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一巡目

03

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 ベッドの側のテーブルにハルベルからの香油の瓶を置いたおかげか、その日はゆっくりと休むことができた。

 そして翌朝、いつものように起こしに来たハルベルに着替えを手伝ってもらいながらも学校の準備を済ませる。

 その日はなんだか寮舎内が騒がしかった。
 何かあったのだろうか。そう考えて、ハッとする。
 そうだ、今日から確かあいつが――アンリがこの学園の生徒として受け入れられることになったのだ。
 そして生徒会でもあり、見つけた本人でもあるアンフェールがその面倒を見るという役を引き受ける、というのが流れだった。

 ということは、今頃生徒会室にいるのだろうか。
 俺の知らないところであいつらが勝手に好感度を高めあってると思ったら居ても立ってもいられなかった。

 俺はハルベルを置いて、そのまま学舎へと移動する。




 ――生徒会執務室前。

 目の前には相変わらずデカい扉。そしてそのまま扉を開こうとしたときだった。先に目の前の扉が開いた。

 そして、そこにいたのは。

「……リシェス?」
「アンフェール……と、お前は……」

 アンフェールの後ろ、俺と同じ制服に身を包んだそいつは人畜無害そうな顔をしてぺこりと頭を下げてくるのだ。

「あの、僕……八代杏璃って言います。えと、この前一緒にいた人、だよね?」

 そう恐る恐る、尋ねるように近付いてくるアンリ。
 俺は咄嗟になんて答えればいいのか分からず、目の前のアンリから目を逸らすことができなかった。

 違和感というか、デジャヴュだ。
 ――それも、『リシェス』としての記憶ではない。卯子酉丁酉としての記憶だ。
 以前の俺はこんな違和感を覚えることはなかった。しかしそれはあまりにも朧げで、体感に近い。

「――おい、リシェス」

 ぼうっとアンリの顔を見ていたとき、アンフェールに肩を掴まれはっとする。

「ああ……俺は、リシェスだ。……よろしく」

 以前の自分がどんな挨拶をしていたかわからないが、咄嗟に反応を優先させようとした結果、俺はアンリにそう手を差し伸べていた。
 これは、卯子酉丁酉のときのくせだ。リシェスならばこんな気安く他人に握手をしない。
 案の定驚くアンフェールにしまった、と思ったとき、アンリはにっこりと笑って俺の手を取るのだ。

「――よろしく、リシェス君」

 ほんの一瞬、アンリの声がノイズかかったように聞こえのは気のせいだろうか。思わず目を見開くが、アンリもアンフェールもいつもと変わらない。

 ……なんだ、この違和感は。

「アンリ、手続きがあるんだろう。……着いてこい、教室まで案内する」
「あ、はい。ありがとうございます、アンフェール君」
「……」
「そういえばリシェス、お前はなにしにここに来たんだ?」
「あ、……俺は……」

 しまった、なにも考えてなかった。
 自分のいないところで二人が仲良くなるのは怖かったし避けたかった。けど、そのための都合のいい理由も用意していない。
 口籠る俺の手を握り、アンリはにっこりと笑った。

「それじゃあ、リシェス君も一緒にどうですか?」

 いつもモニターの中で見ていた、そんな無邪気な笑顔でこちらを見るのだ。

 ――この展開は、なかった。

 初っ端からリシェスである俺はアンリのことを受け入れられなかったからだ。
 正直、俺の中には二つの心がある。
 プレイヤーとしてアンリのことは好きだった。悪いやつではないと分かっていたからこそ、複雑な気持ちだった。

 しかし、元より俺は原作ゲームの運命から逃れるためにいるのだ。

「――ああ」

 ならば、やれることはやるしかない。
 そう俺はリシェスの提案を快く受け入れた。 
 そんな中ずっと、神妙な顔でこちらを見てくるアンフェールの視線が痛かったが俺はそれを無視した。


 それから俺はアンフェールとアンリ、三人でこの学園の中を見て回ることになった。
 とはいえど俺はただのおまけのようなものだ。主にアンフェールがアンリに施設や設備の説明をして、それをアンリが熱心に聞く――そんな光景をやや斜め後ろから眺めていた。


 そして、学園内の案内を一頻り終えたあと。

「アンリ、お前の部屋は決まってるのか」
「部屋ですか? ……あ、そういえばさっき、先生がなんか言ってたような……」
「そうか。……今日はもう授業もない、部屋で休め。明日から授業に出ればいい。俺はこれから生徒会の仕事があるので戻る」

 アンフェールにしては優しい言い回しだ、などと思いながらそんなやり取りを見ていた。
 アンリの柔らかい雰囲気に気圧されたのかもしれない。なんて思っていたとき、ちらりとアンリがこちらを見る。

「あの、リシェス君はどうするんですか?」
「俺? ……俺は別に」
「だったら、一緒にどうですか?」
「え?」

 思ってもいない誘いに、思わず変な声が出てしまった。
 アンリの申し出に戸惑ったのは二度目だ。

「……ちょっとまだ、寮舎の方は自信なくて」

 そして、しゅんと落ち込んで見せるアンリに『ああ、そういうことか』と納得した。
 それなら断る道理もない。

「……まあ、そういうことなら」
「よかった、じゃあよろしくお願いしますね。リシェス君」

 言いながらあまりにも自然な流れで手を握ってくるアンリにぎょっとする。
 ……こいつ、こんなに距離が近いやつだったか?

「ああ」と返した声はなんとなくぎこちなくなってしまった。
 アンフェールの突き刺さるような視線から逃げるように、俺はアンリに引っ張られてその場をあとにしたのだ。



 それから一日の授業を終え、それぞれ勉学に訓練などと励む生徒たちに紛れて俺たちは寮舎へと戻ってくる。
 やはり俺とアンリの組み合わせは異色なのだろう。その上、何故か手を繋いでるのだから無理もない。
 驚いた顔をしたモブ生徒たちがひそひそと話し合ってるのを横目に、俺はなんとなく一種の居心地の悪さを覚えていた。

「……アンリ、だったか」

 あまりにも堪えられず、こちらからアンリに話しかける。
「はい」とアンリはこちらを見上げた。

「手を離してくれ。……その、目立ってる」

 そう言えば、アンリは俺が言わんとしていたことに気付いたようだ。はっとし、それからすぐに「すみません」と俺から手を離すのだ。

「別に構わない」
「ありがとうございます、リシェス君。……」
「……まだなにか?」
「いえ、なんだか……アンフェール君に聞いていたイメージと少し違うなと思って」

「あ、変な意味とかじゃなくてですね! 真面目でもっとクールな人だと思ってたというか……」思ったよりも話しやすい方で安心しました、なんて微笑むアンリに少しだけ心臓が跳ね上がる。
 別段美形ではないのになんとなく雰囲気があるというか、確かに現実にこういう子がいたら好きになってしまうやつの気持ちも分かるかもしれない。
 どうしても第三者としてアンリのことを見てしまう。こいつは恋敵であるはずなのに、あまりにも無防備すぎるから。

「アンフェール君から聞きました、リシェス君はアンフェール君の婚約者さんなんですね」
「そうだな」
「その、アンフェール君もリシェス君も男同士……ですよね? すごいな……」
「……」
「あ、ごめんなさい。僕ばっかり一人で喋っちゃって。その、僕……別の、異世界から来たんですけど」
「……知ってる」

「え?」とアンリの目がこちらを向く。

「けど、この世界じゃ別に珍しい話でもない。それに、男でも妊娠できる」
「……男でも?」
「全員が全員というわけではないけど、一部そういうやつもいるってことだ」
「じゃあ、リシェス君も赤ちゃんが産めるんですか?」

 思わず言葉を飲んだ。
 そう尋ねてくるアンリの顔が、なんだかさっきまでと雰囲気が違うように見えたからだ。
 だから咄嗟に俺はアンリから離れた。

「……別に、関係ないだろお前には」
「あ、ご、ごめんなさい……そうですよね、プライベートなことでしたよね」

 すると、さっきまでの異様な雰囲気はウソだったように、そこにはいつもと変わらないアンリがそこにいたのだ。
「それじゃ、行きましょうか」と俺を置いて歩き出すアンリに内心戸惑いながらも、俺は渋々その後を追った。




 それから寮舎へと戻ってきた。

 頭を下げてくる生徒たちに軽く挨拶だけ返せばそれだけで連中は喜ぶ。なんだか変な気持ちになりながらも、俺はアンリとともに通路を進んでいく。

 アンリの部屋の場所は知っていた。
 何度か寝込みを襲おうとしたこともあった。その度に失敗していた自分の記憶は今思い返すと妙な感覚だ。
 そのままアンリの部屋まで真っ直ぐ向かう。人気は少ない。
 静かな通路、やはり貴族専用エリアに比べるとかなり実は低いが、今の卯子酉である俺にとってはなんだか懐かしい感じすらもあった。
 そのままアンリの部屋の前まで行く。

「お前の部屋は確かここか?」

 そう、振り返ろうとしたときだった。
 思いの外近くに立っていたアンリにぎょっとする。背中がぴったりとくっつきそうな位置、そこから俺を見下ろしていたアンリは「はい」と微笑んだ。

「よくご存知ですね、リシェス君。僕はまだ部屋の場所までは言ってなかったと思うんですけど……」
「……たまたまだ、先生たちが新しい生徒の部屋割について話していたから、この時期に転入してくるやつなんてお前しかいないと思ったんだ」
「流石リシェス君、頭がいいんだね」

 なんだろうか、アンリの言葉の一つ一つに違和感を覚える。こちらを見下ろす目が探るようで気持ち悪いのだ。
 ……確かに、ちょっとまずかったかなとは思ったが。

「じゃあ用は済んだ、俺はこれで失礼するよ」
「待って、リシェス君」

 ぱし、と伸びてきた手に手首を掴まれる。

「部屋、寄っていきなよ」

 思いの外強い力に戸惑った。絡みつく骨っぽい指にそのまま掌を重ねるように握り締められ、全身が粟立った。
 ――恋人繋ぎ。
 記憶の片隅にあったそんな言葉が浮かぶ。
 八代杏璃はこんなねっとりとした男ではなかったはずだ。俺は困惑を顔に出さないように気をつけながら、リシェスとしてのロールプレイを全うした。

「断る。たった今、俺は気分が悪くなったからな」
「ああ、ごめん。……婚約者以外の男に触れられるのは苦手だった? さっきは自分から手を出してきたのに」
「……」
「冗談だよ、リシェス君。君は元々最近具合が優れないって聞いてたしね、ごめんね無理言って引き止めたりして」

 ぱっと手を離したアンリはそう申し訳なさそうに微笑むのだ。いつもの無害そうな顔で。
 転生者だから妙に鋭いのか。
 いや、待て、なんとなく嫌な予感がする。それもただならぬ嫌な予感だ。
 これ以上ここにいてボロを出してはまずい、そう悟った俺は何も言わず、そのままアンリの前から立ち去った。
 最後までアンリの視線を感じながら、俺はそのままの足取りで自室へと帰るのだ。



「……はあ」

 なんか変な汗掻いてしまった。
 ルートを変えるということは、この先の未来が未定となることだ。死亡エンドから逃れられればいいとだけ思っていたが、なんだか雲行きが怪しくなってきた。

 ここから先は未定の未来だ。
 気をつけなければ、と改めて気を引き締めようとしたときだった。

 いきなり視界が暗くなる。
 え、と思った次の瞬間、首を締められるような感覚が襲いかかってきたのだ。

「な、……っ、んだ……ッ!」

 何かを頭に被せられている。麻袋のようななにかからは微かに光だけは漏れていたがその向こうの景色はわからない。
 袋の口を首ごと締められれば、口も鼻も塞がれて息苦しくなった。

「……っ、む、ぐ……っ」

 いきなりの出来事に混乱し、逃げようとするにも視界が見れず、転倒したときだった。首の縄を犬のリードのように引っ張り、体を引きずられる。抵抗すればするほど締まる首に死の恐怖を覚え、やめろ、と縄を掴んだまま呼吸するための器官を確保しようとしたときだった。
 どこかで扉が開く音がし、そしていきなり体を放り出される。

「ぅ、ぐ……っ!」

 首の縄を外そうとしていた手首をそのまま力づくで捕まえられ、そのまま頭の上で固定された。手慣れた手付きで素早く拘束されてしまえば、もう逃げることはできなかった。

「……っ、は、……」

 なにが、起きてるのだ。
 どこの世界線でもこの展開はなかった。

 まさか、と一抹の思考が頭をよぎる。
 俺がアンリを虐めず、アンリと立場を変えようとしたからか?だから、何者かに虐められるということになったのか?

 ――だとすれば、最悪だ。
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