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本編
俺のことが好きな美形全員と付き合うことになったけど、想像以上に激重だった。【蛍編】
しおりを挟む俺の名前は神崎 瑪瑙。
インディーズロックバンド『DIAMOND』のボーカルをやっていること以外は、いたって平凡な大学生だ。
そんな俺が、ひょんなことから超絶イケメンなバンドメンバーと付き合うことになった。しかも三人。週替わりで。……これ以上の説明はここでは割愛させてほしい。俺だって何でこんなことになっているのかいまだによくわかってないんだ。
何はともあれ、クリス先輩とのデートから5日が経った。
今日は金曜日。大学の講義や課題、バイトやバンド練習なんかに追われていたら、いつの間にか週末も目前となっていた。
明後日の日曜は、ついにライブ本番だ。今回のライブでは新曲を初披露するという大きな予定もあるし、何としてでも成功させなければならない。そう気を引き締めつつも、俺は何か忘れているような気がしていた。
なんだったっけ……?
頭の片隅でそう思いながらレポートを書いていたが、ふいにテーブルの端に置いていたスマホの通知音が鳴った。これはメッセージアプリに連絡が来たときの音だ。
アプリを開いて内容を確認すると、後輩の早乙女 蛍からの個別メッセージのようだった。
『神崎先輩、おつかれさまです』
『今週のデートのことなんですけど』
「……あっ!」
デート、という単語で思い出した。そうだ、週末は蛍とデートをするんだった。
まぁちょっと色々あって、俺は週末限定でバンドメンバー三人の恋人をすることになっている。とりあえず今は“お試し”で、まずはデートからってことで、先週はギター担当のクリス先輩とデートをしてきたんだけど……今週は蛍の順番らしい。この一週間音沙汰がなかったけど、彼はちゃんと覚えていたみたいだ。
蛍からの連絡に何と返そうか悩んでいると、追加でメッセージが届く。
『本当だったら、デートは日曜って決まりだと思うんですけど、今週の日曜はライブがありますよね? ライブ当日は先輩も集中したいと思うんで……代わりに、明日の土曜日にデートしませんか?』
そうか。日曜日はライブだから、デートができないんだ。
ライブは夜からだから昼間にデートしてそのままライブに行くこともできるけど、俺はライブ前は緊張してしまうたちで、数時間前から集中していないとまともにステージに立つことができない。同じバンドメンバーである蛍もそれは当然知っているから、こういった提案をしてくれたのだろうと思った。
その気遣いはとても有り難かったので、俺は蛍に了承のメッセージを返す。するとまたすぐに返事が返ってきた。
『ありがとうございます。それじゃあ明日13時に、駅前集合で』
続けて送られてきた駅名は、大学の最寄りから電車一本で行ける都心の駅だ。俺はそのメッセージに対してOKと返事をすると、スマホの画面をオフにしてレポートに向き直った。
明日のデートのためにも、このレポートを終わらせておかなければ。
……というわけで現在、土曜日の昼下がり。
俺はそわそわと落ち着かない様子を隠しきれないまま、大勢の人でごった返す駅前まで来ていた。
時刻は12時50分。かなり丁度いい時間に到着することができた。蛍はもう来ているだろうか……と思いながら、待ち合わせの場所に立って周囲を見回す。
人が多くて分かりづらいが、見たところ蛍はまだ来ていないようだった。まぁまだ時間前だし、全然問題ない。ゆっくり待っていよう。
「神崎先輩」
それから5分ほど経っただろうか。ふいに背後から声をかけられた。
ああ、蛍だな。思ったより早く来たなあ、なんて思いながら振り返ると。
「待たせてすみません……ちょっと準備に手間取っちゃって」
ものすごい美少女がそこにいた。
ストレートのセミロングヘアーに、ぱっちりとした二重。長い睫毛。そしてシミのひとつもない白い肌に、細くて長い手足。化粧はごく薄く、かなりのナチュラルメイクであるのに、それを踏まえてもまるでテレビで見かけるアイドルのように可愛らしい。いや、むしろナチュラルだからこそ、素材の良さが存分に発揮されている。
女性恐怖症の俺ですら見とれてしまうほどの超絶美少女。俺にこんな可愛い女の子の知り合いはいないはずなんだけど……先ほどの声を聞いて、その正体に思い当たった。
「……蛍!?」
「はい」
「ど、どうしたの、その格好……」
蛍だ。何故か女装しているが、声でわかる。今はメイクで印象が少し変わっているけど、よく見れば顔立ちも蛍そのものだった。
「せっかくのデートだから、こういう方がいいかなって……やっぱり、似合いませんか?」
「い、いや……めちゃくちゃ似合ってる、けど……」
それはもう、そこらへんの女の子なんか目じゃないくらい。
ウィッグだけでも充分可愛いのに、今の蛍は服装まで完璧に女の子だった。ワンピースタイプのパーカーの上にスタジャンをラフに羽織っており、下はスキニーと厚底のスニーカー。かなりボーイッシュなファッションであるにも関わらず、今の蛍は誰の目から見ても完璧すぎるほど美少女だった。喋りさえしなければ、傍目には絶対に男だとわからないだろう。よく見ると、あまりの可愛らしさに道行く人々の視線もチラチラと蛍に向いている。
「それじゃ、行きましょう」
そんな周囲からの視線などものともせず、蛍はごく自然に俺の手を取って歩き出した。
いつも一緒に歩く時は手など繋いだことがなかったけど、デートだから繋ぐのかな? 俺は少し動揺したものの、今日は“蛍の恋人”としてデートに来ているわけだから、そういう感じなんだな、と空気を読んでその手を握り返した。見た目は女の子だけど、握ってみたらそれは確かに蛍の、ドラムをやっていてマメだらけの手の感触だったのでなんだか安心した。
「……!」
俺に手を握り返された蛍は特に何も言わなかったが、心なしか機嫌がよさそうだった。
✦✦✦
それからは、蛍と一緒に近くの大型商業施設で遊んだ。
俺は蛍から事前に集合場所と時間くらいしか聞いていなかったので、デートプランは蛍に任せていたのだが、ゲームセンターで遊んだり、洋服を見たり、楽器屋さんに行ったり……本当に男同士で遊びに行く時と変わらないような感じだった。最初はあまりにも女の子な外見をしている蛍に戸惑っていた俺も徐々に緊張が解けてきて、いつの間にか普段通りに接するようになっていた。
ただひとつ違うことは、歩く時にずっと手を繋いでいたこと。
「先輩、ちょっと付き合ってほしい場所があるんですけど……」
ひとしきり遊んだ後、蛍がそう言って俺を連れて行ったのは、商業施設内のとあるカフェだった。
男同士ではまず入らない、俺一人でももちろん行かないような、お洒落な雰囲気のカフェ。席についてから店内を見渡すと、なるほどカップルや女の子ばかりで、さすがに蛍でも一人で入るのは抵抗があったのかもしれない。
蛍はこのカフェの名物メニューだというパンケーキが食べたいらしい。俺も甘い物は好きなので、せっかくなので食べてみようと思う。メニューを見るとたくさん種類があって少し迷ってしまったが、悩んだ末に蛍は苺ミルクパンケーキ、俺はチョコバナナパンケーキを注文した(蛍は喋ると声で性別がバレてしまうので、俺がまとめて注文した)。
「すみません、ここまで付き合わせちゃって。でも、一度食べてみたくて……」
注文したものを待っている間、蛍は恥ずかしそうに頬を赤らめながら俺に言った。か、可愛い。普段はドライな性格の蛍だけど、女の子の格好をして、こういう表情をしていると同じ男だと分かっていても可愛いなと思ってしまう。いや、蛍はそもそものルックスからして可愛い感じだから、仮に女装してなくても同じような感想を抱いたとは思うけど……。
「ううん、全然だよ。でも意外だなぁ。女の子とか、他の友達とは来たことなかったの?」
「こんな見た目で甘い物好きとか、女みたいだって言われそうで嫌だったんです……。それに、一緒に来るなら神崎先輩とがいいって思ってたから」
俺からの質問に、蛍は少し顔を顰めてからそう返した。
蛍は自分が女顔であることをよくは思っていないようなふしがあった。もちろん美形ではあるんだけど、やはり第一に可愛らしい印象があるし、身長も俺より低い。俺はそんなところも魅力的だなと思っているんだけど、いつも俺やバンドメンバーが「可愛い」と言うと彼は決まって機嫌を悪くしていた。だからきっと、甘い物が好きだと言って周囲の人にまた可愛いと揶揄われるのが嫌だったのかもしれない。その点俺は高校時代からの付き合いだから、蛍が甘い物好きだということも既に知っている。俺は甘い物が好きな男がいても全然変だとは思わないし、そのことで茶化したりもしないと蛍も多分わかっているから、一緒に来る相手に俺を選んでくれたのだろう。
……あれ、ちょっと待て。だとしたら、ひとつだけ疑問が残る。蛍はいつも可愛いと言われるのを嫌がるのに、なんで今日はわざわざ女装してきたんだろう?
「ええと、蛍は女の子みたいって言われるの、嫌なんだよな? じゃあ、なんで今日はそういう格好で来たんだ?」
「そ、それは……」
特に深くは考えずに疑問をそのまま投げかけてみると、蛍は答えづらそうに口ごもった。まずい、あまり突っ込んじゃいけない話題だったかもしれない? 俺はすぐに後悔して蛍に謝った。
「あ……ごめん。でも俺は蛍にそういう趣味があっても引かないよ? すごく似合ってるし」
「いや、違います! 全ッ然趣味とかじゃないです! ただ……」
俺なりにフォローしてみるも、蛍は首を横にぶんぶんと振って全力で否定した。さすがに、実は女装趣味が……というわけではなかったらしい。今思い出したけど、確か高校の学祭で女装をお願いされた時も、めちゃくちゃ嫌がっていたもんなぁ。
でも、そんなに嫌ならなおさら何故? 彼の真意がわからず首を傾げていると、蛍はぽそぽそと小さな声で俺に言った。
「女の格好だったら、先輩と堂々と手繋いだりできるかなって……思ったんです」
「えっ……」
「男同士だと、先輩はきっと人目とか気にするでしょ? でも、今日はデートだから……したかった」
蛍のその言葉を聞いて、俺はまさかと思った。もしかして、俺のため?
確かに俺は必要以上に人目を気にしてしまう方だと思う。だから自分がゲイであることもバンドメンバー以外には話していないし、そもそも好きな人ができたところで、相手や周囲の人からどう思われるか不安で告白なんか中々できないだろう。俺がそういう性格だということは蛍も当然知っているから、もしかして、男同士でデートをすると俺が周りを気にするかも……と思って気を遣ってくれたのかもしれない。あんなに嫌がっていた女装をしてまで。
「俺のこと考えてくれてたんだ……ありがとう。でもそういうことなら、次からは普通の格好でいいよ?」
「……ご、ごめんなさい。先輩は女の子苦手だから、逆に嫌な思いさせるかもって、思わなかったわけじゃないんですけど……」
「ああいや、そうじゃなくて! 蛍が好きでそういう格好してるわけじゃないなら、無理しないでいいよって意味」
俺のことを考えてくれたのは嬉しいけど、蛍に無理はしてほしくない。それに、ただでさえ可愛らしい容姿をしている蛍が女装しているとまるで本物の女の子みたいで、少し緊張してしまうし……っていうのは流石に言えないけど。
まさか蛍がここまでしてくれるとは思わなかったから、素直に驚いたというのが本音だった。でも、俺だってゲイを自称しているからには、相手が男だろうが人前で手ぐらい繋ごうじゃないか。何たって今日は、デート……なんだし。
「俺でよかったら、男のままでも手とか繋ぐし、こういう店だって一緒に行くよ。それに……」
と、俺が次の言葉を言いかけたところで、店員さんが注文していたパンケーキをテーブルに運んできた。俺は話を中断して、とりあえず蛍と一緒に食事を楽しむことにする。
パンケーキはふわふわで、フルーツも贅沢に盛り付けてあって、とても美味しそうだ。もちろん見た目も可愛くて、これがいわゆる『映え』ってやつなのかもなと俺は少ない知識で思った。
ちらりと蛍を見やると、彼は俺の顔とパンケーキの皿を交互にチラチラと見ながらこちらの反応を伺っている様子だった。俺が気に入るかどうか心配している、ということがなんとなく伝わってきたので、俺はにこりと笑ってからテーブルの隅にあるカトラリーケースからナイフとフォークを取り出して蛍に手渡した。それから、自分の分も。
「美味しそうだね! 冷めないうちに食べよっか」
「は、はい。いただきます……」
蛍が食べ始めたので、俺もそれに倣ってカトラリーを動かした。
とりあえずパンケーキを食べやすいよう一口大に切って、口に運んでみる。柔らかい食感の生地と、みずみずしいフルーツ、甘すぎないくらいの絶妙な甘さも相まってすごく美味しい。こういうお店でパンケーキを食べるのは初めてだけど、家で作るのとこんなに違うものなんだなぁと俺はひとり感動していた。
でも、思っていたよりボリュームがありそうだ。俺は大丈夫だけど、蛍は食べ切れるかな……と思って蛍の方を見てみると。
「……」
蛍は無言でパンケーキを口に運んでいた。
といっても、喋らないのはパンケーキを頬張っているからだ。美味しいのかまずいのか、そんなのは顔を見れば一目瞭然だった。目はキラキラしていて、心なしか普段よりも頬が緩んでいる。……正直、めちゃくちゃ可愛いと思った。本当に甘い物好きなんだなぁ。なんかこういう顔を見ていると、お菓子とかで餌付けしたくなるな。今度してみようかな。
なんてことを考えていると、俺の視線に気付いた蛍がはっと息を呑んでこちらを見た。それからみるみるうちに頬が赤く染まっていく。
「あんまり見ないでください……恥ずかしい」
「ごめん。すごい美味しそうに食べてたから、つい」
「……」
照れ臭そうに俯いた蛍に、俺はくすくすと笑いながら謝罪した。じろじろ見るのは失礼だってわかっているけど、美味しそうにパンケーキを食べる蛍があんまりにも可愛かったから。
それでもいい加減食べづらいと思うので、俺は蛍の顔から視線をずらして、蛍が食べている苺のパンケーキに目をやった。
「蛍のやつも美味しそうだね」
「美味しいですよ。少し食べてみます?」
「いいの? じゃあ、ひと口だけもらおうかな……」
俺が頼んだやつも美味しいけど、蛍があまりにも美味しそうに食べるものだから少し気になってきてしまった。
ひと口だけ、と言ったら、蛍は早速ナイフとフォークを動かしてパンケーキをひと口分だけ切り分けた。分けたぶんを俺の皿に移してくれるのだと普通に思っていたら、なんと蛍は俺の目の前にパンケーキが刺さったフォークを差し出してきた。
「はい先輩、あーん」
「へ!?」
予想だにしていなかった展開に思わず変な声が出てしまった。
まさか蛍に、カップルでお馴染みの『あーん』をされるとは思っていなかった。いくらなんでも男同士でここまで……いや、今の蛍は女の子の格好をしているので違和感は全くないし、雰囲気だけは抜群なんだけど。
びっくりして固まってしまった俺に、蛍は俺にだけ聞こえるくらいの小さな声で言う。
「……先輩、今の俺達は“恋人同士”なんですよ。恋人同士でこういうことするのは、普通でしょ?」
蛍はそう言って、フォークを差し出す手を引くことはしなかった。
客観的に見ると、平凡男が超絶美少女に『あーん』されているというまるでラノベみたいな状況。店内の男性客からの羨望の眼差しがビシビシと突き刺さってくる。これで恥ずかしいと断ろうものなら、この羨望が一気に非難に変わるような気がしないでもない……。
ええい、ままよ。俺は覚悟を決めて口を開き、差し出されたパンケーキをぱくっと食べた。
「……おいひい」
おいしい。パンケーキを頬張ったまま思わずそう口に出すと、蛍はそんな俺を見て優しげに微笑んだ。その天使のような笑顔に、横目でなりゆきを見守っていた男性客が数人ノックアウトされる。蛍は俺の前ではそれなりに笑ったり怒ったりするけど、人見知りなのか大学やライブではそういう姿はあまり見せないので、実は笑顔はちょっとレアだ。
「ね、先輩のもひと口ちょうだい?」
「う、うん。いいけど……」
甘い空気に慣れることができないままに、俺は蛍のためにパンケーキを切り分ける。一口サイズになったパンケーキを蛍の皿に移そうとしたら、少し不満げな表情をした蛍に咎められた。
「先輩、違うでしょ?」
「えっ」
「あーん、して?」
俺もするの!? 別に嫌なわけじゃないけど、やっぱりめちゃくちゃ恥ずかしい。ちょっと初デートにしてはハードル高すぎないか……?
俺が戸惑っているうちに、蛍はウィッグの髪を耳に掛けながら目を閉じて『あーん』の口になった。そしてまたどこからともなく羨望の視線が……なんだこの居た堪れなさは。
で、でも、俺も蛍にひと口もらったし、今日は一応“蛍の恋人”としてデートしに来ているんだから、このくらいのお願い、サクッと聞いてやるべきだよな。俺は勇気を出して、おずおずとフォークを蛍の口元に差し出した。
ぱくり。蛍の形のいい桜色の唇が、パンケーキを口に含む。
「わ、おいしいですね」
「そ、そう? ならよかった……」
蛍は平然としているのに、俺は初めての『あーん』に妙にドキドキしてしまっていて、顔が熱くなってしまっていた。蛍は恥ずかしくないのかな……。ああでも、蛍は男女問わずめちゃくちゃモテるから、実はこういうシチュエーションにも慣れていたりするのかもな。何にせよ、いちいち俺ばかりが照れてしまっていて、見事に恋愛経験のなさが露呈している……。
「先輩、俺より恥ずかしがってる。可愛い……」
「……っ!」
案の定、蛍にもからかわれてしまう。
『可愛い』なんて100%俺よりも蛍に似合う言葉だし、平凡の代名詞である俺が可愛いなんてことは有り得ないだろう。
それなのにうちのバンドメンバーは蛍を含めて全員、やたら俺のことを可愛いと言う。今はちょこっとだけ俺に興味が湧いているからそう思うのかもしれないけど、実際のところ絶対そんなことはないので、どう反応するべきか困る。
俺は赤くなったまま何も言えなくなり、最終的にただもくもくとパンケーキを食べるだけになってしまった。だけど蛍は、そんな俺を眺めながらとても嬉しそうな表情をしていた。……気がする。
✦✦✦
「蛍、その靴だと足疲れたんじゃない? 大丈夫?」
「大丈夫ですよ。これ、普段から履いてるやつなので」
それから蛍と一緒に食事を楽しんで、それなりに満足したところで俺達は帰路についた。明日はライブだから、早めに帰ってゆっくり休むのがいいと思ったのだ。
しかしそこに蛍渾身の上目遣いで「泊めてくれませんか?」と来ようものなら、蛍にとことん甘い俺は断れるわけもない。どうせ明日も一緒にライブをするわけだし丁度いいかと、俺はいつものように蛍を自宅に招き入れた。
さすがに女装のままライブに行くわけにはいかないが(もし行ったらそれはそれでウケそうだけど)、蛍がうちに泊まるのはよくあることなので着替えなんかも常備してある。明日はそれを着ていけばいいし、蛍はドラマーなので手荷物が少ない。俺の家から直行しても問題なさそうだった。
蛍は自分のドラムセットは持っておらず、いつもスタジオやライブハウスに備え付けてあるものを調整して使っている。なので持参する機材といえばドラムスティックとか、調整用の小さな器具ぐらいだろう。これがギターやベースだったら、楽器だとかエフェクターだとかで必然的に手荷物が多くなるので、身軽な蛍が少し羨ましかった。俺はボーカルだけど、ライブでは一応ギターも弾くから荷物は多めなのである。
「お邪魔します」
玄関先で履いてきたスニーカーをきちんと揃えてから、蛍は丁寧にそう言って部屋に上がった。蛍は今日一日女装したまま歩いていたのでさっきは足を心配したんだけど、確かによく見てみればそれはたまに蛍が履いている、某スポーツブランドのロゴが入ったスニーカーだった。靴はいつも通りだったのにあんなに可愛く見えるなんて、ファッションって奥深い。俺はそういうセンスは皆無だから、お洒落だとか、ましてや女の子の服のことはよくわからないけど……。
「夕飯どうする?……って言っても、パンケーキ食べてからまだそんなに経ってないよなぁ。後で軽く何か作るでいい?」
「あ、お構いなく……。ていうか今日は俺が誘ったんで、夕飯くらい俺が作りますよ」
「え、蛍って料理できるの?」
「できますよ。卵かけご飯とか、ふりかけご飯とか、納豆かけご飯とか」
それは料理と言っていいのだろうか、やや疑問が残る。
そんなふうに蛍と他愛もない会話をしながら、だんだんと『デート』から『いつものお泊まり』の雰囲気になってくる。蛍はまだ女の子の格好をしているけど、もう家の中では手も繋いでいないし、俺も今日一日ですっかり蛍の女装姿に慣れて変に意識することはなくなっていた。
つまり、俺は完全に油断していたのだ。
蛍に両手首を掴まれて、カーペットに押し倒されるまでは。
「ッ……!」
どさ、という音がしてから、背中に柔らかいカーペットの感触と、眼前には天井をバックにした蛍の姿。いつも生活している部屋でこんなふうに押し倒されるというのは、なんだか変な感じがするなぁ……と、今の状況を把握するよりも前に、ぼんやりとそんなことを思った。
そんな俺に向かって蛍は言う。
「ねぇ、先輩……俺にしませんか?」
「えっ……」
「俺、先輩が望むなら女装だろうが女役だろうが何でもします。女なんて誰一人寄り付かないようにするし、ネットで先輩のこと叩いてる奴等も全員特定して消してやる。先輩が嫌だと思ってること、ぜんぶ俺がなくしてあげるよ?」
最初は何を言われているのかよくわからなかった。そして少しの間の後にその意味を理解して……俺はやんわりと蛍の言葉を拒絶した。
「や、その……俺は、そういうのは、別に……」
言いながら蛍の顔を見ることができなくなって、つい目を逸らしてしまう。
そうだ……俺はそんなことは望んじゃいない。蛍がやりたくないことを無理にさせたいと思わないし、俺を悪く言う人がいるのはそれだけ俺に落ち度があるからだ。少し悲しいけど、別に恨んではいないし、そんなことよりもバンドメンバーと一緒にいる時間が俺にとって何より幸せだから、それでいい。
それに、誰を選んで誰を選ばないとか、今の俺にはまだ決められない。優柔不断だと言ってくれていい。でも俺にとっては蛍は大事なバンドメンバーで、可愛い後輩だから。高校時代からめちゃくちゃモテてたくせに何故俺のことを好きだと言うのかはわからないけど、でも、やっぱりまだ恋人にするとかは考えられない……。
腕に力を込めて蛍の手を振りほどこうとしてみるが、思いのほか蛍の力が強く、ピクリとも動かせなかった。抵抗したことで更にぐぐぐ、と音がしそうなほど強い力で握られて、手首が少し痛くなる。
「蛍……あの、離してほしい、んだけど……」
恐る恐る蛍に拘束から解放するよう頼んでみる。しかし俺が言ったところでもちろん離してくれるわけもなく、女装姿の蛍に押し倒されて迫られるというただならぬ状況と、いまだギリギリと物凄い力で締め上げられる手首。どうするのが正解かわからないこの状況に、少し涙目になってしまった。
そんな俺の様子を見て蛍はチッと舌打ちをしてから、俺に覆い被さってきた。
「ちょ、蛍……やめ、」
「あ゛ー……やっぱ無理だ。こんなに可愛いのにタチとかあり得ないだろ」
「へ?」
「はぁ、今すぐブチ犯したい……。俺、本当はずーっと我慢してたんだよ? それなのに先輩は俺の気も知らないで、簡単に家に泊めたりしてさぁ。俺が毎回先輩の寝顔でシコってたの、知らなかっただろ」
蛍からの衝撃の告白に思わず固まってしまう。
え、今なんて言った……? さすがに冗談だよな? だって、毎回? 毎回って、だって蛍が大学に入ってからは月に何度もうちに泊めていて……。
「びっくりした? でも俺はね、先輩のこと犯したくて、俺の下でヨガる先輩の妄想ばっかして、高校の頃から毎日毎日先輩をオカズにして扱いてんだよ。そういう男なの。ごめんね?」
蛍はそう言って、俺の首筋に顔を埋めて素肌に舌を這わせる。いよいよ身の危険を感じてぞわっと鳥肌が立った。
「だ、だめ……明日、ライブで……ッ!」
「ライブなんかどうでもいいよ。さっさと手出さなかったからこんなことになったんだ。ほんと、大学行ってちょっと目を離した隙に色んな男誘惑して……ねぇ、自覚ある?」
蛍が言っている意味は全然わからないけど、とにかく明日はライブなんだ。新曲を披露する予定もあって、絶対に失敗できないんだ。それに、今ここでキスマークでも付けられようものなら、明日のライブでバンドTシャツが着られなくなってしまう。ライブのたびに全員で同じTシャツを着てステージに立つ瞬間が、俺は何よりも好きだった。のに。
蛍は、違ったのかな。本当にライブなんてどうでもいいって思っているんだろうか。そう考えると、才能もないくせに俺ばっかりがバンドに固執しているんだと思わされて、なんだか悲しくなった。
「大丈夫、痛いことはしないよ。ただ先輩を俺のものにするだけだから」
「ひっ……!」
蛍が着けているウィッグの髪が、俺の顔に触れる。
艶のある長い髪。まるで女の人みたいな。俺の上に乗って、身体を押さえつけて、肌に触れてきて……。
「——ッ!」
脳内で思い出したくもない光景がフラッシュバックした。
女の人。こわい。身体が震える。逃げたい。でも抵抗できない。目から勝手に涙が溢れて、呼吸がおかしくなる。
「先輩……?」
俺の様子がおかしいことに気付いた蛍が、訝しげに俺に声をかけながら拘束を緩めた。でも俺はもう逃げることができない。
頭ではちゃんと、蛍だって理解している。女の人の格好をしているだけで、蛍は女の人じゃない。だから大丈夫だ。わかっているのに、それでも身体は勝手に拒絶反応を起こして、自分でも制御がきかなかった。俺はひぃひぃと浅い呼吸を繰り返しながら、その場に蹲って惨めに震えることしかできなくなってしまった。
「先輩っ……ごめん、もう何もしませんから……!」
事態を把握した蛍が慌ててウィッグを外して、俺を落ち着かせようと身体を抱きしめた。蛍を心配させまいと、呼吸を整えようとずっと頑張っているのに、それでも俺の拒絶反応はなかなか治まる気配を見せなかった。恐怖の対象はここにはいないのに、ぞわぞわと悪寒が止まらない。息が苦しい。死んじゃう。死にたい……。
そんなことをぼんやりとした意識で思い始めた時、ふいに唇を塞がれた。
「んんッ……!」
温かくて柔らかい。涙で視界が霞んでいてよく見えないけど、優しくて心地良い感触だけが伝わってきた。そして、それは蛍が俺にキスをしたからだと理解できた頃には、身体の震えはだんだんと治まってきていた。
「はぁ、はぁ……」
「……先輩、俺のことわかりますか?」
「ん……」
蛍の言葉にこくりと頷くと、彼はほっとしたような表情をしてから、俺の背中を優しく撫でてくれた。
視界には、ウィッグを外した蛍の顔。怖くない。よかった……。そう思うと一気に安心感でいっぱいになって、強張っていた身体からどっと力が抜けていくのがわかった。
✦✦✦
——それから、蛍に言われるがままお風呂に入って、湯船に浸かって身体が温まったことで、だいぶ落ち着きを取り戻した。
浴室で鏡を見てみると、泣いたことで少し目が赤くなってしまっていたけど、この程度であれば明日には響かなさそうだった。蛍に掴まれた手首も痕にはなっていたが、明日の夜までには消えると思いたい。やっぱり俺にとってはライブを成功させることが何よりも大事だから、ひとまずライブに影響が出なさそうだとわかった時は安心した。
そして交代で蛍にもお風呂に入ってもらって、その間俺は部屋で見たい番組もないのにテレビをつけて、画面を見ながらボーッとしていたんだけど。
「ごめんなさい!!」
蛍は部屋に戻ってくるなり、俺に向かって土下座した。
お風呂に入る前も、なんか落ち込んでるな……とは感じたけど、まさか土下座までするとは思っていなかったので俺は度肝を抜かれてしまった。
「明日はライブな上に、絶対手は出さないって約束だったのに、先輩の気持ち無視して襲ったりして……。怖い思いさせて、ほんとに最低でした。反省しています」
「あ、えっと……」
蛍は頭を下げたまま俺に謝罪の言葉を述べた。
風呂に入った後なので、蛍はもう女装していない。ウィッグもつけていないし、服もうちに置いてあるスウェットに着替えているし、メイクも落としている。正真正銘、いつもの蛍だ。蛍が女装していたのは今日一日だけだったはずなのに、なんだかすごく久しぶりに普段どおりの蛍を見た気がした。
俺は何と返していいか迷ってしまったが、一向に蛍が頭を上げる気配がないので、何か言ってあげなければと何とか言葉を絞り出す。
「……俺、別に怒ってないし……むしろこっちこそごめん。変なとこ見せて……」
「あ、謝らないでください! 全部俺が悪いんだから……」
俺が謝ると、蛍はバッと顔を上げてすぐさまそれを否定した。
俺の女性恐怖症はだいぶ筋金入りだ。それこそ、女装した蛍に襲われた程度でああなってしまうくらいには。もうずっとこんな感じだから、普通に恋愛して彼女を作るなんてことは俺には到底無理な話で。
そんな自分には嫌気がさすけど、蛍に対して怒ってはいない。女の人の気配を感じて、本能的に畏縮してしまっただけ。蛍とそういうことをするのはさすがにまだ想像がつかないけど、でも多分、蛍が怖かったんじゃないと思う。……いや、本音を言うとさっきの蛍はちょっとだけ怖かったけど。
「篠宮さん達との約束守ってくれるなら、もういいよ……」
「じゃあ、何に怒ってるんですか?」
「だから怒ってないよ」
「でも寂しそうな顔してる」
蛍に指摘されて、びくりと肩が震えた。
別に、怒ってない。それは本当だ。ただ、俺が勝手に傷付いたというか……心にグサッときてしまっただけで。
俺が傷付いたのは、襲われたことにじゃない。発作を起こしてしまったことでもない。でも……あえて黙っていたそれを、蛍に見透かされたようで少し動揺してしまった。
誤魔化せないかもな、と思った俺は、ぽそりと小さな声で蛍に言った。
「……蛍が『ライブなんかどうでもいい』って、言ったから」
「あ……」
「別に蛍がどう思っててもいいよ。ただ……バンドのこと大事に思ってるのはやっぱり俺だけなのかなって、ちょっと悲しくなっただけ」
俺の言葉を聞いた蛍がはっとして俺の顔を見た。俺はどういう表情をしていたのか、自分ではわからなかったけど……俺の顔を見た蛍は、今にも泣きそうになっていた。
「ご、ごめんなさい……」
「ううん、謝るようなことじゃないよ」
「違うんです! バンドのことも、ちゃんと大事に思ってます。先輩の大事なものは、俺にとっても大事だから……」
蛍はそう言うと、捨てられた子犬のような顔になってしゅんと項垂れてしまう。
そういえば、高校の頃から蛍はそんな感じだったと今更ながらに思った。蛍はいつも、俺の大事なものを同じように大事にしてくれる。なんで俺なんかを好きになったのかは謎だけど、そうやって俺に寄り添ってくれる後輩の存在を、とても頼もしいと感じていたのも確かだった。
「も、もうダメですか? 先輩に酷い事いっぱいしたし、俺、振られますか……?」
「振らないよ。謝ってくれただろ。だからもういいって」
俺が「振らない」と言うと、蛍は先程までとは一転して安堵の表情を浮かべた。
結局、何されても蛍は俺にとって可愛い後輩なんだよなぁ。ちょっとやそっとのことでは嫌いになんかなれそうもない。甘やかしている自覚はあるけど、やっぱり可愛いのだから仕方がない。
今日一日デートをしてみて思ったことがある。
嫌がっていた女装をしてまで、蛍が俺のことを考えてくれて嬉しかった。でも今の蛍はすっかり男の格好に戻っている。いつも通りの、生意気で可愛くて、ちょっと変わり者の後輩の姿。そんな蛍を見ていると、つい笑みが溢れた。
「ふふ……」
「どうしたんですか?」
「いや、カフェで言いそびれたんだけどさ。女装も可愛かったけど……やっぱり俺は、いつもの蛍が一番好きだなって」
女の子の格好をした蛍ももちろん可愛いけど、俺は今の蛍のほうがずっと素敵だと思った。普段は人見知りでなかなか人に懐かないのに、俺のことになると捨て身で何でもしようとしてしまう。そんな蛍が可愛くないわけがないだろ?
しかし俺がそれを告げると、蛍は何を思ったのか突然無言になって俯いてしまった。せっかく俺のために女装までしてくれたのに、こんなことを言って不快に思わせたかな……と心配になり、俺は横からそっと蛍の顔を覗き込んでみる。
「……」
蛍の顔は、今まで見たことがないくらい真っ赤になっていた。
✦✦✦
そんなわけでまぁ、蛍とは色々あったけど。
翌日。ついにライブ当日!
ずっと温めてきた新曲のお披露目もあるし、そのあとの物販ではその新曲が収録されたミニアルバムも販売することになっている。物販の売上も大事な活動資金になるから、どれだけ売れるかは今日の俺の歌にかかっていると言っても過言ではない。絶対に失敗は許されない状況。気を引き締めていかないと!
そんなわけで、俺は気合十分だ。夕方くらいに蛍と一緒にライブハウスへ行って、現地でメンバーと合流して。簡単な顔合わせとリハーサルも済ませて、準備万端。あとは開演を待つのみ。
「あっ、こんなとこにいた! 探したんだぞ」
他の人の邪魔にならないようにと、ライブハウスの隅で小さくなっていた俺を見つけたクリス先輩が声をかけてきた。
リハーサルが終わってからは各々自由行動をしていたのだが、開場時間を過ぎたあたりからお客さんが入ってきて、これがまた思いのほか多かったのだ。ライブは対バン形式だから、もちろん俺たち以外のバンドが目当てでやって来るお客さんもいる。ライブハウスでは見に来てくれたお客さんを優先するのは当然なので、俺は客席の隅っこの方にいたというわけだ。一応、出演者だけが入れる楽屋もあるのだが、それほど広くない上に、さっき見たところ色んなバンドの機材が置いてあって少々手狭になっていたので、そこに居座るのは気が引けてしまった。
「あ、すみません……まだ開演まで時間あるし、邪魔にならないとこにいようと思って」
「見当たらないから心配したよ……。ねぇ、やっぱGPSとか持ったほうがいいんじゃない? あげようか?」
クリス先輩がそんなことを大真面目な顔で言うものだから、俺は反応に困った末に「スマホに連絡くれれば大丈夫ですから……」と返した。今までだったら面白い冗談だなぁ、って流していたと思うけど、クリス先輩の本性を知ってしまった今となっては、この発言が冗談なんかではなく至って本気なのだと理解できてしまう……。
「え、と。蛍と篠宮さんは?」
「蛍はコンビニ行ってくるって。透輝さんは、楽屋でお酒飲んでた」
「えっ、まだ開演前なのにもうドリンクチケット使ったんですか?」
「そうみたい。早いよね」
そんな風にクリス先輩と談笑しているうちにあっという間に開演時間となり、ライブハウス内の照明が暗くなった。そしてトップバッターのバンドがステージに上がって演奏を始めると、観客席は一気に賑やかになる。
俺たちの出番もじきに回ってくるだろう。俺はステージに向けて待機するため、クリス先輩と一緒に楽屋へ移動することにした。
結論から言うと、ライブは大成功だった。
初お披露目だった新曲は、たくさん練習した甲斐あってとてもいい演奏ができたと思う。といっても、ここまで上手くいったのはメンバーのサポートがあったからこそだけど……。お客さんも凄く盛り上がってくれて、物販の売上も上々だったそうだ。本当によかった。
「はー……みんな凄かった……」
終演後。俺はドリンクカウンターの横で、注文したドリンクを飲みながらひと息ついていた。他のメンバーはファンの女の子たちに囲まれていて忙しそうだったので、今は俺一人だ。
ライブ、すごく楽しかった。めちゃくちゃ緊張して、何曲もぶっ続けで歌って、最中はもう終始一生懸命だったはずなのに、終わってみると不思議とあっという間だった。でもこのライブで歌った後の特有の高揚感、とても気持ちがいい。それにメンバーの皆の演奏も、練習の時よりもずっとずっとかっこよかった……。
頑張って作り上げてきたものが、こうして嬉しい結果となって返ってくる瞬間はやはり何度経験しても格別である。やっぱりライブっていいなぁ。俺はステージでの感動を噛み締めながら、ひとり余韻に浸っていた。
「神崎先輩」
「あ、蛍だ。ファンの子はもういいの?」
声をかけられたのでそちらを見ると、いつの間にか蛍が俺の傍まで来ていた。蛍も先程まではファンの子たちの相手をしていたはずだけど、それもひと通り終えたらしい。俺からの問いに蛍はこくりと頷いてみせた。
「何飲んでるんですか? 俺も飲もうかな」
「ん?これ? カシオレだよ。蛍は未成年だからお酒はダメだぞ」
「またそんな可愛いものを……ちょっと待っててください」
蛍はそう言うとドリンクカウンターの方へ行き、少ししてオレンジジュースの入ったグラスを持ってこちらに戻ってきた。そのまま二人でドリンクを飲みつつ、篠宮さんとクリス先輩が戻って来るまで適当に時間を潰すことにする。
「ライブ上手くいってよかったですね」
「うん……蛍もありがとう。凄くかっこよかったよ!」
「え、あ、ありがとうございます……。その、先輩」
今日のライブについてあれこれと感想を話していたら、蛍が何やら改まった様子で俺のことを見る。俺が「なに?」と言って首を傾げると、蛍は少し気恥ずかしそうに頬を染めながらも、俺に向かって口を開いた。
「俺……やっぱり、先輩の歌も、このバンドも凄く好きだなぁって思いました」
「……!」
にこりと微笑みながらそう言った蛍。
そんな蛍を見て、俺も嬉しくなって自然と笑顔になっていた。
「ちょっとお前ら! 二人だけで何の話してるんだ? 俺も混ぜろ」
「わ! 篠宮さん……」
「げ」
と、そこでファンの応対が終わったらしい篠宮さんがやってきて、俺と蛍の頭をわしゃわしゃと撫でた。そんな彼に対して蛍はあからさまに嫌そうな表情をしていたが、少しお酒が入っている篠宮さんは気にも留めていない。いや、篠宮さんはめちゃくちゃお酒強いから多分それほど酔っていないだろうし、わかった上であえて好きにしているんだろうけど。でも蛍も本気で嫌がっているわけではなさそうで、俺と一緒にされるがままになっていた。
「みんな、清算終わったからそろそろ帰ろう。二人とも、俺と帰りの路線一緒だろ? 途中まで送っていくよ」
篠宮さんから清算を任されていたらしいクリス先輩も合流して、やっとバンドメンバー全員が揃った。
……こうして見ると、やっぱりみんなかっこいい。ライブでの姿を見ると尚更そう思う。それぞれ違ったタイプの美形だけど、三人とも女性受けは抜群で、俺みたいな平凡がこんなイケメン達に囲まれてバンドでボーカルをやっているなんて、自分でもいまだに夢かと思う時がある。
「クリス、俺のことは送ってくれないのか?」
「透輝さんは一人で帰れますよね」
「瑪瑙、今の聞いたか!? 差別だ差別!」
クリス先輩に塩対応されてわざとらしく泣きついてくる篠宮さんを慰めながら、俺はこのバンドで歌えて良かったと改めて実感していた。
俺は歌うことが好きだ。そしてこのバンドも、バンドメンバーも、俺の中では何より大切で、失いたくない存在だ。この居場所がどれだけ俺の救いになっているか、きっとメンバーは知らないだろう。
俺を推薦してくれたクリス先輩も、バンドに招き入れてくれた篠宮さんも、ついてきてくれた蛍も。……誰の恋人になるとか、そういうことはまだ結論を出すのは難しいけれど……。だけど三人とも、俺にとって一番大事な人であることに変わりはないのだった。
end.
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