江戸の夕映え

大麦 ふみ

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侍から用事を頼まれた少年の話──『新著聞集』より

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 二人の男たちによる権蔵の連れ回しは、三日に及んだ。

 上総のどこかではあるのだろうが、江戸で生まれて育った権蔵には、どんどんと道を上りながら、名も知らぬ鳥がなき、木立が鬱蒼としげる山中の景色へと、うつりかわっていくのは、地獄めぐりのような、異世界への度のよう思われた。

 そうして、葛折りの山道をたどって、谷間を深く分け入った末に、とつぜん視界がひらけて、空がひろがっているところに出た。山中の霧でけぶった大気のなかに、巨大な屋敷が鎮座していた。

 権蔵はその屋敷のなかに迎えられると、ここまで連れ添ってきた馬面と熊男は、お役御免とばかりにみえなくなった。そのとき、袴を運ぶことでくれた銭の全てをてりあげられた。

 この屋敷には、とにかくたくさんの男が住んでいるようで、権蔵の見た限りでも五六十人はくだらないように思われた。ただ、男たちのあいだに上下があって、大声でどなり命令をしている数人をのぞけば、あとはそれに従う下男たちにみえた。

 連れられてきた翌日には、権蔵はどるな男の一人から仕事を与えられた。背丈こそあるものの、まだ体つきが子供のままでやせているためだろうか、下男たちのように、朝からどこかにつれていいかれ、夕刻にどろどろとなって帰ってくるといった役回りにはあてられなかった。この男たちの衣服を洗う洗濯係といった、家向きの御世話係が命じられたのである。

 疲れ切って帰ってきた男たちは、風呂もあたえられず、寒中でも凍るような井戸水で一日の汗を拭った。血のついた駕籠や渋紙包みなどを持ち運んでいることなんどもあり、恐ろしくなった混蔵は、いったいどこでなにをしているのか尋ねたくてしかたなかったが、疲れ果てた様子の彼らは寡黙でだれも小僧の相手をする様子はなかった。そのうちお前もわかる、といわんばかりだった。

 たぶん他の下男達もいまの自分のなれの果てだということがわかってきたが、いったいここがどこなのかもわからない。そうした奴隷としての毎日が過ぎていくうちに、年がかわった。ある朝、仕事が休みとなって、屠蘇と餅が振る舞われたのである。

 うすけぶりの霧が一日中空に立ちこめる陰鬱な季節が過ぎ、寒さに耐えてかじかんでいた木々の幹、枝に潤いが日々まして、いよいよ芽吹きもまもない時、春間近となったときだった。

 井戸の水もわずかに温み、山からかえってくる男たちの強ばった顔つきまで緩んできているよう権蔵には思われ
た。ふとそんな男の一人が、あたりに人がいないのをたしかめるようにキョロキョロとまわりをうかがって、権蔵をそっと手招きした。

 権蔵はさっと男にかけよった。この数ヶ月のうちに奴隷としての振るまい方が染みついていたのだ。下男達は権蔵よりも位のたかい存在だった。

「おまえも、苦労をしのんでいるなあ、……見て居るぞ」

 その言葉の意味がわかると権蔵は涙ぐみかけた。人間としておもいやりをかけられるのは、ここにつれさられて以来だった。

 権蔵とそう背丈の変わらない骸骨のようにやせたその男は、おそるべきことを権蔵に告げた。

「ここにおるだけでも、どれほど親やもとの家が恋しかろう。だが、明日お前はここを出て、ここからもっと奥に買われていくことになっているのだ。……、親方がはなしをしているのを聞いたのじゃ」

 権蔵は頭をうたれたような衝撃を感じて、からたの感覚がなくなり、ぐるぐるのまわりの景色がまわりだしたような気がした。

 年老いた男は、刹那のうちに生気を失ったこどもの片腕を掴んで支えた。

「いいか、聞け。故郷に帰りたいのなら、今日の暮れ方、屋敷の外、藪のなかに隠れていろ。まちがいなく追っ手がかかる。だがかならずわしが江戸に返してやる」

 権蔵は男のほうを見返した。いくらもいくらも尋ねたいことが湧き上がってくる。しかし、そのとき、親方が下男をつれてこちらにやってくる音が聞こえた。それをききつけた老人はなにごともなかったように、ふいと権蔵から離れて背中をむけて、下男小屋の方へと去って行った。
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