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βがαをふる方法
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α×β
アルファ 木村 貴宏
好きな物 平穏
きらいなもの 派手なオメガ姉(海外在住)
片想い 八年
ベータ 多田村 正
好きな物 うつくしいもの
きらいなもの 目立つこと
片想い 五年
この鏡は何でも答えてくれるらしい。
「鏡よ鏡。世界で一番――」
さて、何を聞こうか。
「……失恋をして、未練たらたらなのはだれだ?」
おそらくだ。いや、おおよそ見当はつく。答えは判っていた。鏡に映っているのは、自分に決まっている。
俺は左手に持った鏡に問いかけるが、返答はない。あたりまえだ。鏡がしゃべるわけがない。安物買いの銭失いというのは、こういうことだ。せんべろ飲み屋を梯子してべろべろに酔っ払って、へんな露店のおやじから声をかけられて調子のって鏡なんて買ってしまう自分がわるい。
舌打ちをして、ウオッカベースのレモンサワーをぐびぐびとあおるように呑んだ。もう三十路にちかい。なのに、まったく成長してない。そんな自分に笑ってしまう。
ローテーブルには、さきほどコンビニで買ってきたスナック菓子やあたりめ、プリン、空き缶が散乱している。コンビニの店員の訝しげな視線が痛々しくかわるほど、俺は酔っぱらって帰宅した。
帰ってすぐに、ビニール袋をあさり、プルタブをひらいていまにいたる。テレビに視線を投げるが、見る気力もなくリモコンも見当たらない。
……あの部屋よりマシだけど、つまらないな。
この部屋は、広いくせになにもない。二部屋もあるのに本棚とテレビ、ベッドしかない。背凭れがわりにするベッドなんて、毛布はくしゃくしゃにめくり上がり、起きたばかりのほら穴がぽっかりと黒くできている。
会社に行って、帰って寝る。そんな場所だ。
くそ、やっと忘れたと思ったのに……。
憂さ晴らしにチューハイを叩きつけるように置いた。気分は晴れない。お気に入りの酒がプルタブからほんのすこしだけ飛び散った。
ほんとうに、なんでこうなった。
また、缶を口に運ぶ。炭酸の泡ごと呑み込む。レモンの酸味が喉を通り、ぐらぐらとした酔いに加算されていく気もしない。
やっと、やっと、忘れたと思ったのに、なんでだよ……!
左手をだらりとおろすと、鏡らしきものがゴトリと床に落ちた音がした。
俺は考えたくなかったことを、考えることにした。
そもそも、俺には同期、兼セフレがいた。
月曜日、そのセフレだった男が都心の一等地ど真ん中にある銀行本店に戻ってくる。たまたま耳にしてしまった自分。めずらしく残業もせずに、動揺も隠せないまま安い居酒屋に駆け込んだ。レバテキ五九〇円に対して、ハイボール二五円という破格の値段につられたわけじゃない。
いや、まて、その前にふたりのパーソナリティともいえるキャラ分析からはじめよう。
俺は地味で、黒髪だ。目つきもすこしわるい。もさっとしている男だ。名前は多田村 正。あだ名は『ただっち』。おごられたことは一人しかおらず、大抵は割り勘だ。メガバンク本店の総務部に身を置いて、そこそこに働く。バースはベータ。隣にいた後輩の香ちゃんすら、陰で自分をカオナシと呼んでいるのを知って、やっぱりそうかなと思うぐらい存在感がうすい。でも、それでいい。目立つことなんて苦手だし、仕事もバリバリとこなすこともなく、趣味だって読書というなんともふつうなところが自分らしくて気に入っていた。そんな可もなく不可もない生活を送っている。
それに対して、二極化ともいえる存在がいた。
木村 貴宏。男。バースはアルファ。祖父はキムラヤというファッションビルの商業施設を展開する木村グループの創立者だ。父は現社長。兄が跡を継いで、長女は海外でモデルをしているらしい。で、次男の貴宏は銀行本店に入行を決めたようだ。
旧帝国大学卒業、背が高く眉目秀麗。穏やかな性格に、柔らかな栗毛。馬で例えるとルドルフだ。競馬史上最強の馬であるルドルフだと思う。たまにディープの名を出してくるやつもいるが、神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世にちなんで名づけられたともいえる最強馬には誰も勝てない。そんな存在感のある男だ。
とにかく、オメガやベータ、アルファというバースの垣根をぶっ壊し、男女ともに大人気だった。上司からも気に入られ、仕事でも率先力で活躍する期待のホープだった。
ちなみに、ここはオメガバースというなんとも複雑なベールに包まれている。性別が男と女。そのほかにバースが三つに分化される。アルファが二割、ベータが八割、オメガは残りひと握りと希少な存在だ。
さらに詳しく説明させていただくと、アルファの二割がどのくらいか?ということだ。年収三千万以上稼ぐひとは0.3%未満。旧帝国大学である東大が全国に十五万人。それは人口比0.15%。そのうちの富裕層は百五十万人。人口比、1.15%とされている。つまり、そのぐらいおみかけできない。最近では数少ないオメガですら、ベータよりも優秀なやつがいる。
だから、俺たちは目立たない。仕事はほどほどにこなし、陰でカミキリムシのようにオメガバースというやつらの物語を支える。カブトムシのようなアルファ、クワガタムシのようなオメガ、いつだってそのふたりにあまい蜜を与える存在でしかない。
そんなやつが、どうしてベータの俺と親密な関係にまで進展したかというと、答えは簡単だ。同期だからだ。
天と地ぐらいちがう格差があっても、同期というだけで、いとも簡単に顔を合わせることができる。内定からたびたび行われた同期会と名づけられた飲み会で、俺は親しみを抱いた。完璧な美貌に酒がすすみ、焼酎割り五杯はつまみなしで呑める。呑みながら、一方的にパーフェクトな美形に片想いという不毛なものを五年もこじらせてしまっていた。
そんな感じで、あの日がやってきた。
半年前の、だれかの送別会だった気がする。
めずらしくべろべろに貴宏は酔っていた。カラオケの三次会も終わり、そばによって介抱してやると、隣にいた短髪のヤツが上からケラケラ笑った。
『こいつ、好きやつがいるのに告る勇気もないアルファなんだよ』
と、大声でまた笑う。
酔いつぶれた貴宏を叩いて、俺の腕の中にドンと押した。面倒を見る気もないのか、そいつは手をひらひらとふって、彼女のアパートへ颯爽と帰っていった。
好きな子がいるんだと知った。ちょっとショックだった。いや、かなり落ち込んだ。ああ、そうだ。送別会の主役はオメガのゆかりちゃんだった。残念だ。こいつでも失恋するのか。
この女子は結婚を機に退職して、ご主人の転勤先についていくらしい。宴もたけなわのうちに彼女は一次会で帰っていった。さびしいけどめでたい。けど、後ろ姿に見えたうなじにくっきりとした歯型が浮き出ていて、リアルすぎて引いた。オメガというバースは存在する。幸せいっぱいの彼女を見送り、理由もなく沈鬱な表情になり、考えされられた気分になった。
そんなことを思い返しながら、腕の中で寝ているアルファ男をゆり起こす。起きやしない。
終電も終わって、とりあえず吐きそうになる男をかかえて、店を追い出された。ぶつかってくる酔客から逃げていると、ホテルを指差すアルファ男。十一月の冷えた夜気は肌寒くて、ぶるぶる震えた俺はホテルに足をむけて、急ぎ足で奥へと向かった。看板には『ハッピーホテル』とあった気がするが、そんなのどうでもよかった。
長身で酒くさい男をベッドにささげて、ミネラルウォーターを横に置いて早々に寝た。吐き気もおさまったらしい。スヤスヤと寝息をたてた横顔は、鼻梁の通った端正な美形だった。眺めるだけで、眼福。一時間ほど見続けてしまった。
そして、朝方、それはおこった。どうしてか、だれかと間違えたのか、キスを求められた。ラッキーである。元々ゲイでネコだったけど誰にも求められたことがない俺は、ご無沙汰なのもあり、チャンスとばかりに、そのキスを受け入れてしまった。本当はあまりにもびっくりしてしまい、身体が動かなかった。
つき合おうとか、そういうのはなかった気がする。
それからだ。セフレという、いかがわしく、爛れた関係を築いてしまった。
どんな感じだったか? そんなもの説明するまでもない。
俺の家で待ち合わせをして、遅い晩飯を一緒に食べてヤルだけだ。俺はとても健気なので、会うときは必ず粉末食物ファイバーを前日に飲んでいる。食べものだって気をつかっていたし、ユーチュープで裏切らない料理のレシピをなんども試して作った。
あいつが世界一おいしいと口にした料理は、リュウリュウの至高シリーズだ。胃袋をがっちりつかむのは基本中のキホン。
そんなことも知らないくせに、あいつはコンビニ袋片手にやってきて、袋の底にはデザートのプリンを忍ばせてやってくる。
和やかな会話を交わしたり、テレビを観たりして食事を済ませる。風呂は一緒にはいらない。疲れているあいつが先だ。シャワーのノズルを突っ込んだ姿を見られたくないのもある。それに、あまりにも準備に時間がかかってしまい、寝ているのかと思ったときもあった。腹が立って、顔を近づけると、唐突に引きよせられてキスされた。あの不敵な笑みがずるくて絆されてしまう。
そして、やっと、コトに及ぶ。
「うん、ぁっ……、あふぅ、そこ、いい、いい」
「きもちいい?」
「う、ん……ひぁっ」
はじめはいつも四つん這いになって尻を突き上げて、太腿をおしひろげられる。小暗い割線のすぼまりがあらわになり、しげみを撫でられた。はけ口を見つけるように片手で俺の後孔をくじりはじめ、空いた手で剛直を甘美にしごいてくる。両刀つかいもいいところだ。あ、こいつ、童貞じゃないなと思った。が、恥ずかしさでどうでもよくなった。
「そんなに枕に突っ伏していると、息ができないよ。こっちをみて」
「い、ぁ……、やだよ。恥ずかしい」
「痛くしないから、大丈夫」
なにが、大丈夫なんだ。クスクス笑うな。いつも大丈夫って聞くけど、全然大丈夫じゃない。おたがいすっ裸で、やることは決まっているんだ。オメガだったらヒートなんだと、快感におかされた思考をごまかせたかもしれない。
「こんなっ……、恥ずかしい。自分でやったし……」
「そういっても、まだきゅうって締まってるよ? 一緒にお風呂でしようっていったのに全然許してくれないよね」
ちょっと拗ねた声をだすな。
俺はオメガみたく濡れないんだよ。粘膜を保護するアルカリ性の腸液しかでなくて、申し訳ありませんね。なんて、言えるわけがない。真っ赤になりながら枕に突っ伏して愛撫に耐えた。
貴宏はくすんだ部分の皺を一本一本のばして、たっぷりのローションで感覚がなくなるぐらいほぐしてくれる。乳白色の液体が太腿をつたって、ベッドのシーツをしとどなく濡らす。指すらも締めつけてしまい、恥ずかしさで消えたくなった。
「あっ、あっ、い、いきそう……」
「まだはやいよ。でも、すごいひくひくしてる。生き物みたいでかわいい」
実況やめろ、と、なんども胸のなかで毒つく。が、弓なりに反った体はがくがくと弾んでしまう。
「はぁ……っ、あっ……、あっ、ん……」
「ここ、どう?」
人差し指と中指とで、中をすりつぶすようにこすっていく。
「あっ……、あっ、あっ、そこ、も……、だめっ……」
入口から中指の関節の節が通り抜けると、ツンツンと、その先を指で突かれた。そのたびに、身体が反応して辱めを受けている意識が芽生えてしまう。それはゆっくりと、そしてやさしい指遣いだった。
「いきそう? 前立腺って、きもちいいってきいたけど一回出したほうがいいかな? 大丈夫?」
「き、ひぁっ、きもち、……ぁいいっ。……だ、だいじょおあ、ぶ……んんっ」
つつかれるたびに、灼熱した鉛の液体が息子から噴射した。それでも、だらだらと淫汁がたれ流される。
もどかしくて、さわろうと伸ばすと手首をつかまれた。
「だめだよ。ここは僕がさわってあげるでしょ。それとも乳首のほうがいい? やめる?」
その疑問形もやめろ。決まりかねている答えを引き出すな。
「や、だっ、……んっ」
せり上がってくる、びりびりとした快感が、こわくて、またぎゅうっと枕にしがみついてしまう。ふるふると頭を横に振って、かすれる声と吐息が洩れた。やめて欲しいのに、入口の先をしつこくツンツンとされて、なんども昇りつめてしまいそうになった。
「かわいい。多田村がこんなにかわいいの、僕しか知らないんだよね?」
「はぁっ、あっ、あ、ァッ、……きむらぁ、んっ、そこ、しつこい」
「たかひろって名前でよんでって言ったよね。わかる?」
ぜんぶ、疑問形やめろ。しつこい。
「や、だよ。あっ、そこ、だめだめだめ、いく、いっちゃうっ」
「いかせない。まだなかにいれてもらってないよ?」
貴宏はくるりと身体を向かい合わせ、俺を膝に座らせた。
「あ、なに……?」
「正常位は足がひらくのがむずかしいから、対面座位にしよう。自分でいれてくれる?」
「え……」
「大丈夫、ゆっくりでいいから。息を吐いて」
「んぅ……あ、ぁッ……」
俺は素直だ。
アルファのちんぽを独占できるのは、いましかない。本日はアルファのちんぽ独占禁止法を敷いたと思えばいい。
なんてことを冷静に言葉にできることもできず、俺はかわいいウサギのふりをして、こくりとちいさく頷いた。
そのときの自分を、横からバッドで殴りたい。
それでも、あまい行為は砂糖を溶かしたようにあまい。
窄まりが限界まで押しひらいて、ヌルッときばった亀頭が滑り込んでしまう。肉壁をひろげていく感覚がこわくて、逞しい腕に爪を立ててしがみついた。貴宏はちいさくほほ笑むと、ぺろりと胸の突起に舌を這わせた。瞬間、絶頂に達して、ぴゅうっと精液が飛び出てしまった。
「——……あああああああ!」
「あ、トコロテンだ。本物みたいでおもしろいね」
「……ばかっ、あっ、あぁ、……あ、あ、あ、ゆらすなあぁ……っ、ひぃあ……」
抽送を速められ、がくんがくんと狂おしく、全身が波立つように跳ねあがってしまう。そのまま一気に根元まで挿入し、熱い脈動に、もう一度イってしまう。
「傷つけないようにやさしくするね」
ペニスが肉壁をこすり、潤滑油のローションがぐちゅぐちゅとした淫猥な音がひびく。粘膜がひっぱられ、そのたびにゴツゴツと腹の奥が穿たれた。スキン一枚でさえおしくなるほど、貴宏の熱に酔いしれてしまう。ほてった肌と肌が重なるたびにきもちいい。長大な剛直が、硬い楔のように深々と突き埋められてしまい、下腹部を突き上げてくる。
「あぅ……、だめ、だめ、奥まで…きてる」
「本当? ねぇ、その顔をよくみせてよ」
「あっ、あっ……、だめ、ぅん、……いい、きも、ちいい。ひぃん、いいっ……」
はしたなく乱れた声とあまく蕩ける声。
「うん、腰をもっと沈められる?」
「えっ……」
ずんと尻をわしづかまれて、腰がさらに下に落ちて目からまばゆい星が散った。
「あ、あ、あー、あーっ……」
「ここ、ひらいていくと気持ちいいらしいよ」
耳もとを咬まれて、甘い声がささやいた。胎のいちばん奥までとどいている。汗が額から、手のひらからじわりと浮かぶ。そこはだめだ。きちゃだめだ。雁の部分で、ゆっくり、そしてじっくりと押しひらかれると、すべてがどうでもよくなってしまう。もう、この男しか受け入れたくない。俺は、哀願するような視線を送った。
「…………あっ、あ、あ、やだ、やだ、んっ……」
「イッてるんだね。かわいい。僕のものみたい」
哀切な思いと涙があふれて、急に寂しくなり、キスを求めた。分厚い唇をついばむように吸っては舐めた。なんども昇りつめて弾ける。もう、自分がだれなのかわからなくなった。
「熱い……、熱い……んっんっ……。あ。あ、……」
「僕なしじゃイケなくなるまで、気持ちよくなってよ。ただしが僕なしに生きていけなくなるまで抱いてあげる」
ちゅっと瞼にうかぶ涙を吸われる。
そう、そんな男だ。そんな奴だった。好きだった。
そして、会うたびに、へとへとになるまで、抱きつぶされた。激しく射液を迸らせたくせに、あいつの息子は天井をすぐに向いていて、もう一回戦……。なんて、繰り返しているうちに、次の日どこにもいけなくて、アルファの性欲はやべぇなとしか思ってなかった能天気な自分を殴りたい。
ここまではふつうのセフレだ。どうやって別れたんだっけ?
——……ああ、そうだ。電話だ。
別れなんて、簡単だ。
あいつの海外転勤がきまって、たまに電話した。食べてるものが違うとか、言語がちがっても皆優しいとかそんなたわいもない内容を交換する。でもそれも段々と少なくなってきた。忙しいに決まっている。時差だってある。電話すると、あっちはいつも朝だ。ほんの数十分の会話がうれしかった。
それが、同期のある一言でぶち壊された。
『あいつ? そうそう。向こうで、ナイスバディのオメガ令嬢と一緒に住んでるらしいよ。あっちのオメガは性格もきついし、押しに押されたんじゃないか? 上司のすすめも断ってきたのにめずらしいよな。ま、あっちで大型案件受注してて、調整で忙しいのもあんだけど癒しを求めたんじゃねえの?』
と、同期の口から聞いたのがきっかけだった。きわめつけがコレだ。
『ああ、あと運命の番いにでも逢ったんじゃね??』
ゲラゲラ笑っていた、あの余計なひと言。
ガーンと、後頭部を殴られたようなショック。
ああ、俺はなにをやってるんだろう。もう、自分から電話するのをやめよう。そう思った。メールひとつ、来ないじゃないか。
五文字打つのに何秒かかるんだ。
それに、運命の番いってなんだ。リュウグウノツカイしか知らない。うそ。俺はずっと前に買っていたオメガバースの教科書を手にとって、アルファとオメガの関係性にいまさらながら考えさせられた。
正直いうと、歓送迎会で見送った、あの、ゆかりちゃんの幸せそうな顔が忘れられなかった。
四百ページもある本を、ビール片手にめくる。
アルファとオメガ、おまけのベータ。おまけってなんだ。番い関係がないおれたちは、そもそもつき合ってもいなかった。はたと、そこで重大なことに気がついた。そもそも番いにもなれないじゃないか。
それで、しばらくたった、ある日、やっとかかってきた貴宏の電話に言ってやった。
「——……オメガの彼女とうまくやれよ。じゃあな」
ハイボールを八本吞んだあとだった気がする。ゴムみたいな記憶で電話をきった。
ベータがアルファを振れた。ざまーみろだ。
オメガじゃないし、男だし、そもそも好きじゃなかったし、つき合ってなかったし……と電話越しで言ったとき、あいつの声は冷たかった気がする。ああ、知ってた。そうじゃないかなって。俺から言わせなくとも、自然消滅だった。未練たらしく言って悪かった。でも、こいつはなにも感じやしない。それも知ってた。
その日をきっかけに、端末を変えた。かかってくる内線も外出を理由に後輩の香ちゃんにかわってもらう。そのせいで、たまにだったランチ代が増えてしまった。会社も辞めようかと考えたが、このご時世そう簡単に決められない。馬鹿らしいほどに凹んだけど、失恋ごときでそこまではしたくない。
でも、あいつの噂を耳にするたびに肩を落としてしまう。目立つことがきらいだが、うつくしいものが好きな自分にとって、あの顔と体格はなかなかお目にかかれない。
それで、関係を断ち切れた、はず。
俺たちには番いという関係は、ない。だからつながっているすべてのものをぶった切った。そういえば、写真も一枚も撮ってなかった。
ひらくことのないドアを眺めるのも悲しい。いつも過ごしていた部屋に週末閉じこもっているのも淋しくて、俺は引っ越しもした。狭いワンルームから、少しだけ広い2DKにした。
やっと心が落ち着いて、ちょっとマッチングアプリで一発やろうとしたけど、待ち合わせ場所を前にしてすぐに逃げてしまった。相手が悪いとか、そういうのじゃなく、なんとなくあいつのきれいな顔が浮かんで、その場にいられなくなった。べろべろに酔って、だれかに電話した気がする。着信はこわくて見ていない。でも、だれに電話したのか知っている。指が覚えている。
そしたら、すぐにあの内示だ。ほらみろ、おれ。よくないことは続くということだ。本人のつよい希望らしいと誰かが口にしていた。つよい希望なんてあるんだ。日本が恋しくなったか、バカやろう。穏やかなあいつでもそんな気持ちがあるんだとちょっと心の中で笑った。
そんな記憶が蝕んで、いまだにひきずっている。半年もたつのにだ。つき合ってもないのに、どうしてこうも自分は未練たらしいのだろう。
「そういえば、あいつの好きなヤツは誰だったんだろうな……」
また、酒をあおる。
たぶん、結婚したオメガのゆかりちゃんだったんじゃないか。とにかく、かわいい女の子のだれかだ。
まぁ、戻ったらもどったらで、モテるはずだし困ることもない。向こうでも引く手あまただっただろう。それとも、同棲なんてしちゃってるから、顔合わせに帰ってくるのかな。
そのまま両親の承諾を受けて、結婚して、社内報に家族写真なんて載っちゃうんだ。子供なんてできたときは『イクメンアルファ』なんて特集記事を書かされて、俺はそれをうっかりなんども読んでしまうんだ。
よくないことはぽんぽんと、自然に浮かんでくる。これは俺のいいところだ。危険察知能力ともいえる。
俺はアルコール度数九%とかかれた缶をまた一気に呑んで、床に視線を落とす。鏡にはなにも映っていない。ぼんやりとあいつの顔が目に浮かぶ。焦茶色の柔らかな髪の毛に、澄んだチャコールグレーの瞳。シャープな顎。
そんな感じ。明日はひまだし、もう寝よう。寝てることにしよう。来週から、なにごともなかった感じにふるまおう。そうしよう。
鏡を大事にベッド脇において、向かい合うように寝た。あぁ、この顔が好きだった。好きで、好きで、いまでも愛してる。未練たらたらなのはいつまでも変わらない。
そして、あいつはずるい。社内のメール便で、一通の手紙をよこしてきた。今日、深夜に空港に着くらしい。そこから、まっすぐそっちにいくから待っててほしい。という内容。ご丁寧に住所まで書かれている。合ってなかったらごめんって。なんだよ、それ。合ってるよ。なんで新住所を知っているんだよ。
聞くと、同僚が『あいつが尋ねてきたから教えたよ? おまえ、引っ越したんだろう?』と、悪びれることなく返してきた。まったく余計なことをしてくれる。本当にやっかいな同期だ。
もう少しで、約束の時間かもしれない。
酔いはさめてる。窓からは冴えわたる中月が冷えた光を放つ。いつも、この時間に電話をしていた記憶がよみがえり、のろのろとほら穴にもぐった。寝たふりをした。かちゃりとドアがひらく音が響く。
だめだ、だめだめだめ。
また、愛していると言われたら、ほだされる。この先の将来を考えても、どうしても別れた方がいいにきまっている。俺のいない、あいつの輝かしい未来はたくさん想像できた。俺は、アルファを振ったんだ。そうだ、βがαをふったんだ。
ひたひたとあるく音がして、毛布ごと抱きしめられた。ぎゅうっと力いっぱいに腕に抱かれる。
だめだ、と思った。
俺は、こいつから離れられない。
振ったはずなのに、離れてくれない。
噛んだ唇があつい。
アルファ 木村 貴宏
好きな物 平穏
きらいなもの 派手なオメガ姉(海外在住)
片想い 八年
ベータ 多田村 正
好きな物 うつくしいもの
きらいなもの 目立つこと
片想い 五年
この鏡は何でも答えてくれるらしい。
「鏡よ鏡。世界で一番――」
さて、何を聞こうか。
「……失恋をして、未練たらたらなのはだれだ?」
おそらくだ。いや、おおよそ見当はつく。答えは判っていた。鏡に映っているのは、自分に決まっている。
俺は左手に持った鏡に問いかけるが、返答はない。あたりまえだ。鏡がしゃべるわけがない。安物買いの銭失いというのは、こういうことだ。せんべろ飲み屋を梯子してべろべろに酔っ払って、へんな露店のおやじから声をかけられて調子のって鏡なんて買ってしまう自分がわるい。
舌打ちをして、ウオッカベースのレモンサワーをぐびぐびとあおるように呑んだ。もう三十路にちかい。なのに、まったく成長してない。そんな自分に笑ってしまう。
ローテーブルには、さきほどコンビニで買ってきたスナック菓子やあたりめ、プリン、空き缶が散乱している。コンビニの店員の訝しげな視線が痛々しくかわるほど、俺は酔っぱらって帰宅した。
帰ってすぐに、ビニール袋をあさり、プルタブをひらいていまにいたる。テレビに視線を投げるが、見る気力もなくリモコンも見当たらない。
……あの部屋よりマシだけど、つまらないな。
この部屋は、広いくせになにもない。二部屋もあるのに本棚とテレビ、ベッドしかない。背凭れがわりにするベッドなんて、毛布はくしゃくしゃにめくり上がり、起きたばかりのほら穴がぽっかりと黒くできている。
会社に行って、帰って寝る。そんな場所だ。
くそ、やっと忘れたと思ったのに……。
憂さ晴らしにチューハイを叩きつけるように置いた。気分は晴れない。お気に入りの酒がプルタブからほんのすこしだけ飛び散った。
ほんとうに、なんでこうなった。
また、缶を口に運ぶ。炭酸の泡ごと呑み込む。レモンの酸味が喉を通り、ぐらぐらとした酔いに加算されていく気もしない。
やっと、やっと、忘れたと思ったのに、なんでだよ……!
左手をだらりとおろすと、鏡らしきものがゴトリと床に落ちた音がした。
俺は考えたくなかったことを、考えることにした。
そもそも、俺には同期、兼セフレがいた。
月曜日、そのセフレだった男が都心の一等地ど真ん中にある銀行本店に戻ってくる。たまたま耳にしてしまった自分。めずらしく残業もせずに、動揺も隠せないまま安い居酒屋に駆け込んだ。レバテキ五九〇円に対して、ハイボール二五円という破格の値段につられたわけじゃない。
いや、まて、その前にふたりのパーソナリティともいえるキャラ分析からはじめよう。
俺は地味で、黒髪だ。目つきもすこしわるい。もさっとしている男だ。名前は多田村 正。あだ名は『ただっち』。おごられたことは一人しかおらず、大抵は割り勘だ。メガバンク本店の総務部に身を置いて、そこそこに働く。バースはベータ。隣にいた後輩の香ちゃんすら、陰で自分をカオナシと呼んでいるのを知って、やっぱりそうかなと思うぐらい存在感がうすい。でも、それでいい。目立つことなんて苦手だし、仕事もバリバリとこなすこともなく、趣味だって読書というなんともふつうなところが自分らしくて気に入っていた。そんな可もなく不可もない生活を送っている。
それに対して、二極化ともいえる存在がいた。
木村 貴宏。男。バースはアルファ。祖父はキムラヤというファッションビルの商業施設を展開する木村グループの創立者だ。父は現社長。兄が跡を継いで、長女は海外でモデルをしているらしい。で、次男の貴宏は銀行本店に入行を決めたようだ。
旧帝国大学卒業、背が高く眉目秀麗。穏やかな性格に、柔らかな栗毛。馬で例えるとルドルフだ。競馬史上最強の馬であるルドルフだと思う。たまにディープの名を出してくるやつもいるが、神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世にちなんで名づけられたともいえる最強馬には誰も勝てない。そんな存在感のある男だ。
とにかく、オメガやベータ、アルファというバースの垣根をぶっ壊し、男女ともに大人気だった。上司からも気に入られ、仕事でも率先力で活躍する期待のホープだった。
ちなみに、ここはオメガバースというなんとも複雑なベールに包まれている。性別が男と女。そのほかにバースが三つに分化される。アルファが二割、ベータが八割、オメガは残りひと握りと希少な存在だ。
さらに詳しく説明させていただくと、アルファの二割がどのくらいか?ということだ。年収三千万以上稼ぐひとは0.3%未満。旧帝国大学である東大が全国に十五万人。それは人口比0.15%。そのうちの富裕層は百五十万人。人口比、1.15%とされている。つまり、そのぐらいおみかけできない。最近では数少ないオメガですら、ベータよりも優秀なやつがいる。
だから、俺たちは目立たない。仕事はほどほどにこなし、陰でカミキリムシのようにオメガバースというやつらの物語を支える。カブトムシのようなアルファ、クワガタムシのようなオメガ、いつだってそのふたりにあまい蜜を与える存在でしかない。
そんなやつが、どうしてベータの俺と親密な関係にまで進展したかというと、答えは簡単だ。同期だからだ。
天と地ぐらいちがう格差があっても、同期というだけで、いとも簡単に顔を合わせることができる。内定からたびたび行われた同期会と名づけられた飲み会で、俺は親しみを抱いた。完璧な美貌に酒がすすみ、焼酎割り五杯はつまみなしで呑める。呑みながら、一方的にパーフェクトな美形に片想いという不毛なものを五年もこじらせてしまっていた。
そんな感じで、あの日がやってきた。
半年前の、だれかの送別会だった気がする。
めずらしくべろべろに貴宏は酔っていた。カラオケの三次会も終わり、そばによって介抱してやると、隣にいた短髪のヤツが上からケラケラ笑った。
『こいつ、好きやつがいるのに告る勇気もないアルファなんだよ』
と、大声でまた笑う。
酔いつぶれた貴宏を叩いて、俺の腕の中にドンと押した。面倒を見る気もないのか、そいつは手をひらひらとふって、彼女のアパートへ颯爽と帰っていった。
好きな子がいるんだと知った。ちょっとショックだった。いや、かなり落ち込んだ。ああ、そうだ。送別会の主役はオメガのゆかりちゃんだった。残念だ。こいつでも失恋するのか。
この女子は結婚を機に退職して、ご主人の転勤先についていくらしい。宴もたけなわのうちに彼女は一次会で帰っていった。さびしいけどめでたい。けど、後ろ姿に見えたうなじにくっきりとした歯型が浮き出ていて、リアルすぎて引いた。オメガというバースは存在する。幸せいっぱいの彼女を見送り、理由もなく沈鬱な表情になり、考えされられた気分になった。
そんなことを思い返しながら、腕の中で寝ているアルファ男をゆり起こす。起きやしない。
終電も終わって、とりあえず吐きそうになる男をかかえて、店を追い出された。ぶつかってくる酔客から逃げていると、ホテルを指差すアルファ男。十一月の冷えた夜気は肌寒くて、ぶるぶる震えた俺はホテルに足をむけて、急ぎ足で奥へと向かった。看板には『ハッピーホテル』とあった気がするが、そんなのどうでもよかった。
長身で酒くさい男をベッドにささげて、ミネラルウォーターを横に置いて早々に寝た。吐き気もおさまったらしい。スヤスヤと寝息をたてた横顔は、鼻梁の通った端正な美形だった。眺めるだけで、眼福。一時間ほど見続けてしまった。
そして、朝方、それはおこった。どうしてか、だれかと間違えたのか、キスを求められた。ラッキーである。元々ゲイでネコだったけど誰にも求められたことがない俺は、ご無沙汰なのもあり、チャンスとばかりに、そのキスを受け入れてしまった。本当はあまりにもびっくりしてしまい、身体が動かなかった。
つき合おうとか、そういうのはなかった気がする。
それからだ。セフレという、いかがわしく、爛れた関係を築いてしまった。
どんな感じだったか? そんなもの説明するまでもない。
俺の家で待ち合わせをして、遅い晩飯を一緒に食べてヤルだけだ。俺はとても健気なので、会うときは必ず粉末食物ファイバーを前日に飲んでいる。食べものだって気をつかっていたし、ユーチュープで裏切らない料理のレシピをなんども試して作った。
あいつが世界一おいしいと口にした料理は、リュウリュウの至高シリーズだ。胃袋をがっちりつかむのは基本中のキホン。
そんなことも知らないくせに、あいつはコンビニ袋片手にやってきて、袋の底にはデザートのプリンを忍ばせてやってくる。
和やかな会話を交わしたり、テレビを観たりして食事を済ませる。風呂は一緒にはいらない。疲れているあいつが先だ。シャワーのノズルを突っ込んだ姿を見られたくないのもある。それに、あまりにも準備に時間がかかってしまい、寝ているのかと思ったときもあった。腹が立って、顔を近づけると、唐突に引きよせられてキスされた。あの不敵な笑みがずるくて絆されてしまう。
そして、やっと、コトに及ぶ。
「うん、ぁっ……、あふぅ、そこ、いい、いい」
「きもちいい?」
「う、ん……ひぁっ」
はじめはいつも四つん這いになって尻を突き上げて、太腿をおしひろげられる。小暗い割線のすぼまりがあらわになり、しげみを撫でられた。はけ口を見つけるように片手で俺の後孔をくじりはじめ、空いた手で剛直を甘美にしごいてくる。両刀つかいもいいところだ。あ、こいつ、童貞じゃないなと思った。が、恥ずかしさでどうでもよくなった。
「そんなに枕に突っ伏していると、息ができないよ。こっちをみて」
「い、ぁ……、やだよ。恥ずかしい」
「痛くしないから、大丈夫」
なにが、大丈夫なんだ。クスクス笑うな。いつも大丈夫って聞くけど、全然大丈夫じゃない。おたがいすっ裸で、やることは決まっているんだ。オメガだったらヒートなんだと、快感におかされた思考をごまかせたかもしれない。
「こんなっ……、恥ずかしい。自分でやったし……」
「そういっても、まだきゅうって締まってるよ? 一緒にお風呂でしようっていったのに全然許してくれないよね」
ちょっと拗ねた声をだすな。
俺はオメガみたく濡れないんだよ。粘膜を保護するアルカリ性の腸液しかでなくて、申し訳ありませんね。なんて、言えるわけがない。真っ赤になりながら枕に突っ伏して愛撫に耐えた。
貴宏はくすんだ部分の皺を一本一本のばして、たっぷりのローションで感覚がなくなるぐらいほぐしてくれる。乳白色の液体が太腿をつたって、ベッドのシーツをしとどなく濡らす。指すらも締めつけてしまい、恥ずかしさで消えたくなった。
「あっ、あっ、い、いきそう……」
「まだはやいよ。でも、すごいひくひくしてる。生き物みたいでかわいい」
実況やめろ、と、なんども胸のなかで毒つく。が、弓なりに反った体はがくがくと弾んでしまう。
「はぁ……っ、あっ……、あっ、ん……」
「ここ、どう?」
人差し指と中指とで、中をすりつぶすようにこすっていく。
「あっ……、あっ、あっ、そこ、も……、だめっ……」
入口から中指の関節の節が通り抜けると、ツンツンと、その先を指で突かれた。そのたびに、身体が反応して辱めを受けている意識が芽生えてしまう。それはゆっくりと、そしてやさしい指遣いだった。
「いきそう? 前立腺って、きもちいいってきいたけど一回出したほうがいいかな? 大丈夫?」
「き、ひぁっ、きもち、……ぁいいっ。……だ、だいじょおあ、ぶ……んんっ」
つつかれるたびに、灼熱した鉛の液体が息子から噴射した。それでも、だらだらと淫汁がたれ流される。
もどかしくて、さわろうと伸ばすと手首をつかまれた。
「だめだよ。ここは僕がさわってあげるでしょ。それとも乳首のほうがいい? やめる?」
その疑問形もやめろ。決まりかねている答えを引き出すな。
「や、だっ、……んっ」
せり上がってくる、びりびりとした快感が、こわくて、またぎゅうっと枕にしがみついてしまう。ふるふると頭を横に振って、かすれる声と吐息が洩れた。やめて欲しいのに、入口の先をしつこくツンツンとされて、なんども昇りつめてしまいそうになった。
「かわいい。多田村がこんなにかわいいの、僕しか知らないんだよね?」
「はぁっ、あっ、あ、ァッ、……きむらぁ、んっ、そこ、しつこい」
「たかひろって名前でよんでって言ったよね。わかる?」
ぜんぶ、疑問形やめろ。しつこい。
「や、だよ。あっ、そこ、だめだめだめ、いく、いっちゃうっ」
「いかせない。まだなかにいれてもらってないよ?」
貴宏はくるりと身体を向かい合わせ、俺を膝に座らせた。
「あ、なに……?」
「正常位は足がひらくのがむずかしいから、対面座位にしよう。自分でいれてくれる?」
「え……」
「大丈夫、ゆっくりでいいから。息を吐いて」
「んぅ……あ、ぁッ……」
俺は素直だ。
アルファのちんぽを独占できるのは、いましかない。本日はアルファのちんぽ独占禁止法を敷いたと思えばいい。
なんてことを冷静に言葉にできることもできず、俺はかわいいウサギのふりをして、こくりとちいさく頷いた。
そのときの自分を、横からバッドで殴りたい。
それでも、あまい行為は砂糖を溶かしたようにあまい。
窄まりが限界まで押しひらいて、ヌルッときばった亀頭が滑り込んでしまう。肉壁をひろげていく感覚がこわくて、逞しい腕に爪を立ててしがみついた。貴宏はちいさくほほ笑むと、ぺろりと胸の突起に舌を這わせた。瞬間、絶頂に達して、ぴゅうっと精液が飛び出てしまった。
「——……あああああああ!」
「あ、トコロテンだ。本物みたいでおもしろいね」
「……ばかっ、あっ、あぁ、……あ、あ、あ、ゆらすなあぁ……っ、ひぃあ……」
抽送を速められ、がくんがくんと狂おしく、全身が波立つように跳ねあがってしまう。そのまま一気に根元まで挿入し、熱い脈動に、もう一度イってしまう。
「傷つけないようにやさしくするね」
ペニスが肉壁をこすり、潤滑油のローションがぐちゅぐちゅとした淫猥な音がひびく。粘膜がひっぱられ、そのたびにゴツゴツと腹の奥が穿たれた。スキン一枚でさえおしくなるほど、貴宏の熱に酔いしれてしまう。ほてった肌と肌が重なるたびにきもちいい。長大な剛直が、硬い楔のように深々と突き埋められてしまい、下腹部を突き上げてくる。
「あぅ……、だめ、だめ、奥まで…きてる」
「本当? ねぇ、その顔をよくみせてよ」
「あっ、あっ……、だめ、ぅん、……いい、きも、ちいい。ひぃん、いいっ……」
はしたなく乱れた声とあまく蕩ける声。
「うん、腰をもっと沈められる?」
「えっ……」
ずんと尻をわしづかまれて、腰がさらに下に落ちて目からまばゆい星が散った。
「あ、あ、あー、あーっ……」
「ここ、ひらいていくと気持ちいいらしいよ」
耳もとを咬まれて、甘い声がささやいた。胎のいちばん奥までとどいている。汗が額から、手のひらからじわりと浮かぶ。そこはだめだ。きちゃだめだ。雁の部分で、ゆっくり、そしてじっくりと押しひらかれると、すべてがどうでもよくなってしまう。もう、この男しか受け入れたくない。俺は、哀願するような視線を送った。
「…………あっ、あ、あ、やだ、やだ、んっ……」
「イッてるんだね。かわいい。僕のものみたい」
哀切な思いと涙があふれて、急に寂しくなり、キスを求めた。分厚い唇をついばむように吸っては舐めた。なんども昇りつめて弾ける。もう、自分がだれなのかわからなくなった。
「熱い……、熱い……んっんっ……。あ。あ、……」
「僕なしじゃイケなくなるまで、気持ちよくなってよ。ただしが僕なしに生きていけなくなるまで抱いてあげる」
ちゅっと瞼にうかぶ涙を吸われる。
そう、そんな男だ。そんな奴だった。好きだった。
そして、会うたびに、へとへとになるまで、抱きつぶされた。激しく射液を迸らせたくせに、あいつの息子は天井をすぐに向いていて、もう一回戦……。なんて、繰り返しているうちに、次の日どこにもいけなくて、アルファの性欲はやべぇなとしか思ってなかった能天気な自分を殴りたい。
ここまではふつうのセフレだ。どうやって別れたんだっけ?
——……ああ、そうだ。電話だ。
別れなんて、簡単だ。
あいつの海外転勤がきまって、たまに電話した。食べてるものが違うとか、言語がちがっても皆優しいとかそんなたわいもない内容を交換する。でもそれも段々と少なくなってきた。忙しいに決まっている。時差だってある。電話すると、あっちはいつも朝だ。ほんの数十分の会話がうれしかった。
それが、同期のある一言でぶち壊された。
『あいつ? そうそう。向こうで、ナイスバディのオメガ令嬢と一緒に住んでるらしいよ。あっちのオメガは性格もきついし、押しに押されたんじゃないか? 上司のすすめも断ってきたのにめずらしいよな。ま、あっちで大型案件受注してて、調整で忙しいのもあんだけど癒しを求めたんじゃねえの?』
と、同期の口から聞いたのがきっかけだった。きわめつけがコレだ。
『ああ、あと運命の番いにでも逢ったんじゃね??』
ゲラゲラ笑っていた、あの余計なひと言。
ガーンと、後頭部を殴られたようなショック。
ああ、俺はなにをやってるんだろう。もう、自分から電話するのをやめよう。そう思った。メールひとつ、来ないじゃないか。
五文字打つのに何秒かかるんだ。
それに、運命の番いってなんだ。リュウグウノツカイしか知らない。うそ。俺はずっと前に買っていたオメガバースの教科書を手にとって、アルファとオメガの関係性にいまさらながら考えさせられた。
正直いうと、歓送迎会で見送った、あの、ゆかりちゃんの幸せそうな顔が忘れられなかった。
四百ページもある本を、ビール片手にめくる。
アルファとオメガ、おまけのベータ。おまけってなんだ。番い関係がないおれたちは、そもそもつき合ってもいなかった。はたと、そこで重大なことに気がついた。そもそも番いにもなれないじゃないか。
それで、しばらくたった、ある日、やっとかかってきた貴宏の電話に言ってやった。
「——……オメガの彼女とうまくやれよ。じゃあな」
ハイボールを八本吞んだあとだった気がする。ゴムみたいな記憶で電話をきった。
ベータがアルファを振れた。ざまーみろだ。
オメガじゃないし、男だし、そもそも好きじゃなかったし、つき合ってなかったし……と電話越しで言ったとき、あいつの声は冷たかった気がする。ああ、知ってた。そうじゃないかなって。俺から言わせなくとも、自然消滅だった。未練たらしく言って悪かった。でも、こいつはなにも感じやしない。それも知ってた。
その日をきっかけに、端末を変えた。かかってくる内線も外出を理由に後輩の香ちゃんにかわってもらう。そのせいで、たまにだったランチ代が増えてしまった。会社も辞めようかと考えたが、このご時世そう簡単に決められない。馬鹿らしいほどに凹んだけど、失恋ごときでそこまではしたくない。
でも、あいつの噂を耳にするたびに肩を落としてしまう。目立つことがきらいだが、うつくしいものが好きな自分にとって、あの顔と体格はなかなかお目にかかれない。
それで、関係を断ち切れた、はず。
俺たちには番いという関係は、ない。だからつながっているすべてのものをぶった切った。そういえば、写真も一枚も撮ってなかった。
ひらくことのないドアを眺めるのも悲しい。いつも過ごしていた部屋に週末閉じこもっているのも淋しくて、俺は引っ越しもした。狭いワンルームから、少しだけ広い2DKにした。
やっと心が落ち着いて、ちょっとマッチングアプリで一発やろうとしたけど、待ち合わせ場所を前にしてすぐに逃げてしまった。相手が悪いとか、そういうのじゃなく、なんとなくあいつのきれいな顔が浮かんで、その場にいられなくなった。べろべろに酔って、だれかに電話した気がする。着信はこわくて見ていない。でも、だれに電話したのか知っている。指が覚えている。
そしたら、すぐにあの内示だ。ほらみろ、おれ。よくないことは続くということだ。本人のつよい希望らしいと誰かが口にしていた。つよい希望なんてあるんだ。日本が恋しくなったか、バカやろう。穏やかなあいつでもそんな気持ちがあるんだとちょっと心の中で笑った。
そんな記憶が蝕んで、いまだにひきずっている。半年もたつのにだ。つき合ってもないのに、どうしてこうも自分は未練たらしいのだろう。
「そういえば、あいつの好きなヤツは誰だったんだろうな……」
また、酒をあおる。
たぶん、結婚したオメガのゆかりちゃんだったんじゃないか。とにかく、かわいい女の子のだれかだ。
まぁ、戻ったらもどったらで、モテるはずだし困ることもない。向こうでも引く手あまただっただろう。それとも、同棲なんてしちゃってるから、顔合わせに帰ってくるのかな。
そのまま両親の承諾を受けて、結婚して、社内報に家族写真なんて載っちゃうんだ。子供なんてできたときは『イクメンアルファ』なんて特集記事を書かされて、俺はそれをうっかりなんども読んでしまうんだ。
よくないことはぽんぽんと、自然に浮かんでくる。これは俺のいいところだ。危険察知能力ともいえる。
俺はアルコール度数九%とかかれた缶をまた一気に呑んで、床に視線を落とす。鏡にはなにも映っていない。ぼんやりとあいつの顔が目に浮かぶ。焦茶色の柔らかな髪の毛に、澄んだチャコールグレーの瞳。シャープな顎。
そんな感じ。明日はひまだし、もう寝よう。寝てることにしよう。来週から、なにごともなかった感じにふるまおう。そうしよう。
鏡を大事にベッド脇において、向かい合うように寝た。あぁ、この顔が好きだった。好きで、好きで、いまでも愛してる。未練たらたらなのはいつまでも変わらない。
そして、あいつはずるい。社内のメール便で、一通の手紙をよこしてきた。今日、深夜に空港に着くらしい。そこから、まっすぐそっちにいくから待っててほしい。という内容。ご丁寧に住所まで書かれている。合ってなかったらごめんって。なんだよ、それ。合ってるよ。なんで新住所を知っているんだよ。
聞くと、同僚が『あいつが尋ねてきたから教えたよ? おまえ、引っ越したんだろう?』と、悪びれることなく返してきた。まったく余計なことをしてくれる。本当にやっかいな同期だ。
もう少しで、約束の時間かもしれない。
酔いはさめてる。窓からは冴えわたる中月が冷えた光を放つ。いつも、この時間に電話をしていた記憶がよみがえり、のろのろとほら穴にもぐった。寝たふりをした。かちゃりとドアがひらく音が響く。
だめだ、だめだめだめ。
また、愛していると言われたら、ほだされる。この先の将来を考えても、どうしても別れた方がいいにきまっている。俺のいない、あいつの輝かしい未来はたくさん想像できた。俺は、アルファを振ったんだ。そうだ、βがαをふったんだ。
ひたひたとあるく音がして、毛布ごと抱きしめられた。ぎゅうっと力いっぱいに腕に抱かれる。
だめだ、と思った。
俺は、こいつから離れられない。
振ったはずなのに、離れてくれない。
噛んだ唇があつい。
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