悪役令息・オブ・ジ・エンド

田原摩耶

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一巡目

01

 一度目の死はあいつの一言だった。

「リシェス、今このときを以てお前との婚約を破棄する」

 片脇に抱えた黒髪の素朴な少年を携えたまま、俺の婚約者だったあいつはそう冷ややかに告げた。
 終わった、と思った。
 今までしてきたこと全てはあいつに捨てられないため、だったのに。

 あいつ――アンフェールは燃えるような赤い髪を掻き上げ、「お前には失望した」と呟くのだ。

「アンフェール様、リシェス様は……」
「そいつをもう様付けする必要はない。牢にでも閉じ込めておけ。……処罰は追って下そう」

 アンフェールの言葉に、アンフェールの私兵の男たちがこちらへとやってきた。
 私兵に羽交い締めにされる俺を二度と振り返ろうともせず、アンフェールは側で心配そうにこちらを見ていた少年の背中に手を回す。

「アンフェール君、リシェス様は……」
「君が気にすることはない。……行こう、アンリ」
「あ、う、うん……」

 ああ、待ってくれ、アンフェール。
 俺はただお前に、お前とまだずっと一緒にいたかっただけだったんだ。

 二人を追いかけようとすれば抵抗と取られたのだろう。声を出すこともできぬほど殴られ、押しつぶされる。そしてボロボロの体を引きずられ、俺は学園の地下にある懲罰部屋へと監禁された。

 ――アンフェールとの婚約破棄が全てが終わる合図だった。
 ――そう気付いたのは、懲罰部屋で舌を噛み切って死んだあと、その記憶を抱えたまま一ヶ月前に時が巻き戻ったときだ。

 ばちんと、弾けたような音ともに過去と未来、現在の記憶が混ざり合う。

 俺は確かこれからアンフェールのところへ――あいつがいる生徒会執務室へと行こうとしていた途中だった。
 昼下がりの青空の下。突然許容範囲を超えるほどの記憶力に堪えられず、俺は頭を抱えたまま声を上げた。

「っ、リシェス様、どうされましたか?」

 俺と同じ制服を着た男子生徒が駆け寄ってくる。濃紺のネクタイの色からして下級生だろう。俺は「ただの頭痛だ、気にするな」と断り、一先ず近くの木陰へと移動する。

「……っ」

 ――なんだ、これは。
 暫く木の幹に体を凭れさせて休憩していると、次第にまぜこぜになっていた記憶の波が落ち着いていく。そして、次にやってきたのは純粋な困惑だった。

 俺の頭には今、三つの記憶が混在していた。
 今の俺、そして一ヶ月後、確かに自決を計った俺のもっている記憶、そして――この世界が偽りだという記憶だ。
 特に三つ目の記憶の量は膨大で、見知らぬ世界、そこで暮らす卯子酉丁酉うねどりていゆうという聞き慣れない名前の俺の約十六年分の記憶がしっかりと存在していた。
 そこで、『アルバネード戦記』というこの世界そっくりのBLゲームが存在していた。
 そこに、アンフェールも、俺も確かに存在していたのだ。
 メインキャラクターの『アンフェール』、そして攻略不可であり必ず物語の中盤で死亡が確定しているという『リシェス』――俺だ。
 卯子酉丁酉である俺はそのゲームの存在だけは知っていた。妹に布教とは名ばかりに押し付けられてフルコンプさせられたからだ。

 どの記憶が本物で、どの記憶が偽物なのか。
 はたまた全て白昼夢なのか。

「……っ、今日は、休むか」

 午後の剣術授業に出てまともな動きをできる自信がなかった。
 俺はふらつく足取りで中庭を出て、学舎からは離れた学生寮へと向かった。


 どれだけ休んでも夢は覚めない。
 それどころか、卯子酉丁酉として過ごしていたときの記憶が恐ろしく馴染むせいで、今まで当たり前のように過ごしていたこの世界に違和感を覚えてしまうほどだった。


 ――寮舎、自室。

「リシェス様、おはようございます。今日もお麗しいですね」
「ああ、ありがとう」
「アンフェール様がお呼びでしたよ。昨日リシェス様が早退されたことを心配されているみたいでした」

「お熱いですね」とハルベルは頬を赤らめて微笑んだ。
 俺の使用人でもあり、同級生――いや、学友でとあるこの男はとにかく恋バナが好きだった。
 黙っていたら格好いい男ではあるが、そこらの女子のような男だった。
 特に俺とアンフェールの仲を応援しているようだ。メイドたちに混ざってよく恋愛小説の話をしているのを何度か見たことある。

 ――いや、恋バナって。

「リシェス様?」
「……なんでもない。アンフェールのところに行ってくるよ」
「はい、わかりました」

 俺はハルベルと別れ、そのままアンフェールの部屋へと向かう。あいつの実家は大層な金持ちという設定だった。
 違う、あいつは公爵の息子で……。あれ。

「……」

 まずい、頭がぐちゃぐちゃになっている。

 アンフェールの部屋がある通路の真ん中で、ないはずの選択肢を探してしまう。
 いつもだったらマップ上のアイコンを選べば一気に会いに行けたはずなのに。

 そう立ち止まっていたときだ。

「おい、大丈夫か」

 聞き覚えのある声に顔を上げれば、そこにはよく見慣れた顔があった。

「――アンフェール」
「……具合、まだ悪いのか。救護班を呼ぶか」
「いや、大丈夫……っつ、う」
「リシェス!」

 あ、やべ。目が回る。
 咄嗟に転倒する覚悟で目を閉じたとき、アンフェールに抱き締められる。

「……大丈夫か、お前」

 あれ、なんだこれ。どっかで見たことある構図だ。
 なんて思いながら俺は目の前の美丈夫を眺めていた。そして、ハッとその腕を押しのける。

「……すまない、貧血のようだ」
「貧血だと?」
「少し休んでおけば多分……」

 大丈夫だ、と言いかけた矢先。ふわりと視界が傾いた。そして、すぐ側にはアンフェールの顔があった。

 やっぱり、これ、見たことある。

「――なら、俺の部屋で休めばいいだろ」

 心配そうにガサついた、低音ボイス。そしてお姫様抱っこスチル。
 ――これ、あのゲームのシーンじゃねえか。
 しかし、抱きかかえられているのは主人公ではない。俺だ。――いや、おかしいだろ。

「大丈夫だって言って……っ、おい!」
「黙ってろ、……本当に軽いな。ちゃんと食ってるのか」
「ほ、放っておけ……」

 恥ずかしくないわけがない。男としてこんな軽々と抱きかかえられる。通り過ぎる生徒たちが何事かとこちらを見ていたが、アンフェールは気にすることなく通路を進んでいくのだ。


 そしてやってきたアンフェールの部屋。
 俺の部屋も大概優遇されていたが、それでも比にならないほどアンフェールの部屋は広かった。そのくせ、部屋の中は質素で物が少ない。
 大抵の貴族は装飾品や身なりに金を賭けて己の権力をひけらかそうとする。俺もその一人だ。
 ――けれど、アンフェールは正反対だった。

 寝室の扉を開く。そして卯子酉丁酉の部屋と同じくらいあるのではないかという広さのベッドの上に転がされた。

「っ、ん、おい……大丈夫だって言っただろ」
「……お前、変だ」
「変って、なんだよ」
「普段だったら無駄な抵抗はしないだろ」

 涼やかな目がこちらをじっと見る。ベッドの上、馬乗りのような体制で見下ろすアンフェールの視線が痛い。

 アンフェールの言ってることもわかった。
 リシェスである俺はアンフェールに媚を売り続けていた。その理由を改めて思い出し、息が詰まりそうになる。

「そ、れは――」

 リシェスとアンフェールは婚約関係にあった。 まあよくある政略結婚のようなものだ。俺の家も貴族とはいえど、公爵家の息子であるアンフェールと比べると遥かに世界が変わる。

 そんな俺がアンフェールと婚約まで漕ぎ着けられたのには理由があった。

 伸びてきたアンフェールの指が首筋を撫でる。そこに巻き付けられた首輪を確かめ、「ああ」とアンフェールは薄い唇に笑みを浮かべるのだ。

「……ちゃんと、つけてるのか」
「当たり前だ、これがないと……っ」
「卒業前に子供ができたりでもしたら、なにを言われるかわからないからな」

 この『アルバネード戦記』の世界では設定上、男同士でも妊娠・出産が可能だった。男女とはまた別の性別が存在する世界。アルファとベータ、オメガと呼ばれるその性別の俺は『オメガ』と呼ばれる性別だった。

 このオメガは特殊で、女のように孕むこともできる。そして、運命の番というものが細胞で埋め込まれている――らしい。
 そんで、俺の運命の番がアンフェールだった。
 幼い頃、家で行われたパーティーでアンフェールと出会った瞬間俺たちは理解し合ったのだ。
 そこからアンフェールとの交流は始まった。そして、アンフェールの方から婚約を申し込んできたのは最近だ。

 俺の親も金と権力の亡者のようなやつだ。どうぞお好きにと言わんばかりにアンフェールに差し出され、それから俺は実質アンフェール専用になった――はずだった。

 俺は知ってる。
 明日、転生者を名乗る少年が現れる。そいつは所謂この世界の概念を全てぐちゃぐちゃにするような『主人公』というやつで、俺とアンフェールの関係を塗り替えるのだ。
 運命の番を解消させ、新しく結び直すという能力を駆使するその『主人公』によって俺は自害へと追い込まれる。

 ――まあ実際、追い込まれたのはそこまでアンフェールに心酔していたリシェス自身の恋心なのだが。

「またぼーっとしているな」

 頬を撫でられ、思わず体を反らした。

「……アンフェール」
「――何故俺と目を合わせない?」

 本当に、こいつは鋭いな。
 けれど、今までだったらその空気にも飲まれていたのだろう。耳の凹凸を撫でられ、吹きかかる吐息の熱さに息が漏れそうになる。

「……っ、アンフェール、お前は……」
「ん?」
「……俺のこと、捨てないよな」

 ゲームキャラにこんなこと聞いたところでどうしようもないって分かっていた。
 それでも、あまりにも変わったアンフェールを見てきたばかりのせいか、不安でそんなことを口にしてしまった。
 アンフェールは目を開き、そして俺に軽くキスをする。

「捨てるわけないだろ、……求めたのは俺だ」
「…………ああ、そうだよな」

 幼い頃からずっと一緒に居た。
 この世界がなんなのか未だにわからないが、ずっとここまでリシェスとして生きてきた記憶も確かにあった。

 ――嘘吐き野郎。
 そう、そうっとアンフェールの背中に手を伸ばした。
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