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3.???
02
まるで見てはいけないものを見てしまったような感覚の中、藤に腕を引っ張られてそのまま玄関の外まで連れ出された。
その後のことはよく覚えていない。犬馬先輩が呼んだ救急車とパトカーのサイレンが近付いてきて、それから部屋から担架に乗せられた二人が救急隊の人たちに運び出されていくのをただ茫然と見ていた。
二人を付き添うため病院へと向かうという常楽先生に「お前らは学校に戻っていろ」と言われた。俺たちは最初からただの野次馬だと警察に説明されていたお陰か、軽い事情聴取でその場で解放されることになった。
その代わり、パトカーの後部座席に乗せられている犬馬先輩は茫然としている俺たちを見て手を振っては隣にいた警察官に窘められていた。
それから数日。
織和は暫く近くの病院に入院することになって、天翔はすぐに退院した。らしい。
二人のことはあっという間にそれは学校でも話題になる。元々付き合っている噂があった二人が大怪我するほどの喧嘩をし、それには三年の犬馬先輩が関わっているというのだから。
『織和折が犬馬利千鹿に浮気して、それが原因で天翔慈門が二人に暴行した』なんて、馬鹿げた噂とともに。
織和がそんなことをするはずがない。そう俺も、藤も知っていた。
そんなくだらない大衆のことはどうでもよかった。それよりも、俺の頭の中にはあの時の常楽先生の横顔が忘れられなかった。織和に向けたあの目が。何かに祈るように握り締められた手が。
そして、犬馬先輩のあの言葉が。――恐らく先輩も俺と同じ違和感を覚えている。
噂の出所がどこがだとかどうでもいい。
それよりも、あの三人に何があったのか。織和が一人で天翔と犬馬先輩に傷を作ったとは考え難い。
それ以上に犬馬先輩も常楽先生の織和への態度に気付いていたとなると――無性に嫌な予感がした。
緩やかに日常は廻り始める。
空いたままの織和の席。本人たちが不在の中、他の奴らは好き勝手囁き合う。止めるやつも憐れむやつもいるが、声のでかい連中はどこにでもいる。
表向き、教師たちもわざわざ注意することはなかった。何もなかったように触れなかった。ただ、寄り道はするなと。校内でも街中でも生徒の喧嘩を見かけたらすぐに通報するようにと、朝のHRで口頭で注意されるだけだ。
事件の翌日、登校した俺を呼び出した担任に言われた。
要約すれば昨日あったことは他に言うなと。騒ぎを大きくして他の生徒に刺激するようなことをするな。そんな内容を三十分かけて釘を刺される。
俺はただ頷いた。部外者も同然の立場だ。最初からその気なんてなかった。
それでも噂は波紋のように広がっていく。退屈な日々を払拭するように生徒たちは群がる。
それらは耳を塞ぎたくなるような根も葉もない醜聞へと変化し、教室の中で飛び交うそれに耐えきれずに止めようとして――できなかった。
俺は、何も知らない。何があったのかも、織和のことも、天翔のことも。
そう理解した瞬間、止めるための言葉もでなかった。
「お前ら、さっさと座れ。今席に立って騒いでるやつ全員遅刻扱いにするぞ」
教室の扉が開き、常楽先生が顔を出す。
何事もなかったような顔で言い放つその言葉に「やべ」と騒いでたやつらも慌てて席についた。
教壇に立ち、教鞭を振う常楽先生はいつもと変わらない。どちらが本当の先生なのか分からない。
そんなことを考えては時間は過ぎていく。まともに授業の内容も入ってこないまま授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、授業が終わる。
そして、
「甘南」
授業が終わり、次の授業の準備をする者や友人たちと過ごす者で溢れかえる教室の中。
教材を手にした常楽先生はこちらをまっすぐに見て、そして顎を小さくしゃくった。
来い、という意味なのだろう。無意識に緊張する。なんの話なのか、心当たりはありすぎた。
俺は「はい」と頷き、先に教室を後にする先生の後を追いかけた。
――地歴倉庫室。
「織和が目を覚ました」
扉を閉めるなり、常楽先生はそう俺に背中を向けたまま口にした。
「……そう、ですか」
「何か聞いていたか」
「いえ、なにも。……織和は、なんて」
「何も喋らない。命に別状はないが、頭部の外傷が酷かった。……医者が言うには後遺症の心配はないというが、それよりも気がかりなのは精神面だ」
あれ程の怪我と出血量だ。
普段暴力からは縁遠いところで生きてきた織和がそれほどの暴力に曝されたと想像するだけで手足が冷たくなる。本人となればその恐怖は計り知れない。
スツールに腰をかけた常楽先生は「甘南」とこちらを見た。
「時間があるときでいい。……あいつに会いに行って、話し相手になってやってくれ」
投げかけられたその言葉に一瞬固まる。
以前にもこうして織和のことを頼まれたことはあった。
あの時は当然だと思って即快諾した。けれど、今はその意味合いは変わってくる。
「今のあいつに必要なのはお前だ」
「……」
「……頼む。あいつの支えになってやってくれ」
そう差し出されたメモには恐らく織和が入院してる病院が書かれているのだろう。
この人は、と喉の先まで熱いものが込み上げてきた。
あの時からだ。あの時から、この人は自分が果たせない役割を自分に押し付けてきたのだ。
そう理解したと同時に差し出されたメモをテーブルの上に叩きつける。
「お断りします」
「……お前な」
「俺は先生に言われたからあいつの見舞いに行くわけじゃありません。……俺は、あいつに会いたいから会いに行くだけです」
そう言い返せば、常楽先生は鼻で笑う。
「……そうか。それでいい。好きにしろ」
不遜で冷たく、それでいて何故だか満足そうに頷く。
先生の考えていることが理解できなかった。いや、できたからこそ――その行動が理解できない。
一番織和のことが心配なのは自分なのに、何故。
立ち上がり、メモを破り捨てた常楽先生はそのまま地歴倉庫室を出て行こうとする。
「先生は本当にそれでいいんですか」
その背中に呼び掛ければ、扉に手をかけたまま常楽先生は肩を揺らした。
笑っているのだと気づいた。
「良いんだよ、それで」
――教師って、むかつく。
藤が言っていた言葉が頭の中で反芻される。
少なくとも俺は常楽先生のことは尊敬していた。立場上正しい判断なのだとも理解できる。
それでも、それなのに、それだからこそ。
あの人は俺に酷いことを言っている。その自覚があるのだろう。俺の次の言葉を待つ前にその場を後にした。
追いかけることもできた。問い詰めたってよかったのに、何も言えなかった。
先生の背中を見てたら、あの時織和を抱いていたときの先生のことを思い出して言葉が出てこなかった。
それから自力で織和の入院先を調べ、何度か会いに行った。
調べると言っても担任に聞いたくらいだ。口を開かない織和たちに教師も警察も参っているらしい。『友人として心配だから』と伝えれば、あっさりと教えてくれた。
学校からは遠くはなく、帰り道とは正反対ではあるものの通えない距離ではない。
何度か面会を断られたが、一度病院で織和の母に会ったときに一緒に通してもらった。
病室の扉を開けた時、嬉しそうにこちらをみた織和の顔が瞬く間に落胆のそれになったときのことを今でも思い出す。
ああ、本当にあの人はなんてことを俺に頼んでくれたのだと思った。
誰を待って、誰と勘違いしたのか。
ここ場にはいない教師のことを思い出し、胸の奥にに苦いものが広がる。それを必死に見なかったことにし、俺は織和と話した。
織和の反応は希薄だった。落胆を隠そうとともせず、一緒にいたくないと全身で拒否される。
おばさんもその織和の態度には慣れたらしい。最低限のやり取りだけ済ませて、俺を残して先に病室を後にした。
流石に保護者が帰って居座るわけにもいかない。慌てて退室しようとした時、
「ごめん」
小さく織和はそう呟いた。
「今、君に優しくできそうにない」
喋れない、と聞いていた。以前よりもか細く、掠れた声。それでもしっかりと俺の耳には届いていた。
「構わない。俺は優しくされに来たわけじゃない。……気なんて使わなくて良い」
織和は笑わなかった。何も言わず、こちらも見ようともしなかった。
「放課後、なるべく顔を出す。欲しいものがあったら言ってくれ」
「ないよ、なにも」
「……」
「……帰って」
ごめん、ともう一度織和は繰り返す。
「君は良くても、僕が耐えられそうにないから」
君に酷いことを言うのは、と織和は小さく呟いた。
その目に涙が溜まっているのを見て、常楽先生の言葉の意味を知る。
織和は昔からそうだった。自分の言葉を押し殺し、人を優先する。こんな状況ですら、織和に気を遣わせているというのが苦しくて、我慢できなかった。
――俺じゃ、駄目なのか。
喉元まで出てきた言葉を飲み込む。
あの人じゃなくて、天翔でもなく、俺では。
「……分かった。今日のところは帰る」
「……」
「暇な時、呼び出してくれて構わない」
「サボれないでしょ、小緑君は」
先ほどまで冷たいほど無表情だと思えば、くすりと笑う織和に思わず動揺した。こんな風に笑うやつだったか、と込み上げてくる疑問と図星を刺された気まずさの中、「放課後、会いにくる」と念を押せば織和は目を伏せた。
肯定も否定もせず、何も言わずにベッドに寝転ぶ織和。それを肯定と受け取り、俺は「おやすみ」とだけ残して病室を後にした。
織和は最後まで何も言わなかった。
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