江戸の夕映え

大麦 ふみ

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侍から用事を頼まれた少年の話──『新著聞集』より

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 霜月(旧暦十一月)と言う名の通り、その日の朝には霜柱がたって江戸の町は寒さが身にしみる季節を迎えていた。
 
権蔵は十三歳ともなり、小さい頃のように、いつのまにか霜焼けにやられてかゆみに苦しむようなことはなくなっていたが、いまでも冬という季節が好きではなかった。

 そんな権蔵が日も傾きかけた頃合い、常盤橋の端で行き暮れたように歩み泥んでいたのは、奉公先の手代から遣られた使いの帰りを少しでも遅らせようという気持ちからだった。思いのほか出先で待たされることがなかったので、まだ帰らなくても叱られまいと踏んでいた。

 なにか面白いものでもないかと浮ついた権蔵の心模様は、外からでも透けて見えるものだったのかもしれない。二人組の侍、中小姓みたいなものではないかと権蔵には思えた者達が声をかけてきた。

「いま、われらの従者が見当たらず難儀しておる。もしや、暇あればちと助けてくれぬか」

 顔がながく顎の突き出た馬面のほうが、権蔵に話しかけてきた。

「ほら、これを、横山町の先までじゃ」

 馬面がかさばった風呂敷を権蔵の眼の前に掲げる。

「袴じゃ」

 自分で確かめてみろと言わんばかりに、押しつけるように権蔵に渡す。

 落としてはことだと反射的に身構えたものの、拍子抜けするほど軽い。絹のなかでも高級な品なのだろう、布地の手触りがすばらしく良い。その滑らかな布ごしに袴の規則正しい折り目が触れた。小倉袴よりもっと格式の高いものに違いない。

 すると、むくむく猜疑の思いがわきたってくる。

 ──袴ひとつで金一分。そんな法外な話があるか。

 権蔵は昨年から上がった奉公先の乾物屋で、牛馬のようにこき使われている。荷物ともいえないこんな些細なものを、十町(おおよそ1キロメートル)ばかり担ぐくらいで、そんな銭を呉れるお人好しがこの世にいるのか。

 そういう権助の心を見透かしたかのように、もう一人の毛むくじゃらの方、熊みたいな男が、懐中から巾着をとりだした。

 景気のいい話を持ちかけるわりに、しけたものを使ってるな、という小さな違和が権蔵の心のうちを通りすぎた。が、その中から本当に山吹色の一分金がつまみ出され、ためらいもなく掌に手握らされると、そんなひっかかりは元からなかったようにく消えていた。熊の毛むくじゃらが握る巾着は丸々と太って、中にはまだまだ銭が入っているよう権助には見えた。

 権助が銭を懐にいれたのをみた二人は、踵を返して、すたすたと歩き出した。権助はあわててその背中を追った。そうしながら、袴を包んだ風呂敷の結びを少し緩めて、頸に通す。そうやって荷をせたらい、二人の侍に従っての後を歩きだすと、高貴のものは身軽に先を歩み、軽輩が荷を携えて従うという、そこに住まう半分が武士である江戸の、あまりにありふれた道行きの一団となった。

 常ならぬことがあるとすれば、思いがけない礼金を手にいれた小僧が浮かされたように夢見心地となって、先をいく二人づれの背中をうつろに追いかけるのみで、

 ──あれも、……あれも。

 と、この銭でどれほどの気ままをできるかと、あれこれ算段して、周囲へのなんらの注意も放念してしまっていたことだろう。本町の四丁目を過ぎて、大伝馬町にはいり、辻を幾つか越えると緑橋の架かる割を渡ったはずだが、まったく景色の記憶はない。気がつくと約束の横山町はもうすぐだった。
 
さて、まずは水茶屋にでも入って、じっくり思案を練るかと権蔵が思い出したとき、馬面がおもいもしないことを言いだした。

「いや、御苦労であった。……ちと相談だか、もう少しばかり従者を願えまいか。勿論、礼はだす」

 熊男は、あらかじめきめられていたかのように、すでに懐からあの巾着をだして、またもん一分金をつまんでいた。

 権蔵は目が眩むようなおもいでその金を見つめた。村雲のようにわきでていた権蔵の欲は、すでにこのままでは帰りが遅れて手代から叱られるという気持ちは霧散させた。権蔵は奪い取るように金を受け取った。
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