亡霊が思うには、

田原摩耶

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Five of those who cohabit

02

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 どれくらい歩いただろうか。方向感覚も取り戻せていない俺は、ただ目の前を歩いていく花鶏についていくことしかできなかった。
 木々の数が減っていき、拓けた場所へと出たとき。

「つきましたよ」

 そう、足を止める花鶏。顔を上げれば、そこには立派な屋敷が佇んでいた。相当年季が入ってるようだ、壁一面蔦で覆われている。手入れの行き届いていた庭に、けれど、明かりすらついていないその屋敷は異様な雰囲気だった。
 つか、ここ……見たことあるぞ。
 そうだ、仲吉が見せてきたあの幽霊屋敷だ。
 今回の肝試しの目的である屋敷が目の前に存在している。画像の中では半壊した廃墟だったり、姿を変えていたあの幽霊屋敷が確かに俺の目の前にあったのだ。

「っ、……まじかよ……家って……ここ?」
「ええ、そうですね。……私や貴方のような逸れ者が他にも数名、ここを仮住まいとして過ごしています」

 まさか、幽霊屋敷に招待される日が来るなんて誰が想像できただろうか。
 どうぞ、と花鶏の言葉を合図に一人手に開く巨大な蝶番の扉に息を飲む。

「……お邪魔します」

 気付いたら幸喜と藤也の姿はなかった。
 俺は、先を歩いていく花鶏について屋敷の中へと足を踏み入れた。
 仲吉がこの場にいたら、さぞかし喜んでいただろう。
 屋敷の中は薄暗い。外から見たときも気になっていたが電気が繋がっていないらしい。
 玄関ホール内、頭上には豪奢なシャンデリアがぶら下がっている。足元には真っ赤な絨毯が敷かれ、部屋の隅には客人用か花まで添えられているではないか。

「……すげー豪華なところですね」
「ありがとうございます、私の私物なんですよ」
「えっ? 私物?」
「準一さん、こちらに」

 さらっととんでもないことを言うなこの人……。
 けれど、この花鶏という男も既に死んでいて、オカルト雑誌には廃墟と紹介されてる時点で色々察してしまうのだが……けれど本当に階段を歩いているときの音や手摺を掴んだときの感触は本物だ。幻覚、ではないはずだ。
 玄関ホールの奥、二階へと繋がる二股の階段を登っていく。屋敷の外では本格的に雨が降り出したようだ。
 仲吉の顔がちらついたが、死んでしまった今どうすることもできない。とにかく、今は自分の状況を知る必要がある。
 二階通路、たくさんの扉が広がるその通路の奥、何かが動いているのが見えた気がしたがそれも一瞬。
 無人の通路がそこには広がっていた。 

「準一さん、こちらです」
「あ……はい」

 そして、通された部屋へと踏み込む。
 アンティーク調のインテリアで統一されたその部屋の中央にはソファーとテーブルが置かれてる。
 ここが幽霊屋敷だと思うと気味悪く思えるほどだ。
 壁に掛かったやけに古い絵画を一瞥し、俺は花鶏に促されるままソファーに腰を下ろした。

「さて、何から話しましょうか。若い方と話すのは久し振りですから緊張してしまいますね。……ああそうだ、なにか聞きたいことでもありますか?私に答えられることならなんでも答えさせていただきます」

「死んだばかりというのは不安でしょうからね」優しい声音で問い掛けてくる花鶏。
 いい人……なのだろうか、なんとなく真意がわからないため、信用していいのかわからない。
 けれど、右も左もわからない現状、花鶏のような存在は大きい。

「俺、これから……どうなるですかね。……天国とか、そういうの、とか……」

 生前の俺ならこんなこと恥ずかしくて言えなかったのだろう。
 別に天国というものを本気で信じているわけではなかったが、なんとなく気になった。もし天国が存在していないとして、幽霊が花鶏たちのようにそこら辺ほっつき歩いているとすれば俺が見掛けた幽霊は少なすぎる。

「天国……と呼ぶべきかどうか不明ですが、一応こうして霊体になった我々にも『死』に似たものは存在します。成仏というのは聞いたことは?」
「……あります」

 ホラー漫画や映画で、未練があった幽霊がその悔いがなくなり成仏して消える、というのは何度も見たことがある。

「それって、俺が何らかの未練があって……それがなくなれば成仏できるってことですか?」
「簡単に言えばそういうことになりますね。そして、その未練というのは人それぞれです。貴方には心当たりはあるんですか?」
「……ある、といえばあるんですかね」

 俺は、未練と言われて真っ先に思い浮かんだ仲吉の顔を振り払う。それから、ろくにここ最近連絡取ってなかった家族の顔が浮かんだ。優しい目でこちらを見ていた花鶏はふわりと微笑み、そして「そうですか」と頷いた。

「それが叶えば、恐らく貴方は成仏することはできるでしょう。……とはいえ、私もここに残留している身。成仏した方がその後どこへ行くのか、本当に天国が存在しているのかわかりません。それでも、成仏を望むのならその未練をなくすことに努めるのが懸命でしょう」

「そして、この館では私やあなたのような成仏できない者たちが毎日を暮らしているんです。いえ、暮らしているというより時間を消費していると言った方が適切でしょうか」そう、静かに続ける花鶏。花鶏は成仏したがっているようには見えない、むしろ、それを受け入れているような、そんか雰囲気すら感じた。

「ま、成仏なんてしなくてもここにいりゃいーじゃん? 幽霊の姿の方が何でもできて楽しいしな」

 噂をすればなんとやら。
 いきなり現れた幸喜は、ソファーの背凭れを跨ぐように俺の隣に腰を下ろしてくる。内心びっくりするが、花鶏はというと眉一つ動かさない。

「幸喜、藤也は一緒じゃないんですか?」
「藤也なら南波さんたち探しに行かせた。新しい友達が増えたよーってね」
「藤也にですか? ……まあ、いいでしょう。では、三人が来るのを待っときましょうか」

 なんか、勝手にどんどん話が進んでいってる気がする。
 確かに、幸喜に下手に逆らわないためについていったが、この展開は俺もこの館へと招き入れられることになる。
 けど、どうなのだろうか。確かに一人でいるよりも同じような境遇同士で集まった方が情報交換には有利だろうが……なんて考えいた時だった。
 客室の扉が開き、一人の青年が入ってきた。そこには夏だというのに真冬のような格好した厚着の青年が一人、青い顔をして立っていた。

「すみません、遅れました……」

 黒く、長い前髪の下の目は泳いでいる。垂れ気味の眉尻と弱い語気がどこか陰鬱そうな雰囲気を醸し出していた。年齢は俺と同じくらいだろうか。

奈都なつ君、藤也たちは一緒じゃないんですか?」
「藤也君に、先に行っとけって言われてたので……」
「……ああ、準一さん。彼は奈都君と言います。多分、ここで暮らす亡霊たちの中じゃ一番あなたと歳が近いのではありませんか?」

 花鶏に案内された奈都は、俺に気付いたらしい。
 慌てて俺の前まできて、そしてぺこりと頭を下げた。

「奈都です。あの……よろしく……お願いします」
「よ……よろしく」

 なんとなく、言わされてる感の強いよろしくだったがそれでも幸喜よりかは大分付き合いやすそう……なのだろうか。奈都はぺこぺこと頭を下げ、そして花鶏の隣に腰をおろした。

「奈都君、準一さんは今日からここで暮らすことになりました。是非仲良くしてくださいね」
「っ、え……ちょ、ちょっと待ってくださいよ、俺はそんなこと一言も……」

 言ってないですけど、と慌てて訂正しようとしたときだった。
 閉まったばかりだった扉が勢いよく開かれる。
 なんだ、今度はなんなんだ。
 何事かと目を向ければ、それと同時に、客室の床に赤い柄シャツを着た派手な男が転がされた。

「クソッ、なにしやがんだ。ちくしょう……っ!! ぶっ殺すぞクソガキッ!!」

 目映いくらいの金髪、悪趣味なくらいの金のアクセサリー。チンピラだ。コッテコテのチンピラの男がそこにいた。おまけに満身創痍で。
 開いた扉から続いて入ってきた藤也は、転がるチンピラを思いっきり蹴って転がす。「ぐえっ」という悲鳴を漏らすチンピラの頭を無理矢理掴み上げ、そのまま俺達のもとへと引き摺ってくる藤也。そして。

「連れてきた」
「ッぜってー死なす……っ! 人の髪に触んじゃねえクソガキ!!」

 威勢のいいチンピラの気迫に気圧されそうになる俺だが、周りの面々は慣れきっているらしい。
「もう死んでますよ」と冷静に突っ込む花鶏。

「……南波、新入りの方です。ちゃんと挨拶をしてくださいね」
「はぁ? 新入り……? …………ッ!!」

 そこでようやく俺に気付いたらしい。鬱陶しそうにこちらを見上げていた南波と呼ばれたチンピラだったが、俺を見るなり血相を変えた。
 まるで、この世の終わりのような顔をする南波。
 先に言っておくが俺はこの南波というチンピラみたいな知り合いもいなければ初対面のはずだ、それなのになんだののリアクションは。石みたいに固まった南波に、不安になった俺は「あの」と花鶏に助けを求める。
 すると「ああ」と花鶏は思い出したように微笑んだ。

「南波は男性恐怖症なんですよ」
「だ、男性恐怖症……?」

 ……男がか?つか、この人がか?
 俺の方が怖いんだが。


「花鶏テメェ……こんなことでいちいち俺を呼ぶんじゃねえ!!」
「呼んだのは私じゃありませんよ」
「まあまあまあまあ、そんくらいで怒んなって。たまたま準一の顔が怖かっただけじゃん! 俺悪くないし?」

 確かに花鶏や幸喜、藤也や奈都とはまだ普通に話してるようだが……俺に至っては視界に入らないように全力で顔を逸してくる南波に正直傷付きそうになる。
 確かに、他の奴らに比べて子供に泣かれやすい顔だとは自負してるが、だからってこんなの不毛だ。

「全員揃いましたし、改めて紹介しましょう。今日から皆さんとお友達になる準一さんです」

「仲良くしてくださいね」と笑いかけてくる花鶏に、流石に辟易しそうになった。
「だから、俺は……」ここで暮らすとか一言も言っていない。そう続けようとして、俺は自分に向けられる複数の視線に気付く。生気のない、無数の目。

「――準一さん、挨拶を」

 先程まであれほど騒がしかったのに水を打ったように静まり返る客室内に、花鶏の声が冷たく響く。
 無言の圧。まるで、選択肢を間違えた瞬間また殺されるのではないかと思うほどの張り詰めた空気の中、俺に残された選択肢は一つしかなかった。

「……よろしく、お願いします」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 そう口を開いたのも、やはり花鶏だった。
 やっぱり、早まったかもしれない。
 が、どちらにせよ俺にとっては悪い誘いではない。……そう言い聞かせることしかできなかった。
 それに、こいつらと合わなければすぐにここを出ればいい話だ。


「そうだ準一、俺がこのあたり案内してやるよ! な、せっかくいい天気だし」

 不意に、幸喜が思いついたようにそんなことを言い出した。
 いい天気もなにも、雨降ってたじゃないか。それを踏まえていい天気と言っているのなら、やはり俺はこいつと感性が合う気にはなれない。

「いや、俺は別に……」
「いいだろ別に。減るもんじゃないんだからさ」
「幸喜、準一さんが嫌がっているでしょう。連れていくなら南波を連れていったらどうです?」
「はあ?なんで俺だよ。ふざけんじゃねえ……離せって、おい!!」

 どうやら予め南波が逃げようとするのを予測していたようだ。ジタバタと喚く南波を捕まえた花鶏に、幸喜は目をキラキラと輝かせた。

「南波さん? まじで? ならいいや、南波さん一緒に外行こうぜ!」
「テメェ、触んじゃねえ! 離せ!やめろ! 気持ち悪い!」
「藤也も行くだろ?」
「……ん」
「離せっていってんだろうが!!」

 俺を案内する気なんて最初からなかったんじゃないか……?恐らく玩具が欲しかっただけのようだ、南波の首根っこ掴んだ幸喜と藤也に引き摺られ、そのまま南波は連れて行かれてしまった。
 ……もしかしたら自分があそこにいたかもしれないと思えば南波に感謝してもしきれない。

「さて、ようやく静かになりましたね」

 もしかしてわざと南波たちを追い出したのだろうか。そんな邪推をしてしまうような花鶏の発言に、なんとなく居心地が悪く感じる。
 ……なんとなくここの屋敷の力関係がわかってきた。
 恐らく、一番力があるのはこの目の前の和装の男だろう。

「それで、何か他に聞きたいこととかありますか? ……こういうことは騒がしい方々がいない内にしかできませんからね」
「聞きたいこと……」

 成仏……のことは、聞いた。交流か……。何か花鶏たちに関することも聞いておいた方がいいのか。
 確かに、俺は他の五人のことはまるで知らない。これから同じ屋根の下で暮らすとなると、少しくらいは知っていた方がいいだろう。……けれど、共通の話題か……。

「……そういや、二人ともなんで死んだんですか?」

 あくまで世間話のつもりで聞いたのだが、奈都の顔色が変わったのを見て、しまったと後悔する。が遅かった。
 無言でソファーから立ち上がる奈都に、「奈都君」と花鶏が呼び止める。が。

「……すみません、部屋の戸締まりが心配なので見てきます」

 奈都は「すみません」ともう一度口にすれば、そのまま客室から出ていってしまった。
 扉を閉める音が、やけに煩く響く。
 ……やってしまった。
 そうだ、いくらあの双子がズケズケ踏み込んできたからといって普通はかなりデリケートな問題になる。それを話題として、おまけにほぼ初対面の相手に振ってしまうなんて……。

「……すみません、後で俺、謝っときます」
「……そう気になさらず結構ですよ。ただ、奈都君は他の方々に比べてまだ、割り切れてないようなのであまりそういった部分には触れない方がいいと思いますが」
「っ、す、すみません……」
「いちいち気にしていたら体が持ちません、時間はたくさんあるのですから。では、奈都君が戻ってくるまで私とお話をしましょうか」

 花鶏なりに俺を気遣ってくれているのだろうか。
 それとも、ただ単に花鶏自身が俺と話したいのか……。まあ、気まずいままでいるよりは助かる。

「そういや、意外と少ないんですね。ここに住んでんの」
「大体の方は案外すぐに成仏するんですよ。――というよりも、諦めに近いのでしょうが」
「諦め?」
「未練がある者が霊体になってもこの世にしがみついている、と先ほど話しましたね。……けれど、その未練がこの先果たされることがないとわかればどうなりますか?」
「ここにいる意味がない、って思うってことですか?」
「ええ、そういうことです。成仏というよりは……生きる希望を失った状態でしょうか。私達は思念体、つまり自分自身が消えたいと思えばその通りになるということです」
「それは……」
「ですから、こうして机を囲んでいられる状態が一番安定しているのかもしれませんね」
「花鶏さんも、未練があるんですか?」
「ええ、ありますよ。……貴方のような方とお話がしたい」

 本気なのか、冗談なのか。この男はいまいち掴みどころがない。

「だから私は準一さんが来てくれて嬉しく思っています」
「……でも、成仏しないんですね」
「欲と言うものは底無しなんですよ、次から次へと湧き上がってくる。……なので私は成仏することも叶わないんですよ」

 そもそも、この男は成仏したがっているようには俺には見えなかった。奈都や南波はともかく、幸喜や藤也もそうだ。そう考えるとまた不思議ではある。
 ……欲、か。俺はどうなのだろうか。成仏を望むのが本来ならば幽霊としての務め……なのだろうが、俺にはまだ現実を受け入れることができなかった。まるで、夢を見ているような感覚の中だ。

「――でも、本当にあなたは私を退屈させないような気がします」

 どういう意味か、なんて聞き返すのも野暮な気がして「そうですか」なんて当たり障りのない返事をすることが精一杯だった。そんな中。

「ああ、戻ってきたようですね」

 客室の扉に目を向ける花鶏。なにが、と尋ねるよりも先に、扉が開いて奈都がおずおずと顔を出す。
 足音もしなかったはずなのに、花鶏は奈都の気配を感じ取ったというのか。奈都は少しだけ気まずそうに頭を下げ、そして花鶏の隣に腰を下ろす。
 本当にただ戸締まりしに戻っただけだったのか、安堵する。

「あの、奈都……さっきはその、悪かった。……いきなり、踏み入ったこと聞いて」
「え?」
「ふふ、準一さんは貴方に失礼なことしたんじゃないかって気にしてたんですよ」
「ぁ……いえ、僕の方こそ……ごめんなさい、その……」

 言い掛けて、そのまま奈都は黙り込んでしまった。……怒ってないのならいいが、なんとなく奈都はいまいち読みづらい。けれど、許してくれた……ということにしておこう。

「まあ、辛気臭い話はさておき。……そういえば準一さんの体、大丈夫でしょうか」

 花鶏の言葉に耳を澄ませれば、遠くから屋根や壁に雨粒が叩きつけるような音が聞こえた。心なしか先程よりも雨足が強くなっているような気がする。
 どうやら花鶏は、崖下に放置したままの俺の死体が気にかかっているようだ。心配してくれる花鶏を素直に喜べないのは、恐らく心配しているものがものだからだろう。

「……そうか、あそこに置いたままだった」
「まあ、どうせ明日には引き取られるでしょうから大丈夫でしょうけど……幸喜たちが余計なことしてなければいいのですが」
「引き取られる?」
「ああ、明日になればわかると思いますよ。きっと賑やかなことになりますからね」

「ねえ、奈都君」と、花鶏は隣に座る奈都に同意を求めた。
 どこか楽しそうに笑う花鶏とは対象的に奈都はただ気力なく無言で頷く。
 どうやら花鶏はいまこの場で話すつもりはないようだ。
 窓の外は暗いが、結構な時間が経っているはずだ。とっくに日付は変わってるだろうが……。
 そんな中、再び客室の扉が開く。

「あーやばい、普通に寒すぎるっしょ。いや、血い通ってないから寒いっていうのはおかしいのかな。別に辛くないけど、こう……肌寒い? ううん、なんて言うんだろう」

 扉から現れた全身水浸しの幸喜がなにかぶつぶつ言いながら入ってきた。
 まともに雨にあたったのかと思うほどびちゃびちゃだ。

「幸喜、南波と藤也とは一緒じゃないんですか?」
「あー藤也なら下にいるって。んで、南波さんは知らない。どっか行った」
「どっか言ったって……」
「……濡れたままで入ってくるなよ、汚れるだろ」
「ははっ、大丈夫大丈夫! どうせここ汚えから!」

 怪訝そうな奈都に笑い返し、幸喜はそのまま「よっこいしょ!」なんて言いながら隣に座ってきやがった。せめて着替えろよ、というのもおかしいのか。幽霊には。くそ、よくわからんねえ。

「それで? どうでしたか、外の方は」
「ああ、雨がすげーことになってた。それと……そういえばあいつ見かけましたよ。準一と一緒にいた……えーっと」
「っ、……仲吉のことかっ?」
「そう、そいつだ! 雨降ってたからよくわかんなかったけどさー、なんか準一のこと探してたっぽかったし。可哀想だったから準一のとこまで案内してやろうと思ったけど、あいつ俺に気付かないしさー」

 あっけらかんとした態度でそんなことを言い出す幸喜に背筋に冷たいものが走る。

「っ、やめろよ、あいつには近付かないって約束だろ!」
「だーかーらー! 俺は何もしてないって! それにしてもあんな雨の中傘も差さねえで準一のことすげー探してんの滑稽だったな、準一ならもう死んでますよーってな」
「……っ、お前……」

 幸喜の言葉に目眩を覚える。
 残された仲吉のことを俺はちゃんと考えてなかった。そうだ、あんな別れ方したんだ。仲吉は自分の責任だと感じるだろう。

「あの様子じゃ、多分もう呼んでるよな。警察。いやー楽しみだなー、奈都ぶりじゃん。また沢山テレビとかくんのかなー」
「……幸喜」

 終始無言だった奈都は、相変わらず生気のない眼を幸喜に向けた。

「あれ? どーしたの奈都、そんな怖い顔しちゃって。そんな顔してちゃ、彼女にも逃げられちゃうぞー」
「……」

『彼女』という単語が出た瞬間、明らかに奈都の纏う空気が変わったことに気付いた。

「……幸喜、やめなさい」
「あ、でもあの様子ならまだ寝てるから大丈夫かな? よかったじゃん奈都、誰にも寝取られなくて済んで」

 可笑しそうに笑う幸喜が言い終わるより先に、テーブルの上の花瓶を手に掴んだ奈都。
 それを手に幸喜に向かって殴りかかろうとしたのを止めたのは、奈都の隣に座っていた花鶏だった。

「お二方、喧嘩するなら外でお願いします。これ以上部屋が汚くなったら私が困りますので」

 奈都の手から花瓶を取り上げ、花鶏はやれやれと言わんばかりに肩を竦める。奈都は無言で花鶏を見据えれば、すぐに顔を逸らしそのまま客室を出ていった。
 奈都のいなくなった部屋の中、ソファーの背もたれに深く凭れかかった幸喜は笑う。それは無垢なものではなく、突き刺さるほどの悪意に満ち溢れた凶暴なものだった。

「やだなあ、喧嘩だなんて。じゃれ合ってただけっすよ」
「一方的なじゃれつきは嫌われますよ」
「愛情表現の裏返しってやつですって」

 なんとなく、おかしい。
 ここのやつらと数時間か共にした俺は、改めてそう思った。全員が全員仲がいいようには見えなかったし、それになにかワケ有りのように見える。
 隠し事か、それともただ新参者の俺が知らないだけか。
 詳しいことはわからなかったが、あまりにも普通には思えなかった。
 奈都はなにを考えて花瓶を掴んだのだろうか。幸喜を殴り殺そうとでもしたのだろうか。その発想がまず理解できなかった。
 死んだのだから、もう痛みも感じないし死ぬ必要もない。
 もしそれが本当ならば奈都の行動に違和感を覚えた。
 ……ただの脅しだろうか、それとも痛みを感じないというわけではないのか。それを知るのには、あまりにも情報が少なすぎる。
 とにかく、情報を集めよう。こんな危ないやつらと長く一緒にいたくない。さっさと昇天して、消えてやる。

「奈都はなあ、すぐキレちゃうからやだよなあ。こうもっと明るくなれないのかなあ、奈都。いつも遊びに誘っても無視するし」
「それを嫌われてるって言うんですよ。あまり奈都君をいじめるのはやめなさい、そのうち本気で祟られますよ」
「それはやだなー」

 前々から、寧ろ出会ったときから感じていたが、幸喜とは価値観が合わないようだ。何をしでかすかわからないだけ不気味で仕方ない。
 気付けば窓の外の雨が止んでいるようだ。
 ソファーから立ち上がれば、「おや」と驚いたように花鶏は目を開ける。

「どちらへ行くんですか?」
「……ちょっと、外の空気吸ってきます」
「えー? まじ? なら俺もついていっちゃおうかな」
「……いい、少し一人になりたいんだよ」

「別に、今更逃げない」と念を押すように口にすれば、幸喜は「ふーん」とつまらなさそうに唇を尖らせる。

「まあ、死んだばかりですからね、干渉に浸る時間も大事でしょう。……幸喜、何を拗ねてるんですか?」
「別に拗ねてないですよ……別に」

 めちゃくちゃわかりやすいな。
 そんなについてきたかったのかと絆されてしまいそうになるが、こいつはまだ得体が知れない。気を許すな。
 そう思いながら、俺は花鶏に頭を下げる。

「じゃあそういうことで、失礼します」
「ええ、死人とはいえ外は危険が多いですからね。足元には気をつけてください。それと、この屋敷は出入りは自由なので」
「……はい」

 なんか、変な感じだ。いってらっしゃい、なんて見送りされるなんてな……おまけに死んでから。
 俺はそのまま客室を後にし、屋敷の外へと向かった。
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