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あなたの知らない水素水の効能
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「女の子は、おバカちゃんに限るよね~っと」
夜の公園に人気が無いと見るや、男は歌うように言ってベンチにデンッと腰掛ける。彼は悪酔いしていた。
会社終わりに、明日は休みだからと同僚に誘われてキャバクラに行ったものの、そこで待っていたのは同僚の自慢&自慢。それが終わると、同僚のお気に入りの子の自慢&自慢。何でも、そのキャバ嬢は小遣い稼ぎの大学生らしく、英語が得意な同僚とTOEICの点数のことで盛り上がっていた。
英語がサッパリな男はついていけず、適当に相槌を打つだけ。彼の隣に座ったキャバ嬢は“何か面白い話してよぉ~”しか言わない器量なし。酔うに酔えずに店を出た男は、近くにあった酒屋でウイスキーを購入し、ストレートで飲んでいた。
「ネーチャンがいる店で英語の話って、どうなんだ……っと。あそこは、くだらない話で盛り上がる所っしょ」
ウイスキーの瓶を口に付けて一口飲む。40度のウイスキーは口に含むと、舌が痺れのようなものを感じる。鼻先にはヨードチンキに似た香りが残り、この銘柄の力強さと個性が更なる酔いへと誘う。
ふと、誰もいないと思っていた公園に人影があるのに気付く。ベンチに座って、缶に入った何かを飲む若い女性だ。男は彼女が持つ見慣れない青いパッケージの缶が気になり、近づいて見てみた。
缶には“水素水”と書かれている。
水素水と言えば、ネットで効果が疑われている代物である。発売元のメーカーでさえ、“あれは、ただの水です”宣言をしていた。一方で、事実ではない指摘には訴訟を起こすと言っているメーカーもあるが、こちらは水素水を製造しているわけではない。
確か、水素には活性酸素を減らす効果があるとかで注目されていたが、実際には水に溶けずに気化しているとか、健康効果は実証されていないとか、そんな報道があったように思う。
あれこれ言われているものだが、実際に飲んでいる人を初めて見たことと、悪酔いしていることもあって、男は絡まずにはいられなくなった。
「お姉さん、水素水なんて飲んでるの?」
「それが何か?」
「知ってる? それって効果ないんだってさ。えっと、イオンにならない、じゃなくて、あ~……なんだっけ?」
酔っていることもあって、うまく説明できない。それでも絡むのをやめないのが酔っ払いだ。
「とにかく、効果が無いんだってよ。お姉さん、騙されちゃったね。だから、そんなオカルトウォーターはポイッだよ、ポイッ。効果が無いんだもの」
「効果はあったわ、今の今まで」
「へ?」
効果はあると食い下がってくるならまだしも、今まであったと言われると意味がわからない。それではまるで、効果があったものが、一瞬にして効果を失ったようではないか。奇怪な発言に、男の酔いが少し醒める。
「おかしなことを言うお姉さんだ。それじゃ何かい、今しがた効果がなくなったと?」
「ええ、そうよ。あなたが余計なことを言わなければ、効果は失われなかったわ」
「余計なこと?」
「あなた、覚えてらして? 水素水は効果が無いと仰ったことを」
「そりゃ~勿論。いくら酔っぱらってるたって、それくらい……」
男が話している途中で女性はフフンと笑う。
「あなた、プラシーボ効果って、ご存じかしら?」
「あの偽薬の?」
「そうよ。薬効成分を含まない偽薬を薬だと偽って投与しても、患者の病状は回復に向かったというアレ。薬だと信じていれば、薬の効果が出る。つまり、“水素水には効果がある”と信じていた私にとって、プラシーボ効果が期待できたわけ。なのに、あなたときたら“効果が無い”なんて言うものだから、すっかり私の水素水信仰も薄れて、プラシーボ効果も期待できなくなってしまったわ。どうしてくれるのかしら?」
予想外の論理展開に、男は言葉もなかった。
「まぁ、あなたも悪気があってしたことではなさそうだから、ここは千円で手打ちとしましょう。この水素水の代金と、購入にかかった手間、ならびに半ばバカにしたような言い方で、効果が無いと知らされたことで負った心の傷を癒す分を含めてね」
「はぁ……」
流れるような物言いにつられ、男は財布から千円を取り出して渡してしまった。
「確かに受け取ったわ。それでは、ごきげんよう」
若い女性は立ち上がると、水飲み場へと向かう。そこで缶に水道水を入れると、駅の方へと歩いて行った。
男は彼女が座っていたベンチに座り、変なのに会ったなぁ~と思いながら、再びウイスキーの瓶に口を付ける。そこで、しばらくチビチビやっていると、遠くから彼女の声が聴こえてきた。
駅の方に行ってみると、花壇に腰かけた彼女が若い男性に絡まれていた。
「水素水なんか飲んでんの? それって効果ないんだぜ」
得意げに言う若い男性を見て、彼女はフフンと笑う。
「あなた、プラシーボ効果って、ご存じかしら?」
さっきも聴いたセリフだった。
あとの展開は容易に想像がつく。余計なことを言わなければ効果があったから、千円よこせと言うのだ。あの缶の中身は水道水だというのに。
「あれが水素水ビジネスってヤツか」
苦笑する男の酔いは、すっかり醒めていた。
夜の公園に人気が無いと見るや、男は歌うように言ってベンチにデンッと腰掛ける。彼は悪酔いしていた。
会社終わりに、明日は休みだからと同僚に誘われてキャバクラに行ったものの、そこで待っていたのは同僚の自慢&自慢。それが終わると、同僚のお気に入りの子の自慢&自慢。何でも、そのキャバ嬢は小遣い稼ぎの大学生らしく、英語が得意な同僚とTOEICの点数のことで盛り上がっていた。
英語がサッパリな男はついていけず、適当に相槌を打つだけ。彼の隣に座ったキャバ嬢は“何か面白い話してよぉ~”しか言わない器量なし。酔うに酔えずに店を出た男は、近くにあった酒屋でウイスキーを購入し、ストレートで飲んでいた。
「ネーチャンがいる店で英語の話って、どうなんだ……っと。あそこは、くだらない話で盛り上がる所っしょ」
ウイスキーの瓶を口に付けて一口飲む。40度のウイスキーは口に含むと、舌が痺れのようなものを感じる。鼻先にはヨードチンキに似た香りが残り、この銘柄の力強さと個性が更なる酔いへと誘う。
ふと、誰もいないと思っていた公園に人影があるのに気付く。ベンチに座って、缶に入った何かを飲む若い女性だ。男は彼女が持つ見慣れない青いパッケージの缶が気になり、近づいて見てみた。
缶には“水素水”と書かれている。
水素水と言えば、ネットで効果が疑われている代物である。発売元のメーカーでさえ、“あれは、ただの水です”宣言をしていた。一方で、事実ではない指摘には訴訟を起こすと言っているメーカーもあるが、こちらは水素水を製造しているわけではない。
確か、水素には活性酸素を減らす効果があるとかで注目されていたが、実際には水に溶けずに気化しているとか、健康効果は実証されていないとか、そんな報道があったように思う。
あれこれ言われているものだが、実際に飲んでいる人を初めて見たことと、悪酔いしていることもあって、男は絡まずにはいられなくなった。
「お姉さん、水素水なんて飲んでるの?」
「それが何か?」
「知ってる? それって効果ないんだってさ。えっと、イオンにならない、じゃなくて、あ~……なんだっけ?」
酔っていることもあって、うまく説明できない。それでも絡むのをやめないのが酔っ払いだ。
「とにかく、効果が無いんだってよ。お姉さん、騙されちゃったね。だから、そんなオカルトウォーターはポイッだよ、ポイッ。効果が無いんだもの」
「効果はあったわ、今の今まで」
「へ?」
効果はあると食い下がってくるならまだしも、今まであったと言われると意味がわからない。それではまるで、効果があったものが、一瞬にして効果を失ったようではないか。奇怪な発言に、男の酔いが少し醒める。
「おかしなことを言うお姉さんだ。それじゃ何かい、今しがた効果がなくなったと?」
「ええ、そうよ。あなたが余計なことを言わなければ、効果は失われなかったわ」
「余計なこと?」
「あなた、覚えてらして? 水素水は効果が無いと仰ったことを」
「そりゃ~勿論。いくら酔っぱらってるたって、それくらい……」
男が話している途中で女性はフフンと笑う。
「あなた、プラシーボ効果って、ご存じかしら?」
「あの偽薬の?」
「そうよ。薬効成分を含まない偽薬を薬だと偽って投与しても、患者の病状は回復に向かったというアレ。薬だと信じていれば、薬の効果が出る。つまり、“水素水には効果がある”と信じていた私にとって、プラシーボ効果が期待できたわけ。なのに、あなたときたら“効果が無い”なんて言うものだから、すっかり私の水素水信仰も薄れて、プラシーボ効果も期待できなくなってしまったわ。どうしてくれるのかしら?」
予想外の論理展開に、男は言葉もなかった。
「まぁ、あなたも悪気があってしたことではなさそうだから、ここは千円で手打ちとしましょう。この水素水の代金と、購入にかかった手間、ならびに半ばバカにしたような言い方で、効果が無いと知らされたことで負った心の傷を癒す分を含めてね」
「はぁ……」
流れるような物言いにつられ、男は財布から千円を取り出して渡してしまった。
「確かに受け取ったわ。それでは、ごきげんよう」
若い女性は立ち上がると、水飲み場へと向かう。そこで缶に水道水を入れると、駅の方へと歩いて行った。
男は彼女が座っていたベンチに座り、変なのに会ったなぁ~と思いながら、再びウイスキーの瓶に口を付ける。そこで、しばらくチビチビやっていると、遠くから彼女の声が聴こえてきた。
駅の方に行ってみると、花壇に腰かけた彼女が若い男性に絡まれていた。
「水素水なんか飲んでんの? それって効果ないんだぜ」
得意げに言う若い男性を見て、彼女はフフンと笑う。
「あなた、プラシーボ効果って、ご存じかしら?」
さっきも聴いたセリフだった。
あとの展開は容易に想像がつく。余計なことを言わなければ効果があったから、千円よこせと言うのだ。あの缶の中身は水道水だというのに。
「あれが水素水ビジネスってヤツか」
苦笑する男の酔いは、すっかり醒めていた。
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