港西高校山岳部物語

小里 雪

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第3章 ザイルは伸び、無駄に荷物を背負い、二人は歩き、一人は助ける。

9. 個人山行の計画と、ぼくたちの弱点。

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 一次歩荷の翌週は一学期中間テストのテスト週間で、部活停止期間だった。本来は部室にも行くことができないのだけれど、港西こうせいはわりとそのあたりはルーズで、生徒の自主性に任されているので、ぼくはずっと部室で勉強をしていた。りょうさんとまっきーも同様だったので、結局ぼくたちは部活があるとき以上に部室に集まっているのだった。



 特におしゃべりをするわけでもないのだが、自然に毎日の「お菓子当番」が決まり、一息入れたくなった人がブスで沸かしたお茶を飲みながら勉強をするこの時間が、ぼくは大好きだった。

 せっかくついてきた体力を落としたくなかったので、帰宅したあと夕食までの間に毎日五kmのランニングをするようにした。五kmなら二十分で走れるようになっていた。



 今日もそんな勉強の時間が終わり、ぼくたちは家に帰る支度を始める。そのときまっきーが突然言った。

「あのさみーち、テストの後の採点日にさ、二人だけで山登りに行かない?」

「え? え? 二人だけで?」

 予想外の提案に、ぼくはまごつくと同時に照れて赤くなり、稜さんは

「えー、なに? 私は置いて行かれるの? デート? デート?」

と、例の意地悪な顔になってグイグイ突っ込んでくる。

「えっ、えっ、違います。そういうんじゃなくて……」

 否定されるのもちょっと寂しい気もするが、

「わたしたち今まで、先生やりょうさんに『連れて行ってもらう』っていう感覚があまりに強かった気がするんです。だから、わたしとみーちだけで計画を立てて、山に行ってみたいなって思ったんです。」

と、まっきーは続けた。

「ああ、ぼくもそれは思ってた。自分が主体になって場所を決めて、登ってみたいって。二次歩荷まで山行の間隔も空くから、ぜひ行きたいな。」

「やったー。じゃあ、決まりね。明日までに行きたい場所を一か所決めてきて。勉強が終わったあと、わたしの案とコンペしよう。」

「なんかちょっとうらやましいなあ。ちょっと疎外感を味わってるぞ私は。悔しいから私はその日、ソロでどっか行ってくるかな。うちの部は個人山行を禁止してないけど、必ず久住くじゅう先生に行先は言っておいてね。それから、登山届の写しは学校にも提出すること。」

「分かりました。」

 まっきーとぼくは二人で声を揃えて答えた。



 家に帰ったあと、試験勉強の合間に、ぼくはまっきーと二人だけの山行について考えた。日帰りなので横浜からあまり遠くには行けない。まっきーもぼくもまだ初心者の域を出ないので、なるべく多くの人に歩かれているコースがいい。ただ、体力的にはかなりついてきているので、長いコースでも大丈夫。

 丹沢も悪くない。丹沢は暖かくなるとものすごい数のヒルが出るそうだが、西丹沢にはほとんどいないらしい。西丹沢の登山口は小田急の駅からバスで一時間以上かかるが、候補の一つだ。

 もう一つは奥多摩だ。ちょっと遠いが、電車の本数が多いため、八時から登り始めることができそうだ。鷹ノ巣山たかのすやまなら奥多摩の駅からすぐに登り始めることができる。下りは元の道でもいいし、奥多摩湖か日原にっぱら鍾乳洞に下りて、観光してからバスで帰る手もある。

 西丹沢の登り口である西丹沢自然教室までのバスの時刻表を調べたところ、どうやらこちらはどんなに早くても八時半にしかスタートできなさそうだ。奥多摩なら朝は早く出なければならないが、八時には歩き始められる。そんなわけで、ぼくの推しルートは奥多摩、鷹ノ巣山に決まった。



 翌日、まっきーが持って来たルートは、西丹沢自然教室から檜洞丸ひのきぼらまる大室山おおむろやまを登り、再び西丹沢自然教室に戻るルートだった。

「実はぼくもそのルートを検討したんだけど、西丹沢ってここから近そうに見えて、実は奥多摩の方が早く歩き始められるんだよね。帰りがけにちょっとした観光もできるから、ぼくは鷹ノ巣山を推したいんだけど。」

「あー、ちょっと悔しいけど、ここはみーちのルートの方がよさそうだな。二次歩荷も奥多摩だし、その前に近くの山に行ってみるのも悪くないから、鷹ノ巣山にしよう。決まり!」

「そういえば私、西丹沢行ったことないんだよね。まっきーのルート、私がその日に行ってみようかな。ちょっとアレンジして。」

と、稜さんがタブレット端末のアプリで、まっきーの示したルートをちょっといじりながら言う。

 その後、細部を詰めてぼくとまっきーだけの個人山行の概要が決まり、帰りがけに職員室に寄って久住先生に報告する。

「いいルートだと思うよ。標高差も千五百近くあるから、脚の訓練にもなるしね。今のきみたちなら、鷹ノ巣山から奥多摩湖に下りても六時間かからないと思うから、奥多摩湖から奥多摩駅まで『むかし道』っていう道を散策してもいいと思うよ。そのときは運動靴持って行った方がいいけどね。で、両神りょうかみは……『西丹沢周回』か! うん、両神なら大丈夫。行けるよ。足元もアプローチシューズだろ?」



 日曜日を挟んで、月曜日から中間テストが始まった。部室での勉強は思っていたよりもずっと効果的で、得意の数学以外の科目でもぼくはかなりの手応えを感じていた。目の前で稜さんとまっきーの二人が勉強している姿を見て、ぼくも恥ずかしいところを見られたくないと思ったことで、勉強に集中できたようだった。

 火曜日、試験二日目が終わって弁当を食べていると、まっきーが八組の教室にやって来て、

「みーち! 明日お弁当持ってきちゃダメだからね! キムチ鍋するから! お昼! キムチ鍋! 山仕様のやつじゃなくて、ちゃんとしたおいしい奴! あっ、山のもおいしいけど! キムチ鍋! 旭さんも来るって!」

と、いつもようにしゃべるだけしゃべって帰って行った。

「このあとどうせ部室で会うんだから、そのとき言えばいいのに……」

と、ぼくは苦笑する。隣にいた高萩が、聞くともなしに教えてくれた。

吹部すいぶの子に聞いたんだけどさ、巻機まきはたさん、すごい成績いいんだってね。中学のときはずっと学年で一番か二番だったって。」

 いつも騒々しいまっきーだが、言葉の端々からにじみ出るその知性は隠しようがなかったから、きっと成績もいいだろうとは思っていた。部室で勉強するときの集中力も並外れたものがあった。

「ああもう、おれ頭の中全部キムチ鍋になっちゃったよ。」

 横で沼田が頭を抱え、

「あした俺たちも……」「ダメ。」

と、何か言おうとする大田原をぼくは機先を制して遮る。



 翌日の試験終了後、先生と旭先輩を含めた五人でキムチ鍋を食べ終わった後は、久しぶりの『部活』をした。明日が山行なのでランニングや階段歩荷などはせず、確保ビレイの練習だ。支点の工作もぼくとまっきーが行い、ぼくは初めて人を止めるビレイに挑戦した。

 最初の一回は稜さんを危うくグラウンドフォールさせそうになってしまったが、クラッシュパッド寸前で止めることができた。まっきーも六十kgの土嚢にまず挑戦し、ちゃんと止められることが分かったので、人のビレイに挑戦した。ぼくは率先して墜落役を引き受ける。



「今年はザイル買わないとな。上市、部の予算はどのくらいある?」

 装備係は、部の予算の会計も兼ねている。学校予算以外に部員から集める部費の会計は食料係だ。自分たちの代だけでなく、これからも利用する装備を購入するためには学校の予算を利用し、食訓の材料費やガスボンベなど、自分たちだけで使う物を買うためには部費を利用するため、そのような役割分担が生まれたのだそうだ。

「今年度の予算は六万円ですが、この間の旧四天の修理は前年度の予算でできたので、まだ何も使ってません。この間ぼくが使ったアイゼンのストラップがそろそろ交換時期なのと、ペグが何本かダメになってしまったので買い足したいと思います。あと、ラージポリタンもそろそろダメです。そうそう、前に言った新四天のジッパーの修理が入ってくる可能性は高いと思います。」

「そうか。まあザイルは二万円弱くらいだから、何とかなりそうだな。夏合宿前に買うか。」

 ザイルが衝撃を受け止めることができる回数には限界があるため、ビレイの練習に使ったザイルは、利用した部分をどんどん切って短くしていく。この間の練習の後も末端の五mほどをカットしたため、二年前は六十mあった練習用ザイルも今では二十mほどの長さになっていて、今日カットしたらそれで最後になりそうだった。

「それにしても、上市、すっかり装備係の仕事にも慣れたみたいだな。入部してまだ二か月経ってないのに大したもんだよ。昔、部員がもっといた頃は、三役は全部五年生で、一年間経験を積むことができたんだけどな。欲を言えば一学年に三~四人ずつ毎年来てくれるといいんだけど。まあ、こんなふうに墜落してるの見たら来るものも来ないか。」

と、久住先生は笑う。

 ぼくは、今の三人の部活が好きだったので何も言わなかったが、本当はこの人数のままでは部の存続が危ういことも知っていた。稜さんによると、山岳部の卒業生には非常に有力な人が何人かいて、学校へ多額の寄付をしているため、この人数でもなんとか続けられているという話だった。

 さらに、昔の部員が多かったころの『独標どっぴょう」を読んでいて、この部員の少なさがぼくたちの最大のウィークポイントであることも分かってきていた。縦走中、誰もバテられないのだ。部員数が多いときには、縦走中にバテたり体調が悪くなったりした部員の荷物をほかの部員に振り分けても、一人当たりの負担の増加は大したものではなかったが、現状の人数ではそれがかなり難しい。

 つまり、以前の先輩方と同じ山行をこなすためには、ぼくたちはもっと強くならなければならないのだ。
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