップを指先で弄びながら俺の顔色を読むようにこちらを見るレネに俺はもう一度釘を刺そうと真っすぐに向かい合った。

「あのな、さっきも言おうとしたがあゆみは俺の嫁だ。変な手出しをしたらただじゃおかねえ」
「あらまあ。それは大変。フフフ。あゆみ様ったら結婚されてるのにこんな賭けを受けてしまわれるなんて」

 真剣な俺をからかうようにレネがあゆみのカップを持ち上げて笑いやがる。そのままカップに薄く笑った唇を添えて言葉を続けた。

「あゆみ様はどうなのかしら?」
「ああ?」
「あんな簡単にお客を取るというくらいですもの。もしかしてあなたが思うほど実はあなたに心が向いてないのかも知れない、なんて思いません?」

 こいつ。今まさに俺が一番気にしてる事を!
 俺の心を見透かしてからかいやがって。
 俺が殺意を抱きながら睨みつけるとそれを真っすぐに見返してレネが口を開いた。

「僕は自分から押していくことはないよ。彼女が自分から誘わなければね。さて、どうなるかな?」

 突然男言葉になったレネが少し落ち着いたハスキーな声でそう言って俺を試すような目で見やがった。
 やっぱりこいつ油断ならねえ。そのまま部屋を飛び出してあゆみを迎えに行こうと立ち上がろうとするとレネがすかさず俺の腕を掴んで引き戻した。その力はとても細腕の女の物とは思えない。
 今度はさっきまでの冷やかしの色の消えた真剣な瞳で俺を射貫きながらレネが念を押すように言葉を続けた。

「今更手を引くのはなしだよネロ君。僕だってこの館と僕の可愛い女の子たちを危険に晒してまで協力しているんだ。君も君なりの覚悟を見せてもらいたいね」

 そう俺に釘を刺したレネは最後に楽しそうに笑って「じゃあ行ってくるよ」と言い残して部屋を出ていきやがった。
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