亡霊が思うには、

田原摩耶

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I will guide you one person

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「おい仲吉。とにかく幸喜を追い掛けるぞ」
「は? 幸喜?」
「あいつが新聞持っていったんだよ。あいつ、絶対奈都に見せるつもりだ……っ!」

 それならまだいい。
 幸喜の性格からしてもっと最悪なことになることすらある。それだけは避けなければならない。
 俺の剣幕からようやく事態が飲み込めたようだ。

「……まじで?」
「まじだよ。ほら、行くぞ」
「わ、わかった……」

 このままじゃせっかく奈都を心配する仲吉の気遣いまで台無しになる。
 なんとしてでも取り返さなければ。
 そう決意した俺は、早速幸喜を捕まえるためにまず南波を起こし、それから奈都がいそうな場所を当たることにした。

 それから俺たちは奈都を探すため、一度屋敷まで戻ってくる。
 瞬間移動出来ればすぐなのだが、拘束する首輪が阻害するので走るしかない。出血がまだ治らない南波だったが、幸喜の仕業だと知るや否や全力疾走してくれたので助かった。


 ――幽霊屋敷、奈都の部屋の前。
 未だどこか様子がおかしい仲吉の代わりに俺は奈都を尋ねることにする。
 そっと扉を軽く叩けば、乾いた音が薄暗い廊下に響いた。

「……奈都、俺だ。入ってもいいか」

 返事は返ってこない。
 このままでは埒が開かない。念の為「入るぞ」と声をかけ、俺は目の前の扉を開いた。

 その先には薄暗い闇が広がっていた。
 簡易ベッドがひとつ。それとその側には一人用のテーブルがあり、置かれた花瓶には生花が生けられていた。
 質素だが、混沌した幸喜たちの部屋やなにもない俺の部屋よりかはましだろう。
 色のない部屋の中、やけにその花の色だけが鮮やかに浮かんで見えた。

 部屋の中へと足を踏み入れ、奈都がいないか見渡したときだ。不意に廊下の外から物音が聞こえてきた。

「準一さん、奈都がいました」

 そう声をかけてきたのは南波だ。
 慌てて部屋を出た俺は、南波が指差す方へと向かう。

 長い長い廊下の突き当たり。月明かりが射し込む窓の前、奈都はいた。
 窓枠の外、月も見えない夜空をただ奈都は眺めていた。その目は相変わらず暗い。

「奈都、丁度よかった」

 そう声をかければ、奈都はゆっくりとした動作でこちらを振り返る。

「どうしたんですか、皆さん揃って」

 ぞろぞろとやってきた俺たちに少しだけ驚いたように目を丸くする奈都。
 よかった、まだ幸喜に会っていないらしい
 いつもと変わらない奈都に一先ずほっとする。

「いや、別にどうしたってわけじゃないんだけど」

 問題はここからだ。
 どう説明すべきか。そう口ごもったときだった。

「……どうしたわけじゃない?」

 それはぞっとするほど冷たい声だった。
 先ほどまで柔和だった奈都の表情が一瞬にして険しくなるのを見た瞬間、体が硬直する。

「準一さんにとってはどうしたってわけじゃないんですか、これは」

 なにか不味いことでも言ってしまったのだろうか。
 ずいっと詰め寄ってくる奈都は上着からとある紙切れを取り出し、それを俺の胸に叩き付ける。
 慌てて受け取り、その紙切れに目を向けた俺は青ざめた。

「奈都、これ……」
「そうですよね、準一さんからしてみたら所詮他人事ですもんね。僕の大切な人が死んでもそれは準一さんにとって痛くも痒くもないですしね。そうですよね、それが普通の反応です。当然です分かってました。僕だけが一人勝手に舞い上がってたみたいですね、お見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ないです」

「無駄な手間を掛けさせてしまいすみませんでした、準一さん」あくまでも丁寧な口調で続ける奈都だが、その言葉には触れたら切れてしまいそうなくらいの棘が含まれていた。
 刃物よりも鋭い言葉と感情の圧に気押され、こちらを睨む薄暗い瞳にただ俺は言葉を無くした。

 一歩遅かった。
 グシャグシャになった髪切りを握り締め、俺は奈都の背後に目を向ける。
 奈都の背後、その影に佇む幸喜は俺と目をあわせるなりくすくす笑いながら手を振ってきた。

 ――本当、間が悪い。

「……悪い、奈都。今のは俺が悪かった、ごめん」

 言葉に気をつけろ。態度も。表情も。
 奈都をこれ以上傷付けないように意識すればするほど恐ろしく自分の言葉が薄っぺらくなる。

 奈都に隠そうとしたのは事実だし、奈都に手渡った記事の内容も事実だ。
 今なにを言ったところですべて墓穴だ。

「……悪かった、奈都」
「謝らなくていいですよ。準一さんはなにも悪くないんですから。分かってますよ、そのくらい。……分かってます」
「――奈都」
「悪いのは僕なんですから」

 奈都の顔が歪む。その口から絞り出されるその言葉に、聞いてるこちらの胸が締め付けられるように息苦しくなった。
 幸喜が奈都になにを吹き込んだかはわからなかった。
 しかし、事実を膨張させあることないこと口にしたのは大体想像つく。

「……ごめんなさい、迷惑かけて」
「待て、奈都」
「……っ、触らないで下さい!」

 そう俺たちの脇を抜けようとする奈都を慌てて呼び止めようとしたとき、伸ばした手を振り払われる。
 乾いた音が響く。それ以上に張り裂けるようなその大きな声に俺は何も言えなかった。

「……すみません、一人にさせて下さい」

 ――じゃなきゃ、準一さんたちに八つ当たりをしてしまいそうで怖いんです。

 奈都はそう泣きそうな声で呟いた。
 そんなことを言われて無理に呼び止めることができるはずもない。
 そのまま廊下の奥へと消えていく奈都をただ見送ることしかできなかった。

 奈都が居なくなったのを確認し、ぐるりと辺りを見渡した幸喜はクスクスと笑いながらこちらを見上げる。

「……あーあ、泣いちゃった。カワイソ」
「幸喜、テメェ……」
「そんなに見詰めんなよ、準一」
「なに言ったんだよ、あいつに」
「なにも、『準一たちがこれを持ってた』って言っただけだよ?」

 それだけであそこまで取り乱すものなのか。あの憎悪に満ちた瞳を思い出すだけでも胸が締め付けられるように気分が悪くなる。
「本当かよ」と問い詰めれば、幸喜は「ああ、あと」と思い出したように口を開いた。

「お前の彼女は散々苦しんで死んじゃったのにお前だけ即死ってずるいよな、って」

 頭に血が昇るのが自分でもわかった。
 全身の血が煮え滾り、気付いたときには体が勝手に動いていた。
 幸喜の胸ぐらに手を伸ばせば、今度は呆気なくやつは捕まった。
 鼻先がぶつかりそうなくらいやつを掴み上げれば、幸喜は喉を鳴らして笑う。そして俺の首に繋がったリードへと指を絡めようとした、そのときだった。

「おい! 落ち着けって、準一!」

 背後から伸びてきた手に腕を掴まれ、そのまま幸喜から引き離すように羽交い締めにされる。
 ――仲吉だ。

「離せよ、仲吉」

 捕まる俺にくすくす笑う幸喜が頭にきて、そのまま蹴り入れようとすれば今度は幸喜はあっさりと躱す。

「準一って本当変わってるよな? なんで準一がムキになるわけ? 奈都ならともかく。つか俺、準一のために言ってやったってのに」
「何が俺のためだよ、お前のしてることは人を馬鹿にしてるようなもんだろうが! 人を馬鹿にすんのも大概にしろ!」
「うーわ、ブチギレじゃん。悲しいなあ。藤也のことは大好きなくせに」
「はあ……っ?!」

 あまりにも脈絡のない幸喜の言葉に思わず大きな声が出てしまう。
 そこで自分がやつのペースに引き込まれそうになっているのに気付き、喉元まで出てきた罵倒を飲み込んだ。
 冷静になれ。落ち着け。こいつの思い通りになるな。

「そーいうさ、差別っていうの? よくないよ。俺悲しくなっちゃうし。……藤也も俺と一緒なんだから」
「今あいつは関係ないだろ」

 そう怒鳴れば、僅かに眉を下げた幸喜は笑い「どうだろうね」と呟く。

「お、おい……準一、お前どうしたんだよ。さっきから」

 仲吉の腕を振り払い、一発だけでもいいから幸喜をぶん殴ってやろうと思ったときだった。
 再び手首を掴まれ、引き留められる。

「どうって、分かんねえのかよ」
「だから、なにが」
「幸喜のやつが、奈都に……っ」
「幸喜? 幸喜がいんのか?」
「いるだろ、目の前に!」

 とぼけてんのかと掴みかかりそうになるのを必死に堪え声を荒げれば、俺が指差した方向に目を向ける仲吉。
 しかし、理解できないといった表情は変わるどころかますます戸惑いの色を濃くする。そして、仲吉は困惑した目で俺を見た。

「……なんも見えないんだけど」

 その一言につられるように幸喜へと目を向ければ、既にそこに人影――やつの気配すらなくなっていた。

 ――あの野郎。

 舌打ちが漏れる。行き場のない怒りを堪えることが出来ず、近くの壁を蹴り上げた。
「ひっ」と傍で南波が小さな悲鳴を上げるのを聞きながら俺は窓の外を睨みつけた。
 僅かに開いた窓の外、生ぬるい風が吹き込むとともにざらざらと葉音が響く。

 一先ずこれからどうするかを考えなければならない。
 奈都……あいつをこのまま放っていくわけにはいかない。
 けれど、奈都からの依頼である志垣真綾の安否を調べるということは果たした。
 結果がどうであれ、やることはやった。

 頭では理解していたが、どうしても去り際の奈都の泣きそうな顔を思い出してしまい胸がつっかえる。

 こんなのって、どうなんだ。このまま知らんぷりなんて出来るわけがないだろう。だとしたらどうする。幽霊になった志垣真綾を探し出すか?そして奈都と会わせて願いを叶えさせるか?

 そんなことも考えてみたが、まずこの山の外にいるであろう死者の彼女を探し出すことが困難だろう。
 それに、もし探し出したとしても彼女が奈都に会いたがるかどうかもわからない。……最悪、俺たちみたいこの世に留まっているかすらも怪しい。

 つまり、俺たちに出来ることはない。
 ……ただ一つを除いて。
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