あなたが望んだ事です

ひとみん

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サインしたてほやほやの契約書を見ながら、パトリシアは緩む頬を押さえる事が出来ずにいた。

契約内容の話し合いは、ラウルの無駄な足搔きにより縺れに縺れ、午後一から話し合い終わったのが日を跨ぎそうな時刻だった。
だが、その内容を考えれば、早い解決だったのかもしれない。連日続くような話し合いに縺れ込まなかっただけでも、良しとしなくては。
「ミア様様ね」
ミアに苦しめられミアによって解放された事に、思う事が無いわけでもないが・・・
疲れた話し合いではあったが、パトリシアにとっては満足する内容に落ち着き、どちらかと言えば心地よい疲れと言ってもいい。
すでに日が変わっている為、夕食代わりの軽食は自室で食べる事にした。一人でこの喜びに浸りたいから。
仕事だと己に言い聞かせ、割り切った三年弱。やっと終止符を打てるのだから、この解放感を誰にも邪魔されたくなかった。

パトリシアが王家から婚約の打診を受けたのは十四歳の頃。それは突然の事だった。
ラウルがパトリシアに一目惚れしたのだという。
当時からボンクラ王子として有名だったラウルにピッタリな、なんともイラつく理由だった。
当然、辞退の返事をしたことは言うまでもない。
パトリシアの家は伯爵位ではあるが、ほぼ公爵扱いと同じだった。
だからこそ、辞退を口にすることができたのだ。
と言うのも、彼女の父アントニー・ライトは魔道具開発の最先端をいく、世界に名を馳せるほどの超有名人。
しかも、平民から貴族まで彼の名を知らない人はいないと言われるほどで、国王以上とも言われていた。
この世界は、ほとんどの人間が魔力を持っている。だが、ごくまれに魔力なしも生まれてくる事もあった。
彼の魔道具は魔力がない人達でも使えるよう改良した物や、人々の生活に無くてはならない生活魔道具、医療や国の防衛などに関わるものなど多岐にわたっていた。
正に、国宝級の人物なのだ。
その功績に値する位を陞爵しようとしたが、すげなく辞退。
爵位が上がれば、それに伴い面倒な事が付いて回る為だ。
だが、無欲な彼はどこまでもツイている男だった。
魔道具の制作で隣接するイスト帝国へ技術指導で訪れたとき、帝国の第一皇女に見初められたのだ。
皇位継承権第二位のルーナ皇女。
天の川の様な美しい銀色の髪に、瑠璃色の瞳を持つ傾国級の美女である。
容姿もそうだが彼女のすべてが規格外で、魔力量の多さも帝国一。魔法、剣術と極め冒険者ギルドに在籍し、本名は伏せていたもののS級冒険者としても名を馳せていた。
そんな彼女が愛用する魔道具が、アントニー製のものなのだ。秘かに憧れすら抱いていた所に、自国から出ない事で有名な彼が技術指導での帝国訪問の知らせ。
傍から見ても舞い上がっているのがよくわかるほど、彼女は浮かれていた。
そして、いざ対面しアントニーのその人柄にルーナは心を奪われ、アタックしまくったことは今もなお語られるほど有名な話だ。
十日ほどの滞在で、ルーナの猛攻にアントニーが落ちるのはさほど時間はかからなかったことは言うまでもない。
彼女はあっさりと皇位継承権を辞退し、アントニーの国へと嫁いだのだった。
帝国の皇女が伯爵家へと嫁ぐ。
その事実に、サウス国王はまたも陞爵を打診したが、今度は皇女から辞退の返事を告げられた。
彼の仕事の邪魔となるものはいらない、と。
よって爵位は伯爵ではあるものの、その功績と妻となる皇女への配慮から、公爵と同等の扱いとなったのだ。
まぁ所謂、貴族権限のいいとこどりのようなものなのだが・・・

パトリシアとの婚約の話はその後も何度も来ていたが、その度に断り続けていた。だが、貴族の結婚とは家の為、国の為に必要な時がある。
パトリシアの婚約話が、祖父にもあたるイスト帝国の皇帝の耳にも入ってしまったのだ。
元々皇帝は、アントニーを婿にと考えていたのだがそれが叶わず、一番皇帝に近いと言われていたルーナを嫁がせた。
当然、政治的思惑もあった。魔法技術が他国より進んでいるサウス国を手中に収めたかったのだ。
戦争など野蛮な行為で屈服させるのではなく、帝国に都合の良い人間を中枢に送り込み思うように操りたかったのだが・・・
その願いを、娘にそっくりでかわいい孫娘が叶えてくれそうなのだ。
ゆくゆくはサウス国の王妃となり、その子が国王となる。
皇帝はすぐさまルーナに婚約を了承するよう使者を送ってきた。
サウス国とイスト帝国との板挟みとなったアントニー達。
そんな二人を見て、パトリシアは婚約を了承する意思を固めたのだった。
できる事なら自分たちの様に愛する人と結ばれて欲しかったが、抗えぬ権力の許、愛する娘の為に限りなく有利な条件での婚約を締結させた。
パトリシア、十五歳の時だった。


パトリシアが十六歳になると、貴族子女であれば必ず通わねばならない王都にある学園へと入学した。
王太子であるラウルは一つ年上の為、既に学園に通っていた。
そして、パトリシアが通い始めすぐにある噂を耳にする事になる。

ラウルとミアという男爵令嬢の親密さを。

パトリシアはラウルに恋はしていなかった。
我が伯爵家は、不本意ながら仕方がなく婚約を引き受けただけなのだから。
それなのに、言い出しっぺの王太子が浮気三昧とは。堂々と、不誠実な事をしているのが許せなかった。
この男が余計な事を言わなければ、両親は苦渋の選択をしなくてもよかったのに。
浮気の決定的な証拠を集め、両親と共に国王へと『契約違反』で婚約解消を求めた。
婚約の契約の中で、どちらかが浮気をした時点で婚約は白紙となる旨を謳っていたからだ。
だが国王はパトリシアを放そうとはしなかった。
このまま婚約を白紙に戻してしまえば、ライト伯爵家はこの国から去ってしまう事が簡単に想像できたから。
そして何より、パトリシアの美貌だけではない類稀な魔法の才能と、ラウルには持っていない為政者としての能力。
国王はわかっていた。ラウルには国を導くだけの才は無いと。
だからどうしてもパトリシアが必要だったのだ。
この国を豊かに導いてくれるのであれば、誰が国王になっても構わない。だが血筋は重要。
だから国王は提案したのだ。『共同統治制』を。

そこまでの覚悟だとは思っていなかったアントニー達は、最後はパトリシアの意思に任せる事にした。
事の重大さにパトリシアは、決断を下す前にラウルとの話し合いを要求した。
二人きりになるとパトリシアはラウルに、国王のこの提案をどう思うのか。これからどうしたいのかを問うた。
「父上の提案は決定事項と同義だろ?これからどうしたいかなんて、どうあがいても俺達は結婚しなきゃいけないんだ。だったら、お互い好きな事をした方がいいんじゃないのか?」
「つまりは、ラウル様はこれまで通り不誠実なままだと?」
「不誠実?はははっ!不誠実も何もこれが俺なんだよ。パトリシアも自由にしていいんだぞ。俺たちはイヤでも結婚しなくちゃならないんだ。結婚したら今度は後継ぎを要求され政務に忙殺され、自由はなくなるんだから、今を好きに生きればいいんだよ」
軽薄そうな顔で軽薄な言葉を吐くこの男に、パトリシアの中で何かが吹っ切れた。
これまでは両親の為に婚約者に誠実でいようとしていた。
だが、この事態の原因であるこの馬鹿な男は、どこまでも馬鹿だった。

ならば、私も好きにさせてもらう。

真面目でいい子のパトリシアはその日、死んだのだった。

「共同統治の提案、謹んでお受けします」
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