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偽金使いを追う岡引の話─『反古のうらがき』より
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「……、偽金、……」
昼酒で一息つく権蔵に、隣の座敷からはっきりとそう聞こえた。
目黒不動の参道脇にある茶屋は、浮かれた参詣客の声でざわめいていたが、岡引の権蔵がその言葉を聞き逃すことはなかった。
「そうは、言っておりやせん」
「いやたしかにさっき、儂を偽金使い呼ばわりしおったぁ」
茶屋の主人と客が、払いのことでもめているらしい。客とおぼしき男の声が、怒りのあまりか、甲高く裏返って、耳障りに響いた。
「……、この一朱銀、少々汚れすぎておりやす。そこで、もちっとましなのはございやせんか、そうお願いしただけでござんす」
主人の声は声は低く、落ちついていて、酔客を気ぜわしくあしらう気配はない。
一方的な罵りと辛抱強い応答がそれからもしばらく続いて、おそらく客の方が引き下がったのだろう、捨て台詞を吐いて、バタバタと立ち上がる音がした。
権蔵はさっと通路の側ににじり寄って、立ち去ろうとする客の顔と姿をしっかりと目に焼き付けた。声の調子から想像されたとおり、線の細そうな、痩せぎすで中背の四十男であったが、勘定をごねるようなころつきの手合にはみえなかった。粋に欠けるほど整った身ぎれいな装いが、癇の強そうな顔つきとあいまって、万事にこだわりの強い職人気質の男、口うるさい型の親方のよう権蔵の目に映った。怒っているはずなのに、店を出て行く挙措まで粗雑な気味が見つからなかった。
権蔵は隣の間で後片付けをしている主人を呼んだ。
「おい、こっちも勘定だ」
権蔵は岡引の習慣から、なわばりの飲み屋でやるように、権柄尽くでたかってやろうかと一瞬考えたが、やめた。さっきのやりとりから、ここの主人が手強いのも分かったし、これから聞き込みをするのにへそを曲げられても困る。
「てえへんだったなあ、親爺」、言われるままの飲み代を渡して言った。
「へえ、ありがとうごぜえやす」
「あぶねえよなあ、繁昌してるとこほど狙われやすいってな、偽金……」
「聞こえてなすったか……、両替屋でもねえし、ほんとうに贋物かどうかなんぞわからねえ。……だいたい御公儀の銭だって最近のは偽金みたいなもんだ。……けど、どれほど忙しかろうが、ちょっとでも怪しかったら受け取られねえ。あとあと面倒なだけでさあ」
どうやら、本当に偽金だったとしても、素人がしかと見分けられるほど、粗悪な代物でなかったようだった。
「で、何者だい」
「初めての客でさあ。お不動さん以外、ここらにゃあ田んぼしかねえ。常連なんぞ、そうはいませんや。馴染みかまされるほど虚仮にされちゃあたまらねえ」
親爺からで聞き出せるものがなくなり、権蔵は店を出た。四谷あたりを根城にする彼が、ここまで出張っていたのは、ほかの盗賊の痕跡をたぐってのことだった。これからさっきの男を闇雲に捜し出そうという気にはついぞならなかった。
普通ならそれきりのことでおわるはずだったが、そうはならなかった。
その二、三ヶ月後、四谷近辺で、その男とすれ違ったのである。しかし、このときは、
──見覚えがある!
そう閃きが一瞬かすめただけだった。賊の仲間を尾行する途中で、それが誰であるかに拘泥する余裕がなく、その出会いそのものもすぐに忘れてしまった。
しかし、さらに一ヶ月あと、おなじく四谷あたりで、またも男とすれ違った時には、偽金でもめていたあの男だと即座にきづいて、因縁めいたものを権蔵を感じとった。と同時に、なんの証拠もなく、
──こいつは偽金使いだ。
とあながちに決めつけていた。
「岡っ引き野郎」と「親分さん」との分かれ目は、支配の同心に目を懸けられるか否かだ。賊を捕まえ引き渡す度に、同心の覚えはめでたくなる。役人どもにこいつは使えると認めさせている限り、なわばりで幅を利かせて市井の連中を泣かせてもお咎めはない。
権蔵がたえず市中を出歩き、巷の噂に耳をそばだて、怪しげな奴がいないか目を光らせるのは、町の平安のためなどではない。あくまでも獲物をあぶりだすためだ。そいつが本物の悪かどうかは、とどのつまり、どうでもよかった。締め上げれば、なにか後ろ暗いものがまず見つかる。
権蔵は影のようになってその男の跡をつけた。江戸市中をあちこち一刻ばかり連れ回された。特別にあやしいそぶりもなく、店をいくつかまわって、最後には塩町(新宿区本塩町)の格子戸をたてた町家に入った。その組子の作りから、最初の印象のとおりに、なにか職人の店であることが察せられた。男は、おなじ町の人間とおぼしきものと挨拶を交わして、その家にはいり、ぴしゃりと戸を閉めた。
──やさをおさえたぜ。
所期の狙いは果たせた。狩るべきの獲物の塒がわかった以上、いつでも追い込みをかませる。こうやって目星をつけた他の盗賊どもとおなじように、泳がせておけばいい。とどめを刺す時機はおのずと明らかとなる。権蔵はそこで追跡をとどめた。
昼酒で一息つく権蔵に、隣の座敷からはっきりとそう聞こえた。
目黒不動の参道脇にある茶屋は、浮かれた参詣客の声でざわめいていたが、岡引の権蔵がその言葉を聞き逃すことはなかった。
「そうは、言っておりやせん」
「いやたしかにさっき、儂を偽金使い呼ばわりしおったぁ」
茶屋の主人と客が、払いのことでもめているらしい。客とおぼしき男の声が、怒りのあまりか、甲高く裏返って、耳障りに響いた。
「……、この一朱銀、少々汚れすぎておりやす。そこで、もちっとましなのはございやせんか、そうお願いしただけでござんす」
主人の声は声は低く、落ちついていて、酔客を気ぜわしくあしらう気配はない。
一方的な罵りと辛抱強い応答がそれからもしばらく続いて、おそらく客の方が引き下がったのだろう、捨て台詞を吐いて、バタバタと立ち上がる音がした。
権蔵はさっと通路の側ににじり寄って、立ち去ろうとする客の顔と姿をしっかりと目に焼き付けた。声の調子から想像されたとおり、線の細そうな、痩せぎすで中背の四十男であったが、勘定をごねるようなころつきの手合にはみえなかった。粋に欠けるほど整った身ぎれいな装いが、癇の強そうな顔つきとあいまって、万事にこだわりの強い職人気質の男、口うるさい型の親方のよう権蔵の目に映った。怒っているはずなのに、店を出て行く挙措まで粗雑な気味が見つからなかった。
権蔵は隣の間で後片付けをしている主人を呼んだ。
「おい、こっちも勘定だ」
権蔵は岡引の習慣から、なわばりの飲み屋でやるように、権柄尽くでたかってやろうかと一瞬考えたが、やめた。さっきのやりとりから、ここの主人が手強いのも分かったし、これから聞き込みをするのにへそを曲げられても困る。
「てえへんだったなあ、親爺」、言われるままの飲み代を渡して言った。
「へえ、ありがとうごぜえやす」
「あぶねえよなあ、繁昌してるとこほど狙われやすいってな、偽金……」
「聞こえてなすったか……、両替屋でもねえし、ほんとうに贋物かどうかなんぞわからねえ。……だいたい御公儀の銭だって最近のは偽金みたいなもんだ。……けど、どれほど忙しかろうが、ちょっとでも怪しかったら受け取られねえ。あとあと面倒なだけでさあ」
どうやら、本当に偽金だったとしても、素人がしかと見分けられるほど、粗悪な代物でなかったようだった。
「で、何者だい」
「初めての客でさあ。お不動さん以外、ここらにゃあ田んぼしかねえ。常連なんぞ、そうはいませんや。馴染みかまされるほど虚仮にされちゃあたまらねえ」
親爺からで聞き出せるものがなくなり、権蔵は店を出た。四谷あたりを根城にする彼が、ここまで出張っていたのは、ほかの盗賊の痕跡をたぐってのことだった。これからさっきの男を闇雲に捜し出そうという気にはついぞならなかった。
普通ならそれきりのことでおわるはずだったが、そうはならなかった。
その二、三ヶ月後、四谷近辺で、その男とすれ違ったのである。しかし、このときは、
──見覚えがある!
そう閃きが一瞬かすめただけだった。賊の仲間を尾行する途中で、それが誰であるかに拘泥する余裕がなく、その出会いそのものもすぐに忘れてしまった。
しかし、さらに一ヶ月あと、おなじく四谷あたりで、またも男とすれ違った時には、偽金でもめていたあの男だと即座にきづいて、因縁めいたものを権蔵を感じとった。と同時に、なんの証拠もなく、
──こいつは偽金使いだ。
とあながちに決めつけていた。
「岡っ引き野郎」と「親分さん」との分かれ目は、支配の同心に目を懸けられるか否かだ。賊を捕まえ引き渡す度に、同心の覚えはめでたくなる。役人どもにこいつは使えると認めさせている限り、なわばりで幅を利かせて市井の連中を泣かせてもお咎めはない。
権蔵がたえず市中を出歩き、巷の噂に耳をそばだて、怪しげな奴がいないか目を光らせるのは、町の平安のためなどではない。あくまでも獲物をあぶりだすためだ。そいつが本物の悪かどうかは、とどのつまり、どうでもよかった。締め上げれば、なにか後ろ暗いものがまず見つかる。
権蔵は影のようになってその男の跡をつけた。江戸市中をあちこち一刻ばかり連れ回された。特別にあやしいそぶりもなく、店をいくつかまわって、最後には塩町(新宿区本塩町)の格子戸をたてた町家に入った。その組子の作りから、最初の印象のとおりに、なにか職人の店であることが察せられた。男は、おなじ町の人間とおぼしきものと挨拶を交わして、その家にはいり、ぴしゃりと戸を閉めた。
──やさをおさえたぜ。
所期の狙いは果たせた。狩るべきの獲物の塒がわかった以上、いつでも追い込みをかませる。こうやって目星をつけた他の盗賊どもとおなじように、泳がせておけばいい。とどめを刺す時機はおのずと明らかとなる。権蔵はそこで追跡をとどめた。
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