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中編 ルビー視点

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「ここは?」

 気が付けば、闇の中にいた。上を見上げれば小さな穴から漏れる光が今いる場所を闇の中に僅かながら浮かび上がらせる。直後、動かそうとした身体が悲鳴を上げた。どうやら落下したらしいと、現状を理解する。あぁ、運が良いのか悪いのか。いっそ…そう考えた直後、否定した。でも、やはりもう限界かも知れないと心が囁く。なら、せめて最後くらいは。

「……ィ」

 声?誰かいる。呼んでいる。気のせいではなくはっきりと誰かが呼び掛けていると、そう気づけば視線は私の意志とは無関係に声の主を探し始め、程なく広大な闇の奥に佇む扉を見つけた。目を凝らさなければ分からなかったであろう質素なソレは、少なくとも人が通るには余りにも大きく、だから暫し見入ってしまった。今にも伝承の巨人が扉の向こうから無造作に出てきそうな、そんな妄想が頭を過る。

「……ビィ」

 まただ。声は確実に扉の向こうから聞こえる。でも、一方で躊躇する。遺跡の罠が見せる幻聴かも知れないと、二の足を踏み……

「ハハ」

 不意に、渇いた笑いが闇に溶け消えた。もう私には何もないんだった。惜しむ命なんてもうない。家族を、家を、何もかも失った。私に残ったのはたった1つ、両親と神から授かった己が命だけ。

 直後、脳裏に一冊の本が過った。擦り切れる程に呼んだあの本。同時に傍と気付いた。今、この状況は私が焦がれた初代イセルベルク家当主と同じではないか。今、私は彼女と同じ場所に立っているのだと。私は思い出す。何故、彼女に憧れたのか。何故、彼女の生き様をなぞろうと思ったのか。

 吹っ切れれば、私の足は声に向かう。何も変わらないかも知れないし、1人に出来る事など高が知れている事実も思い知っている。扉の前に辿り着いたとて鍵が無ければ開かないだろうし、長い間に何処か壊れているかも知れないし、そうでなくても私の細腕では……

 ギギィ――

 しかし、目の前の光景は私の弱さが生む否定的な思考を押し流す。回転する歯車、続いて何かが軋む音が立て続けに静寂を搔き乱し、更に力強い振動が床を伝い足を、身体を震わせる。扉が、開いた。しかも勝手に、まるで私を待っていたかのように。これも遺跡の機能なのか、こんな奇跡があり得るのか、そんな猜疑心が瞬く間に心を蝕む。つい数時間前に全てを失った私の心は幸運を、都合の良い事態を受け入れることが出来ない。だけど……

「ルビィ」

 頭に浮かぶ無数の疑念とソレが生む不安は、誰かが私を呼ぶ声に霧散した。いや違う。言い知れない感覚が身体を伝い、全てを押し流したのだ。まるで初級の雷魔法の制御に失敗したあの日と同じだけど、それとは異質な感覚。身体も心も甘美に酔う。陶酔、恍惚、快楽。疲労と怪我で満身創痍の身体は声に導かれるままに動き、扉の向こうに広がる広大な空間の中央を目指す。そこには広大な空間を端まで照らす球形に輝く構造物があった。中央に人を内包した透明な何か。

「男の人?」

 遺跡の性質から考えれば巨人が眠っていても不思議ではないのに、でもソコにいたのは少なくとも人間に見えた。背丈は私よりも大分高く、整った顔立ちはまるで王子様のように美しい。でも、人間だ。しかも、どうにも表現しようがないのだけど、何故かソコに封印されている様な気がした。何故?頭の中に生まれた疑問は膨れ上がり続ける。だけどやはりソレは全て霧散する。

 封印された彼の顔を見た私の身体を再び言い知れない感覚が伝う。その度に疑問は霧散し、身体は火照り、心は言い知れぬ興奮に支配される。私は、私に起きている事態を正しく理解出来なかった。だけど不思議な事に全く不快に感じない。ずっとこうして居たい。不思議で、奇妙で、だけど心休まるような感覚。私は封印された彼の安らかな寝顔を見ながら……

「血は争えないな、嘘つき共が」

 背後からの声に穏やかな心が潰される。視線を入り口に向ければ父を殺した憎いあの男が、私の婚約者ネフライトがいた。

「こんな場所があったのか?しかも、見たことが無いな、アレは」

 何時の間に?などとありふれた疑問を挟む余地さえなく男は言葉を続け、同時に値踏みする様な冷めた目で私の背後を睨む。一目見た時から気に入らなかった。

 あの目が、初対面からねめつけるように私を見るあの目が気に入らなかった。でも、最初は杞憂だと思った。思いたかった。だから父に促されるままに婚約した。きっと中身は違うと信じたかったのに……その思いは儚く散った。あの男は価値の有無でしか人を判断しない。己に必要ならば生かし、無いか邪魔と判断したら躊躇いなく切り捨てる。そうやって父は殺されたのだ。燻った怒りが再燃する。心を燃やす熱が身体に伝播し、震わせる。でも……

「無粋だな」

「だ?誰だ?」

 身を焦がす怒りを熔かす声に私の身体は反射的に背後を向けば、まるで溶けた様にドロドロとなった球形構造物の奥から身を乗り出す彼の姿。心を満たす不安が一気に消し飛び、代わりにあらん限りの喜びが満たす。私は、一体どうなってしまったのだろうか。

「彼女に手を出すな」

 破片を踏みしだきながらゆっくりと歩く彼は、やがて私の前に立ちはだかった。名前も知らない、性格も、出自も何もかも知らないのに、だけど彼が何をするかだけは手に取るように分かる。何故だか分からないけど彼は私を守るつもりだと、ソレだけはハッキリと理解出来た。

「貴様は一体何だ?巨人ではなさそうだが、かと言って罠に捕まった間抜けにも見えない」

「知らん」

「そうか。そうか……まぁ良い。貴様は俺の役に立ってもらうぞ」

 素っ気ない回答にネフライトは加虐心剥き出しの厭味ったらしい笑みを浮かべた。私はもう眼中に無いらしい。元より私ではなくイセルベルク家が所有する領地にしか関心を持たなかったのだから不思議ではない。だけど、どうしてあの男まで初めて目にした筈の彼を気に掛けるのか。私と同じ奇妙な感覚の赴くまま、という訳ではなさそうだ。あの目は相も変わらず益や利の有無でしか物事を判断していない。

「断る」

「だろうな」

 彼が否定するとネフライトは背後の扉に合図を送る。直後、無数の足音が広大な空間に反響した。数十人以上の兵士が扉から雪崩れ込んで来たのだ。剣、槍、盾、鎧兜で武装した兵士達の何人かは返り血で汚れ、武器からは血が滴る。この辺りに魔物はいないから、恐らく……私が最後の生き残りだろう。

「ここの攻略には心許なかったのだが、とんだ手土産だ」

「彼女に手を出すな」

「その女?もうどうでも良いさ。馬鹿な女だよ。何を考えたのか1人で生きたいと言い出すんだ」

「何が悪い?」

「身の程を知らない。無知でいれば、無能でいればよかったのに無意味な夢を見たんだ。罰が必要だろう?顔は良いから俺の奴隷として一生飼ってやるって事さ」

 ネフライトは私を見つめながら奴隷と、そう吐き捨てた。端から婚約者として見てはいなかったのは知っていたけど、やはり結婚を伸ばして正解だった。その言葉は相手を見下していなければ出てこない。汚らわしさを通り越した最低最悪の性格に身震いする。

「させると思うか?」

「この数に勝てると?それに、例え勝てたとしてもその頃には増援も来る。早急に遺跡ダンジョンの権限を俺に書き換えなければならんのでね。ハハッ、全く便利なモンだよ。巨人共が何を考えて造ったのか知らんがね。だが……」

 露悪的な視線が彼に向かう。相も変わらず値踏みする様な視線を見るに、彼には遺跡ダンジョンに関する何か重要な情報を知っていると踏んでいるらしい。

「その謎に近づけるかも知れない。もしだめなら……まぁ男でも買い手はいるさ。ド変態の相手として一生を終えろ」

 相も変わらず人を物のように扱うネフライトの言動に寒気を覚える。どう生きたらココまで利己的に、悪辣になれるのか。

「ならば、お前達と敵対する」

 だけどそれ以上、名前も知らない彼に、その一挙手一投足にどうして心惹かれるのだろう。私の前に立ちはだかるその背中を見ると言い知れぬ安堵に支配され、声を聞くと心と身体が昂り、滾る。

「ハハハハハハッ!!じゃあ予定変更だ。殺し……何だッ!?」

 ネフライトの余裕に満ちた言動は一瞬で消え去った。周囲が、遺跡ダンジョンが揺れ動く。刹那――

「俺は、俺の生まれを知らない。どうしてここに封印されたのか、何時から封印されたのか、何もかもが分からない。だが、君も気づいているだろう?」

 背中越しに彼が問いかけると、私は"はい"と頷いた。同時に喜びが溢れる。彼も同じだった。私と同じ感覚に満たされていると、そう知った喜びが顔を綻ばせる。

「何を笑っているッ、どうして俺に向けないルビーイセルベルクゥ!!」

 雑音。もう彼以外の何もかもが雑音にしか聞こえなかった。尚も鳴動する遺跡ダンジョンが遂には崩落の兆しを見せ始めるというのに、私の視線と心は目の前の大きな背中に釘付けとなったまま。

「俺は、俺の事を何一つ知らない。自ら忘れたのか、失ったのか、消されたのか。ただ、己の身が君とは違う事、人ではないというソレだけは理解している。それでも……」

 その先を語る前に私は行動していた。まるで弾かれたように彼の背中に飛びつくと、そのまま抱きしめていた。冷たかった。だけど心地よさを感じる。父とも母とも違う、冷たい背中に感じる僅かな温もりが。私にはソレだけで良いと、そう思えた。初代当主の冒険譚には後の伴侶との出会いも描かれていた。劇的な、運命の出会いだと記されていた記憶に今の私が重なる。

「ならばッ!!」

 彼の言葉、決意に遺跡ダンジョンが呼応する。鳴動する遺跡の一部がまるで砂粒のように変化すると私達の周囲を覆い始め……

「な、何がどうなっている!?」

「言った筈だ。敵対するとッ!!」

 力強い彼の言葉に酔い痴れ、同時に襲う強烈な力の奔流に身を任せた私は、気が付けば私は小さな球状空間の中央に浮かぶ椅子に座っていた。窮屈に感じない程度の広さで、とても明るく、奇妙な模様があちこちに刻印された部屋で私に分るのは座っている椅子くらい。分からない事だらけ。ただ、周辺に浮かび上がった透明の窓や球体の周囲に映る景色が大きな巨人の中にいる事を教えてくれた。どうやら外の様子らしい。高度な空間魔術によく似た窓は魔術用のオーブを通し遥か遠くの光景を見たあの時と一致する。

「操縦形式だが、基本的に君の思考を読み取り、ソレを俺が補佐する。」

「操縦?わかりました。考えれば……良いのですね?」

 ズシン。と大きな音と共に地面が揺れ動く。透明な窓を見れば、少し前に入り口から雪崩れ込んで来た兵士達の狼狽える姿が映る。

「巨人!?」

「馬鹿なッ、絶滅したんじゃなかったのか!?」

「しかも、禍々しい黒の鎧騎士。周囲に展開する黒いオーラ。まさか……」

 外の兵士達は酷く混乱していた。無理もないと思うけど、一方で同情する気にはなれない。もし彼が居なければあの中の1人に私は殺されていただろうから。躊躇いなく、家族と同じく。

「いや。有り得ない!!だってあれは伝承上の話で、でも結局証拠らしい物は何も……」

「そんな事、どうでも良い。戦えッ!!」
 
 浮足立つその他大勢を叱責するネフライトの号令が響けば、全員が一斉に彼の足元に群がる。が、見えない壁に阻まれ武器はただの一度として当たらず。また魔法も同じく。火炎魔法の赤、氷結魔法の青、雷撃魔法の黄色、様々な色が瞬時に埋め尽くすが、やはり傷の1つもつかなかったようで、程なく誰もが攻撃の手を止めた。目を見れば、呆然とする中に、しかしはっきりと恐怖の色が浮かんでいる。

「仇だ」

 彼が、そう呟いた。直後、全員が一斉に踵を返し逃げ出した。人を殺した報いが返ってくると、自分達が殺されると知るや全員が恐怖に支配された。だけど……

「ま、待てルビー。ソイツさえあれば君は何だって……」

「要りません」

「オイ分かっているのか!!ソレは太古に存在した巨人を滅ぼした黒焔の巨人、ラグナ=レースだぞ!!その力があれば世界さえッ」

「どうでも良い」

 そう。必要ない。コレが運命なのだと、そう直感した。今までソレは悪いことだと思っていた。貴族の家の女に生まれた者の宿命は1つ、嫁ぐことだけ。相手を選べず、逃げる事も叶わず。だけど、私は……
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