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―――むかしむかし、トコヨの国のカメ姫は浦島太郎と出会い、恋をした。
京都の夏はことさらに暑い。
よく山に囲われた盆地だから他より暑いのだと言われるけれど、一歩外を出たとたん照りつける太陽の熱は尋常ではない。おまけに蒸したアツアツのタオルを全身に被せられたように蒸し暑い。
室津ヨリはそんな夏が大嫌いだ。
ああもうと髪をかきむしりたい衝動にかられる。そしてどうあらがっても勝てない太陽を睨みつけ、悪態をつきたくなる。
でも、毎年その暑さをどうにかこうにか乗り切ることができるのは、長い長い夏休みのおかげだろう。
実際、梅雨明け宣言が出され、あのうだるような暑さがやってきても、ヨリの心はそんな暑ささえ気にならないくらい、浮き立っていた。
内申点のかかった期末テストから解放され、これから始まる長い夏休みへの期待が大きく膨らんでいた。
ウエルカムサマー!
現金なもので、長期休みを前にしてはどんなことだって許してしまえる。
いつもはその開放感のままに夏休みを過ごし、新学期が始まる直前になって宿題がひとつも片付いていないことに気が付き愕然とする。
今年の夏も、前回の大変さを忘れ、一片の反省もなく能天気に過ごすのだろうと、早めに片付ければよい宿題類を頭の隅、机の隅へと追いやった。のだが―――……。
夏休み初日だった。
部活から帰るといつものように庭木の手入れをしていた祖母が、ヨリが縁側を通りかかった時、急に胸を押さえて跪いた。ヨリの目の前で祖母の体が傾いていき、片手を木についてなんとか踏みとどまったが、ずるずるとそのまま後ろ向きに倒れた。
「おばあちゃん!!」
ヨリは悲鳴のような声を上げ、持っていたテニスラケットとカバンを放り投げて靴下のまま庭へ飛び降りた。
情けないことに、ヨリはそこからどうしていいのかわかならかった。
頭がだた真っ白で、祖母は死ぬかもしれない、と初めて感じた恐怖を前に何一つ行動に移せなかった。
「どうしたの、ヨリ……
――――お義母さん!」
ヨリの悲鳴を聞きつけ駆けこんできた母が、倒れている祖母を見つけると同じく靴下のまま庭へ飛び降りてくる。胸を押さえて苦しそうな祖母を一目見ると、エプロンのポケットからスマホを取り出す。
「お義母さん! お義母さん! 大丈夫ですか!」
母は呼びかけながらも片手でスマホを操作し、耳に押し当てる。
「救急車呼ばなきゃ! ヨリ! おばあちゃんの様子見てて。意識はある?」
「……わ、わかんないよ……、オレ、どうしていいのか…」
「しっかりしなさいよ! 男でしょう」
今だったら完全アウトな発言に、突っ込む余裕もない。
男だからとか、そういうのは関係なく、ただおろおろするだけの自分は確かに叱責に値する。
母が手際よく救急車を呼ぶ間も、けれどヨリは何もできなかった。
靴下のまま庭の土を踏みしめ、体中からだらだら流れてくる汗がぽたぽた染みを作っていくのを、その先に倒れる祖母の小さな姿をただ見つめていた。
その後のことはあまり覚えていない。
たぶん救急車のサイレンはしていたし、白いヘルメットを被り、この暑いのにマスクを着けて長袖の防護服みたいなものを着た隊員が三人くらいいて、やがて祖母は救急車で運ばれていった。
ヨリは気が付いたら病院の白いベッドに眠る祖母の姿を見つめていた。
側にいた母が、心不全だがなんとか今は大丈夫だと医者が言っていたとそっと教えてくれる。
今はってどういう意味だろう…。
怖くて聞けなかった。
連絡を受けて駆けつけてきた父と、母がそっと目を合わせ、疲れたように伏せたのにはどんな意味があったのだろう…。
数日後、祖母は自宅療養ということで家へ戻ってきた。
そのときほど祖母が遠く、雪のように淡い存在に見えたことはない。
夫である祖父を早くに亡くしたが、祖母はいつも気丈で元気で、ヨリを大事にしてくれた。
あの日以来、ヨリは家の玄関を開けるたび、室内に立ち込める冷気を感じる気がした。
実際、どういうわけか木張りの廊下はひんやりと冷たく、一番奥の祖母の寝ている部屋は肌寒くさえあった。
京都の夏はことさらに暑い。
よく山に囲われた盆地だから他より暑いのだと言われるけれど、一歩外を出たとたん照りつける太陽の熱は尋常ではない。おまけに蒸したアツアツのタオルを全身に被せられたように蒸し暑い。
室津ヨリはそんな夏が大嫌いだ。
ああもうと髪をかきむしりたい衝動にかられる。そしてどうあらがっても勝てない太陽を睨みつけ、悪態をつきたくなる。
でも、毎年その暑さをどうにかこうにか乗り切ることができるのは、長い長い夏休みのおかげだろう。
実際、梅雨明け宣言が出され、あのうだるような暑さがやってきても、ヨリの心はそんな暑ささえ気にならないくらい、浮き立っていた。
内申点のかかった期末テストから解放され、これから始まる長い夏休みへの期待が大きく膨らんでいた。
ウエルカムサマー!
現金なもので、長期休みを前にしてはどんなことだって許してしまえる。
いつもはその開放感のままに夏休みを過ごし、新学期が始まる直前になって宿題がひとつも片付いていないことに気が付き愕然とする。
今年の夏も、前回の大変さを忘れ、一片の反省もなく能天気に過ごすのだろうと、早めに片付ければよい宿題類を頭の隅、机の隅へと追いやった。のだが―――……。
夏休み初日だった。
部活から帰るといつものように庭木の手入れをしていた祖母が、ヨリが縁側を通りかかった時、急に胸を押さえて跪いた。ヨリの目の前で祖母の体が傾いていき、片手を木についてなんとか踏みとどまったが、ずるずるとそのまま後ろ向きに倒れた。
「おばあちゃん!!」
ヨリは悲鳴のような声を上げ、持っていたテニスラケットとカバンを放り投げて靴下のまま庭へ飛び降りた。
情けないことに、ヨリはそこからどうしていいのかわかならかった。
頭がだた真っ白で、祖母は死ぬかもしれない、と初めて感じた恐怖を前に何一つ行動に移せなかった。
「どうしたの、ヨリ……
――――お義母さん!」
ヨリの悲鳴を聞きつけ駆けこんできた母が、倒れている祖母を見つけると同じく靴下のまま庭へ飛び降りてくる。胸を押さえて苦しそうな祖母を一目見ると、エプロンのポケットからスマホを取り出す。
「お義母さん! お義母さん! 大丈夫ですか!」
母は呼びかけながらも片手でスマホを操作し、耳に押し当てる。
「救急車呼ばなきゃ! ヨリ! おばあちゃんの様子見てて。意識はある?」
「……わ、わかんないよ……、オレ、どうしていいのか…」
「しっかりしなさいよ! 男でしょう」
今だったら完全アウトな発言に、突っ込む余裕もない。
男だからとか、そういうのは関係なく、ただおろおろするだけの自分は確かに叱責に値する。
母が手際よく救急車を呼ぶ間も、けれどヨリは何もできなかった。
靴下のまま庭の土を踏みしめ、体中からだらだら流れてくる汗がぽたぽた染みを作っていくのを、その先に倒れる祖母の小さな姿をただ見つめていた。
その後のことはあまり覚えていない。
たぶん救急車のサイレンはしていたし、白いヘルメットを被り、この暑いのにマスクを着けて長袖の防護服みたいなものを着た隊員が三人くらいいて、やがて祖母は救急車で運ばれていった。
ヨリは気が付いたら病院の白いベッドに眠る祖母の姿を見つめていた。
側にいた母が、心不全だがなんとか今は大丈夫だと医者が言っていたとそっと教えてくれる。
今はってどういう意味だろう…。
怖くて聞けなかった。
連絡を受けて駆けつけてきた父と、母がそっと目を合わせ、疲れたように伏せたのにはどんな意味があったのだろう…。
数日後、祖母は自宅療養ということで家へ戻ってきた。
そのときほど祖母が遠く、雪のように淡い存在に見えたことはない。
夫である祖父を早くに亡くしたが、祖母はいつも気丈で元気で、ヨリを大事にしてくれた。
あの日以来、ヨリは家の玄関を開けるたび、室内に立ち込める冷気を感じる気がした。
実際、どういうわけか木張りの廊下はひんやりと冷たく、一番奥の祖母の寝ている部屋は肌寒くさえあった。
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