人類サンプルと虐殺学園

田原摩耶

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第四章【モンスターパニック】

06

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「夢魔って……」

 凡そ漫画やアニメでくらいしか聞かない単語だ。しかも、その詳しい詳細すらわからず尋ねれば、ニグレドはそんなこともわからないのかと呆れたような顔でこちらを見るのだ。

「夢魔というのは他者の夢の中でしか粋がれない下等かつ下劣な悪魔を言う。またの名を……」
「インキュバスとも言うね~!」

 そう、その場にはそぐわない程の明るい声が響き渡る。いつの間にかにアヴィドの肩に留まっていたその水色の蝙蝠は俺の目の前まで羽を羽撃かせてやってくる。
 この声は、

「クリュエル……?」

 名前を呼んだ次の瞬間、パステルカラーのカラフルな煙とともにぼむ、と視界が眩む。そして、ずしりとした重みが膝の上に乗った。

「曜君、やほ~~っ」

 厭な予感がしたときには遅い。いつもの人の姿に変身したクリュエルに抱きつかれそうになるよりも黒羽がクリュエルの首根っこを掴み引き剥がす方が早かった。

「ちょ、ちょ、ちょっと~~! 僕まだなにもやってないんですけど~~!!」
「やろうとしていただろうが痴れ者がッ!! その手に持ってるものはなんだ!!」

 そうクリュエルから取り上げた蠢く縄を手に黒羽がキレていた。いや本当になんなんだ。まさか初手人を縛りあげるつもりだったのか。

「いやはや済まない。……こいつにはしっかり俺の方から灸を添えておこう」

 アヴィドに捕縛されたクリュエルは嫌だ嫌だー!!と喚いていたが、やがて何かを思い出したようだ。「あっ! そうだ!」と声をあげた。

「てかてかっ! 確かに僕たちの中には夢の中に入れるやつもいるけど、そんなこそこそした真似するのなんて下級も下級。雑魚くらいだよ~!」
「この学園にもインキュバスは少なくはない。それに、クリュエルの行動は俺も把握しているが今回の件は他のインキュバスが関与してる可能性はあるだろう」

 縛られたままぷんすかと怒るクリュエルの隣、アヴィドはあくまで冷静に返す。
 確かにこれだけたくさんの種族が収容された施設なのだ、おかしなことはないが、なんだか不思議な感じだった。

「それで、この寮に生徒としているのか? そこの水色の痴れ者を除いた夢魔とやらは」
「いるにはいるが……いや、『いた』と言った方が適切だろうな」

 黒羽の問い掛けに、アヴィドは言葉を選んでいる様子だった。
 というよりも、なんだか引っかかるところがあるのだろう。ニグレドもなんだか眉根の皺が深くなっている。
 そんなに言い出しにくいことなのだろうか。

「……彼は元々地下監獄に入れられててね、それでこの寮に汚名を塗ったということで除籍されて最下層のF館に堕ちたはずだ」
「なら、もうここにいるはずはないってことですか?」
「ああ、そういうことだ。……このSSS館のセキュリティは完璧――……のはずだった、が……」

 言い掛けて、アヴィドの視線がこちらを向く。顎を擦り、何かを考えてるようだ。

「俺が不在のときのハウスメイドの暴走の件、ニグレドから聞かせもらった。……どうやら、この寮に招かざる不届き者が忍び込んでる可能性は高いようだ」
「それに、また地下監獄絡みになるとヴァイスが絡んでる可能性は大いにあるだろう」

 黒羽の言葉に「そういうことだな」とアヴィドも同調する。その言葉に、空気が変わるのが分かった。

「これは由々しき自体だ。この寮だけの問題ではない。……これは、魔王様の沽券に関わる問題だ」

 システムの穴は大きさ関係なくこの収容施設に置いて重要な問題になるのだろう。
 部屋の空気がずんと重くのしかかってくる。

「ん~~んじゃとにかく、そのインキュバスをとっ捕まえてみたらいいんじゃないかな? どうせ雑魚だろうからなんとかなるよ!」

 そんな重い空気の中、クリュエルはぴょんと跳ねる。「ねー、曜君っ」と両サイドのポニーテールをしっぽかなにかのようにゆらゆらと揺らしながら話を振ってくるクリュエル。
 まさかこちらに振ってくるとは。

「でも、確かに……もしかしたら俺がもう一回寝たらまた夢の中で……」
「駄目だ」

 ……即答だった。まだなにも言っていないのに。
 怖い顔をしてこちらを見る黒羽はもう一度念押しをするように「駄目だ」と口にした。

「く、黒羽さん……俺まだなにも言ってない……」
「言わずとも伊波様の考えは分かる。自身を囮にするなどと考えてるだろう」
「う」
「そのような危険な真似は許可しない。もし下手したら――」

「じゃあさ、僕も一緒に曜君の夢の中に入るよ」

 それは思いもよらなかった提案だ。
 俺も、黒羽も、ニグレドも。先程から話に入れずあわあわとしてたテミッドも驚いている。
 ただ一人、アヴィドは「なるほど」と頷いた。

「クリュエルと俺ならば夢の中からでも通じることは可能だ。なにか本体の手がかりでも掴めれば外部でも動きやすくなる」
「待て、淫魔二匹と伊波様を同じ空間に閉じ込めるつもりか?」
「ああ、クリュエルはこう見えて上位インキュバスだ。魔力に関しては俺が保証する」
「そういう問題ではない、伊波様に危険な真似をさせるわけにはいかないと言ってるのだ」

 黒羽は黒羽で俺のことを心配してるということは分かってる。けれど。

「――黒羽、この状況下最優先すべきは不穏分子を排除することじゃないか」
「それは……」
「このまま放っておけば穴は防ぐこともできないくらいに広がる。そうなると、我らが魔王の理想は崩壊する。……黒羽、アンタはそれを邪魔するつもりなのか?」

「その一人の少年のために」アヴィドの言葉は酷く冷たく、淡々と響いた。
 その問いかけに黒羽はほんの一瞬口籠る。
 ――……黒羽さんが迷ってる。
 元はと言えば、黒羽は和光やまだ見ぬ魔王の命令のために俺の側にいてくれるようになったのだ。同じ魔王からの命で動く管理者側のアヴィドからしてみれば、黒羽の言葉は離反と取られかねない。
 そう考え、背筋がうっすらと冷たくなる。
 俺は自分のせいで黒羽が裏切り者扱いされるのだけは嫌だった。
 ならば、俺がすべき選択は一つしかない。

「黒羽さん、俺、大丈夫です。できます」
「っ、伊波様……」
「三日くらいは眠っちゃうかもしれませんけど……ほらさっきも起きれましたし、それに、一人と違ってクリュエルがいるなら心細くないですし」

「そーそー! 僕がいると寂しくならないよ~!」と縄に縛られながらもうんうんと相槌打つクリュエル。
 黒羽の隻眼はただ俺を見る。
 怒ってるのだろうか、それともまだ迷ってるのか。黒羽が優先すべきものなど最初から決まってるだろうに、まだ秤に掛け兼ねているのだと思うとこんなこと考えてる場合ではないとわかってても嬉しかった。

「だから、心配しないでください。……絶対その人捕まえて戻ってきますんで」
「伊波様……」

 俺にはこう応えることしかできないが、安心させるための方便ではない。俺だって守られてるだけでは性に合わないのだ。何か少しでも役に立てられるのならば、と黒羽をじっと見上げれば、目を瞑り苦悶の表情を浮かべていた黒羽はゆっくりと口を開く。

「――クリュエル、伊波様のことを頼んだぞ」

 ゆっくりと開いた隻眼には諦めたような、歯痒さが色濃く滲んでいた。まだ納得しきれていないのだ。それでも俺を、俺達を信じることを選んでくれた黒羽が嬉しくて。
 クリュエルの捕縛が解かれ、「まっかせてよクロちゃん!」とぴょんと跳ねるように黒羽に抱き着こうとしていたクリュエルは捕縛されていた。

「それで? 具体的に夢魔に会うっていうのはどうしたら……?」
「それは勿論いつも通り眠ったらいいんだよっ! んでんで、僕が曜君の夢の中に『おじゃましま~す』ってするわけ」

「ね?簡単でしょ?」と動物の耳かなにかのようにツインテールを揺らすクリュエル。
 なるほど、分かりやすい。分かりやすいが、その方法には問題がある。

「で、でも俺……まだ眠くないんですけど……」

「…………」
「…………」

 そう、恐る恐る声をあげれば微妙な沈黙が辺りに流れる。なんだ、なんだ俺そんな変なこといったか。テミッドまで「伊波様……」と生暖かい目でこちらを見ないでくれ。

「……伊波様、その点は心配無用だ。眠らせる方法はいくらでもある」
「あっ、そ、そっか……」
「でもまあ、少しこちらも準備しておく必要があるだろうな」

「少年、時間が来るまでいつでも眠れるように待機してくれないだろうか」そう、こちらへと視線を合わせてくるように屈むアヴィド。その背にクリュエルが飛び乗る。

「準備? そんなものなくても僕はいつでもオーケーだよっ?」
「お前はそうだろうが、こちらにはこちらの準備が必要だと言ってるんだ。……というわけで黒羽、その間少年のことは任せたぞ」

 クリュエルの首根っこを掴んでずり下ろしたアヴィドはそうこちら――正確には俺の横にいた黒羽へと笑いかけるのだ。
 黒羽はやや間を置いて「……ああ」と渋面のまま答えた。

 それから、一旦アヴィドの準備が終えるまでの間その場はお開きとなった。
 俺の部屋の中に残ったのは黒羽、そしてテミッドだ。他のやつらは皆早々に立ち去った。

 それにしても、なんだか大変なことになってきたな。
 緊張しないわけではない、もし一歩でも間違えていたら夢から覚めなくなっていたわけだから。そして、これからそんな魔物と対峙する。

「……伊波、さま……気分は……?」

 ベッドの上、そんなことを考えていたときだ。
 ベッドの側へと恐る恐る近付いてきたテミッドが心配そうにこちらを見上げてくる。心なしかその目が潤んでいるように見えた。

「ああ、大丈夫だよ。……確かに寝すぎたお陰で全身バキバキだけど」
「ば、バキバキ……痛そう……」
「あ、いやそれはものの例えで本当にバキバキってわけじゃないからな?」

 不安そうなテミッドを撫でて安心させようとしていたとき、ふと視線を感じた。見なくとも、穴が空きそうなほど向けられるそれが誰のものかはすぐに分かった。
 ――黒羽だ。

「伊波様……」
「……黒羽さん、俺の気持ちはさっきいったとおりだからね」
「……ッ、……」

 最初はあまり顔に出さない男だと思ったが、一緒にいる時間が長くなればなるほど第一印象が当てにならないというのがよくわかった。
 黒羽ほど正直者な男も早々いないだろう。

「その夢魔ってやつを捕まえることができたら、少しはヴァイスの手がかりになるかもってことだろ?」
「それは、そうだが……」
「だったら俺、やるよ」

「……黒羽さん、俺、絶対に捕まえて帰ってくるから」こんなことまで言うつもりではなかったが、不思議だ。不安そうな、心配でたまらないという黒羽の顔を見ていたらそんな言葉がするすると口から出てきたのだ。
 ヤケ、というわけではない。けれど、ほんの少し意地があったのかもしれない。
 黒羽さんの力になりたい。黒羽さんに褒めてもらいたい。――黒羽さんに、俺だってやるときはやるのだと安心してもらいたかった。
 と、そこまで言ってきらきらと目を輝かせるテミッドに気づく。そうだ、今はテミッドがいたのだ。

「い、いなみさま……かっこいいです……っ」
「え? そ、そお……?」
「は、はい……ぼく、待ってます、お留守番……夢魔、捕まえて現実に戻ってきたら、そのときは……ぼくも頑張ります……っ」

「伊波様のように」と微笑むテミッドにきゅっと手を握り締められる。
 ひんやりとした指先に驚いたが、それよりもだ。まさか、先程まで落ち込んでいたテミッドがこんな風に意気込むなんて。
 それだけでも嬉しくて、俺は「ああ」とテミッドの手を握り返した。
 ただ一人、黒羽はまだなにか言いたげだったが俺たちの様子を見てそれ以上に口を出すことはしなかった。


 ずっと食事もとらずに眠っていたせいだろうか、意識がはっきりすればするほど急激に空腹に襲われる。
 というわけで、そのまま部屋で食事を取ることにした。

「前回のこともある。迂闊にハウスメイドを使用するのは危険だ」
「それじゃあ、ぼ、ぼく……伊波様のご飯、作ってきてもらいます……っ!」

「それで、ここまで運んできます」そう黒羽に提案するのはテミッドだった。

「そんな……俺のご飯なんだし、それなら俺も……」
「それじゃあテミッド、頼めるか」
「は、はい……っ! すぐに用意してきます……っ」
「あっ、テミッド……!」

 俺が止めるよりもテミッドの方が早かった。慌ただしく部屋を後にしたテミッド。
 部屋には俺と黒羽だけが残されることになる。

「……」
「……」

 なんなんだ、この空気は。
 いや、原因は分かってる。俺のとった行動のせいだ。全身からありありと黒羽の納得してないですオーラが滲んでる。

「……黒羽さん、怒ってますか?」
「怒ってない」
「本当に……?」
「…………ああ」

 なんだ、その間は。おまけに眉間の皺もやや増えているし、やっぱり怒ってるじゃないか。

「黒羽さん」
「夢魔の見せる夢は、二度と現実へと戻りたくない。そんな幸福な夢を見せては夢の中へと永久的に閉じ込めると言われてる」
「……幸福な夢」

 確かに、俺の願いは強く反映されていたのかもしれない。

「今回はたまたま運がよかっただけかもしれない。もし、現実と紛うほどの夢を見せられてしまえばそもそも目を覚ますという意識すらもなくなるかもしれない」
「それは……」
「ないとは言い切れない」 

 いくつもの可能性を考えているのだ、黒羽は。全てを楽観視することの危険性は俺だってわかってるつもりだ。
 それでも、俺たちには選択はないのも事実だ。黒羽も気付いているのだろう、こうして話したところで展開は変わらないと。それでも俺にこうして納得していないということを伝えてくるのは、少なからず俺のことを信頼してくれているからだと思いたかった。
 だとすれば、俺が黒羽にかけるべき言葉は一つしかない。

「じゃあ、もしまた俺が一日経っても起きてこなかったら……そのときは、さっきみたいに黒羽さんが俺のことを呼んでもらってもいいですか?」
「……俺が?」
「うん、黒羽さんの声ならきっと夢の中まで届いてくるから……そしたら『あ!急いで起きないと!』って俺もなりますし……」

「それなら大丈夫だと思います」と続ければ、ますます目の前の黒羽の顔は神妙なものになるのだ。

「……伊波様」
「は、はい……」

 う、この声のトーンは怒られる……。
 そう縮こまったときだった。何かを言いかけた黒羽だったが、そのまま深く息を吐く。

「守るべき相手にこのように励まされるとはな」

 その言葉、眼差しには自嘲の色が滲んでいた。
 黒羽さん、と言いかけたとき。黒羽に両肩をがしっと掴まれる。
 真正面、向かい合うような体勢。目の前には相変わらず怖い顔をした黒羽がいた。
 そして。

「――わかった。俺も腹を括ろう」
「っ! 黒羽さん……っ!」
「伊波様が危険な目に遭うかもしれないから辞めさせる、ではなく、貴方になにがあろうともそれを守護することが俺の役目だ」

「俺は、何を履き違えていたのだろうな」と笑う黒羽。
 ここ最近、ずっと怖い顔をしていた黒羽ばかり見ていたせいだろうか。黒羽のそんな顔を見れることが嬉しくて、それ以上に俺のことを信頼してくれるという黒羽が嬉しくて嬉しくて――俺は思わず
「黒羽さんっ!」と目の前の黒羽にしがみついた。

「っ! い、伊波様……?!」
「俺、絶対にやってみせます。その……夢魔? 捕まえてきますので、待っててください」

 そう、黒羽の胸元を掴んだまま頭一個分高い位置にある黒羽の顔を見つめる。首が痛かろうがどうでもよかった。黒羽の眼差しは先程よりも幾分か柔らかく、「ああ」と俺の頭を撫でてくれるのだ。

「……けれど、第一に大事なのは貴方の身だ。夢魔の捕獲よりも、貴方の身の安全が大事だと……そのことだけは忘れないでくれ」

 俺は黒羽の言葉にはい、と大きく頷き返した。
 ずっと、自分の立場と俺のことで葛藤していたのだろう。そのことがわかっているからこそ、俺は黒羽が俺の意志を尊重してくれたことが嬉しかった。
 これで、本当に夢魔を捕らえることができればまた黒羽も安心できるはずだ。
 俺には俺のできることをしよう。そう一人改めて決心する。
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