成り代わり物語

田原摩耶

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後編【執着型偏愛依存症】

side:馬淵

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 なんでこんなことになったのだろうかとつくづく思う。
 額に滲む汗を拭い、ゆっくりと辺りを見回す。
 今はもう、見慣れた部屋のベッドの上。ここは、僕の部屋じゃない。
 立て掛けられた写真も、小綺麗に片付けられた部屋も、清潔感を保たれた寝具も、机の引き出しの奥に隠された一人の青年が映った大量の写真も、どれも僕にとって覚えがないもので、それと同時に既視感を抱いた。
 見覚えのない部屋への既視感。
 それは、この部屋の持ち主がどのような気持ちでここで朝を起きていたということへの既視感。

 古屋将。彼の気持ちは痛いほどわかる。だからこそ、早くここを出なければ。
 そう決意を固めることが出来た。
 僕はここにいちゃダメなんだ。





 古屋将と入れ替わってどれくらい経っただろうか。
 いつものように、とはいかなかったがまあ普通に彼として久保田君と一緒に登校した日の朝だった。

「古屋君さあ、昨日のあれ、なに?」

 教室に入るなり、ズカズカと机に近付いてきた一人の女子に「は?」と目を丸くする。
 あまりにもいきなり過ぎて頭が追い付かなかったのだから仕方がない。彼女はそんな僕の反応が気に入らなかったようだ。

「だからメールだってば、どういう意味なの?」
「……メール?」
「とぼけないでよ」

「なんなのこれ。わざわざメールなんて使わないで直接言ってくれればいいじゃん」眉間にシワを寄せ、そうキッと睨み付けてくる女子は言いながら手にした携帯の画面を目先に押し付けてくる。
 周りの目も気にせずいきなり迫ってくる女子にぎょっとしつつ、僕は言われた通り携帯の画面に目を向けた。
 そして、その画面に表示された文字に目を見開き、携帯を離そうとする女子の細い手首を乱暴に掴んだ。

「きゃ……っ」

 そのまま引っ張り画面を食い入るように見詰め、表示された内容に全身の血の気が引くのがわかった。
 女子の画面に表示されたのは僕の携帯、もとい古屋将名義で登録された携帯からのメールだった。
 内容は酷いもので、彼女宛の中傷が主で中には性的なものも含まれている。
 どうやら彼女が怒っているのはこのメールが原因らしい。
 無理もない。誰でもこんなメール送られたら怒る。
 そう、誰でもだ。

「……これ、僕じゃない」
「……え?」

 冷や汗が滲む。
 メールの内容もだが、これが古屋将の携帯であること、その本体を持っているのが古屋君だということ。それらを考え、浮かんでくるメールの送り主である古屋君の意図。
 それが理解出来たからこそ、動揺する。
 そして次の瞬間。

「ちょ、離してよっ!」

 声を荒げる女子に思いっきり手を振り払われ、携帯を奪い返される。
 甲高い声に反応して、ざわついていたクラス中の視線が自分たちに向けられた。

「酷いよ古屋君、いくらうちのことが嫌いだからって、こんなこと」

 しんと静まり返る教室内。
 唖然としながら女子に目を向ければ、今にも泣き出しそうな顔をした女子と目があった。
 突き刺さる無数の視線に身がすくむ。

「…………」

 やられた、と。
 僕はここにはいない男子生徒の顔を思い浮かべ、クラスメートになぐさめられるぐずる女子を眺めていた。


 今朝のひと悶着から数時間経ち、今はもう昼休みになる。
 あれから、酷い目に遭った。とは言っても殴られたりしたわけではないが、周囲の環境が一変したのだ。
 どうやら、古屋君は今朝の彼女以外にもあのようなメールを送ったらしい。
 あの後、僕の元にやってきた数人の男女に同じように問い詰められた。
 彼の目的は周囲からの孤立、僕がいるこの古屋将自身の嫌われることのようだ。
 その目的は達成している。
 お陰で、周りから孤立してしまった。

 正直孤立した状況に慣れていた僕からしてみれば正直常に人に囲まれていた古屋君の学園生活は身動きが取れず、鬱陶しくて堪らなかったので今のこの現状は有り難かった。

 一年生らしき生徒たちがきゃっきゃと遊んでいるのを遠巻きに眺めながら、ベンチに腰をかける僕は売店で買ってきた沢山のパンの内の一つをかじる。
 古屋君はいつも友達と昼食を食べるので交換する用のだったり皆で食べるものを余分に用意していた。
 だから、今回もと用意したのだがやはり誰も誘いに来ない。
 自分から誘うのも得意ではない僕はこうして久し振りの一人の昼食を摂っていたわけだが、やはり心細い。

 それにしても、古屋君はなにを考えているのだろうか。いくら僕が嫌いだからと言って、彼は自分がこの体に戻ったときのことを考えていないのだろうか。もしくは、諦めて開き直っているのか。
 話し合おうとしてもまともに取り合ってくれない古屋君のことを考えれば、胃がキリキリと痛み出す。
 やはり、古屋君の一番近いところにいる渡利君の協力がないとこの状況は打破出来ないだろう。
 なんとかして、もう一度彼と二人きりになる機会はないだろうか。そう、考えていたときだった。

「ふーるや」
「っ!」

 背後から足音が近付いてきたと思った瞬間、聞き覚えのある声が聞こえた。
 耳障りのいいその声質に、胸の鼓動は跳ね上がる。全身が緊張し、必要以上に狼狽える自分を必死に宥めながら僕は声のする方を振り返った。
 そこには、見覚えがある男子生徒が人懐っこそうな笑みを浮かべ立っていた。

「くぼ、た」

 いきなり現れた久保田君は何でもないように「よっこいしょ」とか言いながら隣に腰をかける。
 軋むベンチに久保田君の存在を再確認し、慌てて隅に寄った。
 なんで久保田君がここにいるんだろうか。
 誰にも知らせていないはずだ。
 思いながら、どうすればいいのかわからず硬直していると久保田君は「女子泣かせたんだって?」と笑いかけてきた。


「罪な男だなー」

「……はは」

 本当はあのあと色んなやつに言われたんだけど。
 なんてカミングアウトする気にもなれなかった僕はただ乾いた笑みを浮かべた。
 もう、久保田君の耳にまで届いているのか。その事実だけがただゾッとする。

「どうした。いつもにまして元気ねーじゃん」

 後ろめたさから相手の顔をまともに見ることが出来ず、俯く僕を心配してくれているようだ。
「ほら、俺の野菜ジュースやるよ」言いながら、どこからか取り出したパックジュースを手渡してくる久保田君に狼狽えつつ僕は「あ……ありがとう」と微笑み、それを受け取った。
 久保田君は「どういたしまして」とニコニコ笑いながらこちらを見てくる。どうやら飲めということのようだ。視線で促され、内心どきどきしながら僕は未開封のそれを開き、ストローを挿した。

「傷、もう大丈夫か?」
「うん、大分薄くなってきたよ。ほら」
「そうか、よかったな。まだあれだったらって思って運動部のやつからテープ貰ってきたんだけど」
「て、テープ」

 久保田君なりに心配してくれているようだ。
 使用済みテープを取り出し、膝の上に載せてくる久保田君に素で狼狽える僕。
 テーピングするような傷ではないがせっかくだし貰っておくか。
 相手の好意を無下に出来ず、それを受け取った僕が「ありがとう」と小さく笑い返せば、つられて微笑んだ久保田君は「お礼はパンな」と冗談混じりに続ける。その言葉に、僕は手元に余ったパンを思い出した。
 丁度いい。処分するのも勿体ないし久保田君にあげよう。

「パン?なにパンがいい?」
「あ、なに?まじでくれんの?」
「うん、ちょっと買いすぎちゃってさ」

 言いながら、紙袋に入ったパンを久保田君に見せたとき、ふと閃いた。
 そうだ、この手があったか。

「久保田」
「ん?どーかした?」
「馬淵は一緒じゃないの?」
「馬淵?ああ、そういやまだ会ってないな」
「呼んだらいいじゃん」

「二人だけじゃ多いし、あいつ呼んだら丁度いいだろ」そう、久保田君に提案してみれば目を丸くした久保田君は「うおっ珍しく古屋が優しい」と茶化すようなことを口にする。
 それも束の間。

「了解、連絡してみるわ」

 久保田君はそう言いながら携帯電話を取り出し、古屋君、もとい僕名義で登録された番号へと連絡する。
 案の定、古屋君はすぐに出た。
 そして短い通話を終え、携帯を閉じた久保田君はこちらを振り返る。目が合えば嬉しそうに微笑んだ。

「すぐ行くだってよ」
「……そう、ならよかった」

 僕が呼んでも無視する古屋君が久保田君からの呼び出しに食い付くことくらい想定内だったが、やはりなんとなく面白くないというのが本音だった。
 しかし、彼が食い付いてくれたのはよかった。膝に載せていたパンの詰まった紙袋をベンチに置き、立ち上がれば隣に座っていた久保田君は「古屋?」と不思議そうにこちらを見上げた。
 そして、僕は微笑み返す。

「……俺、ちょっと飲み物買ってくるからそこで待っといてよ」

 そう久保田君に別れを告げ、ベンチから離れた僕は足早に校舎内へと向かう。
 目的はただ一つ。古屋君が久保田君と一緒にいる隙に渡利君に接触するためだ。

「おい、古屋。自販機ならそっちじゃ……
 ったく、本当忙しいやつだな」

 ◇ ◇ ◇

 渡利君に会うため校舎へ移動した僕は渡利君の教室を覗いてみるがよく考えなくても彼は教室でのんびり過ごすような性格ではない。
 勿論教室に渡利君はおらず、クラスの人に聞いてみるもなにかしら適当な理由つけてかわされた。
 最悪の場合、聞こえないフリもされた。
 どうやら古屋君の悪戯はこんなところにも影響を及ぼしているようだ。不便だが、仕方ない。
 こうなったら直接コンタクトを取るしかない。
 そう決意した僕は一階の昇降口まで移動し、公衆電話を使って渡利君の携帯電話に連絡する。手にした受話器から数回コールが響いたとき、電話は繋がった。

「……もしもし」
『…………』
「渡利、くん?」
『誰だよ』
「僕だけど……馬淵周平」
『…………』
「今昇降口のところにいるんだけど、出て来れないかな」

 外にいるのだろうか。やけに雑音が入る。
 勘繰るような渡利君の沈黙が痛くて、無意識に受話器を握る手に力が込もった。
 やはり、相手が渡利君というだけで緊張してしまう。しかし、ここで怖じ気づいては渡利君に不審に思われてお仕舞いだ。
 ちゃんと、言わなきゃ。電話を掛ける直前まで脳内で繰り返していたシミュレートを思い返しながら、僕は口を開く。

「古屋君なら今から久保田君のところに行くはずだから一人になれるよね。……気が向いたらでいいから。ほんとに」

「……待ってるから」そう、相手の口を挟む隙がないよう矢継ぎ早に続けた僕はそう呟き、渡利君の返事を待たずに受話器を置いた。ガチャンと音を立て途切れる通話。
 今は休み時間。各々の目的を持って行き交う生徒たちを背を向けた僕は、なんだか大きな仕事を終えたような疲労感を覚えた。

「…………はぁ」

 会いたくない。

 
 どれくらい経っただろうか。
 休み時間終了のチャイムが鳴り、大分生徒の影がなくなってくる。
 売店横の公衆電話の前に立ち、やっぱり来てくれないのだろうか、なんて弱気な思考を働かせたときだった。
 奥の通路から見覚えのある男子生徒がやってくる。相変わらず目につく派手な原色のTシャツに、無造作に流した黒髪。

「…………渡利君」
「…………」

 ズカズカと大股でこちらへ向かってくる渡利君の姿に、鼓動が加速する。
 冷や汗が滲み、つい後退りしそうになる自分の足に力を入れぎゅっと床を踏み締めた。
 駄目だ駄目だ、ここで狼狽えては駄目だ。自分自身に言い聞かせるように口の中で呟き、慌てて口許に笑みを浮かべる。

「いきなり呼び出しちゃってごめんね。……早めに、話したかっ」

 そう、言いかけたときだった。目の前までやってきた渡利君は、そのまま僕の横を通り過ぎて行く。

「あ、ちょ、待っ……渡利君っ」

 焦って、咄嗟に振り返った僕は渡利君の腕を掴む。
 いつもならそのまま引き摺られそうになっていたのに、やはり古屋君の体だからだろうか。
 渡利君はすぐに足を止めてくれた。そして、こちらを睨むように振り返る。

「ここじゃ話しにくいんだろ」
「……え?」
「場所変えんぞ」

 もしかして、振り払われるかもしれない。そう、ぎゅっと渡利君の腕を握る手に力を入れた矢先だった。
 どうやら渡利君なりに気を利かせてくれていたようだ。目が合い、なんとなく気まずくなった僕は慌てて渡利君から手を離す。
 そして「ありがとう」とだけ呟いた。

 昔から、渡利君には身長で負けっぱなしだった。渡利君に負けているのは身長だけではないが、やはり端から見てわかるものだからだろうか。
 特に気にしていたが、今は違う。視線が近い。古屋君の体になった今、顔を上げなくても渡利君の顔を見ることが出来た。前々から身長が伸びればいいなと目標にしていた僕はこんな風に渡利君に近付くことが出来ると思わず、今はただ急激な視野の変化に狼狽える。
 こうして向かい合って立っていると、尚更だ。

 場所は変わって、校舎裏。

「僕と古屋君とのことはこの間も言ったけど、えっと」

 馬淵周平としてこうやって渡利君と改めて話すのは久しぶりのことで、どうしたものかとしどろもどろ言葉を口にすると渡利君は「別に疑ってない」とだけ呟いた。
 渡利君のその一言に、僅かに安堵する。そして、本題に入ることにした。

「なら良いけど、その、協力して欲しいことがあるんだ。渡利君に」
「協力?」
「古屋君を、元に戻りたがるようにしたいんだ」

 そう、単刀直入に渡利君に目的を告げる。
 よくわからない理由で僕と彼が入れ替わってから僕はずっと試行錯誤してきた。
 だけど、やはりダメだった。
 原因を調べるには古屋君の協力は欠かせないものだし、彼が戻る気にならなければなにも調べる出来ないのも事実だ。
 彼が協力してくれたからといって必ずしも戻れるかどうかわからなかったがそれまた別の問題だ。

「……元にって」
「だから、僕は僕、彼は彼の体にって意味だよ。……何度も古屋君に言い聞かせようとしても聞いてくれないんだ」
「元に戻れるのか?」
「わからない。わからないけど、古屋君の協力がないとどうしようもないのも確かなんだよ」

「頭をぶつけたりとかそういう分かりやすいのだったらいいんだけど僕たちの場合切っ掛けがわからないから」そして、そう本音をぶち撒ける。
 なにかしら、切っ掛けはあるはずだ。それさえわかることが出来れば戻れる可能性は出てくる。

「目を覚ましたらいきなり……か」
「うん。なんの前触れもなかったはずなんだ」
「……協力するのはいいけど、その古屋将を元の体に戻りたがるようにするっていうのは具体的にどうするんだよ」

「超能力とか使えねーぞ、俺」溜め息を吐き、難しい顔をする渡利君。
 協力する。なんでもないようにさらりと出たその言葉にほっとしながら、僕は「そんなに深く考えなくていいよ」と小さく微笑んだ。

「僕の体なんかにいたくないって思わせることが出来たら、それでいい。難しいことじゃないよね」
「難しいだろ」

「あいつ、言うこと聞かなきゃお前の体を傷付けるってリスカしようとしたんだぞ。そんな手荒いことしてお前の体がどうにかなったらどうするんだよ」フォローする僕の言葉に対し、どこかばつが悪そうに視線を泳がせる渡利君は続ける。
 その言葉に、僕は小さく息を吐いた。

 やはり、あの夢か。
 古屋君と入れ替わってから毎朝毎朝、脳裏で流れるモノクロの映像。
 先日、渡利君の目の前で自分の手首に向けてカッターナイフを押し当てる夢を見て、どことなく生々しく既視感溢れるその夢がなんなのかなんとなく気になってはいたがやはりそれは現実だったようだ。
 だとしても、僕には古屋君の行動を制限する能力はない。

「別に、今更傷の一つ増えたところで構わないよ」

「でも、流石に死なれたら困るからさ、ほどほどにビビらせるぐらいならいいよね。ほんと、些細なことでいいんだ。例えば渡利君が彼に協力しないって脅すとか」彼に自傷行為をさせずに説得させる方法なんてたくさんある。

「そうしたら、きっと頼りを無くした古屋君は懲りるはずだ」

 そう、なるべく無茶ではない提案する僕だったが目の前の渡利君は「なるほど!その手があったか!」と喜んでくれるわけでもなく、ただ、切羽詰まったような顔をした。

「……」
「……渡利君?」

 なにも言わない相手に段々不安になり、そう、恐る恐る相手の名前を呼んだときだった。
 不意に、顔を上げた渡利君と視線が絡み合う。
 そして、

「わかった、どうにかなんねえか試してみる」

 そう一言、やっぱりどこかばつが悪そうに頷く渡利君だったが今の僕にとってその言葉だけで十分だった。

「あ、ありがとう……!」
「うるせえな。別にお前のためじゃねえよ」

「これ以上、好き勝手されんのが気に入らねえだけだ」そして、ボリボリと頭を掻いた渡利君は小さく溜め息を吐くように、吐き捨てた。
 僕はその言葉の意味がよくわからず、渡利君の言葉にただ純粋に安堵した。 
 今、古屋君に一番近いであろう渡利君が助けてくれるということはなによりも心強くて、僕は慌てて渡利君に頭を下げる。
 それでも渡利君の表情が晴れることはなかった。
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