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第二話:霊 猫夜と犬飼
猫夜と犬飼の出会い
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三
あれはあたしがあの男に拾われてすぐの頃から起こりました。
冬の夜の寒空の下、あたしは公園の植木の下で寒さに震えて丸くなっていたんです。
空気も冷たく気温も低かった。夜も深まるにつれ、しんしんと雪も降りはじめ、体力気力もすっかり消え失せていました。なんせ何日も飲まず食わずでしたから、子猫のあたしにはもう限界でございました。
ああああ、もうダメだ。ここで死ぬんだ。こんなことならば毛繕いは大変だけど長毛の猫に生まれたかったと己の短毛を恨めしく思って、嘆きながら死を迎えようとしていたときのことでした。
急に、気分を害すほどの生臭さが鼻についたんです。強烈な臭さに飛び跳ねると、そこに犬飼がいたんです。
臭いの元に目を向けると、そこには犬飼がいて、当の犬飼は嬉しそうに、でも心配そうにあたしを見下ろしていました。
イラッときました。無駄に体力を使ってしまったんですから。死ぬとわかっていても、一秒でも長く空気を吸いたい、土のにおいを感じていたかったんです。ですから、犬飼の鼻にパンチをくらわせました。あたしの力強いパンチに犬飼は怯み、逃げ出しました。
あたしは今一度体制を整えて丸くなったのでございます。
太郎と侍は楽しそうに肩を揺らし、昭子は何食わぬ顔で酒を飲み干し、おかわりと太郎にグラスを向ける。太郎はルーティーンワークのように酒を注ぐ。猫夜は話を続けた。
犬飼は飼い犬でした。散歩は決まって夜でした。夜の公園は人がいないのでリードを離され、思い切り走り回れたんです。つかの間自由に走り回って無駄にありあまる体力を消費にかかっていたところでした。あたしは寒さに凍えどこかへ移動する体力も元気もありませんでした。雪が降っている中、降ってくる雪を食おうと口をパクパクさせているバカ犬を、心の中でただひたすら、さっさと去ればいいのにと思っていました。気づかれないように石のように身体を硬くして目を閉じていました。
ええ、石になったと思い込むことにしたんです。え? なんでかって? そりゃあ犬が石を咥えてどこかへ持っていくなんて今までに聞いたことがありませんでしたから。
無を決め込んでいたんですが、ひょいと首に温かいものを感じて思わず目をあけたら、なんと犬飼があたしを咥えていたんですよ。
まったく困りましたよ。あたしはそのとき石になりきってたんですからねえ。
でも、犬は巨体でしたから、か弱き子猫のあたしは成す術なくただただ成り行きに任せるしかなかったのでございます。
ふと、人の声が聞こえまして、上目遣いに見上げたのが間違いでした。
あたしら猫が上目遣いに見上げたら、可愛いというほかに言葉がないというのを忘れていましてね。ええ、ええ、犬も上目遣いに見ますけどそれはただ媚びてるだけで、張っ倒したくなりますでしょ、ええ、同感です。
それでですね、その人っていうのは男でございました。男の人が目の前にいたんですよ。
それが犬飼の飼い主でした。
後にあたしの飼い主にもなるんですがね、優しそうな顔をした男がそこにいたんです。
あたしら猫というものは魔性ですからして、とりあえず寒さと空腹を凌ぐためにこの男の家に入り込む算段を思いつきました。すんなりいきましたよ。難なく入り込むことに成功したんです。温かいミルクとごはんを貰って、温かい部屋に置いてくれました。
そこで欲が出ましてね、もう二、三日、いや、春になって暖かくなるまでいてやろうと思い始めたんですよ。だって外は雪ですよ。春になるまでいてやってもいいかなとそんな気持ちになっていたんですが、雪が降ったのはその日一日だけで翌朝には綺麗な青空が出てました。
早朝のことでした。
犬があたしを咥えて犬専用の扉の前にポンと置いて、「出て行きなさい」と言ったんです。あたしのかわいさに飼い主が心変わりをするとでも思ったのでしょう。単細胞生物の犬ならではの思考能力にげんなりしましたが、あたしも負けません。
おもいきり鳴いてやりましたよ。
そしたら犬が慌てて「やばい、静かにして」なんて言うもんですからね、更に悲しげに鳴き叫んでやりました。
まるで虐められている感を演出しました。そのくらい簡単なもんでございます。
「もうお腹もいっぱいになったでしょう。ご飯も外に置いて置いたから、それを持ってどこかへ行きなさい。他の家の軒下なら寒さもしのげるし風もない。そういうところへ行きなさい。この家はダメです」なんて悟すように言うんですよ。だから、あたしは犬に、ここを取られるのが嫌なら嫌とそう言えばいい。あたしはここが気に入った。温かいミルクもくれるし温かい家もある。おまえばかりいい思いをするなんてそんなのずるいじゃないか。独り占めしなくてもいいじゃないかって言ってやりました。
あたしたちが騒いでいるのを聞きつけた飼い主が二階から降りてきたんです。足音でわかりました。
犬を懲らしめてやろうと一際悲しげに鳴いてやったんです。
しかし、視界の片隅に捉えた飼い主の顔は昨日のとは打って変わって安らげるものではなかったんです。あたしはあの目に恐怖を感じました。怖くて動けなくなりました。
そうしたら犬があたしを咄嗟に咥えて走って犬用のドアから外へ放り投げたんです。
飼い主が犬を怒鳴る声が聞こえました。
あたしは怖くて一目散に駆け出し、となりの家の庭に潜り込み、なんとか屋根の上へ逃げました。
直後、犬の悲鳴が聞こえたんです。
ふうっとため息をついた猫夜は耳を下げ、目尻も下げ、尻尾もだらんと下げ、何か思いつめるように物思いに静まり、大きなお目目をパチリパチリと二回瞬いた。
昭子が眉を下げて下唇を噛む。両の手をグーパーしながら触りたい気持ちを耐えてもじもじする。
犬飼が心配そうに猫夜を覗き込む。
犬飼の濡れた鼻が自分の近くに寄ってきたのを嗅ぎわけると、ちっと舌打ちをして小さな手で犬飼の顔を押し返して遠ざけた。話を続ける。
あれはあたしがあの男に拾われてすぐの頃から起こりました。
冬の夜の寒空の下、あたしは公園の植木の下で寒さに震えて丸くなっていたんです。
空気も冷たく気温も低かった。夜も深まるにつれ、しんしんと雪も降りはじめ、体力気力もすっかり消え失せていました。なんせ何日も飲まず食わずでしたから、子猫のあたしにはもう限界でございました。
ああああ、もうダメだ。ここで死ぬんだ。こんなことならば毛繕いは大変だけど長毛の猫に生まれたかったと己の短毛を恨めしく思って、嘆きながら死を迎えようとしていたときのことでした。
急に、気分を害すほどの生臭さが鼻についたんです。強烈な臭さに飛び跳ねると、そこに犬飼がいたんです。
臭いの元に目を向けると、そこには犬飼がいて、当の犬飼は嬉しそうに、でも心配そうにあたしを見下ろしていました。
イラッときました。無駄に体力を使ってしまったんですから。死ぬとわかっていても、一秒でも長く空気を吸いたい、土のにおいを感じていたかったんです。ですから、犬飼の鼻にパンチをくらわせました。あたしの力強いパンチに犬飼は怯み、逃げ出しました。
あたしは今一度体制を整えて丸くなったのでございます。
太郎と侍は楽しそうに肩を揺らし、昭子は何食わぬ顔で酒を飲み干し、おかわりと太郎にグラスを向ける。太郎はルーティーンワークのように酒を注ぐ。猫夜は話を続けた。
犬飼は飼い犬でした。散歩は決まって夜でした。夜の公園は人がいないのでリードを離され、思い切り走り回れたんです。つかの間自由に走り回って無駄にありあまる体力を消費にかかっていたところでした。あたしは寒さに凍えどこかへ移動する体力も元気もありませんでした。雪が降っている中、降ってくる雪を食おうと口をパクパクさせているバカ犬を、心の中でただひたすら、さっさと去ればいいのにと思っていました。気づかれないように石のように身体を硬くして目を閉じていました。
ええ、石になったと思い込むことにしたんです。え? なんでかって? そりゃあ犬が石を咥えてどこかへ持っていくなんて今までに聞いたことがありませんでしたから。
無を決め込んでいたんですが、ひょいと首に温かいものを感じて思わず目をあけたら、なんと犬飼があたしを咥えていたんですよ。
まったく困りましたよ。あたしはそのとき石になりきってたんですからねえ。
でも、犬は巨体でしたから、か弱き子猫のあたしは成す術なくただただ成り行きに任せるしかなかったのでございます。
ふと、人の声が聞こえまして、上目遣いに見上げたのが間違いでした。
あたしら猫が上目遣いに見上げたら、可愛いというほかに言葉がないというのを忘れていましてね。ええ、ええ、犬も上目遣いに見ますけどそれはただ媚びてるだけで、張っ倒したくなりますでしょ、ええ、同感です。
それでですね、その人っていうのは男でございました。男の人が目の前にいたんですよ。
それが犬飼の飼い主でした。
後にあたしの飼い主にもなるんですがね、優しそうな顔をした男がそこにいたんです。
あたしら猫というものは魔性ですからして、とりあえず寒さと空腹を凌ぐためにこの男の家に入り込む算段を思いつきました。すんなりいきましたよ。難なく入り込むことに成功したんです。温かいミルクとごはんを貰って、温かい部屋に置いてくれました。
そこで欲が出ましてね、もう二、三日、いや、春になって暖かくなるまでいてやろうと思い始めたんですよ。だって外は雪ですよ。春になるまでいてやってもいいかなとそんな気持ちになっていたんですが、雪が降ったのはその日一日だけで翌朝には綺麗な青空が出てました。
早朝のことでした。
犬があたしを咥えて犬専用の扉の前にポンと置いて、「出て行きなさい」と言ったんです。あたしのかわいさに飼い主が心変わりをするとでも思ったのでしょう。単細胞生物の犬ならではの思考能力にげんなりしましたが、あたしも負けません。
おもいきり鳴いてやりましたよ。
そしたら犬が慌てて「やばい、静かにして」なんて言うもんですからね、更に悲しげに鳴き叫んでやりました。
まるで虐められている感を演出しました。そのくらい簡単なもんでございます。
「もうお腹もいっぱいになったでしょう。ご飯も外に置いて置いたから、それを持ってどこかへ行きなさい。他の家の軒下なら寒さもしのげるし風もない。そういうところへ行きなさい。この家はダメです」なんて悟すように言うんですよ。だから、あたしは犬に、ここを取られるのが嫌なら嫌とそう言えばいい。あたしはここが気に入った。温かいミルクもくれるし温かい家もある。おまえばかりいい思いをするなんてそんなのずるいじゃないか。独り占めしなくてもいいじゃないかって言ってやりました。
あたしたちが騒いでいるのを聞きつけた飼い主が二階から降りてきたんです。足音でわかりました。
犬を懲らしめてやろうと一際悲しげに鳴いてやったんです。
しかし、視界の片隅に捉えた飼い主の顔は昨日のとは打って変わって安らげるものではなかったんです。あたしはあの目に恐怖を感じました。怖くて動けなくなりました。
そうしたら犬があたしを咄嗟に咥えて走って犬用のドアから外へ放り投げたんです。
飼い主が犬を怒鳴る声が聞こえました。
あたしは怖くて一目散に駆け出し、となりの家の庭に潜り込み、なんとか屋根の上へ逃げました。
直後、犬の悲鳴が聞こえたんです。
ふうっとため息をついた猫夜は耳を下げ、目尻も下げ、尻尾もだらんと下げ、何か思いつめるように物思いに静まり、大きなお目目をパチリパチリと二回瞬いた。
昭子が眉を下げて下唇を噛む。両の手をグーパーしながら触りたい気持ちを耐えてもじもじする。
犬飼が心配そうに猫夜を覗き込む。
犬飼の濡れた鼻が自分の近くに寄ってきたのを嗅ぎわけると、ちっと舌打ちをして小さな手で犬飼の顔を押し返して遠ざけた。話を続ける。
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