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2.シャーデンフロイデ
現状維持による損失について
僕にとって穏やかでなんてことのない日常は数日続いた。
何もかも夢だったように元通りになっていく。
慈門君とも揉めることもない。
顔合わせれば以前のように話せるようになったし、手を繋ぐくらいはできるようになった。
けれど、
「……折」
静まり返った図書室に慈門君の声がやけに大きく響いた。
他の生徒も、一緒だった当番の子も帰らせた後のこと。残ってるカウンター周りを片付けながら慈門君と話している内に、背後に立った慈門君に抱きしめられる。
明確に空気が変わるのを感じた。
甘ったるい、そんな空気。そんな空気に腹の奥が重たくなる。
僕はこの空気が好きではない。
慈門君の人が変わる予兆だと認識しているからだ。
「……慈門君、もう少し待ってね。ここ片付けたらすぐに帰ろう」
「いいよ、このままで」
「……っ、慈門君」
「なあ、まだ嫌だ?」
俺のこと、と慈門君は掠れた声で尋ねてくる。
背中に感じる重みと慈門君の熱、吐息に目眩を覚えた。
それでもまだ僕のことを伺ってるのだろう。カウンターについた手に自分の手を重ね、慈門君はそろ、と指を絡めるのだ。
あれから僕らは手を繋ぐ以上のことはしていない。
キスも、そう言う流れになってもしなかった。
僕が避けているわけではなく、慈門君も遠慮していたからだ。
だからこれは慈門君にとって勇気の行動だったのかもしれない。
だとしても、僕は。
「……ここ、図書室だよ。……お願いだから場所、考えて」
「……」
「慈門君?」
「……はぁ……」
深い溜息とともに慈門君は僕から手を離した。
思わず振り返れば、「なんてな」と慈門君は何事もなかったように僕の肩を叩いた。
「……ごめん。怒るなよ、折」
「……」
「悪かったって、まじで。……しねーから、もう」
僕の顔を見て、浮かべていたその笑顔もみるみる内に引き攣っていく。それから「ごめん」と重々しく吐き出した。
「……慈門君、僕は……」
「俺、なんか手伝えることある? なさそうなら先外で待っとくわ」
「大丈夫だよ、僕一人で」
「ん、了解。んじゃ待ってるな」
慈門君、と呼び止めるよりも先に慈門君は図書室を後にする。
最後にはいつもの慈門君に戻っていたが、どう考えても傷付いているのは明白だった。
「……」
一人になったカウンター内、まだ慈門君の熱が背中に残っているようだった。
それがじっとりと重たく伸し掛かってくるのだ。
溜息を吐きたいのはこちらだ。
こんなつもりではなかった。けれど、最後の慈門君の態度がやけに引っかかっていた。
僕の話も聞きたくないと言うかのように図書室を出て行った慈門君。
……怒っているのは君じゃないのか。
そしてそれを隠されているのが分かるからこそ余計、胸の奥が重たくなる。
キスくらいさせておけばよかったのか。
けど、こんな場所で。
……いや、ダメだ。ここで折れては前と同じだ。
慈門君だって分かってて身を引いたはずだ。
なら僕もそれに応えないと。
一先ず僕は片付けを済ませ、図書室の外で待っているであろう慈門君の元へと向かった。
縺れは最初からあった。
傍目に解けたように見えても、元の糸が解れていれば根本的な解決にはならない。
――僕はそれを知っていたはずだ。
それでも、一時の平和のために見て見ぬフリをしてきた。逃げてきた。
向き合うフリをして保身を選んだ。
きっと、それが過ちだったのだろう。
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