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Ⅲ 過去の魔女
iv 論文提出
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雪はすっかり解けて、ひばりが盛んに巣作りをする春。
暖かい日差しの中、アズレイアは期限よりひと月も早く仕上がった論文を片手に、意気揚々とモントレー教授の教授室を訪れていた。
研究内容にはそれなりの自信があった。
『魔法陣の線画画数、分岐数と魔力減少の相関関係と効率化』
大変地味だが、それなりに出来のいい論文に仕上がったと思う。
従来の魔法陣は魔力が豊富な貴族によって開発されてきた。
そのため、魔法陣自体の効率を気にかける者など誰もいなかった。
要はどんな描き方をしても、目的の魔術が発動さえすればそれでいいという。
結果、その効率は単純な魔術の魔法陣になればなるほど酷かった。
魔術学院に入学を許されて以来、これが常にアズレイアを悩ませてきた。
なんせ農民出身のアズレイアには本当に微かな魔力しかない。
自力だけでは発動できる魔法陣が非常に限られてしまうのだ。
魔力の少ない者が魔法陣を行使するには、魔力を粉末化した『魔法粉』を魔法陣に焚べなければならない。
だが魔力粉は、決して安くはなかった……。
要はアズレイアにとって、この研究は授業を受けるためにも必要不可欠なものだった。
だから彼女はこの取り組みを修学生・研究院生を通して、なんと五年以上も続けてきている。
この卒業論文は、そんな彼女が長らく繰り返してきた検証の結果をまとめたものなのである。
だが──。
「アズレイア。大変言いにくいのだが」
彼女の論文に目を通すモントレー教授の顔がどんどん厳しくなり、やがて一文字に引き結ばれた口から思いもかけない言葉がこぼれ出る。
「君の論文と類似点が非常に多い論文がすでに提出されている」
渋い声で放たれたその言葉に、アズレイアの頭が一瞬で真っ白になった。
そんな馬鹿な!
思わずそう叫びそうになってなんとか思いとどまる。
この研究課題は華々しくもなければ目新しいものでもなく、また決して簡単に結果の出るようなものでもない。
証明を実証するには、気の遠くなるような実証実験を繰り返す必要がある。
要はアズレイアのような必死な者でもない限り、馬鹿らしくてとてもやろうと思えないものなのだ。
「結びにまとめられた改良形の魔法陣のいくつかは形状がほぼ同一といっても過言ではない」
続けて告げられた言葉に、より一層アズレイアが言葉を失った。
それでは……、それではまるで、まるっきり同じ論文ということではないか。
「これは……私の研究です。決して誰かの研究を盗んだりしていません」
震えそうになる声を必死で落ち着かせ、目前のモントレー教授に答えはするも、教授の目を見る勇気が湧いてこない。
アズレイアは今、自分の論文を盗用された事実以上に、モントレー教授に疑われることに恐怖した。
モントレー教授の研究会は学院内でも実践的かつ、研究内容の自由度が高いことで有名だ。
研究会から魔道研究所への登用も頻繁で、王城内の魔術系の要職はほぼこの研究会の出身者で占められているという。
高位貴族の出世街道への登竜門であり、本来、農民出身のアズレイアなどが参加できる場所ではない。
そう誰もが思っていた。
だが驚いたことに、三年の終わり、最初にアズレイアに声をかけてくれたのがモントレー教授その人だった。
厳しいことで有名なモントレー教授が、他でもない自分に声をかけてくれたことが嬉しく、しかも自分のような農民出の魔術師を才能のみで指名してくれたことが、アズレイアには本当に誇らしかった。
なのに今、その恩師たる教授に研究の盗作を疑われている……。
自分に非がないのは分かり切っていても、教授にそんな目で見られていることがどうしようもなくいたたまれず、申し訳なく、そして恐ろしい。
研究課題が他の研究者と重なる時点でほぼあり得ないのに、しかも同じ帰結に至るなんて、どう考えても偶然とは思えない。
到底、偶然ではありえない。
『偶然』でないならば、一体誰が……?
この論文を人前で書いたり、人に見せたことは一度もない。
ただ一人、レイモンドを除いては。
そこまで思い至って、一気にどっと絶望がアズレイアの胸に広がった。
そんな、まさか、レイモンドに限ってそんな……。
否定したい自分のすぐ横で、リアリストな自分が肩をすくめる。
高位貴族のレイモンドがアズレイアのような農民出の何のとりえもない娘になぜ声をかけてきたのか。
こんな理由でもなければ、自分が選ばれる理由などあるはずもなかろう。
でも本当に?
レイモンドは賢く、自力で充分優秀な論文を書けるだろう。
私の論文を盗む必要など、本当にあるのか?
いくつもの疑問と失意、諦念がアズレイアの脳裏を駆け巡る。
だが、モントレー教授は今もアズレイアの答えを待っている。
ちゃんと、論理的に、自分の無実を説明しなければ……。
そう思うのに、目を背けることのできない悲しい事実の数々に、ショックで声が出てこない。
ただ全身が震え、悪いことなどなにもしていないのに、背を冷たい汗が流れ落ちていく。
そんなアズレイアの様子をどう思ったのか、モントレー教授が落ち着いた声音で語りだす。
「待ちなさい。私は決して君が論文を盗んだり真似たのではと疑いをかけているわけではない」
そう口にした教授は、再び手元の論文に視線を落として続ける。
「たとえ君らが偶然同じものを書き上げたのだろうとなかろうと、それを断ずることは私の教授としての役分を超える行為だ」
ぼつぼつと続ける教授の口調は平坦で感情が見えない。
「だが、先に提出されたものと後から提出されたものに類似点がある場合、後者の提出物をそのまま受け取ることはできない。これは学院内に限らず、研究論文全般における当然のルールだ」
教授は決してアズレイアを責めているわけではなく、ただ淡々と彼の言えることを説明してくれているに過ぎない。
そう理解していても、今のアズレイアには、それがまるで残酷な死刑宣告のように聞こえてくる。
「よって、これ以上の説明は不要だ。残念ながら私はこの論文を受理できない。今年の提出を諦めるか、さもなければ期限までに新しい課題で再提出することを考えてくれ」
これは、多分非常に寛大な処置なのだろう。
教授は最後までアズレイアを疑う言葉を発しなかった。
その信頼がありがたく、そして悲しい。
なにを言おうと、結局全てはルールを破って人に自分の論文を見せてしまった私の落ち度だ。
そう、レイモンドが盗用したのか、しなかったのかに関わらず、どんな理由があったのだとしても、関係ない。
最終的に、評価に値する論文を期限内に提出するのは、アズレイア自身の責任なのだ。
「期限までにお持ちします」
震える声でなんとか返答を絞り出し、深く一礼を返して背を向ける。
「大変、残念だ」
部屋をのちにするアズレイアの背に、教授の悲し気な声が重く響いた。
暖かい日差しの中、アズレイアは期限よりひと月も早く仕上がった論文を片手に、意気揚々とモントレー教授の教授室を訪れていた。
研究内容にはそれなりの自信があった。
『魔法陣の線画画数、分岐数と魔力減少の相関関係と効率化』
大変地味だが、それなりに出来のいい論文に仕上がったと思う。
従来の魔法陣は魔力が豊富な貴族によって開発されてきた。
そのため、魔法陣自体の効率を気にかける者など誰もいなかった。
要はどんな描き方をしても、目的の魔術が発動さえすればそれでいいという。
結果、その効率は単純な魔術の魔法陣になればなるほど酷かった。
魔術学院に入学を許されて以来、これが常にアズレイアを悩ませてきた。
なんせ農民出身のアズレイアには本当に微かな魔力しかない。
自力だけでは発動できる魔法陣が非常に限られてしまうのだ。
魔力の少ない者が魔法陣を行使するには、魔力を粉末化した『魔法粉』を魔法陣に焚べなければならない。
だが魔力粉は、決して安くはなかった……。
要はアズレイアにとって、この研究は授業を受けるためにも必要不可欠なものだった。
だから彼女はこの取り組みを修学生・研究院生を通して、なんと五年以上も続けてきている。
この卒業論文は、そんな彼女が長らく繰り返してきた検証の結果をまとめたものなのである。
だが──。
「アズレイア。大変言いにくいのだが」
彼女の論文に目を通すモントレー教授の顔がどんどん厳しくなり、やがて一文字に引き結ばれた口から思いもかけない言葉がこぼれ出る。
「君の論文と類似点が非常に多い論文がすでに提出されている」
渋い声で放たれたその言葉に、アズレイアの頭が一瞬で真っ白になった。
そんな馬鹿な!
思わずそう叫びそうになってなんとか思いとどまる。
この研究課題は華々しくもなければ目新しいものでもなく、また決して簡単に結果の出るようなものでもない。
証明を実証するには、気の遠くなるような実証実験を繰り返す必要がある。
要はアズレイアのような必死な者でもない限り、馬鹿らしくてとてもやろうと思えないものなのだ。
「結びにまとめられた改良形の魔法陣のいくつかは形状がほぼ同一といっても過言ではない」
続けて告げられた言葉に、より一層アズレイアが言葉を失った。
それでは……、それではまるで、まるっきり同じ論文ということではないか。
「これは……私の研究です。決して誰かの研究を盗んだりしていません」
震えそうになる声を必死で落ち着かせ、目前のモントレー教授に答えはするも、教授の目を見る勇気が湧いてこない。
アズレイアは今、自分の論文を盗用された事実以上に、モントレー教授に疑われることに恐怖した。
モントレー教授の研究会は学院内でも実践的かつ、研究内容の自由度が高いことで有名だ。
研究会から魔道研究所への登用も頻繁で、王城内の魔術系の要職はほぼこの研究会の出身者で占められているという。
高位貴族の出世街道への登竜門であり、本来、農民出身のアズレイアなどが参加できる場所ではない。
そう誰もが思っていた。
だが驚いたことに、三年の終わり、最初にアズレイアに声をかけてくれたのがモントレー教授その人だった。
厳しいことで有名なモントレー教授が、他でもない自分に声をかけてくれたことが嬉しく、しかも自分のような農民出の魔術師を才能のみで指名してくれたことが、アズレイアには本当に誇らしかった。
なのに今、その恩師たる教授に研究の盗作を疑われている……。
自分に非がないのは分かり切っていても、教授にそんな目で見られていることがどうしようもなくいたたまれず、申し訳なく、そして恐ろしい。
研究課題が他の研究者と重なる時点でほぼあり得ないのに、しかも同じ帰結に至るなんて、どう考えても偶然とは思えない。
到底、偶然ではありえない。
『偶然』でないならば、一体誰が……?
この論文を人前で書いたり、人に見せたことは一度もない。
ただ一人、レイモンドを除いては。
そこまで思い至って、一気にどっと絶望がアズレイアの胸に広がった。
そんな、まさか、レイモンドに限ってそんな……。
否定したい自分のすぐ横で、リアリストな自分が肩をすくめる。
高位貴族のレイモンドがアズレイアのような農民出の何のとりえもない娘になぜ声をかけてきたのか。
こんな理由でもなければ、自分が選ばれる理由などあるはずもなかろう。
でも本当に?
レイモンドは賢く、自力で充分優秀な論文を書けるだろう。
私の論文を盗む必要など、本当にあるのか?
いくつもの疑問と失意、諦念がアズレイアの脳裏を駆け巡る。
だが、モントレー教授は今もアズレイアの答えを待っている。
ちゃんと、論理的に、自分の無実を説明しなければ……。
そう思うのに、目を背けることのできない悲しい事実の数々に、ショックで声が出てこない。
ただ全身が震え、悪いことなどなにもしていないのに、背を冷たい汗が流れ落ちていく。
そんなアズレイアの様子をどう思ったのか、モントレー教授が落ち着いた声音で語りだす。
「待ちなさい。私は決して君が論文を盗んだり真似たのではと疑いをかけているわけではない」
そう口にした教授は、再び手元の論文に視線を落として続ける。
「たとえ君らが偶然同じものを書き上げたのだろうとなかろうと、それを断ずることは私の教授としての役分を超える行為だ」
ぼつぼつと続ける教授の口調は平坦で感情が見えない。
「だが、先に提出されたものと後から提出されたものに類似点がある場合、後者の提出物をそのまま受け取ることはできない。これは学院内に限らず、研究論文全般における当然のルールだ」
教授は決してアズレイアを責めているわけではなく、ただ淡々と彼の言えることを説明してくれているに過ぎない。
そう理解していても、今のアズレイアには、それがまるで残酷な死刑宣告のように聞こえてくる。
「よって、これ以上の説明は不要だ。残念ながら私はこの論文を受理できない。今年の提出を諦めるか、さもなければ期限までに新しい課題で再提出することを考えてくれ」
これは、多分非常に寛大な処置なのだろう。
教授は最後までアズレイアを疑う言葉を発しなかった。
その信頼がありがたく、そして悲しい。
なにを言おうと、結局全てはルールを破って人に自分の論文を見せてしまった私の落ち度だ。
そう、レイモンドが盗用したのか、しなかったのかに関わらず、どんな理由があったのだとしても、関係ない。
最終的に、評価に値する論文を期限内に提出するのは、アズレイア自身の責任なのだ。
「期限までにお持ちします」
震える声でなんとか返答を絞り出し、深く一礼を返して背を向ける。
「大変、残念だ」
部屋をのちにするアズレイアの背に、教授の悲し気な声が重く響いた。
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