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恋愛回路
しおりを挟む下校時間を過ぎた、某高校の工学準備室。
そこへの入り口となっている少し古びた扉をバンッ!と勢いよく開けると、僕は半ば怒鳴り込むようにしてその中に突入した。
「部長! 今日こそ部費払ってください!」
入室して第一声。僕のそんな声を聞いて、奥の椅子に腰掛けて回路を組んでいた男子生徒がゆっくりと顔を上げた。
「……あー、忘れてたわ」
「信じられない、あんなに言ったのに……!もう月末なんですよ!? 遅れたら僕が怒られるの、わかってます!?」
彼の気の抜けた返答に、僕は頭を抱える。
部費の回収を取りまとめるのは僕の仕事なのだ。もし一人分でも漏れがあれば、それは僕の責任になるだろう。提出期限も迫ってきているので、僕はここ数日気が気ではなかった。
それなのに、この人からは微塵も危機感を感じられない。曲がりなりにも部長のくせして、自ら部員の悩みの種となるのは如何なものだろうか。
「いやほんとごめんて。明日こそ持ってくるから」
部長のその言葉に僕はいよいよ頭が痛くなった。
もう何度目だろう、このやりとり……。
✦✦✦
うちの学校は、生徒の自主性を尊重した自由な校風が特徴だ。
県内屈指の進学校ではあるものの、服装も髪型も制限はほとんどないし、校則も他校と比較するとだいぶ緩い。アルバイトも事前に学校に申請さえすればしていいことになっているし、部活動も学校側の定める規定を満たしさえすれば誰でも設立自由。兼部も可。それもあってか、部活や同好会に所属する生徒は多く、活動も非常に活発だ。
そんな中、僕は入学してすぐに『機械工学部』に入部届を出した。
星の数ほど——と言ったら流石に過言だが、軽く数十は存在する我が校の部活動・同好会の中でも群を抜いて知名度が高いのが、機械工学部だった。うちの学校は特に工学系というわけではないし、工学専攻の学科があるわけでもないのだが、どうしてかこの機械工学部はいやに強い。ここ二年ほどは特にそれが顕著で、コンテストなどの大会にたびたび出場しては高校生らしからぬ精密かつ改新的な作品を発表し、最優秀賞の栄誉を総舐めしていた。
何を隠そう昔から機械いじりが大好きな性分の僕は、この機械工学部に入部するためにこの学校を受験したと言っても過言ではない。ここは偏差値も倍率も高い学校なので死ぬほど猛勉強する羽目になったけれど、そのお陰で中学の頃からずっと憧れていた機械工学部の部員の一人になれるのだから、その苦労も報われるというものだ。
僕が提出した入部届は問題なく受理され、そして今日は待ちに待った初めての活動日。僕は部室となっている工学室のドアを控えめにノックしてから、緊張しすぎてバクバク言っている心臓を押さえつつゆっくりとその扉を開けた。
「失礼します。先日入部届を出させていただきました、一年の丹羽 周です。今日からよろしくお願いします!」
中に入るなり、とりあえず頭を深々を下げて挨拶をする。室内がしんと静まり返り、皆の視線が一気にこちらに集まったのを感じた。
部室には、二十人ほどの生徒がいた。おそらくこの全員が機械工学部の部員なのだろう。強豪なだけあって文化部にしては規模が大きめの部活らしい。男女比は偏っており、女子生徒もいないわけではないが、ぱっと見た感じだと圧倒的に男子生徒のほうが割合が高かった。
入室するなりいきなり挨拶をした僕は、しかしその先のことを何も考えておらず、この後はどうすればいいかと入り口に突っ立ったままおろおろしてしまう。そんな僕を見かねてか、一人の男子生徒がこちらに近付いてきて声をかけてくれた。
「はじめまして、俺は三年の槙野。機械工学部の副部長だ。丹羽くん、入部してくれてありがとう。よろしくね」
槙野と名乗った先輩はそう言ってにこやかな笑顔を向けてくれる。副部長からの好意的な言葉に、僕は緊張がほっと和らいだのを感じた。そんな副部長を皮切りに他の部員たちも次々と僕に話しかけてきて、それぞれ挨拶をしてくれる。
「新入部員も迎えたことだし、早速だけどミーティングをしようか」
ひとしきり顔合わせが終わった後、副部長はそう言って部員全員を席につかせた。
副部長の説明によると、毎回年度始めにはこうして部員の皆でミーティングを行い、今後一年間を通しての大まかなスケジュールを決めるらしい。取り決める内容は大会への出場予定や、文化祭への出展、それに伴う個人の担当や役割、その他自主的に行う制作目標など。さすが強豪校と言うべきか、部活動といえどもかなり綿密に計画を錬るようだ。僕は入部したてなので例年がどんなものだったのかはわからないが、話し合いを聞いているだけでもわくわくしてきて、俄然やる気が出てきた。
そんな中、副部長は唐突に僕に向かってこう言った。
「そして丹羽くん、君には会計係を任せたい」
「え、会計係……ですか?」
入部早々いきなり役職を与えられ、僕は狼狽える。
入学してから一週間。まだ学校のことも部活のことも全然知らないし、慣れることもできていない状態だ。クラスメイトですら顔と名前が一致する人が少ないこの現状で部の仕事を与えられて、僕はちゃんとやり遂げることができるのだろうか?
そんな僕の不安が伝わったのだろう。副部長は会計係の仕事内容を簡潔に説明してくれる。
「毎年会計係は一年生のうちの誰かがやるのが通例になってるんだけど、今年の新入部員は君だけだからね。ああ、何も難しいことはないよ。毎月部員のみんなから部費を回収して、顧問に渡すだけの仕事だ」
つまるところ、部費回収係か。確かにそれだったら部活動で集まった際に皆に向かって回収を呼びかければいいだけだし、面倒ではあるけれど難しくはないかもしれない。もっとも機械工学部は人数が多いから、それを取りまとめる作業は苦労しそうだけれど。
一番面倒な仕事は一年生がやる。部活の上下関係ではよくあることだ。郷に入っては郷に従えということで、僕はその役目を引き受けることを了承した。
「……そういえば、副部長。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「何?」
「部長さんは、今日は欠席ですか?」
そしてミーティングは滞りなく進んでいき、下校時間が近付いてきた。最後に何か質問はないかと副部長が言ったので、僕は気になっていたことを聞いてみた。
この部室に入ってから全員と顔合わせをしたつもりだったけれど、そういえば部長の肩書きを持つ生徒と言葉を交わした記憶がない。副部長がいる以上は部長もいるはずだし、そもそも年度始め一発目の活動日に顔を出さない部長がいるだろうか。今日のミーティングの進行もずっと副部長が行っていたし、もしかして新年度早々風邪をひいたとか? だとしたら、だいぶ不運な人だ。
僕が投げかけた質問に、副部長は心なしか苦笑しながら答えた。
「ああ。部長はね、ちゃんといるよ」
そう言って副部長が指差したのは、工学室の片隅に設置してある木製の扉。教室の出入り口とは別の方面にある、明らかに廊下とは繋がっていない扉だ。
「工学準備室なんだけどね。部長はずーっとあそこに籠ってるんだ。あの人、ちょっと変わってるから」
副部長曰く、部長は工学準備室から滅多に出てこないらしい。
なんでも放課後は毎日あの部屋に入り浸り、常人には理解できないような謎の発明を繰り返しているのだとか……。ぶっちゃけ、こんないかにもマッドサイエンティストっぽい人間が存在するものかと、信憑性を疑ってしまったのが本音だが。
しかし、部活動であるにも関わらず活動に参加しないなんて、これほどまでに協調性に欠ける人間が部長の肩書きを持っているのは一体どういうことだろう。そう思ったが、聞くところによるとその部長はこれまでに出場した大会でかなり優秀な成績を残しており、部の成長にとてつもない貢献をしているらしい。この学校の機械工学部は相当な強豪と聞いていたが、実のところはそのほとんどが彼一人によって築き上げられた名誉であるようだった。
「なんか、すごい人なんですね」
「うん、すごいのは確かだよ。みんなが認めてる。ただ部長としての仕事は全然してくれないから、俺は困ってるけどね」
ちょっとおどけたようにそう言う副部長だったが、その表情からはなんとなく苦労が窺い知れた。
その後、僕以外からは特に質問は出なかったので、今日はそのまま解散になった。その流れに乗って自分も速やかに下校しようとしたところ、副部長が僕を呼び止める。
「ああ丹羽くん、部費は部長からもちゃんと回収してね。月末が締切だから。よろしく頼むよ」
✦✦✦
かくして、僕の会計係としての仕事がスタートした。
人数の多い部活であるので、一人も漏れることなく全員から部費を回収してその額に間違いがないかしっかり計算して……といった作業を毎月のようにこなすのは意外と骨が折れる。けれどもその仕事をしているうちに自然と部のメンバーとも交流ができてそれなりに仲良くなれたし、だんだんと皆の顔と名前も一致してきた。そういう意味では、悪くない役割かもしれない。
しかし、問題児が一人。
部長だ。
部活動終了後、月末が近付くと僕は毎日のように工学準備室へと立ち寄ることになる。部長から部費を回収するためだ。
部長は三年生で、名前を高峰 伊織さんと言うらしい。これは部の名簿を見て知った。部長は本当に部員の皆の前には全然姿を見せなくて、最初に回収に出向くまで一度も挨拶をする機会がなかったので、名簿で確認するまで名前を知らなかったのだ。
そしてこの部長、どうしてか部費をなかなか払ってくれない。
僕が何度言っても悪びれることなく「忘れてた」と言うか、作業の手を止めないまま「今度持ってくる」と生返事するだけ。他の部員からはスムーズに回収できているというのに、部長だけは月末ギリギリまで払ってくれないので、僕は毎月やきもきする羽目になっている。
それもあってか、六月に入る頃には月の半ばくらいになると僕は工学準備室へと赴いて、部長に部費の催促をするようになっていた。今のところはなんだかんだでギリギリのタイミングで支払ってくれていて、幸いにも期限に間に合わなかったことはないけれど、この人は早めに言っておかないと冗談抜きで月が変わるまで忘却しそうだからだ。
「忘れたもんはしゃーないだろ。まだ期限あるし、それまでにはちゃんと払うからさ」
というのもこの人、本っっっ当にマイペースで。
先延ばし癖があるのか何だか知らないが、これは副部長が苦労をするのも当然だろうと大いに頷ける。変わった人だとは聞いていたが、まさかここまでルーズでだらしなくて忘れっぽい人間だとは思っていなかった。
僕はほとほと呆れつつも、そんな部長に苦言を呈した。
「そう言って何でもギリギリにするの、良くないと思いますよ」
いつか痛い目を見るぞ。絶対に。
その顔の良さゆえに今までは難を逃れてきたのかもしれないが!
そう、このくそだらしない先輩は、悔しいことに死ぬほど顔が良いのだ。
最初に顔を合わせた時はそりゃあもうびっくりした。部活動にもろくに参加せず工学準備室に籠っている変わり者、という話だったから、もっさりしていて瓶底眼鏡をかけているようないかにも理系ですって感じの人間を勝手に想像していたのだ。
しかし、実際の部長はそんなイメージとはかけ離れていた。
180は確実に超えていると思われる身長に、すらりと長い手足。すっと通った鼻筋と、吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳。その顔立ちは同じ男である僕ですらうっかり見惚れてしまったほどに整っていて、どの角度から見ようともまるで彫刻のように美しい。正直、めちゃくちゃイケメンだ。
副部長曰く成績もトップクラスみたいだし、機械に関する知識量も半端じゃない。これでもうちょっとしっかりしていれば完璧なんだけどなぁ……。そう思いながら横目で部長を睨んでいると、僕の視線に気付いた部長はへらりとした笑みを返してきた。
「悪かったって。お詫びと言っちゃなんだけど、茶でも飲んでいけよ」
部長そう言うと、どこからか電気ケトルとティーバッグを取り出して勝手にお茶を淹れ始めた。これ、学校の備品……ではないよな? もしや自分で持ち込んだのだろうか。どうやらこの人は工学準備室をほぼ私物化しているらしい。
実はこうして部費の催促に来るたびに、部長からお茶を一杯ご馳走になってから帰る、というのがいつの間にか習慣になっていた。毎回のように部費の支払いをのらりくらりとかわし続ける部長には辟易しつつも、なんだかんだで僕はここでのお茶の時間が少し気に入っていたりする。
というのも、お茶を飲み終えるまでの間、準備室の至る所に置いてある部長の過去の作品を眺めることができるから。
部長の作品は、聞いていた以上の出来栄えだった。僕も機械いじりは好きなので、テレビでそういったジャンルの特集番組を観たり、その手の雑誌を購読していたりもする。しかしそんな中でも、部長の組む回路はとんでもなくクオリティが高いと感じた。プロの作品にもまったく見劣りしていない。これを一介の高校生がたった一人で作り上げただなんて、作者が目の前にいなければとてもじゃないが信じられなかっただろう。
これほどまでの作品がそこらじゅうにごろごろ転がっているものだから、僕は毎度のごとく夢中になって見入ってしまっている。こんなに素晴らしいものを乱雑に床に放置しておくなんてあまりにも勿体なさすぎる。ちゃんと飾ったらどうか、と進言してはみたのだが、部長は「完成したものには興味ない」と言ってその扱いを変えることはなかった。
「ほんともったいないなぁ……」
ついそんな言葉が口をついて出てしまう。
見れば見るほど惚れ惚れする。これは全国大会を連覇しているのも納得だった。こんなの僕じゃ絶対に作れない。凄すぎる……。
「そんなに気になるなら持っていくか? それ」
お茶が冷めるのも構わず作品たちを隅々まで眺めている僕に、部長は軽い口調でとんでもない提案をしてきた。
「ええ!? いやいや、いいですよ! 恐れ多すぎます!」
「別に俺いらないし」
「それでも僕ごときが貰っていいものじゃないです!」
こんな凄いもの貰えるわけがないし、軽々しく他人にあげていいものでもないと思うのだが、どうやらこの作品の価値を作者自身が一番理解できていないらしい。まあ、理解していたらこんな風に床に放っておいたりしないか……。
「遠慮しなくていいのに」
全力で断る僕を見た部長はそう言うと、ふっと笑みをこぼした。その顔が目に入った瞬間、不覚にもドキッとしてしまった。
無駄に美形なんだよな、この人は。それこそどんな表情でも絵になってしまうくらいには。
「と、とにかく、明日こそちゃんと部費払ってくださいね! お茶ごちそうさまでした!」
同性相手にときめくだなんて……と、なんだか恥ずかしい気持ちになってしまい、僕は部長にそれだけ言うと足早に工学準備室を後にした。
確かに部長は誰がどう見てもイケメンの部類に入る容姿だと思うし、部費のこと以外は僕によくしてくれるけれど……。それはあくまで部活の後輩として、単純に可愛がってくれているだけのはずだ。人嫌いで定評のある部長が僕に対してはこうして好意的に接するものだから、何か理由があるのかもと深読みしてしまいそうになるが、それは単純に部費のことに関して彼なりに申し訳ないと思っているだけなのだろう。そう頭ではわかっているつもりでも、部長が僕に向ける屈託のない笑顔を見ていると、正直なところうっかり勘違いしそうになることが多々あった。
気を付けないと……。
✦✦✦
「丹羽くん、会計係のほうは慣れてきた?」
月末も近付いてきたある日、活動時間中に副部長から声をかけられた。
「はい、最初の頃よりはだいぶ……。皆さんスムーズに提出してくれるので、とても助かってます」
僕は副部長に素直な所感を返した。
副部長をはじめとした部員たちは、毎月僕が呼びかけると速やかに部費を持ってきてくれる。そのお陰で、入部当初に心配していたようなことは大概が杞憂となってくれていた。本当に有難いと思っている。
もちろん、ただ一人を除いてだが。
「でも部長だけは例外ですね」
「例外?」
「あの人、すごくルーズっていうか忘れっぽいっていうか……。何度も催促してるのに、毎月ギリギリまで払ってくれないんですよ。きっと前任の会計係も苦労してたんでしょう?」
部長の陰口を叩くようで少し気は引けるが、そのせいで苦労しているのは事実なので仕方がない。実際、今月の部費も部長以外からは全て回収できているのに、彼だけがいまだ未納状態なのである。
ルーズな性分を直せと言うのも難しいのかもしれないが、部長には困らせられている。そう溢すと、副部長は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「そうなんだ? おかしいなぁ。去年まではそんなことなかったんだけど……」
「え?」
「俺が知る限りでは、一年の頃から一度も遅れたことなんかなかったと思うよ。いくら成績が良くても、さすがに部費を滞納したら除名処分になるしね」
一応そこらへんはちゃんとしているはずだ、と。一年生の頃からの付き合いである副部長はそう言った。
僕が会計係になるまでは、部長は回収を呼びかければ毎月すぐに部費を支払ってくれていたらしい。そんなの初耳だ。僕は脳天に疑問符を浮かばせ、すっかり狐につままれたような気持ちになっていた。
あの天才的な作品を作り上げる頭脳を持つ部長が、今年度になって急に物忘れが激しくなったとは考えにくい。ということは、忘れていたという彼の言い分は嘘で、本当はちゃんと部費のことを覚えていたってことか? その上で、あえてギリギリまで払ってくれなかった。
一体、なんのために?
そう考えた時、僕に導き出せる結論はひとつしかなかった。
✦✦✦
その日の部活動終了後、俺はいつものように工学準備室へと立ち寄った。
緊張で震えている手でドアノブをひねると、年季の入った扉がキイと音を立てる。準備室の奥には、先日見た時と何ら変わらない様子で回路をいじる部長の姿があった。
普段とは違い静かに入室してきた僕を見て部長は少しだけ目を見開いた気がしたが、それについては特に言及せず「また来たのか」と言って柔く微笑んだ。
そんな部長に向かって、僕は口を開く。
「部長、部費のことなんですけど」
「ああ、それなんだけどな。実は今日も——」
ああ、まただ。やっぱり部長は僕にだけこういう態度をとるつもりらしい。俺は部長の言葉を遮り、顔を俯かせたまま彼に問いかけた。
「なんで嘘つくんですか?」
僕のその一言に、部長が息を呑んだのを気配で感じた。
「副部長から聞きました。部長は去年まではちゃんと部費払ってたって」
「……」
部長からは何も返事が返ってこない。しかしそれは肯定も同然だった。
やっぱり、わざとやっていたんだ。僕が困っているのを見て面白がっていたのかもしれない。僕のことが気に入らないのかもしれない。部費の回収のためとはいえ、連日押しかけたのも良くなかったのかもしれない。本当は僕の顔なんて見るのも苦痛だったのかもしれない。
そう思うとじんと目頭が熱くなって、気付けば僕は部長の前で涙を流してしまっていた。
「そんなに僕のことが嫌いなら、はっきりそう言えばいいじゃないですか!」
僕は情けないほどの涙声でそう叫んだ。
酷い。部長には困らされていたけれど、それでも悪い人ではないと思っていたのに。彼の組む回路は本当に美しくて、まるで芸術品のように完璧だった。そんな作品を生み出せる彼のことを素直に尊敬していたのに、こんなのってない。
こんなことをするくらいなら、ただ一言、目障りだから近付くなと言ってくれればよかったのに。
悲しくて仕方がない。最初はマイペースでどうしようもない人だと思っていたけれど、一緒にお茶をするうちに彼の機械に対する情熱に触れて、少しだけど仲良くなれたような気がしていた。彼と過ごす時間が楽しかった。でも、そう思っていたのは僕だけだったんだ。
「……こんな回りくどい嫌がらせしなくても、辞めてほしいならそう言ってほしかった」
「えっ……」
「今日付で退部します。今まで迷惑かけてすみませんでした」
僕はそれだけ言うと、部長に背中を向けて扉の方へと歩き出した。
しかし、そんな僕の腕を部長の手がしっかりと掴む。
「待ってくれ……! 違うんだ!」
その手を振り解いて立ち去ろうとしたけれど、思いのほか力が強くそれは叶わなかった。
どうして引き止めるのだろう。嫌いな奴が自主退部を申し出てきたんだ、部長からすれば願ったり叶ったりじゃないのか。
「いいですよ、気を遣わなくても。別に僕、誰かに言いふらしたりしないので」
「違う、そうじゃない……! 一生のお願いだから、話を聞いてくれ!」
部長のような聡明な人の口から「一生のお願い」だなんて小学生みたいな言葉が飛び出したので、僕は面食らってしまった。思わず振り返って部長の顔を見ると、彼は今まで見たことがないくらい不安げで、ともすれば泣いてしまいそうな、そんな表情をしていた。
らしくない顔をする部長に言葉を失っていると、彼はその形のいい唇を震わせながらぽそぽそと語り出した。
「部費のことについては、本当に悪かった。お前が困るとわかっていて、わざと先延ばしにしていたのも事実だ。そのことに関しては、何も弁明できない。でもそれは、お前が嫌いだからとか、部を辞めさせるために嫌がらせしてたとか、決してそういう理由からじゃない……」
部長が言っている意味がよくわからない。今さら「悪意はなかった」と言われたって、とても信じられるわけないのに。
だけど部長の声音も表情も真剣そのもので、この場限りで嘘八百を並べているようには見えなかった。——本当に、嫌われていないんだろうか?
「嫌がらせじゃないんだったら、何だったって言うんですか」
僕は勇気を振り絞って彼に聞いてみる。僕の声も少し震えていた。
しかし、直後に部長から告げられた“真実”は、僕の想像の斜め上を行くものだった。
「丹羽のことが……好きだから」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
丹羽のことが好きだから。……そう言ったのか、この人は?
丹羽って誰だ。僕だ。ていうか今「丹羽」って呼んだな。この人、僕の名前知ってたんだ。今まで一度も呼ばれたことがなかったから、てっきり名前すら覚えられていないものと思っていた。
部長の言葉が脳内で反芻しまくっている。これこそ冗談じゃないだろうか?と思ってしまうのも無理はないだろう。好きだなんて、今まで彼はそんな素振りを見せたことなどなかったのだ。そもそもなんで部長ほどの人が、僕みたいなぺーぺーの一年生なんかを……。
「好きだから、ちょっとでも一緒にいたくて……。お前、部費の催促のためにここに通ってくれてただろ? ギリギリまで渡さなければその分一緒に過ごせる時間が増えるから、それで……」
「う、嘘……」
「一目惚れだったんだ。でも俺、今まで他人と関わるのを極力避けてきたから、好きな子へのアプローチの仕方とか、全然わからなくて……。今思えば、自分のことしか考えられてなかった。本当にごめん」
部長は頭を下げて謝罪してくれるが、僕はというと理解が追いつかなさすぎてそれどころではない。
部長が、僕を好き? しかも一目惚れだって?
自分のところに通うよう仕向けていたのも、来るたびに毎回お茶をご馳走してくれたのも、僕と過ごす時間が欲しかったから?
——そんな都合のいいこと、あってもいいのだろうか。
「お前には何の否もないから、部を辞める必要はない。もうここには来なくて構わないし、こっちからも絶対近付かないって約束する。会計係の仕事も今後はやらなくていい。副部長には俺から言っておくから……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
勝手に自己完結しようとする部長の話が終わる前に、僕は慌ててストップをかけた。
僕はしっかりと姿勢を直し、自分よりも幾分か高い位置にある部長の目をまっすぐ見据えた。
そして、聞いた。
「部長、僕のこと好きなんですか……?」
頷きが返ってくる。
「それって、僕と付き合いたいとか、恋人になりたいとか……そういう意味で、ですか」
少し間を置いてから、また頷く。
「なんで……? だって僕、平凡で冴えないし、惚れる要素なんてひとつもないじゃないですか」
ここで初めて、部長は首を横に振った。
そして僕の両肩にそっと手を置いてから、今度は部長のほうから僕を見つめてくる。
「お前が初めてここに来た時、あまりにも可愛くて天使かと思ったんだ」
か、可愛い? 天使ぃ?
どちらもおおよそ平凡な男子高校生に与えられるような表現ではないと思うのだが。
僕は部長みたいに周囲から絶賛されるほどの才能があるわけでもないし、頭も特別良いわけじゃないし、モテ期だって生まれてこのかた来たことがない。背も高くないし、顔だって普通だ。こんな僕を可愛いと感じるだなんて、やはり部長はなかなかの変わり者らしい。
しかし部長はあくまで真剣な顔のまま言葉を続ける。
「俺だってこんなの初めてだからよくわからない。でも出会った瞬間にビビッときて、こいつ絶対俺のものにするぞって思ったんだよ。なんかもう理屈じゃないだろ、こういうのって!」
必死な様子でそう言った部長の顔は、もう耳まで真っ赤になっていた。そんな部長を見ていると、なんだか僕までつられて赤くなってきてしまう。
「本当に……からかってるとかじゃ、ないんですよね……?」
「あんな態度をとってたから、信じてもらえないのは当然だと思う。でも、俺は真剣だ。心の底から、丹羽のことが好きなんだ」
部長の端正な顔が至近距離で僕に向けられる。一切の余所見をせずにこちらを見据える部長の目が、その言葉が真実であると何よりも語っていた。
ドキドキと、心臓の音がうるさいくらいに鳴っている。どうしてだろう、同性から告白されたのは初めてだけれど、不思議と不快だとは思わなかった。
いや、むしろ……。
「あ、あの……えっと、僕……」
「その様子だと、俺まだチャンスあると思っていい?」
彼からのそんな問いかけに、更に顔が熱くなる。
部長からの気持ちをどう受け取るべきか、恋愛経験がない僕はすぐに決断することができないでいた。彼がしたことによって傷付いたのは確かだ。それが好意の裏返しだったことや、不器用な彼なりに僕と関わる手段を考えてのことだった事実を踏まえても、それをすぐさま水に流せるほど素早く感情の切り替えをするのは難しかったから。
でも、僕は……。
——僕は部長に向かってゆっくりと、しかし確実に、頷いてみせた。
「ありがとう。俺、頑張るから」
恥ずかしすぎて言葉にはできなかったけれど、部長にとってはそれで充分だったらしい。
彼は決して告白の返事を急かすことはせず、ただ愛おしそうに僕の顔を見つめながらにこりと微笑んでくれた。
それからというもの、部長は僕に猛アタックをするようになる。
所構わず「好き」「愛してる」と伝えてくるし、ともすれば恥ずかしげもなく甘い口説き文句を囁いてくる。そのたびに僕はドキドキしっぱなしで、このままでは心臓がもたないのではないかと変な心配をする羽目にまでなった。
そして部活中も、彼はたまにだけれど準備室から出てきてくれて、僕の隣で普通に活動に参加するようになった。部員の皆は最初こそ驚いて遠巻きにしていたけれど、最近では少しずつ打ち解けてきているみたいだ。
それ自体はとても喜ばしいことなのだが……問題は、それにより部長が急激にモテだしたこと。
もともとルックスが抜群にいい彼が、こうして人前に姿を見せて他者と交流をするようになったのだから、人気が出ないわけがない。それこそ僕とは比較にならないほど可愛い子たちが部長に想いを伝えようと続々と部室に訪れるのを見ると、別に付き合っているわけではないのになんだかモヤモヤした気持ちになってしまう。
それでも部長は誰に靡くこともなく、一途に僕を好きだと言ってくれる。
そして、そんな彼の態度に満更でもない自分がいることを、ちょっとずつ自覚し始めていたりして……。
僕と部長の恋の回路が繋がるまで、きっとあともう少し。
end.
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