港西高校山岳部物語

小里 雪

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第2章 一本取ったり、武器を忘れたり、キジを撃ったり、デポされかけたり。

2. 次の山行が決まる。テントは転がる。

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「さあ、もうあと一週間切ったからね。残雪期山行の行先を決めよう。基本は一泊二日だ。行きたい山はあるかい?」

と、先生が切り出した。お茶も無事に沸き、ブスはまた前のように缶にしまわれて棚に戻されていた。

「すいません、ぼくはどういう山なら一泊二日で行けるのか、よく分からないです。それどころか、実はどこにどんな山があるのかもよく分かっていません。」

 ぼくは正直に告白した。

「まあ、最初はそんなものだよ。でも、剱岳以外にも登りたい山を作ってほしいな。日本にはたくさんの山があって、そのそれぞれがみんな他とは違う魅力を持っているからね。『山に登る自由』はまず、『行きたい山がある』ことから始まると思うよ。」

 先生は、以前ぼくの母から聞いた父の言葉を引用しながら言った。

「部誌を読んでもいいし、部室に転がってる登山専門誌やガイドブックなんかを読んでもいい。誰かの書いた文章を読めば、自分もここに行ってみたいって思える場所が絶対にあると思うよ。それから、今はWEBにもたくさん登山の記録があるから、そういうのを調べてもいいね。ただ、WEBにはどう考えても無茶で、たまたま条件が良かったから帰ってこられただけみたいな記事もたくさんあるから注意してな。」

と、まっきーがむいたリンゴを食べながら先生は続けた。

 一昨日の新歓山行では、八時間半歩いた。あんなに辛い思いをしたのは初めてだったけれど、この場所にいま自分がいるという喜びは筆舌に尽くしがたかった。山岳部に入って、ここに来ることができる自分になったことが嬉しかった。

 今、ぼくは、同じように辛かったとしても、今度はほかの山の『いま』と『ここ』を確かめたいと思っている。まだ、塔ノ岳以外の山を知らないけれど、日本中にあるたくさんの山のそれぞれが違う表情を持っていると考えると、行ってみたくてワクワクしてくる。

「『山に登る自由』って、いいですね。部のモットーにしましょう。」

 りょう先輩が提案する。

「『すべては縦走のために』と『撤退する勇気』もあるから、うちの部はモットーだらけになっちゃう。部員の数とモットーの数が同じ。」

と、まっきーが笑う。

「先生、今週末の件なんですが、私は八ヶ岳やつがたけの天狗岳や高見石たかみいしに行ってみたいんですが。」

 行きたい山がある。それは、山に行く自由に先んじる。稜先輩の自由さの根源はそこにあるのだろう。

「そうだなあ。巻機まきはた上市かみいちは部室にある古いシュラフで行かなきゃいけないから、あまり寒いと辛いだろうね。あのあたりだと、テン場は黒百合くろゆりか高見石なんだけど、両方とも標高が軽く二千mを超えるから、マイナス十度近く行くかもしれない。」

「わたし那須に行ってみたいです。泊りなら三本槍を北に抜けて甲子かっし山まで行けると思いますし。」

 まっきーも、自由なんだ。ぼくよりもずっと自由なんだ。

「那須ならそれほど雪はなさそうだな。候補の一つだね。ただ、縦走となるとテン場の問題があるな。」

 ぼくも一つ思い出したことがあった。部誌を読んでいると、秩父の山に行った記録がたくさんあったのだ。秩父山地は山が深くて、泊りじゃないと行けない山がたくさんあるし、八ヶ岳や南アルプスが近くて、眺望が素晴らしいって書いてあった。

「あの、秩父の方って、過去の記録を見るとよく行ってるみたいなんですが。」

 ぼくは恐る恐る発言した。

「あー、つるちゃん、いいかも。奥秩父だよね。」

 稜先輩が即座に反応する。

「泊りで行くなら、瑞牆山みずがきやま金峰山きんぷさんがいいかもな。そういえばしばらく行ってなかったな。雪はたくさん残ってるけど、富士見平に張れば、そこまで寒くないだろうしね。」

「私はいつか、単独で瑞牆から奥多摩まで、奥秩父の主脈を縦走したいと思ってるんだよね。その下見にもなるなあ。」

「わたしも奥秩父で賛成です。那須はまた今度に取っておきましょう!」

 あれよあれよという間に、ぼくの発言から行き先が決まった。ただ、ぼくが先輩やまっきーほどに自由であるとは、まだ思えなかった。

「じゃあ両神りょうかみ、明後日までに山行計画頼むな。それから上市に装備係の仕事を教えといて。巻機は食糧計画。」

「任せてください。」

 先輩とまっきーは声を揃え、久住くじゅう先生は部室を出ていく。

「じゃあ、つるちゃん。まずは備品のチェックね。ストーブのガスなんだけど、今お茶に使ったやつは残りが少ないし、あとは使いかけが二本と新品が一本しかないから、今週中にこの間のレイヨウスポーツで五本ばかり買っておいてもらえる? ちょっと高くても寒冷地向けのやつね。」

「分かりました。ぼくもソフトタイプの水筒が欲しいと思っていたので、一緒に買ってきます。」

「領収書をもらってきてね。あとは、前日の団装の分配の前に、重さを測っておくこと。どんな団装を持って行くかは、部誌の過去の山行の記録を見れば書いてあるから見ておいて。」

「一応目を通しておきました。テント、フライシート、グラウンドシート、3番鍋と4番鍋、ストーブは分離型の1番と一体型の3番、カートリッジは二本、ラージポリタン、ラジオと天気図用紙、調理セット、修理セット、救急セット、ツェルト、トレッキングポール、モバイルバッテリーというところでしょうか。」

「おー、すごい。ちゃんと勉強してるんだ。そうだね、だいたいそんな感じだよ。」

「テントはどうしましょうか。四人用一張りでいいですか?」

「寒いし、天気もあんまり良くなさそうだし、食当がテントの中で炊事することも考えて、四テンと二天と、一張りずつにしよう。富士見平ならテント持って歩くのは一時間足らずだから。」

「わかりました。重さ測って、分配表を作っておきますね。」

「そうだ、テント張る練習しておこうか。まっきーもおいで。こういう風の日にやっといた方がいいからね。」

 四人用テントと二人用テントと、それぞれのポールとフライシートを持って外に向かう。生暖かい風はさっきよりさらに強くなってきていた。

 稜先輩の指示に従って、まず風上から風下に向けてグラウンドシートを広げて、四隅にペグを打つ。その上に本体を同じように風上から広げ、二本のポールを本体のスリーブに通し、ポールの風下側を本体のグロメットにはめる。この作業はぼくが行ったのだが、その間まっきーは風でテントが飛ばないように足で踏んづけていた。

「山の中ではザックや石を乗せてもいいんだけど、ほんとに風が強いときはこうやって踏んでないとダメ。テントやポールの袋は必ずポケットに入れること。」

 風上側に戻り、いっせいのせでまっきーと息を合わせてポールを押し込み、テントを立ち上げる。こちら側のポールもグロメットにはめ込むとテントは風の中で自立し、四隅のループをペグに引っかける。テントが立ち上がると、さらに風を強く受けてポールがしなる。

「今のペグは補助用だから、まだテントから手を離しちゃダメ。まっきーがテントを押さえて、つるちゃんがフライシートを掛ける。」

 風上側から、フライシートを本体に止めていく。

「フライシートから出ている張り綱をペグダウンすれば、相当な風にも耐えられるようになる。このフライシートの張り綱がメインの張り綱だからね。」

 確かに、フライシートがポールに接する部分の、少し高い位置から出ている張り綱にペグをつけてテンションを掛けると、手を離してもテントは安定していた。

「最後にフライシート底辺の真ん中にあるループもペグダウンすると、フライと本体の間に隙間が確保されるから、雨のときに水が浸みてこなくなる。これで終わり。さあ、二人用のも立ててみて。」

 同じように、グラウンドシートを広げてペグダウンし、その上に本体を広げる。四人用より幅が狭いため、風を受ける面積が少なくて今回の方が張りやすそうだ。今度はまっきーが風下側のグロメットにポールをはめ、その間はぼくがテントを踏んでいた。風上に戻って来たまっきーと、また一緒にテントを立ち上げ、四隅をペグに引っかけ、次にフライシート……というときに、二人ともテントから手を離してしまった。

 折悪しく風が強まり、ペグが抜け、テントが立ち上がった形のままグラウンドシートとともに風に飛ばされてしまった。ただ、運が良かったことに、学校外周の塀と茂みの間に引っかかって止まってくれた。

「ほら! フライの張り綱を張るまでは気を緩めない! テント飛ばされたらその時点でほぼ遭難だよ! それにこのテント五万円以上するんだからね!」

と、稜先輩に叱られる。

 立ち上がったテントが風を受けると、テントが風下側の辺を軸にして倒れるような力がかかるため、持ち上がろうとするテントを押さえる風上側の隅のペグは、抜ける方向の力がかかる。高い位置に張られたフライシートの張り綱を固定するペグは、抜ける方向ではなく、横に近い角度で力がかかるため、風に耐えられるのだ。

 なんとか二人用のテントも張り終え、緑色のテントが二張り並んだ。ただ、感慨にふける間もなく、すぐに撤収にかかる。今度も風に飛ばされないようにかなり気を使った。

「テントの畳み方って決まってますか?」

「決まってない。同じところを折ってると、そこから破れちゃうから、あえて決めないんだ。袋の幅に合わせて上手に丸めて。」

 テントの中の空気を追い出すのに苦労する。何とか元通りに袋に納めることができたが、これでさらに雨も降っていたらもっと大変だっただろう。

「まあ、私も山の中でテント転がしちゃったことがあるから人のことは言えないんだけどね。慣れてくれば、二人用なら一人で張れるようになるよ。」

「今日よりもっと風が強いこともありそうですもんね。わたしなんか中に入ったままでも飛ばされそう。」

「たいていは風が弱い場所を選んで張るんだけど、稜線上のテン場だとかなり苦労することがあるよ。まあ、今度の富士見平は樹林帯だから、まず大丈夫だと思うけど。」

「そう言えば、この間レイヨウで修理してたテントは使わないんですか?」

「あれも四人用で、色は違っても今張ったやつと同じシリーズなんだけど、二十年以上前のモデルで重いから、人数が増えたとき以外は持って行かない。三月の山行で、今の六年の先輩がアイゼンで思いっきり踏んで破れちゃったんだよね。」

「あー、あさひ先輩ですね。先輩方もたまには部室に顔出さないかなあ。」

 そう言えば、六年生の先輩も二人いるということだったが、ぼくはまだ会ったことがなかった。
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