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本編
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いつも通りアラームのスヌーズを三回くらいスルーして起床。
またクソ面倒臭え一日が始まるのかと目を覚ましたところからどうやら俺の日常は狂っていたらしい。
例えば弟。
いつもなら「うぜー」「話しかけんなボケ」「きっしょ馬鹿が感染るわこっち見んな」と散々な言い草であるやつは朝イチ、寝癖だらけの俺を見るなりクソでかいため息を吐く。因むとここまではいつも通りだ。
「……お前、まじで一人じゃなんもできねえのな」
そう言って歩み寄ってきた弟にまた殴られるのかと身構えた矢先、いきなり頭を撫でられる。いつの間にかに身長抜いた弟の手はいつの間にかにでかくて、そんな大きな手ですっぽりと後頭部を掴まれたまま「仕方ねえやつ」と手櫛しながら耳元で囁かれる。
はい、これ異常1。
俺は鳥肌と恐怖のあまりに弟をぶん殴って逃走。
鞄も持ってくるのも忘れるし、制服もネクタイ忘れた。そんな散々な俺を家の前で迎えたのは同じクラスの友人たち、麻倉と舞野だった。
「おいおい、珍しいな。まだ寝てたんじゃねえの?」
「つーかなんで手ぶら?」
「とうとう勉強すんの諦めたのかよ、馬鹿高津」
因みにこいつらの散々な言い草も日常だ。
良かった。どうやらおかしかったのは弟の頭だけだったらしい。そうほっとし、二人に駆け寄る。
「まじやべえって、弟がキモくてさ。……家帰りたくねえから後で教科書貸して」
「なんだそれ」
呆れたように二人は笑いながら俺を受け入れてくれる。
ノリもよくて話が合う。俺の扱いは些か雑な気がしてならないが、気のおける友人たちにはよく弟の愚痴を聞いてもらっていた。
「なら、このままサボるか?」
麻倉の手が肩に回される。背の高く運動部らしい筋肉のつき方がした腕はがっちりと俺の首に回される。ずしりとした重さを感じつつ、「それいいな」と冗談混じり顔を上げたとき、反対側を歩いていた舞野は「賛成」と笑う。
たまにはそんな日があったっていい。
そう軽い気持ちで俺たちはそのまま一人暮らしをしている舞野の家へとノコノコとついていく。
ここまではよかった。
マンションの舞野の部屋に足を踏み入れた途端麻倉に背中を蹴り飛ばされるまでは。
「え?」
なんで今俺蹴られた?
転がったまま受け身も取ることも忘れて顔面着地したまま呆けていたところ、背中を踏まれて「あーあ」と頭の上から聞こえてくる二人の声を聞いた。
「高津、お前ってまじで馬鹿だよな」
「え、なに。てか、なんで俺今背中踏まれてる?」
「俺らお前のこと嫌いなんだわ。毎朝毎朝弟弟ってまじでブラコンかよ、引くわ」
「え」
「麻倉、高津が可哀想だろ? ほーら、ダメだろ高津。麻倉が嫉妬深いの知っててわざと煽りまくるんだからお前が悪いよ全部」
「舞野……」
優しい舞野は宥めるような口調で俺の正面に立ち、そして座り込んで視線を合わせてくる。
「だから、ごめんなさいしような?」
――異常2。
神様、俺はなんか悪いことをしたのでしょうか。
いや、確かに善人とは程遠い生き方をしてきました。馬鹿だし我儘言ってきたし調子に乗ってきた。
けど、なんで?なんか方向性おかしくね?
「ぉ゛、ごぼ……ッ!!」
麻倉に殴られて、のた打ち回っていたところに止めと言わんばかりに腹を蹴られる。力もなく転がっていたところを舞野に抱きしめられ、ぐったりと力の抜けた体を抱き締められる。
「っ、な、なんれ?」
「んー、かわいいねえ高津。それそれ、俺お前のそういう顔見たかったんだよずっと。……ずっと、お前が大きな口開けてゲラゲラ汚ねえ笑い方してるのを見てるとその口にぶち込んでぐっちゃぐちゃにしてやりたかったんだわ」
「は、……へ……」
「つまり、お前が好きってこと」
痛みやらなんやらでクエスチョンマーク飛ばしまくる俺の頬を両手で挟んでそのまま唇を重ねられる。鼻血もよだれも全部一滴残らず舐め取られて、唖然としているところに「おい」とイラついたような麻倉の声が落ちてきた。
「抜け駆けかよ」
「順番が狂ってんだろお前は」
「先に分からせてやったんだよ、この馬鹿に。な、高津」
「――ふ」
麻倉に後ろ髪を掴まれ、舞野から無理やり引き剥がされたと思えばそのまま唇を塞がれる。
唇に食い込む歯。噛みつかれていると気づいたのはにゅるりと差し込む舌が鉄の味がしたから。
「ん゛、んん……っ!」
なんで、なんだこれ。
わけわからん。つか、俺らこいつらに嫌われてたの?
そっちのショックがデカくてボコられた痛みとかも全然麻痺って、つか、こいつ、キス長え。
「麻倉、次俺」
「んっ、んん……や……っ」
「……っ、おい、邪魔すんなって、順番」
「はー? 俺んちですけど、ここ」
ようやく離されたと思えばまた舞野にキスをされる。バードキスはどんどん深くなって、ズタズタに痛めつけられた脳味噌に甘いものを無理やりねじ込むように舌で優しく口の中を舐め回される。
麻倉の手が制服越しに体を撫でる。蹴られてアザになっているであろう腹を大きな手のひらで撫でられた瞬間頭が真っ白になって、防衛本能。全身が硬直する。
「――ゃ、」
やめろ。
と、俺は思いっきり舞野の舌を噛んだ。麻倉の腕を引っ掻いて、二人が怯んだ隙を狙って一目散に玄関から飛び出した。
「おい!」とか「逃げられると思ってんのか」とか恐ろしい怒号を背中に浴びせられながらも俺はひたすら逃げ出した。滲む涙を拭うのも忘れてただ必死に。
――おかしい。
おかしい、全部。
警察、警察に言わないと。
そうマンションから飛び出し、交番を探す。つか、スマホ。そうだ、鞄忘れた。
そんな初歩的なミスを思い出した矢先、いきなり背後から殴られる。真昼間の街中で、包丁を持った男に裏道に引き摺り込まれた。
「だ、誰か……っ! むぐ……っ!」
悲鳴をあげて叫んでも通りすがりの人たちは誰もこちらを気にしていない。さも日常の一部のように、襲われかけている俺が背景の一部かのような顔で通り過ぎていく。
――異常3。
この世界がおかしいと気づいたのはその時だった。
たまたまでも不運でもない。俺の日常が、人生が『そういうもん』になっていたのだ。
正しいものを強引に捻じ曲げたような不自然な世界で、顔も名前も知らん男に体を弄られそうになる。
正直、顔を知らない相手でよかったとも思った。なんなら麻倉や舞野よりもずっとマシだとすらも思えた。
顔面を殴り飛ばし、意地で逃げ出す。乱暴に脱がされかけたせいで制服のシャツのボタンはいくつか引き剥がされてもう見るからに悲惨だ。
家に――帰るか。
あのキショい弟がいるくらいだ。でもまたあいつもおかしくなったらどうしよう。……もうおかしかったか。
まるで突然、知ってるはずなのに知らない世界に放り投げられたような感覚。そんな孤独感の中、「高津?」と声をかけられる。
聞き慣れた耳障りのいい声。
それに安堵を覚えるよりも、またかという恐怖とともに全身が凍りついた。
「どうした? ……お前、その格好――」
振り返れば、そこにいたのは友人の隠崎晶午(いんざきしょうご)だった。
また嫌われるかもしれない。殴られるかもしれない。
それが怖くて、俺は答えるよりも先にその場から逃げ出した。
家に帰れば幸い弟はいなかった。風呂に入って部屋に鍵をかけてすぐにベッドに潜り込む。
悪夢ならば寝て起きたら覚めるはずだ。そんな希望的観測を胸に。
しかし、どれ程寝ても、頬を抓ろうがこのクソみたいな現実からは逃れることはできなかった。
それどころか帰宅した弟に扉を壊され、襲われかける。犯されそうになったところで死に物狂いで逃げ出し、助けを求めた先の隣人のお兄さんにそのまま部屋に連れ込まれそうになり、そんで、それから。
俺は学んだ。
友人も顔見知りも、赤の他人から何まで、なんなら結婚しているような男教師すら――この世の同性に追いかけ回されるという『呪い』がかかっているのだと。
そしてそのことに異性はなにも気づかない。
そう思わなければ突如全員が全員同じタイミングで狂うらずがない。
授業中も構わず襲われかけ、それを誰も不自然に思い通報するどころか興奮した顔でいくつもの目を向けられたあたりで気づいたと同時に絶望する。
何がトリガーになったのかも知らない。
それでも、だからと言ってこのまま大人しくするわけにはいかない。
家に引き篭もろうとすれば弟がいる。両親は俺たちの関係を不自然に思うどころか、リビングで無理やりキスをされている俺を見て「遅刻しないようにさっさと学校行きなさいよー」なんて呑気な声をかけてきて、「うるせえな」とイラついたように返す弟にダイニングテーブルに押し倒されそうになったところでなんとかギリギリ逃げ出せた。
――人間は順応する生き物である。
そんな順応など、したくはない。
そんな生活を送り始めて気づけば一週間が経過していた。
顔を隠しても、変装しても、なんの意味もない。
痴漢に変質者、頭の上に俺の名前が大きく表示でもされてんのかって調子で連中は俺に気づき、襲われる。
その度に逃げる。幸いこの世界ではろくに警察が機能していないお陰で護身用のナイフを持っても咎められることはない。
でも逆に見つかってそれを突きつけられた時は流石に死ぬと思ったけど――。
「……疲れた」
いっそのこと、俺が死ねば楽になれるのか。
放心したまま俺は学校の中庭、その芝生の上に仰向けに転がっていた。今は授業中、教室には麻倉と舞野もいる。
教師たちにも顔を合わせたくなくて、かといって隠れても無意味だと悟った俺はもう開き直ってこの有様だ。
昔からアホで鈍感だと言われ続けてきたが、今はそれが糧になるなんて思わなかった。
そんなとき、ふと足音が聞こえてきた。身構えて、すぐに襲われても抵抗できるように制服の下に忍ばせていた護身用のナイフに手を伸ばした時。
近づいてきた人影は、そのまま俺の隣に腰を下ろした。
「――隠崎」
「またサボりか? 高津」
いつもと変わらないどこかのんびりとした口調で隠崎は話しかけてくる。足を寛がせ、近づきすぎない一定の距離に座ったまま。
「……っ、お前……」
こいつもいつ豹変するか分からない。
そう身構えていたのだが、隠崎は身構える俺を横目に「なんかさ」とゆったりと口を開いた。
「おかしくね?」
「……へ?」
「お前、モテてんの。……つか先生たちもおかしいし、お前も怪我だらけだし……何起きてんの?」
「……」
一瞬隠崎の言葉が飲み込めなかった。
なんで、とかどうして。とか。隠崎の言葉は至極当然の疑問である。なんなら俺が今まで周りに持って欲しかったそれだった。
「…………おかしい、よな。やっぱり」
俺だけが。俺が。おかしいのかと思ってた。
異物なのだと。本当は俺の頭が狂ってんのかと、けれどそうじゃない。隠崎の言葉を聞いた瞬間ずっと心の底から待ち侘びていたその一言に張り詰めてブチ切れる寸前だった緊張の糸が緩む。
「お前も、お前もおかしいって思ってくれるのか?」
「わ、どうした高津……泣いてんの?」
「う……お、俺……」
「あーあー……ほら、ハンカチ。……つか、顔の傷だいじょぶ? 沁みるだろ、泣くと」
「ぅ、ふ……ぐ……っ」
よかった。やっぱおかしいのってこの世界なんだ。
そう隠崎から先出されたハンカチで目元を拭う。知り合いに普通に優しくされるのが久しぶりすぎて、まさかこのまま体を要求されるのではないかとハッとして距離を取るが「ん?」と隠崎はむしろ不思議そうな顔をして俺を見た。
「お、お前は……俺のこと、好きとか、嫌いとか言わねえの?」
「まあ、お前のことは好きだけどさ」
「……っ!」
「あ、待て待て。逃げんなって。……ほら、体痛むんだろ」
「……お、お前も……俺のこと……め、めちゃくちゃにしたいとかいうわけ……?」
「なにそれ、AV?」
「ちが」
「言わねえよ、だって俺ら友達だろ?」
そう隠崎はふにゃりと笑う。今までと変わらない、どこか気が抜けるような笑顔。
いつもなら『なんだよ可愛い笑い方しやがって』と小突いてたのに、今ではその笑顔が眩しくて、俺またちょっと泣いた。
隠崎は俺が落ち着くまで側にいてくれた。
必要以上に触れることもなく、それから――俺が泣き止むと「ほら、水分補給」とついでに買ってきてくれたお茶を手渡してくれる。
「な、なんで……優しくすんの? 俺に」
「優しくって……俺元々優しいと思ってたんだけどなー。違う?」
「ち……がわない」
「だろ?」
「……」
「……なんか、大変そうだなって。何回か止めようと思ったんだけど、その度にお前いつの間にかに逃げるから……ごめん。これ言い訳だな。本当はもっと俺がしっかりしとけばよかったんだけど」
「そんなこと、……ない。わかんねえけど、もし、お前が助けにきてくれてたら……お前まで酷い目に遭ったら、やだ」
だからよかった、とは絶対には言えないけど、もし隠崎と俺だけが正気だとすれば何が起きるかも分からない。
巻き込みたくはなかったし、少なくともこいつがまともだって分かっただけでも十分だった。
「……なあ、なんでお前は平気なんだ?」
「平気……ってわけじゃねえけど。普通に心配」
「……そ、じゃなくて……その……」
「分かんねえけど、運が良かったのかもな」
他人事のように笑う隠崎。
昔からこいつはちょっと他人とズレたところがある。顔はいいくせに少し天然というか抜けているというか、ぽやんとしてるっていうか。
俺と同じで鈍感ということなのだろうか。
けれど、よかった。
「……」
「ん、……どうした? 眠いのか?」
「ちょっと……最近全然寝れてなくて」
「少し横になれよ、俺、ここで見張っておくから」
「……」
「……まだ俺のこと、信用できない?」
「いや、違う。……そうじゃなくて……」
お前に迷惑かかるんじゃないかとか今更な気もしてきたし、それ以上に普通にこうやって話せる相手がいることについ気が緩んでいたのだろう。
寝転んだままちらりと隠崎の方を見上げれば、目が合った。「どした?」と柔らかく微笑みかけてくる隠崎にそっと頭を撫でられ、ぎくりとした。
「あ、悪い。……触られるの嫌だよな、無神経だったか」
「ん、ゃ、……いいよ。お前なら……変なことしねえってわかるし」
「そ?」
「……ん」
小さく頷き返せば、再び伸びてきた隠崎の手に頭を撫でられる。「怖かったよな」と優しい声とともにそっと髪を撫でつけられているうちに段々陽だまりとともに温もりに全身が溶けていくようだった。
――泥のような安心感。
「俺は……俺だけはお前の味方だよ、高津。何が合っても」
「……いん、ざき……」
「安心して休め、俺といるときくらいはさ」
……隠崎。
中学の頃はずっと一緒にいたが、高校に上がって麻倉や舞野と同じクラスになってからは遊ぶ頻度が落ちてしまっていた。
だからだろうか、今になってよく昔のことを思い出した。隠崎はずっと俺を見守ってくれた。アホする俺を「仕方ないな」と笑うように、時に窘めながらも支えてくれていた。
それは今でも変わらない。
こんなイかれた世界でも、隠崎は変わらない。
微睡んでいく意識の中、額に柔らかな感触が触れる。
けれど、目を開いてその感触を確かめるほどの意識は俺には残っていなかった。
だからその時は気付けなかった。
この狂った世界で正常なやつこそが『異常』なのだと。
「――だから、早く俺のところに来いよ」
狂った世界は未だ回り続けている。
おしまい
またクソ面倒臭え一日が始まるのかと目を覚ましたところからどうやら俺の日常は狂っていたらしい。
例えば弟。
いつもなら「うぜー」「話しかけんなボケ」「きっしょ馬鹿が感染るわこっち見んな」と散々な言い草であるやつは朝イチ、寝癖だらけの俺を見るなりクソでかいため息を吐く。因むとここまではいつも通りだ。
「……お前、まじで一人じゃなんもできねえのな」
そう言って歩み寄ってきた弟にまた殴られるのかと身構えた矢先、いきなり頭を撫でられる。いつの間にかに身長抜いた弟の手はいつの間にかにでかくて、そんな大きな手ですっぽりと後頭部を掴まれたまま「仕方ねえやつ」と手櫛しながら耳元で囁かれる。
はい、これ異常1。
俺は鳥肌と恐怖のあまりに弟をぶん殴って逃走。
鞄も持ってくるのも忘れるし、制服もネクタイ忘れた。そんな散々な俺を家の前で迎えたのは同じクラスの友人たち、麻倉と舞野だった。
「おいおい、珍しいな。まだ寝てたんじゃねえの?」
「つーかなんで手ぶら?」
「とうとう勉強すんの諦めたのかよ、馬鹿高津」
因みにこいつらの散々な言い草も日常だ。
良かった。どうやらおかしかったのは弟の頭だけだったらしい。そうほっとし、二人に駆け寄る。
「まじやべえって、弟がキモくてさ。……家帰りたくねえから後で教科書貸して」
「なんだそれ」
呆れたように二人は笑いながら俺を受け入れてくれる。
ノリもよくて話が合う。俺の扱いは些か雑な気がしてならないが、気のおける友人たちにはよく弟の愚痴を聞いてもらっていた。
「なら、このままサボるか?」
麻倉の手が肩に回される。背の高く運動部らしい筋肉のつき方がした腕はがっちりと俺の首に回される。ずしりとした重さを感じつつ、「それいいな」と冗談混じり顔を上げたとき、反対側を歩いていた舞野は「賛成」と笑う。
たまにはそんな日があったっていい。
そう軽い気持ちで俺たちはそのまま一人暮らしをしている舞野の家へとノコノコとついていく。
ここまではよかった。
マンションの舞野の部屋に足を踏み入れた途端麻倉に背中を蹴り飛ばされるまでは。
「え?」
なんで今俺蹴られた?
転がったまま受け身も取ることも忘れて顔面着地したまま呆けていたところ、背中を踏まれて「あーあ」と頭の上から聞こえてくる二人の声を聞いた。
「高津、お前ってまじで馬鹿だよな」
「え、なに。てか、なんで俺今背中踏まれてる?」
「俺らお前のこと嫌いなんだわ。毎朝毎朝弟弟ってまじでブラコンかよ、引くわ」
「え」
「麻倉、高津が可哀想だろ? ほーら、ダメだろ高津。麻倉が嫉妬深いの知っててわざと煽りまくるんだからお前が悪いよ全部」
「舞野……」
優しい舞野は宥めるような口調で俺の正面に立ち、そして座り込んで視線を合わせてくる。
「だから、ごめんなさいしような?」
――異常2。
神様、俺はなんか悪いことをしたのでしょうか。
いや、確かに善人とは程遠い生き方をしてきました。馬鹿だし我儘言ってきたし調子に乗ってきた。
けど、なんで?なんか方向性おかしくね?
「ぉ゛、ごぼ……ッ!!」
麻倉に殴られて、のた打ち回っていたところに止めと言わんばかりに腹を蹴られる。力もなく転がっていたところを舞野に抱きしめられ、ぐったりと力の抜けた体を抱き締められる。
「っ、な、なんれ?」
「んー、かわいいねえ高津。それそれ、俺お前のそういう顔見たかったんだよずっと。……ずっと、お前が大きな口開けてゲラゲラ汚ねえ笑い方してるのを見てるとその口にぶち込んでぐっちゃぐちゃにしてやりたかったんだわ」
「は、……へ……」
「つまり、お前が好きってこと」
痛みやらなんやらでクエスチョンマーク飛ばしまくる俺の頬を両手で挟んでそのまま唇を重ねられる。鼻血もよだれも全部一滴残らず舐め取られて、唖然としているところに「おい」とイラついたような麻倉の声が落ちてきた。
「抜け駆けかよ」
「順番が狂ってんだろお前は」
「先に分からせてやったんだよ、この馬鹿に。な、高津」
「――ふ」
麻倉に後ろ髪を掴まれ、舞野から無理やり引き剥がされたと思えばそのまま唇を塞がれる。
唇に食い込む歯。噛みつかれていると気づいたのはにゅるりと差し込む舌が鉄の味がしたから。
「ん゛、んん……っ!」
なんで、なんだこれ。
わけわからん。つか、俺らこいつらに嫌われてたの?
そっちのショックがデカくてボコられた痛みとかも全然麻痺って、つか、こいつ、キス長え。
「麻倉、次俺」
「んっ、んん……や……っ」
「……っ、おい、邪魔すんなって、順番」
「はー? 俺んちですけど、ここ」
ようやく離されたと思えばまた舞野にキスをされる。バードキスはどんどん深くなって、ズタズタに痛めつけられた脳味噌に甘いものを無理やりねじ込むように舌で優しく口の中を舐め回される。
麻倉の手が制服越しに体を撫でる。蹴られてアザになっているであろう腹を大きな手のひらで撫でられた瞬間頭が真っ白になって、防衛本能。全身が硬直する。
「――ゃ、」
やめろ。
と、俺は思いっきり舞野の舌を噛んだ。麻倉の腕を引っ掻いて、二人が怯んだ隙を狙って一目散に玄関から飛び出した。
「おい!」とか「逃げられると思ってんのか」とか恐ろしい怒号を背中に浴びせられながらも俺はひたすら逃げ出した。滲む涙を拭うのも忘れてただ必死に。
――おかしい。
おかしい、全部。
警察、警察に言わないと。
そうマンションから飛び出し、交番を探す。つか、スマホ。そうだ、鞄忘れた。
そんな初歩的なミスを思い出した矢先、いきなり背後から殴られる。真昼間の街中で、包丁を持った男に裏道に引き摺り込まれた。
「だ、誰か……っ! むぐ……っ!」
悲鳴をあげて叫んでも通りすがりの人たちは誰もこちらを気にしていない。さも日常の一部のように、襲われかけている俺が背景の一部かのような顔で通り過ぎていく。
――異常3。
この世界がおかしいと気づいたのはその時だった。
たまたまでも不運でもない。俺の日常が、人生が『そういうもん』になっていたのだ。
正しいものを強引に捻じ曲げたような不自然な世界で、顔も名前も知らん男に体を弄られそうになる。
正直、顔を知らない相手でよかったとも思った。なんなら麻倉や舞野よりもずっとマシだとすらも思えた。
顔面を殴り飛ばし、意地で逃げ出す。乱暴に脱がされかけたせいで制服のシャツのボタンはいくつか引き剥がされてもう見るからに悲惨だ。
家に――帰るか。
あのキショい弟がいるくらいだ。でもまたあいつもおかしくなったらどうしよう。……もうおかしかったか。
まるで突然、知ってるはずなのに知らない世界に放り投げられたような感覚。そんな孤独感の中、「高津?」と声をかけられる。
聞き慣れた耳障りのいい声。
それに安堵を覚えるよりも、またかという恐怖とともに全身が凍りついた。
「どうした? ……お前、その格好――」
振り返れば、そこにいたのは友人の隠崎晶午(いんざきしょうご)だった。
また嫌われるかもしれない。殴られるかもしれない。
それが怖くて、俺は答えるよりも先にその場から逃げ出した。
家に帰れば幸い弟はいなかった。風呂に入って部屋に鍵をかけてすぐにベッドに潜り込む。
悪夢ならば寝て起きたら覚めるはずだ。そんな希望的観測を胸に。
しかし、どれ程寝ても、頬を抓ろうがこのクソみたいな現実からは逃れることはできなかった。
それどころか帰宅した弟に扉を壊され、襲われかける。犯されそうになったところで死に物狂いで逃げ出し、助けを求めた先の隣人のお兄さんにそのまま部屋に連れ込まれそうになり、そんで、それから。
俺は学んだ。
友人も顔見知りも、赤の他人から何まで、なんなら結婚しているような男教師すら――この世の同性に追いかけ回されるという『呪い』がかかっているのだと。
そしてそのことに異性はなにも気づかない。
そう思わなければ突如全員が全員同じタイミングで狂うらずがない。
授業中も構わず襲われかけ、それを誰も不自然に思い通報するどころか興奮した顔でいくつもの目を向けられたあたりで気づいたと同時に絶望する。
何がトリガーになったのかも知らない。
それでも、だからと言ってこのまま大人しくするわけにはいかない。
家に引き篭もろうとすれば弟がいる。両親は俺たちの関係を不自然に思うどころか、リビングで無理やりキスをされている俺を見て「遅刻しないようにさっさと学校行きなさいよー」なんて呑気な声をかけてきて、「うるせえな」とイラついたように返す弟にダイニングテーブルに押し倒されそうになったところでなんとかギリギリ逃げ出せた。
――人間は順応する生き物である。
そんな順応など、したくはない。
そんな生活を送り始めて気づけば一週間が経過していた。
顔を隠しても、変装しても、なんの意味もない。
痴漢に変質者、頭の上に俺の名前が大きく表示でもされてんのかって調子で連中は俺に気づき、襲われる。
その度に逃げる。幸いこの世界ではろくに警察が機能していないお陰で護身用のナイフを持っても咎められることはない。
でも逆に見つかってそれを突きつけられた時は流石に死ぬと思ったけど――。
「……疲れた」
いっそのこと、俺が死ねば楽になれるのか。
放心したまま俺は学校の中庭、その芝生の上に仰向けに転がっていた。今は授業中、教室には麻倉と舞野もいる。
教師たちにも顔を合わせたくなくて、かといって隠れても無意味だと悟った俺はもう開き直ってこの有様だ。
昔からアホで鈍感だと言われ続けてきたが、今はそれが糧になるなんて思わなかった。
そんなとき、ふと足音が聞こえてきた。身構えて、すぐに襲われても抵抗できるように制服の下に忍ばせていた護身用のナイフに手を伸ばした時。
近づいてきた人影は、そのまま俺の隣に腰を下ろした。
「――隠崎」
「またサボりか? 高津」
いつもと変わらないどこかのんびりとした口調で隠崎は話しかけてくる。足を寛がせ、近づきすぎない一定の距離に座ったまま。
「……っ、お前……」
こいつもいつ豹変するか分からない。
そう身構えていたのだが、隠崎は身構える俺を横目に「なんかさ」とゆったりと口を開いた。
「おかしくね?」
「……へ?」
「お前、モテてんの。……つか先生たちもおかしいし、お前も怪我だらけだし……何起きてんの?」
「……」
一瞬隠崎の言葉が飲み込めなかった。
なんで、とかどうして。とか。隠崎の言葉は至極当然の疑問である。なんなら俺が今まで周りに持って欲しかったそれだった。
「…………おかしい、よな。やっぱり」
俺だけが。俺が。おかしいのかと思ってた。
異物なのだと。本当は俺の頭が狂ってんのかと、けれどそうじゃない。隠崎の言葉を聞いた瞬間ずっと心の底から待ち侘びていたその一言に張り詰めてブチ切れる寸前だった緊張の糸が緩む。
「お前も、お前もおかしいって思ってくれるのか?」
「わ、どうした高津……泣いてんの?」
「う……お、俺……」
「あーあー……ほら、ハンカチ。……つか、顔の傷だいじょぶ? 沁みるだろ、泣くと」
「ぅ、ふ……ぐ……っ」
よかった。やっぱおかしいのってこの世界なんだ。
そう隠崎から先出されたハンカチで目元を拭う。知り合いに普通に優しくされるのが久しぶりすぎて、まさかこのまま体を要求されるのではないかとハッとして距離を取るが「ん?」と隠崎はむしろ不思議そうな顔をして俺を見た。
「お、お前は……俺のこと、好きとか、嫌いとか言わねえの?」
「まあ、お前のことは好きだけどさ」
「……っ!」
「あ、待て待て。逃げんなって。……ほら、体痛むんだろ」
「……お、お前も……俺のこと……め、めちゃくちゃにしたいとかいうわけ……?」
「なにそれ、AV?」
「ちが」
「言わねえよ、だって俺ら友達だろ?」
そう隠崎はふにゃりと笑う。今までと変わらない、どこか気が抜けるような笑顔。
いつもなら『なんだよ可愛い笑い方しやがって』と小突いてたのに、今ではその笑顔が眩しくて、俺またちょっと泣いた。
隠崎は俺が落ち着くまで側にいてくれた。
必要以上に触れることもなく、それから――俺が泣き止むと「ほら、水分補給」とついでに買ってきてくれたお茶を手渡してくれる。
「な、なんで……優しくすんの? 俺に」
「優しくって……俺元々優しいと思ってたんだけどなー。違う?」
「ち……がわない」
「だろ?」
「……」
「……なんか、大変そうだなって。何回か止めようと思ったんだけど、その度にお前いつの間にかに逃げるから……ごめん。これ言い訳だな。本当はもっと俺がしっかりしとけばよかったんだけど」
「そんなこと、……ない。わかんねえけど、もし、お前が助けにきてくれてたら……お前まで酷い目に遭ったら、やだ」
だからよかった、とは絶対には言えないけど、もし隠崎と俺だけが正気だとすれば何が起きるかも分からない。
巻き込みたくはなかったし、少なくともこいつがまともだって分かっただけでも十分だった。
「……なあ、なんでお前は平気なんだ?」
「平気……ってわけじゃねえけど。普通に心配」
「……そ、じゃなくて……その……」
「分かんねえけど、運が良かったのかもな」
他人事のように笑う隠崎。
昔からこいつはちょっと他人とズレたところがある。顔はいいくせに少し天然というか抜けているというか、ぽやんとしてるっていうか。
俺と同じで鈍感ということなのだろうか。
けれど、よかった。
「……」
「ん、……どうした? 眠いのか?」
「ちょっと……最近全然寝れてなくて」
「少し横になれよ、俺、ここで見張っておくから」
「……」
「……まだ俺のこと、信用できない?」
「いや、違う。……そうじゃなくて……」
お前に迷惑かかるんじゃないかとか今更な気もしてきたし、それ以上に普通にこうやって話せる相手がいることについ気が緩んでいたのだろう。
寝転んだままちらりと隠崎の方を見上げれば、目が合った。「どした?」と柔らかく微笑みかけてくる隠崎にそっと頭を撫でられ、ぎくりとした。
「あ、悪い。……触られるの嫌だよな、無神経だったか」
「ん、ゃ、……いいよ。お前なら……変なことしねえってわかるし」
「そ?」
「……ん」
小さく頷き返せば、再び伸びてきた隠崎の手に頭を撫でられる。「怖かったよな」と優しい声とともにそっと髪を撫でつけられているうちに段々陽だまりとともに温もりに全身が溶けていくようだった。
――泥のような安心感。
「俺は……俺だけはお前の味方だよ、高津。何が合っても」
「……いん、ざき……」
「安心して休め、俺といるときくらいはさ」
……隠崎。
中学の頃はずっと一緒にいたが、高校に上がって麻倉や舞野と同じクラスになってからは遊ぶ頻度が落ちてしまっていた。
だからだろうか、今になってよく昔のことを思い出した。隠崎はずっと俺を見守ってくれた。アホする俺を「仕方ないな」と笑うように、時に窘めながらも支えてくれていた。
それは今でも変わらない。
こんなイかれた世界でも、隠崎は変わらない。
微睡んでいく意識の中、額に柔らかな感触が触れる。
けれど、目を開いてその感触を確かめるほどの意識は俺には残っていなかった。
だからその時は気付けなかった。
この狂った世界で正常なやつこそが『異常』なのだと。
「――だから、早く俺のところに来いよ」
狂った世界は未だ回り続けている。
おしまい
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