亡霊が思うには、

田原摩耶

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Overcoming phobia

03

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「と、藤也……っ、あの、俺は……」
「……何」
「あいつを庇ってるつもりとかじゃなくて、お前が……人殺してるのは見たくないっていうか……」
「意味わかんないし」
「俺も、そう思う。けど……お前のこと、いいやつだって思ってるからその……」
「……俺のことが怖い?」

 薄暗い食堂内。ゆっくりと振り返る藤也の言葉に、俺は一瞬何も答えられなかった。恐る恐る頷けば、微かに藤也の目が細められた。

「……俺に嫌気が差した?」
「それは、ないっ、けど……怖いのは確かに……」
「……じゃあ、あんたの邪魔しないよ。もう、余計なことしないから」

 あ、と思った。俺、藤也を傷付けている。
 このまま行かせたら本当に二度と会えなくなるような気がして、咄嗟に俺は藤也の手首をと掴んだ。

「い、嫌だ……」
「……準一さん、あんた言ってること無茶苦茶だな」
「う……それはわかってる、けど、お前絶対誤解してる気がして……」
「……」
「俺は、お前のこと理解したい……し、この生活にも……慣れていきたい」
「……」
「けど、お前のことがたまにわかんなくなる。いいやつだって思いたいけど……」

 冷たい、手応えがない感触。それでも、確かにそこに存在しているのだ。冷たい目でこちらを見ていた藤也は、そのまま片方の手で俺の手を重ねた。ひやりとした感触に驚くが、それも一瞬。藤也は目を伏せた。

「……俺は、いいやつじゃないよ」

 そう、囁くような声が響く。
 藤也は俺の手をやんわりと剥がした。
 そのときだった。

「おや、お二人とも喧嘩ですか」

 聞き覚えのある声に振り返れば、そこには和服の男が静かに佇んでいた。
 ――花鶏だ。
 いつからいたのか、相変わらず気配を感じさせない登場に内心ぎくりとした。

「……別に、喧嘩なんて」
「ああ、それは失礼しました。……随分と深刻そうな顔をしてらしたので」

 そう、藤也に流し目を送る花鶏。
 当の本人はというとむっつりと黙りこくったままだ。そんな藤也にも馴れてるのだろう。
 花鶏はふふ、と微笑んだ。

「なるほど、藤也に協力していただいたのですね。……それで、幸喜は見つけることはできましたか?」
「……まあ」
「そうですか。……些かずるい気もしますが、それも策の内ですしね」

「しかしまあ、貴方が協力するとは思いませんでしたけどね。――藤也」そう名前を呼ばれ、藤也は面倒臭そうに深く息を吐いた。

「……別に、くだらないことしたくないだけ。あいつのワガママに付き合ってられないから」
「相変わらず貴方は冷たいですね。……腐っても兄弟なのですからもう少し構ってあげたらどうですか」
「……構ってるし、あんたには言われたくない」
「おや、私にまで反抗期ですか。……困りましたね」

 そう肩を竦める花鶏に藤也は何も言わなくなってしまった。そして、黙り込む藤也から視線を外した花鶏はこちらを振り返った。

「……まあ、決まりは決まりです。良かったですね、準一さん」
「……どうも」

 おめでとうございます、と拍手をする花鶏だが全く持って嬉しくない。それ以上に疎らな拍手が余計虚しく響いた。
 そもそも本当だったらこんな理不尽で悪趣味なことをせずに済んだのだ。……無駄にキスされることだって。

「それにしても奈都君も南波も薄情な方々ですね。……まあ、幸喜の日頃の行いが原因なのでしょうが」

「藤也、少し南波を探してきていただけませんか?」ふと、思い付いたように藤也に声を掛ける花鶏。名前を呼ばれた藤也は露骨に不服そうな顔をする。

「なんで俺が」
「どうせ暇なんでしょう」
「……………………」

 否定はできないようだ。最後まで納得いかなさそうな顔をしたまま藤也は深く息を吐いた。
 そして瞬きをした次の瞬間、藤也の姿は消えていた。花鶏の言うことを聞いて南波を探しに行ったのか、それともただ単に逃げたのか。

「……じゃあ、俺もこれで」

 正直、花鶏と二人きりになるのは気まずい。なんとなく嫌な予感がし、藤也もいなくなったことだしここはドサクサに紛れて部屋に戻ろうとしたときだ。
「お待ちなさい、準一さん」と花鶏に呼び止められてしまう。

「せっかくですし少しお話ししていきませんか?」
「……俺と、ですか?」
「ええ。それともこのあとなにか予定でも?」
「それは……ないっすけど」
「なら決まりですね」

 にっこりと微笑む花鶏。
 その笑顔には有無を言わせない謎の迫力があり、俺は花鶏の誘いを断ることができなかった。

 ◆ ◆ ◆

 結局また応接室まで来てしまった。

「……随分お疲れになっているようですが、大丈夫ですか?」

 向かい側のソファーに腰を掛けた花鶏。
 ふと伸びてきた華奢な指先に頬をすり、と撫で上げられぎょっとする。

「あの……花鶏さん」
「おや、私が触っても血は出ませんね」
「……ッ」
「藤也のときも平気のようでしたし……やはり、幸喜ですか」

「貴方に心的外傷を負わせたのは」薄く微笑んだ花鶏の言葉に俺はその手を掴み、引き剥がした。冷たくまるで血の通っていない骨と皮膚の感触に気味が悪くなるが、それ以上に、目を細めて笑う花鶏に血の気が引いた。

「花鶏さん……」
「別にどうしようとするわけではありませんよ。ただ、気になっていたんですよ。……安心してください、他の方には言いませんので」

「最も、そんな分かりやすいと私が言うまでもなく皆気付くでしょうが」そう静かに続ける花鶏に俺は何も言い返すことができなかった。
 全てはこの厄介な体質のせいだ。隠したかったのに、バレたくなかったのにこうもあっさりと見破られるとなると体質というよりは俺の態度も悪いのだろうが――恥ずかしかった。

「俺は……っ、別に……」

 言い訳を探す、誤魔化す言葉を。けれど出てこない。
 そんな俺に見て、花鶏は薄く微笑む。そして俺の緊張を解すようにそのまま硬く張った肩を撫でるのだ。

「……肩の力を抜いてください。別に私は意地悪をしようとしているわけではないんですから」
「……花鶏さん」
「幸喜は基本下に見ている相手の話は聞きませんからね。……幸喜の面倒を見るのは大変でしたでしょう?」
「……大変、とか、そんな次元じゃないです。俺が死んでなかったら……」

 犯罪だ、といいかけて思い出す。
 そもそもあいつに突き落とされてこんな体になってしまったのだ。
 はっとする俺に花鶏は微笑んだままその笑顔を崩さない。

「あの子の場合は少々特殊でしてね。……まあ、そういう生き物と思うのが楽ですよ」
「……慣れてるんですね」
「慣れてるというよりも、珍しくもないですからね。あの子の場合は極端でしょうが、誰しもそんな一面はあるのではありませんか?」

「生前は喧嘩すらしたことがない者が死という概念がなくなって暴力を振るうことに躊躇することがなくなる、というのは珍しくもない話ですしね」微笑んだまま続ける花鶏の言葉に俺は頭が痛くなるようだった。
 そんなやつ、いてたまるか。そう言いたいところだが、分からない。
 俺もそのうちそうなってしまうのだろうか。
 ――慣れたくない、と思った。
 表情から俺の心情を悟ったのだろう、花鶏は目を細めるのだ。

「……私からすると、貴方の方が珍しいですがね」
「……俺が?」
「ふふ。……ええ、そうです」

「準一さん」と笑い、花鶏は俺から手を離した。
 瞬間、急に立ち上がった花鶏はテーブルを乗り上げるように俺の方へと顔を近付けるのだ。
 睫毛に縁取られたその深く、暗い瞳に見据えられると息が詰まりそうになる。

「……命を落とし、痛みがなくなっても尚死を恐れる貴方が」

 鼻先数ミリ。生気をまるで感じさせない冷たく整ったその顔に全身が石のように固くなる。緊張、というよりもこれは。

「……あ、とりさん……?」
「貴方はそのままでいてもらいたいですね……なんて、不謹慎でしょうか」

 そう、ふわりと微笑んだ花鶏は何もなかったかのように俺から顔を離し――そしてソファーへと座った。

「……なにかあれば私に言ってください。ええ、なんでも。……応えられるかどうかは分かりませんが、貴方のお力添えになれれば」

 何故だろう。普通だったら喜ぶのかもしれないがなんとなく、花鶏の申し出を素直に受け取ることが出来ないのはこの胡散臭さのせいだろうか。
 幸喜のこともあって疑心暗鬼になってるのかもしれい。……よくない傾向だ。思いながら俺は「それはどうも」とだけ答えれば、花鶏はくく、と喉を鳴らして笑うのだ。

「いえ、気にしないでください。我々としてもせっかくの新入りの方を幸喜一人のせいで簡単に使い物にならなくさせらるのは困りますしね」

 ……聞き間違いだよな。
 そうであってくれ。俺は敢えて聞かなかったことにした。
「まあ、そんな話はさておき」

 さらりととんでもないことを言われた気がするが、花鶏はというと露骨に話題を変えてくる。
 深く聞きたくなかっただけにホッとするのもつかの間。

「そういえば、準一さん。ご友人と無事会うことが出来たとお伺いしました」

 以心伝心、という四字熟語が頭に浮かぶ。
 というよりも、この男からその話が出てきたことに驚いた。

「な……なんで知ってるんですか」
「私が全知全能だからです」
「………………」
「というのは冗談ですが……たまたまその場居合わせただけですよ」
「……その場に?」

 確かに仲吉の精神世界に移動する直前、誰かに名前を呼ばれた記憶がある。
 あれは花鶏だったのか?
 今となっては記憶は定かではないが、他言してない現状花鶏が知っているとなるとそのときに鉢合わせるか本当に全知全能かのどちらかしかないわけだ。

「それで、どうでしたか?ずっと気にしていたご友人と会話した感想は」
「……まあ、五分五分ですね」
「五分五分とは?」
「話せてよかったっていうのと……話さなきゃよかったってのが半々っていうか」
「なんでまた」

 そんなに俺と仲吉の会話が気になるのか、前のめりになって聞いてくる花鶏。
 正直、俺は昨夜の仲吉とのことを話すか迷っていた。
 相手が胡散臭い花鶏というのもあるが、正直あまり言い触らしたくない。……奈都のように会おうとして会えなかった人間も居るのだ。
 けれど、余程外界に興味あるのかそれともこの閉鎖された空間で娯楽に植えているのか、いつもよりも食い気味な花鶏にねだられると「ちょっとだけならいいか」という気持ちになる。
 あいつと会った場所が俺の葬式ということは伏せて、俺はあいつがここまで来たがっていたということだけを伝えた。
 そんな俺の話を聞いた花鶏はただ一言、

「いいじゃないですか。歓迎しますよ」

 なんて、嬉しそうに微笑むのだ。
 いつも何考えてるかわからない胡散臭い笑顔ばかり見てきたせいだろうか、ここまで嬉しそうな花鶏を見るのも初めてかもしれない。

「よ……よくないですって。あいつ、馬鹿だから物事をちゃんと理解してないんですよ」
「そうでしょうか? 仲吉さんは死んだあなたに会いたいと言ってくれてるのでしょう」

「私なら迷わず道連れにしますよ」そう小さく笑う花鶏の言葉に背筋が薄ら寒くなる。
 人それぞれだとわかってはいるが、こういうことを涼しい顔して言うやつらが集まっている場所だから尚更仲吉を連れてきたくないのだ。

「……別に、俺に会いたいだけじゃないと思いますよ。あいつ、幽霊とか好きだから絶対興味本意です。深く考えてない」
「興味本意ではダメなんでしょうか」
「……ダメっていうか、仲吉のやつ、後先考えないで行動するから……」

 言いながら、自分がなにを言っているのかわからなくなった。
 そのまま言葉に詰まる俺に、花鶏は「心配なんですね」と目を伏せるのだ。
 言葉にされると余計照れ臭くなる。

「別にそういうわけじゃないんですけど……」
「素敵ではありませんか。貴方は仲吉さんを危険な目に遭わせたくない」

「慎ましやかでいじらしくて、愛くるしいではありませんか」くすりと静かに笑う花鶏に顔に熱が集まるのを感じた。
 相手は花鶏だ、俺をからかって遊んでるのだろう。

「……っ、からかわないでください」
「ふふ、申し訳ございません。……幸せそうな方を見ているとつい意地悪をしたくなるもので」
「な……っ」
「仲吉さんのことを話している準一さんはとても楽しそうでしたよ」

「随分仲吉さんのことを好いているようで」花鶏の視線がこそばゆい。
 この男を前にすると言葉も何もかもが無意味のように思えるのだ。それはきっと俺の言葉だけではなく、もっとその奥を見透かすような真っ直ぐな瞳のせいだろう。

「……花鶏さん」
「すみません、遊びすぎましたね。……そう怖い顔をしないでください、ちょっとした老婆心ですよ」

 爺の間違いではないのか。
 俺はなんとも言えないむず痒い気持ちのまま座り直す。一挙一動すらも花鶏にとっては全て筒抜けになっているようで居心地が悪い。そんな俺を見て花鶏は笑みを深くする。

「――連れてきたらいいではありませんか、仲吉さん。その方が私はいいと思いますよ」

「……準一さんのことを考えるならですが」そう、静かに続ける花鶏。
 花鶏が言わんとしていることに気付く。
 恐らく、成仏のことだろう。花鶏もわかっているのだ、俺がここに残っている未練は仲吉が関係していると。
 言葉に詰まったときだ。
 勢いよく応接室の扉が開く。

「触んなって、おい、やめろ! 引っ張るな! 乱暴にすんじゃねえ!」

 聞き覚えのある怒鳴り声。その主は入ってくるなり床に叩き付けられ、「ぶえ!」と鳴く。
 そして、そんな突然の来訪者――南波の背後から現れたそいつは容赦なく南波の背中を踏みつけた。

「……言われた通りに連れてきたけど」

 これでいい?と小首傾げる藤也に、俺は言いかけた言葉も何もかもが吹き飛んでしまう。

「っぐ、この……退け!! 退きやがれ!!」
「おや……わざわざご苦労様でした。相変わらず見事な縛りですね」

「後は好きにして下さっていいですよ」そう、微笑む花鶏に藤也は特に返すわけでもなく、ちらりとこちらを見るのだ。
 なんだろうかと見つめ返したときだ、花鶏は「ああ、駄目ですよ」と藤也を嗜める。

「準一さんにはもう少しここに残っていただくので、戻るなら一人でお戻りください」

 なるほど、今の視線はさっさとここから移動しようというアイコンタクトだったわけか。
 ……というか、花鶏もよくわかったな。内心感動していると、花鶏に断られた藤也は特に不満を漏らすわけでもなくふい、と俺から顔を逸らすと「じゃあいい」と小さく呟いた。
 ……どうやらここに残るらしい。俺は藤也の言葉に内心ほっとする。
 そしてそのまま南波を椅子にするのだ。その体の下にはじわじわと血溜まりが出来ていく。
 段々威勢がなくなっていく南波を木にすることなく、花鶏はゆるりと微笑むのだ。

「では、本題に入りましょうか」

 向かい合って座る俺と花鶏。そしてテーブルの横、南波椅子に腰を掛けて足を組む藤也。
 ……酷い絵面である。こんな状況でなんの話をするのか全く想像つかない。

「ここに南波を呼んだのはただ玩具にするためではありません。……準一さん、貴方に折り入ってお願いがあります」
「……俺にですか?」
「ええ、貴方にです」

 窓の外では風に吹かれ、立て付けの悪い窓ガラスが微かに音を立てていた。
 正直、いい予感はしない。新参者である俺にできることなんて殆ど無だ。……けど、聞かないと解放してもらえなさそうだしな。
 渋々「なんですか?」と聞き返したときだ。花鶏は胸の前で組んだ手の上に顎を乗せ、微笑んだ。楽しげな、どこか幼さもある無邪気な笑顔に内心どきりとしたのと束の間。

「南波の男性恐怖症を克服するのを手伝っていただけませんか?」

 ――どうやら嫌な予感は的中したようだ。
 本人を前にして、しかも一番苦手意識を持っているであろう俺に頼むとはなかなかだ。

「てめぇ、なに勝手なこと……ッ!」

 あまりの思い切りの良さにもしかしたら合意の上で俺に相談を持ち掛けているのだろうかと思ったが、どうやらそんなことはなかったようだ。
 藤也の下、段々生気を失いかけていた南波だったが突拍子のない花鶏の言葉に息を吹き返したようだ。

「勝手なこと? 私は友人としてあなたのことを心配しているのいうのに随分な物言いではありまんか。……心が痛みます」
「なあにが心痛むだ! 心もねえくせにテメェ絶対楽しんでんだろうが! 誰も頼んでねえ!」
「おや、あなたに頼まれてないからするんですよ。物分かりが悪い方ですね」

 つまり、単なる嫌がらせというわけか。
 先程までよよよ、とわざとらしい仕草で目頭を袖で抑えてたと思いきやけろりと白状する花鶏の代わり身の速さに何も言葉がでなかった。

「……まあ、あなたのためということには変わりありません。それに、そろそろ男に慣れないと色々不便でしょう?」
「だからってテメェが決めてんじゃねえ……ッ!!」
「何を仰りますか。貴方だって考えたのではありませんか? ……顔はともかく準一さんなら他の方と違ってお優しいですし、あなたも『準一さん、怒ってた? やっぱり怒ってたよな?』と私にずっとしつこく聞いて回るくらい準一さんのこと気にしてたじゃないですか」
「い゛っ……言ってねえ! 言ってねえし!」

 黙れよこのカマ野郎、性悪、女狐野郎!と顔を青くしたり赤くしたり精一杯の罵詈雑言で花鶏を罵る南波。どさくさに紛れて俺までディスられたような気がするが深く言及しないでおく。

「……とにかく、そういうわけであなたのその逃亡癖を治させていただきます。こんな巡り合わせなかなかなありませんよ」

「ああ、別にあなたを虐めたくて言っているわけではないですからね。そこのところ、勘違いしないよう御願いします」そう悪びれもせずに続ける花鶏。
 絶対に折れるつもりはないという固い意思が見て取れた。
 南波はというと完膚なきまでに言葉を失っていた。助けの船を出したいところだが、相手が花鶏となると俺は手も足も出ない。どうしたって二人揃って丸め込まれる未来しか見えないのだ。

 花鶏の言ったことを要約すると、「南波のため」という部分に託つけて思い遣りという名の嫌がらせをするからよろしくということらしい。
 ……ぶっちゃけ俺とばっちりだよな。
「……というわけです、ご理解いただけたでしょうか」

 南波、と名指しで微笑む花鶏に南波はぐうの音も出ないようだ。
 頑張れ南波、負けるな南波。
 そう心の中で応援するものの、やはり花鶏相手は手強いようだ。

「……ッ、勝手にしろ」

 南波はとうとう諦めてしまったようだ。
 花鶏は満足そうに頷き、そしてその流し目をこちらへと向けるのだ。

「では準一さん、協力よろしくお願いしますね」
「……別にいいっすけど、俺より奈都とか適任じゃないですかね」
「おや、何故そう思われるのですか?」
「何故って……奈都の方が優しいし、俺だといきなりまた驚かせてしまうかもしれないじゃないですか」

 今までの態度からして南波が一番苦手なのが俺だというのは分かりきっている。
 克服させるならまず奈都みたいな無害そうな相手から徐々に慣らしていった方がいいと思うのだが……。
 それを花鶏に伝えれば、花鶏は「そんなことはありません」とはっきりとした口調で続ける。

「私はあなたが一番適任だと思います。……面倒見が良いですし、なにより責任感がありますからね」
「そ……そうっすかね」
「ええ、勿論。もっと貴方は自信を持つべきです」

 素直に褒められると少し恥ずかしくなってきた。
 そう照れ隠しに前髪を弄ったとき、花鶏は目をすっと細めるのだ。

「――それに、頼まれたら断れない質ですし」

 何やら不穏な言葉が聞こえてきた気がするが聞こえなかったことにする。

「どうか人助けと思って南波に接してあげてください。準一さんも、毎日の目的があった方が楽しいのではありませんか?」

 ……確かに、花鶏の言葉には一理ある。
 一日やることもなくぼけーっと日々を過ごすより南波に協力した方が有意義だ。
 それに、わざわざ俺を選んでくれたのだ。……厄介事を押し付けられたような気もしないでもないが。

「話というのはそれだけです」

「藤也、もういいですよ」その花鶏の言葉に、南波を逃がさまいと椅子にしていた藤也はそのまま無言で立ち上がる。ぐえ、と鳴く南波を無視し、そのまま藤也は俺の隣に腰を下ろした。
 ようやく藤也から解放された南波は力尽きたようにその場に倒れていた。大丈夫かと思ったが血溜まりが引いていくのを見て安堵する。どうやら体を休めているようだ。

「まさかここまで話がスムーズにいくとは私も驚きました」
「……最初からその話をするつもりで俺を引き止めたんですか?」
「まあ勿論それもありますが……貴方とお話がしたいというのも嘘偽りない事実です。お陰で興味深い話も聞けましたし、有意義な時間を過ごすことができました」

 ありがとうございます、と花鶏が微笑む。
 花鶏の本性がチラチラと垣間見えているだけに素直に喜ぶべきか迷うが、取り敢えず俺は褒め言葉として受け取っておくことにした。

「しかし……南波が抵抗したときのため、一応こんなものも用意していたんですが無駄でしたね。……せっかくですし渡しておきます」

 そう、袂からなにやら取り出す花鶏。
 その手には黒い皮でできた帯状のそれには一メートルほどの恐らく同じ材質の丈夫そうな紐が繋がっている。
 そして、それを一目見た俺の脳裏に『首輪』という二文字が浮かんだ。

 ……いや、なんでだ。なんで首輪なのか。
 薄々勘付いてしまったがいやまさかな。まさかな……。

「南波、こちらへ」

 そのまさかであった。
 ゆるりと立ち上がり、手慣れた手付きで首輪のバックルを外す花鶏。
 花鶏の持っているものに気付いていない南波は「なんだよ」と面倒臭そうな顔しながらも渋々顔を向けた。
 そして、一瞬。
 ぱっと音もなくその場から消えたと思いきや、いつの間にかに花鶏は南波の背後に移動していた。
 そしてそのまま片手で南波の顎を持ち上げた花鶏は、もう片方の手で持っていた首輪を南波の首に嵌め、がっちりと締め上げる。

「っおわッ! おい、なんだこれ!」
「暴れないでください南波、うっかり窒息しても知りませんよ」

 花鶏は首輪が外れないのを念入りに確認し、南波から手を離すと同時に首輪へと繋がるその手元のリードを思いっきり引っ張る。
 瞬間、戸惑って首輪を掴んでいた南波はそのまま「ぐぇっ」と花鶏に引き摺られていた。

「て、テメェ花鶏……ッ!」
「具合はよさそうですね。……では、準一さんにこれを預けときます」
「い、いや……渡されても困るんですけど……っ」
「視覚的に他人と繋がっていると認識することができれば南波みたいな単純な人間は逃げることができないんですよ。……簡単な呪縛です」

 便利でしょう、と悪びれもなく謳うように続ける花鶏に呆れて笑いもでなかった。

「だから首輪ですか」
「縄の方がお好きですか?」

 ……ノーコメントだ。
 つまり、今こうして首輪をしていることで南波は瞬間移動が使えないというわけか。
 俺は前に藤也から聞いたことを思い出す。
 視覚的な思い込みと概念。そしてそれを逆手に取ることもできるのか。
 一種の感動すら覚えるが、もしかしてこれ俺もなんじゃないのかと一抹の不安が過る。……首輪や縄には気をつけよう。
 そんな教訓を胸に、俺は先程から「さっさと取れよ」やら「ふざけんな殺すぞ」と花鶏に怒鳴り散らす南波に目を向けた。
 そしてばちりと目が合ったと思えば南波はしゅんと黙り込んだ。

「……ふふ、便利でしょう、これ。先ほど部屋の片付けをしていたら出てきたんですよ。大切にしてくださいね」
「でも、首輪なんて流石にこれは……」
「大丈夫ですよ。南波はこういう嗜みがお好みですので」
「な゛ッ! ……ふざけんなさっきから聞いておけば人を好き勝手嫌がって! そういうプレイが好きなのはテメェだろうが変態野郎!」
「口が過ぎますよ、南波。……準一さんの前でそのような下品な言葉遣いは如何なものかと」
「今更だろうがテメェはよぉ……ッ!!」

 南波の額にびきびきと浮かび上がった青筋が今にもはち切れやしないかヒヤヒヤしながらも二人の勢いに圧倒され仲裁にすら入れずにいると。

「……まあ、こんなこと言ってますがどうせすぐに慣れますのであまり深く気にしなくても大丈夫ですよ。……そしたら、準一さんから南波の首輪を外してあげて下さい」

「分かりましたか、南波」とついでにぐい、とリードを引っ張る花鶏に、南波は舌打ちをする。
「くどいんだよ、てめえは」と自分の側にリードを引っ張り直し、バチバチと二人が見えない火花(というよりも南波の一方的なのものだが)を散らす二人にどうしたものかと右往左往していたときだ。花鶏はぱっと手を離す。

「……と、いうわけです準一さん。くれぐれも、南波に同情してすぐに首輪を外してあげるなんて真似は考えない方がいいですよ。なにせまだ克服できていない状態ですからね。……死地を再び彷徨うハメになる南波を見たければ構いませんが、そのときは私が貴方に首輪を付けさせて頂きますので」
「……えっ」
「何を驚かれてるのですか? ……当たり前ではありませんか。貴方と南波は言わば一心共同体なんですから、連帯責任ですよ」

 そうニコニコと続ける花鶏だがその目が笑っていないことに気付いた俺は何も言い返せなかった。
 俺の思考をどこまで読んでいるんだ、この男は。
 先手を打って釘を刺してくる花鶏。
 花鶏に首輪を付けられ屋敷中を連れ回される自分の姿を想像し、背筋が凍りつく。
 何が俺は優しくて面倒見がいいから適任だ、だ。要するにこの男は――。

「ご理解して頂けたでしょうか」
「う、うっす……」

 そう念を押すように尋ねてくる花鶏の圧に負け、リードを握り締めたまま俺はこくこくと数回頷き返す。
 そしてようやくいつもの笑顔に戻った花鶏は「それはよかったです」と優しい声で続けるのだ。
 南波の言った通りだ。
 この男、サディストである。
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